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裏稼業、本格始動


「おい待て、待ってくれ! クリスチーナをどうするつもりだ!?」


 手足を番線でぎっちりと縛り付けられ、身動きの取れなくなったエフィムが必死に叫ぶ。彼からしてみればクリスチーナ―――モニカは結婚相手。邪魔さえ入らなければ自分の妻となっていた筈の女である。


 結婚式を滅茶苦茶にされた挙句、どこの誰かも分からぬ連中に未来の妻を奪われるという絶望はまあ、少しは理解できる。だがこれも彼女が選んだ事だ。エフィムの欲望に貪られる未来より、自らの人生を自らの足で歩む、自由な世界を望んだのだ。


 だから俺たちはそれに手を貸した。


「彼女は俺たちが連れていく」


「ふざけるな、ふざけるなぁっ! クリスチーナは僕のものだ! お前たちにくれてやるものか!!」


「彼女が望んだことだ、諦めろ」


 城郭都市リーネの郊外、廃線となった駅へと向かう途中の休憩所にエフィムを下ろしながら、俺はそう告げた。


「クリスチーナ、僕と来い! 欲しいものなら何でもくれてやる! 金ならいくらでもあるし、お前の望む通りにしてやる! だから―――」


「―――なら、私は自由にさせてもらうわ」


 車の助手席から降り、必死に叫ぶエフィムを冷たい目で見下ろしていたモニカは、ギロチンのように鋭い言葉でそう言い切った。私はあなたのものじゃない―――彼女の心に沈殿し続けた拒絶の意志が、やっと形を得たかのような、きっぱりとした決別の言葉。


 しかしそれでも、エフィムは彼女に縋ろうとする。


「ダメだ……ダメだそんなの! お前は僕のものだ! 僕の妻になるべき女なんだ!」


「それは母上とあなたのお父様が勝手に決めた事でしょ? 私の意志じゃない、分かるわよね、エフィム?」


「嫌だ、嫌だ……行かないでくれ、クリスチーナ……」


「……さようなら。素敵な相手を探すと良いわ」


 冷たく言い、助手席へと乗り込むモニカ。彼女の名を必死に呼びながら止めようとするエフィムがちょっと哀れに思えてきたので、彼の目の前にそっとチョコレート―――甘党のミカちゃんはいつもお菓子を常備している―――を置き、傍らに発煙筒を設置した。今頃、リーネ市内は蜂の巣をつついたような騒ぎになっているだろう。市内だけでなく郊外にも、憲兵隊の捜査の目は向けられるはずだ。これ見よがしに発煙筒を焚いていれば、きっと見つけてもらえる。


「……これでも食って元気出せよ」


「うっ……ううぅ……」


「とりあえず自分の振る舞いを見直してみろ。女を物として扱うな、相手だって1人の人間だ。そこさえ何とかすれば、向こうからきっと寄って来るさ」


 そう言い残し、俺も車の後部座席へと乗り込んだ。バタン、とドアを閉めてシートベルトを締める。後部座席だろうと何だろうと、車に乗ったらシートベルト、これは鉄則だ。事故って車外に放り出されるのは嫌だろう? 死ぬぞマジで。


 安全運転で頼む、と言うと、クラリスは返事を返しながら車を走らせた。エンジンが高らかに唸り、車を合流予定ポイントへと走らせていく。


 エフィムの姿が見えなくなったところで、俺はやっとガスマスクを外した。パヴェルが改良してくれたおかげで息苦しさはあまり感じなかったが、それでもマスクをしている時としていない時では呼吸のしやすさが違う。


 ガスマスクを外してファー付きのフードを外したところで、助手席に座っていたモニカが笑みを浮かべながらこっちを振り向いた。


「ミカ、やっぱり来てくれたのね!」


「ああ、仲間を見捨てるわけないだろ?」


「カッコよかったわミカ! それにクラリスも! 2人とも、本当にありがとうっ!」


「……」


 やべ、こういう時なんて返せばいいんだろうか。


 貴族の庶子として転生したミカエル君だが、中身は童貞。恋愛経験はほんのちょっとだけ……え、意外? 失礼な、こう見えても彼女は居たんだよ。一週間だけだったけど。中学校の時に転校してきた女の子だったんだけど、付き合い始めて一週間でフラれた。理由はクラスのイケメンに惚れたから……クソが。


 おっといかんいかん……嫌な事思い出した。


 まあつまり何が言いたいかと言うと、女子と接したことは殆どない。マジで、これは本当。転生後はクラリスと接する機会が多かったけど、それでも全然慣れないのだ。だから経験って本当に大事。世の中金が全てだって言うが、経験ばかりは金では買えない。


「あ、ああ……とにかく、モニカが無事でよかった」


 ぎこちなく、無難な返事を返す事しかできないミカエル君。恥ずかしくなって視線を窓の外に移すが、窓にはそれでも嬉しそうなモニカの笑顔が映ってドキリとしてしまう。


 合流地点に近付くにつれ、道中にうっすらと降り積もった雪が目立ち始めた。まだ10月上旬だが、極寒のノヴォシアではこれが当たり前。というか、これでも例年より遅い方だ。


 何度かスリップしてヒヤリとしながらも、郊外の道を悠々と進んで行くセダン。途中で何台かの装甲車とすれ違ったが、特に怪しまれる事無く隣を通過する事が出来た。おそらくだが、花嫁強盗の現場確認に向かう憲兵隊だったのだろう。


 郊外の道を右折すると、段々と線路が見えてくる。その向こうに見える列車用の待避所には俺たちの列車―――『チェルノボーグ』が停まっていて、最後尾にある貨車のハッチがゆっくりと開き始めるのが見えた。


 線路に乗り上げ、そのまま貨車の中へ。相変わらずサスペンションが酷い有様で、レールを踏み越える度に車内はトランポリン状態。尻と骨盤が痛い。


 貨車に頭から突っ込んだ状態で停車し、シフトレバーをニュートラルに戻すクラリス。サイドブレーキを引いてからブレーキペダルから足を離し、エンジンを切る。


 ドアを開けて車から降りると、機械油のべっとりとした臭いが鼻腔に流れ込んできた。


「おー、お疲れさん同志諸君」


 若干呂律の回らない声で出迎えてくれたのはパヴェルだった。相変わらず、その肩手にはウォッカの酒瓶がある。


「おう、ただいま」


「ほー、やっぱりあの時のお嬢ちゃんか」


「……」


 行動を共にしたことのある俺とクラリスならともかく、得体の知れないパヴェルに対しては距離を取るモニカ。まあ、賢明な判断だとは思う。信頼できる仲間だけど、はっきり言って彼は得体が知れない。


 ありゃ、嫌われちまったか、と大して気にしてなさそうな口調で肩をすくめるパヴェル。苦笑いしながらも「ところで憲兵の動きは?」と問いかける。


「連中の通話内容を盗聴してみたが、犯人の正体は不明だそうだ。色々情報が錯綜してるようでな……逃げるなら今だと思うが、どうかね?」


「それもそうだな……」


「ああ、それとミカ、ちょっと」


「?」


 パヴェルに呼ばれ、一緒に貨車を後にした。連結部を通って彼の工房へと向かう。クラリスはともかく、モニカには聞かせられない話―――”裏稼業”に関する話だろう。


 工房に着くと、パヴェルは作業台に座り、手にした酒瓶を口へと運んでから話し始めた。


「お前の盗品、リガロフ家から盗んできた物品に関してだが」


「ああ」


「喜べ、買い手が見つかった」


「マジか」


「ああ。既に資金洗浄マネーロンダリング済みの現金を用意し始めたらしい。今月下旬から来月上旬辺りにザリンツィクで落ち合う事になった」


 やっとだ。やっとアレを手放す事が出来るってわけか。


 こっちの手を離れ、買い手の手に渡れば怖いものは無い。資金洗浄マネーロンダリング済みの現金に変わってしまえば、金の流れでこっちの犯罪行為を特定されることも無くなる。


 話が進み始めたところで、いきなり工房のドアが開いた。向こうに立っていたのはクラリス―――ではなく、ウエディングドレス姿のモニカ。まさか今の話を聞かれたのではと思い、胃の中がまるで水銀を飲み干したかのように重くなっていくのを感じる。


「……今、物騒な単語が聞こえてきたんだけど?」


「……」


 少し遅れて、クラリスもやってきた。


「申し訳ありません、止めたのですが」


「盗品……資金洗浄マネーロンダリング……教会を襲撃した時の手際の良さから薄々感じてたけど、ミカたちって真っ当な冒険者……ってわけじゃあなさそうね?」


 ああ……迂闊だったな、これは。


 彼女を連れ出すのに最善の策で挑んだつもりだったのだが、意外な所から犯罪行為が露見する事になるとは。犯罪者がみんな、慎重になる理由もよく分かる。


 消すか、と言わんばかりの目でこっちを見てくるパヴェル。だが、それなりに付き合いのある俺としてはまだそんな事はしたくない。


「……だったらどうする、当局に通報でもするか?」


「どうしようかしら」


「もしそうなら、こっちも正体を知られた以上は……」


 そんな気はないくせに、口から脅しとも取れる言葉が漏れ出す。が、モニカがそれに返した返事は意外なものだった。


「―――もしアンタたちが強盗だって言うなら、お願いしたい事があるの」


「?」


「私の実家……レオノフ家に、盗みに入ってくれないかしら」













「父上は優しい人だった」


 食堂車のカウンターで、パヴェルに出されたジャム入りの紅茶を口へと運びながらモニカは言った。


 そういえば式場に父親と思われる人物が見当たらなかったが……。


「屋敷で唯一の私の理解者。スレンコフ家との政略結婚にも反対してくれた人だった。でも、3年前にリーネを襲った流行り病に倒れてこの世を去ってから、屋敷の実権は母上が握る事になったの。今回の政略結婚も母上の意向よ」


「……随分母親と仲が悪かったみたいだな」


「ええ」


 ウエディングドレス姿で紅茶を飲み、一息つくモニカ。身に着ける服がウエディングドレス1着しかなく、俺たちの服を貸そうにも全員サイズが合わないから仕方がないのだが……中々すごい光景である。


「一族の命運を賭けた政略結婚はこれで台無し、レオノフ家は更なる没落の道を転がり落ちる事でしょう……でもね、私はそれだけじゃ腹の虫が収まらない」


「……」


「あの母に、もう一泡吹かせてやりたいのよ」


「それで強盗を依頼した、と」


「ええ」


 貴族は色々と闇が深い。平民よりも遥かに、金やら権力やらにダイレクトに接しているからだろう……金も権力も、人間性を狂わせる。そしてそれの餌食になり、搾取されるのはいつも弱者だ。


「で、報酬は?」


 カウンターの向こうでラーメンの麺を湯斬りしながら(何でラーメン作ってるんだコイツ)問いかけるパヴェル。キッチンの方からすっごい美味しそうな香りがしてくるんだが、とりあえず料理しながらビジネスの話するの止めようぜ、な?


 もうさ、あれなんだよ。キッチンで湯斬りしたりスープの味見してる姿がもうラーメン店の店長なんだよ……何なんだお前。


「盗品次第よ。現金に変えたら、好きに使ってもらって構わないわ」


「なるほど。どうするね諸君?」


 スープの味見をしながら問いかけてくるパヴェル。だから何でラーメン作ってるんだお前。あれか、今日の夕飯の準備か。準備中なのか。


「引き受けようとは思うが……良いんだな、モニカ?」


 それをやったら―――自分の屋敷に入って盗むという事が何を意味するか、分かっているのであればそれでいい。


 一族との完全な決別……それを通り越して、宣戦布告を意味する行為だ。その結果がどういう結末へと至るのか、それをよく理解した上でやるというのならば。


 問いかけると、ウエディングドレス姿の彼女は首を縦に振った。


「”あたし”を誰だと思ってるの?」


「……はははっ、お前も悪い女だ」


 やっぱり俺と同類だった。


 本当の意味での仲間に出会えたような気がして、ニヤリと笑う。


「分かった、引き受けよう。クラリス、良いな?」


「ええ。ご主人様とならばどこまでも」


「よーし、契約成立だ。というわけで夕飯も完成したからしっかり食え、腹が減っては戦は出来んからな」


 どんっ、とモニカの目の前にラーメンを置くパヴェル。透き通ったスープに豪快なサイズのチャーシュー、黄金に輝く麺と盛り付けられたネギ。一見すると塩ラーメンのようにも見える。


 なにこれ、と困惑するモニカの隣に座る俺の目の前にも大盛りの塩ラーメンが豪快に置かれる。ああ、絶対美味いやつだコレ、と確信しながら割り箸を割り、いただきまーす、と言ってから麺を啜る。


 もっちりした食べ応えのある麺に、脂やらニンニクで誤魔化す事の無いストレートな塩味が絡み合い、予想以上の美味さだった。


 隣に座るクラリスはと言うと、もう既に目の前のどんぶりはすっからかんだった。澄ました顔で口元を拭いてるが、お前まさかもう食ったのか……。


「え、これそうやって食べるの?」


「おう、美味いぞ」


「……」


 そういえば、モニカにとっては人生初のラーメンか。生まれて初めてラーメンを口にする異世界人のリアクションが気になり、俺もパヴェルもニヤニヤしながらラーメンを口へと運ぶモニカを見守る。


 というかさ、ウエディングドレス姿の少女にラーメン食わせるってどうなのよ。せめて汁が飛び散らないような料理をだな……って、いいのか。どうせエフィムとの結婚用に用意されたドレスだからいいやって割り切ってるのか。じゃあいいか。


 ぎこちない仕草で麺を啜ったモニカ。次の瞬間、未知の料理を口にした彼女の表情が変わり―――食堂車に、彼女の魂の叫びが響き渡る。








「 う っ っ っ っ っ ま ! ! 」






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[気になる点] ラーメンはしょうゆでしょ! モニカのウエディングドレスはいつまで。 [一言] クマにずっと追われるのは厳しかろう。
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