決戦の口火
戦闘開始から2時間前
ホテル・リュハンシク 西棟
「よう、遅くなった」
「やっと来たか」
悪い悪い、と言いながら階段を上がってきたのは、防寒用のコートを羽織り、頭にはソ連のマスカ・ヘルメットをかぶったパヴェルと、同じく防寒用のコートにチェストリグを身に着け、AK-308を背負ったカーチャの2人組だった。
パヴェルはまるで友人との飲み会に遅れてやってきたようなフランクさがあり、明らかに戦場に向かう兵士の表情ではない。場数を踏んできているが故に慣れているのだろうが、隣を歩くカーチャの表情は対照的だった。
唇を固く閉じ、目つきも鋭い。これから同じく復讐を志していた仲間を手にかけるという葛藤は、今もなお彼女の心の中で続いているのだろう。
「カーチャも来てくれてありがとう」
「……ええ、自分でやった事の落とし前はつけるわ」
彼女の言葉からは、以前のような敵意は感じられない。
「さて、役者も揃ったところで作戦の最終チェックでもするか。皆スマホを」
無線機のスイッチをオンにしながらそう言った。既に庭に掘った戦車壕の中で、BTMP-84-120の操縦と砲手を担当するクラリスとモニカが待機している。車長はパヴェルが務めるのだそうだ。
ポケットからスマホを取り出し、アプリをタップ。『らくらく☆ブリーフィング』と名付けられたアプリ(パヴェルが作ったものだ)を開くと、事前にドローンで空中から撮影したホテル・リュハンシクの敷地内の写真が全員のスマホに共有される。
「敵は歩兵と戦車3両、航空戦力は確認されていない。今から2時間後、連中は北側にあるメインゲート方面から進行してくる。まずは戦車砲で先制攻撃してくるだろうから、本館を囮にしてそっちに砲撃を誘引する」
説明すると、遅れてやってきたカーチャが本館の方を見た。
元々は貴族や富裕層向けの宿泊施設だったホテル・リュハンシクの本館。その5階には灯りが燈っていて、カーテンで遮られた窓の向こうには人影が見える。傍から見れば十数名の人員がそこに集まり、ミーティングでも開いているように見えるだろう。
風が吹き、カーテンが揺れた。
露になったのは、つけっぱなしの証明の下に用意されたマネキン人形―――そう、洋服店とかにあるアレだ。大人サイズから子供サイズまで、リュハンシク市の洋服店から事前に買い取り、あるいは来たるべき決戦に備えパヴェルが自作して用意したものである。
メインゲートから進行してきた敵の目に真っ先に止まるのは、間違いなくこれらだ。
「復讐に駆られた連中は、本館の5階に俺たちが居ると思い込み先制攻撃を仕掛けてくる筈だ」
「で、砲撃の後は歩兵を展開しての掃討戦だな」
言葉を続けたのはセロだった。
連中の目的は転生者の殲滅。特に、最近のセーフハウスの殲滅から血盟旅団、セロ、しゃもじのグループは脅威度が高い存在と見做している事だろう。
戦車の砲撃だけでなく、歩兵を突入させての確実な抹殺を狙ってくる事は想像に難くない。
頷いてから、俺も説明を続けた。
知っての通り、俺たちはこっちの西館に布陣して待ち伏せする。突入してきた馬鹿な連中が地雷に引っかかったのを攻撃開始のタイミングとし、西館4階から総攻撃。庭に隠れているBTMP-84-120も砲撃を開始して、戦闘が庭の中での銃撃戦に移行したところで爆薬を一斉に起爆、連中をホテル内へ追い立てる。ここまでがフェーズ1だ。何か質問は?」
仲間たちの顔を見渡すが、質問がある奴はいないらしい。
続けるぞ、と言ってから、”フェーズ2”の説明を始める。
「フェーズ2は室内戦だ。ホテル内に侵入した連中を、ひたすら”おもてなし”してやればいい。ここは廃ホテルだから火を使ってもいいぞしゃもじ」
「要するに思い切り暴れていいって事ね」
「ん、サーロおいしい」
作戦の説明中もサーロをパクつくおもち。相変わらず、彼女は何を考えているのか分からない(しかし話を聞いていないようでちゃんと作戦通りに動いてくれる不思議な奴である)。
「―――連中の無差別な復讐を止めるんだ。さもないと、この世界は血と炎に包まれる。各員の奮闘に期待するが、まずは死なない事を第一に」
《了解ですわご主人様》
「さて、んじゃあ俺はBTMP-84で指揮を執るわ」
「頼む」
各員配置についてくれ、と告げ、食堂の窓際へと向かった。
そこに設置している潜望鏡の傍らに座り込み、イリヤーの時計を開く。作られたその時から止まることなく動き続けている英雄の遺物、その針は22時を指し示している。
敵の襲来まであと2時間。
三脚の上に乗った潜望鏡(第一次世界大戦の塹壕戦で使われていたものを改良したパヴェルお手製の代物である)を覗き込み、暗視モードに切り替える。庭を見てみると、姿勢を低くしたパヴェルが素早く地雷原を迂回して、庭の一角にある枯れ枝や枯草を積み上げた場所へと潜り込んでいった。
あそこが戦車壕だ。よく見ると枯草の山から120mm滑腔砲の砲身が突き出ているのが見える。
隣にカーチャがやってきたので、俺は食料パックに手を伸ばし、中に入っていた缶詰をいくつか取り出した。ヴォジャノーイの塩漬けにイワシの油漬け、サーロの缶詰がある。
「戦闘開始まであと2時間あるから、腹ごしらえは今のうちに」
「ああ、ありがとう」
ライフルを下ろして一息ついていた彼女は、缶詰を受け取るなり真っ先にサーロの缶詰に手を付けた。腰の鞘からナイフ(ソ連製の6kh4だ)を取り出すと、それを使って缶詰に穴を開け、そのままベリベリと蓋を剥がし始める。
俺も食料パックからヴォジャノーイゼリーの缶詰を取り出し、鉄板から自作したナイフを使ってこじ開けた。付属のスプーンを使ってヴォジャノーイの肉が浮かぶゼリーを掬い取り、口へと運ぶ。
鶏肉に煮た味と、淡白な脂が溶け出した塩味のゼリー。イギリスのウナギゼリーと比較すると生臭さも無く、非常に食べやすい。
「そういえばさ……カーチャって、他に家族は居るの?」
問いかけると、缶詰に付属していたフォークを使ってサーロを食べていたカーチャは言った。
「居るわ。母さんと、まだ1歳の妹が」
「そうか……」
「ええ。父さんが自殺した後、民衆の矛先が私と母さんにも向けられてね。親戚を頼って、叔父さんに車でアレーサまで連れて行ってもらったの」
「アレーサ? 家族は今アレーサに?」
「そうよ。それが何か?」
「いや、俺の母さんもアレーサにいるんだ」
「そうなの?」
「ああ。俺、知っての通りリガロフ家の庶子でさ……クソッタレな親父と、屋敷で働いてたメイドの母さんの間に生まれたんだ。それで母さんはメイドを辞めて、実家のあるアレーサにいる」
そう言いながら缶詰の中身を食べ進めていると、隣でサーロを食べていたカーチャが視線を床に落とした。
「……私も辛い思いはしてきたけれど、ミカエルもかなり辛い思いをしたんでしょう?」
「……まあ、辛くなかったって言ったら嘘になる」
血の繋がっている家族にすら存在しない者として扱われるのは、なかなかに辛い。けれどもそんな中でまともに育つ事が出来たのは、母さんがいつも気に掛けてくれていたからだと思う。
「私、あなたに謝らないと」
「いいって」
「でも……あんな見当違いの復讐心であなたを殺そうとしたのよ」
「そうだよ、でもまだ生きてる」
だからいいじゃん、と返すと、カーチャは少し笑みを浮かべた。
「あなた、良い人ね」
「そう?」
「ええ。パヴェルも、ノンナちゃんも言ってたわ。”ミカは良い奴だ”って」
「……なんだか照れくさいな」
「でも私もそう思うわよ。皆に優しくて、相手に立ち向かう強さもある……ここにいるみんながあなたについて行ってる理由、何となく分るもの」
そういう事を面と向かって言われた事など、今までなかった。
どういう反応をすればいいのか分からず、視線を泳がせながら苦笑いを浮かべる事しかできないのマジで陰キャの極みである。多分顔も赤くなっているのではないだろうか……今が夜で本当に良かったと思いながら、缶詰の中身を全部口の中へと押し込んだ。
潜望鏡のレティクルの向こうに、重々しい金属の怪物の姿が映る。
武骨な車体の上にお椀を逆さまにしたような砲塔を乗せ、その周囲にべたべたと、まるでレンガのように爆発反応装甲を取り付けたソ連製の戦車―――T-72。今となっては冷戦時代の遺物、旧式と見做されているそれが3両、左右に展開し楔型の陣形を形作りながら、砲身の仰角を調整している。
「くるぞ」
無線機に向かって言った数秒後、カッ、と砲口から閃光が解き放たれた。
ああ、撃ったな―――そう思ったのと、隣にある本館の5階、営業中は貴族向けのダンスホールとして使われていた大広間から火の手が上がったのは同時だった。ドンッ、と腹の奥底にまで響く爆音。壁に爆風と破片がぶつかる硬質な音が連鎖して、天井からパラパラと細かい破片や埃が落ちてくる。
3両のT-72から同時に放たれた多目的対戦車榴弾。確かにあんなのを室内に叩き込まれれば、いくら転生者とはいえひとたまりもないだろう。あんな火力を向けられている事にゾッとするが、しかし餌食となったのはダンスホールに運び込んでおいたマネキン人形。こっちの人的被害はゼロだ。
よく「戦車は今の時代に不要」なんて意見を耳にするが、こうして戦車と相対している身から言わせてもらうと、あんな恐ろしい兵器が戦場から姿を消すなんてありがたい事この上ないね。
砲撃に続き、今度は破裂するような音が連鎖した。機銃掃射だ。砲撃で吹き飛ばしたダンスホールへと機銃を射かけているのだ。
銃弾が着弾する音というのは、甲高い音というよりも、”枝が折れるような”感じの音と言うべきだろうか。まるで誰かが乾燥した枯れ枝を何本も、立て続けに折っているような音が隣の建物から聞こえてくる。
敵戦車が前進し始め、やがて戦闘の車両がホテルの敷地内へと入った。BTMP-84-120が踏み潰した正門の鉄格子を更に踏み締め、庭へと無法者たちが足を踏み入れてくる。
「まだだ……まだだぞ」
機銃の音が近付いてくる。
ひっきりなしに連続で放たれる銃弾。しかしその鋼鉄の死神の鎌は、俺たちへは向けられていない。
潜望鏡のズーム倍率を変更しながら監視を続行。間もなく、一番先頭の戦車が、セロがノリノリで仕掛けた対戦車地雷(それも殺意特盛りの3枚重ね)へとじりじり近付いていく。
「戦闘用意」
ジャキッ、とコッキングレバーを引く音や安全装置を解除する音が聞こえてきた。
連中は今頃、転生者連中は皆死んだと思っている事だろう。ダンスホールで優雅にミーティングを開いていた連中と、ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフは死んだ。現場に踏み込めばミンチと化した連中の合挽き肉が転がっている筈だと、早くも勝利の美酒に酔いしれているかもしれない。
そんな連中の勝利の美酒に辛酸をぶちまけ、敗北の苦汁にする―――その瞬間は刻一刻と迫っていた。
次の瞬間だった。噴水を踏み潰して進撃しようとしていたロシア製の戦車が、唐突に炎に包まれたのは。
ドンッ、と重々しく殴りつけるような轟音。T-72の足元から生じたそれは右側の履帯を吹き飛ばし、生じたメタルジェットが車体底面の薄い装甲を易々と撃ち抜く。
それが瞬く間に車内の装薬やら弾薬に引火したのだろう、砲塔のハッチから炎が噴き上がった。そこから身を乗り出して機銃を撃ちまくっていた車長と思われる人物が、逃げるどころか車内へ潜り込んでいこうとしているのが見える。仲間を救おうとでも言うのだろうか。
しかしその努力も虚しく、次の瞬間には車内で一斉に誘爆に転じた砲弾が砲塔諸共彼らを押し上げた。砲塔と車体の付け根から炎が芽吹いたかと思いきや、お椀を逆さまにしたような形状の砲塔が下から突き上げられて浮き、そのままひっくり返って地面に落下していく。
何度も述べるが、ソ連の戦車は車内に砲弾を敷き詰めている。弾薬庫と乗員の乗り込む区画が分離されていないのだ。
そういう事もあって、被弾し誘爆すればあんなことになる。車内の乗員は全滅し、砲塔は砲弾の誘爆で派手に吹き飛ぶ―――湾岸戦争で撃破されたT-72が片っ端からそうなっていくのを見て、アメリカの戦車兵はT-72を”びっくり箱”と呼んだのだそうだ。
戦車が早くも鉄屑と化した事に、後続の敵たちが動揺しているのが見える。
排気口から灰色の煙を噴き上げ、後退しようとする左翼のT-72。しかしその横っ腹に狙いを定めていた死神の鎌からは、どうあっても逃れる事は出来ない。
後退中のT-72の車体側面に、戦車壕に隠れ潜んでいたBTMP-84-120から放たれたAPFSDSが直撃したのはその直後だった。サボットを脱ぎ捨て、鋭利な姿となった砲弾が装甲を直撃、限界を超えた圧力を受け流体と化したそれは敵戦車の装甲をゴリゴリと削りながら強引に貫通すると、T-72はうっすらとした灰色の煙を纏いながら動かなくなった。
今の一撃で操縦手がやられたか、それとも内部に突入した砲弾と破片で乗員がやられたのだろう。足を止めたまま動き出す気配はない。
「各員攻撃開始、攻撃開始。礼儀知らずの客人を弁えさせろ」
その指示を出すや、窓際に控えていたしゃもじが真っ先に動いた。
L129A1の狙撃を、トラックの荷台から降車してきた兵士の1人に叩き込んだのだ。
5.56mm弾ではなく、7.62mm弾を使用する大口径のセミオートライフル。その強力かつ精密な一撃は銃弾から身を守る防弾装備すら撃ち抜き、兵士の1人を瞬く間に絶命させてしまう。
それが攻撃開始の合図となった。
隠れていたおもちもPKP-SPを発砲、それに連鎖するようにマルガレーテもMG42で弾幕を張り始め、ホテルから無数の曳光弾が敵の隊列へと伸びていく。
クソ野郎共、ホテル・リュハンシクへようこそ。
歓迎しよう、盛大にな。




