魔獣の巣
「こちらスカウト1-1、位置についた」
『スカウト2-1、こちらもだ』
《HQ了解、何か見えるか》
無線機のノイズ越しに聞こえてくる声に言われるまでも無く、転生者殺したちが派遣した偵察兵たちは双眼鏡でホテルの様子を偵察し始めていた。
リュハンシク市の郊外に佇む廃ホテル、ホテル・リュハンシク。かつては低所得者層から富裕層までの幅広い客を受け入れていた街のシンボルともいえる廃ホテルの割れた窓の向こうには明かりが灯り、カーテン越しに人影がぼんやりと浮かんでいるのが見て取れる。
廃業から20年ぶりに営業を再開したとか、宿泊客がやってきたというわけではない―――今宵、あの廃ホテルには彼らの抹殺対象が一堂に集い、集会を開くというのだ。
転生者、ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフを筆頭に、セロ・ウォルフラム、しゃもじ、そして総統が”ウェーダンの悪魔”と呼ぶ転生者、パヴェル・タクヤノヴィッチ・リキノフの4人による主導で、保護した転生者たちを相手に今後の方針について話し合うミーティングが開催される。
そんな情報が彼らの元にもたらされたのは、昨日の夜の事だった。
血盟旅団が立案した計画が、彼らの不手際により漏洩したのだろうか―――いずれにせよ、その真偽を確かめるために派遣されたのが、彼ら偵察兵たちである。
「スカウト1-1よりHQ、本館の5階に明かりを確認」
《中は見えるか》
「人影が見えるがカーテンで遮られてる。人数はざっと見て15名」
《なるほど……例の情報は当たりだったという事か》
これは千載一遇の好機だ。
ここで転生者たちを消す事が出来れば、彼らの復讐も果たされよう。
転生者殺しに参加した者たちは皆、転生者を原因とした事件で何かを失っている。彼ら転生者がチート能力を使い、不可能と言われていた事を成し遂げた事によって事業を潰された者、ダンジョン内で発動したチート能力に巻き込まれ家族を失った者……その復讐心は、異世界人たる転生者たちにのみ向けられている。
スカウト1-1のコールサインを名乗る偵察兵の彼もそうだった。幼少の頃、両親が経営していた会社が転生者の活躍により経営破綻、借金地獄に追われる中で父が自殺し母親も病で倒れ、そのまま帰らぬ人となった。
今の地獄は奴らが始めたのだと、スカウト1-1の視線に怒りが滲む。
『スカウト2-1より各員、車両が接近』
「どこだ」
『6時方向、簡易武装車両が1両』
1両だけか、と呟きながら確認すると、暗くなった道をライトが照らした。
ガソリンエンジンの音を高らかに響かせながらやってきたのは、この世界のピックアップトラックよりも遥かに大きな車両だ。6つのタイヤで霜の張った大地を踏み締めながら突き進む大型のピックアップトラックの荷台には、ブローニングM2重機関銃が連装で装備されている。
『運転手は奴だ、”ウェーダンの悪魔”』
「あれが……」
ホテルの庭に停車したピックアップトラック―――ヴェロキラプター6×6の運転席から降りてきたのは、ヒグマのような体格の東洋人だった。頭にはマスカ・ヘルメットをかぶり、後部座席からグレネードランチャー付きのAK-15を引っ張り出した彼は、助手席から降りた華奢な人影と共にホテルに入っていく。
入り口の中へと消えようとしているその華奢な人影に、スカウト1-1は息が詰まりそうになった。
「カーチャ……?」
『ああ、間違いない……クソが、あのメス猫裏切ったか……!』
カーチャ・チェブレンコ。
ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフ抹殺の命令を受け、しかし返り討ちに遭い血盟旅団の捕虜となっていた彼らの同志。そんな彼女が血盟旅団の銃を背負い、抹殺対象でもあるパヴェルと一緒に並んで歩きながらホテルの中へと入っていくのを、偵察兵たちは裏切りと受け取りながら監視していた。
「構わない、抹殺対象が1人増えただけだ。HQ、カーチャ・チェブレンコを確認。寝返ったようだ」
《HQ了解、諸共に始末する。主力部隊到着まであと2時間》
「了解……ふっ、長いな」
あと2時間も、この冷たい地面の上に寝そべっていなければならない。
既に気温は-4℃にまで下がっており、地中の水分が氷結して地面には霜が張っている。固められたコンクリートみたいに硬い地面は氷のように冷たく、ノヴォシア帝国に住む獣人であればこれが冬の前触れである、と理解している。
もうじき雪が降る。そしてこの国は、深く冷たく、そして永い冬に閉ざされるのだ。
「スカウト2-1、聞こえるか」
『……』
返事はない。
無線機の不調だろうか、と思い、スカウト1-1はもう一度仲間のコールサインを呼ぶ。
しかし何も返事はない。
まさか何かあったのか。脳裏に嫌な予感が過り、スカウト2-1が潜伏しているであろう位置へと視線を向けようとしたスカウト1-1の喉元に、ひんやりとしたナイフの刃が押し付けられたのは、そのすぐ後の事だった。
「ぁ―――」
声にならない声、とはまさにこの事だろう。
あまりにも情けなく、小さく、断末魔とも呼べぬ掠れた声。これが俺の最期なのか、最期の言葉がこんなのでいいのか、と死に様にすら納得できず困惑するスカウト1-1の目に最期に映ったのは、背中にライフルを背負った垂れ耳ウサギ―――ホーランド・ロップの獣人の男性だった。
《HQよりスカウト1-1、状況を報告せよ》
「……こちらスカウト1-1、異常なし」
喉をナイフで切り裂かれ絶命した本物のスカウト1-1の死体を横に退け、代わりに無線機を手にしたホーランド・ロップの獣人は地面に伏せながらそう返答する。
彼の声をスカウト1-1のものと誤認したのだろう、HQからの返答に彼の正体を疑う様子は見受けられなかった。
「スカウト1-1よりHQ、ホテルに依然として動きなし。敵は軽装、最低限の戦力しかない。殲滅は容易と判断、速やかに主力を送られたし」
《了解した、伝えておく》
ふう、と息を吐き、ホーランド・ロップの獣人―――ミカたちに写真を渡し、パヴェルに代わり情報をリークさせた”写真家”は、背負っていたライフルを取り出し二脚を展開した。
SCAR-H TPRを傍らに置き、やがて始まるであろう戦闘に備えていると、彼の持つ無線機から聞き慣れた相棒の声が聞こえてきた。
《やるねぇ》
「……いつもと同じだ」
《それもそうか。ところで連中、そっちへの到着は130分といったところかな。戦力は防弾装備の歩兵にT-72が3両。航空戦力は見受けられない》
了解、とだけ短く返答を返し、彼は監視と支援の準備を続ける。
やるべき事はやった。
あとは彼ら血盟旅団が、どこまでやるか―――それにかかっている。
大地を踏み締める履帯の音。
その大重量に屈し、砕け、轍と化していく大地の悲鳴は、決して天には届かない。
暗闇の中、ディーゼルエンジンの唸り声を高らかに響かせながら前進していくのは、3両の戦車と、その後に続く兵員輸送用のトラックたちだ。
車列の先陣を切るのは、かつて冷戦中にソ連が開発した主力戦車、T-72。輸出用に伴い、技術漏洩や供与相手の反乱を警戒して意図的に性能を落としたモンキーモデルではなく、ソ連本国での運用を見越した”本国仕様”だ。
今となっては旧式の、それこそ冷戦の遺物とも言うべき戦車であるが、現代においてもアップグレードキットなどを組み込み、性能を高めたモデルが各国で採用されている現役の老兵である。
機銃などを西側仕様のものに積み替えたT-72たち。その主砲である125mm滑腔砲の睨む先には、人気のない平原の中に佇む廃ホテル―――20年前まではホテル・リュハンシクと呼ばれていた建物が見える。
7階建てという、この世界のホテルでは非常に大きな建物。その5階の窓には明かりが灯り、ここからでも中にいる人影の姿が、カーテン越しに分かる。
あそこで転生者たちがミーティングを開いているのだろう。
血盟旅団主導による、転生者たちの保護計画。彼ら転生者殺しに対する対立姿勢を明確化し、セーフハウスの殲滅により武力の行使を果たした血盟旅団との全面戦争は、もはや避ける事は出来ない。
先頭のT-72が停車するや、後続の2両のT-72が左右に展開、楔型の陣形を形作る。
「初弾装填、弾種榴弾」
『了解、初弾装填。弾種榴弾』
自動装填装置が稼働し、砲塔内部にずらりと並べられた砲弾の中から、対戦車用のAPFSDSではなく、対人用の多目的対戦車榴弾を選択、砲弾を装填してから発射に使用する装薬も装填していく。
西側の戦車では砲弾と装薬がセットになっているが、東側諸国ではこのように砲弾と装薬を分離して搭載しているのが一般的である。
装填を終え、砲身がゆっくりと仰角の調整を始める。照準はもちろん、前方に見えるホテル・リュハンシクの本館―――かつては貴族などの富裕層を宿泊させていた建物だ。
その5階で、ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフは保護した転生者を相手にミーティングをしている最中なのであろう。カーテン越しではあるが、その向こうに見える人影の中にはミカエルと思われる小柄な人影も見える。
「HQ、攻撃準備完了した」
《了解、攻撃を開始せよ》
「了解、これより攻撃を開始する」
《同志諸君らに復讐の女神が微笑まん事を》
T-72に乗る車長はその言葉を聞き、復讐の女神ねぇ、と小さく呟いた。
車長の座席の目の前には、白黒写真が貼り付けられている。若き日の車長と一緒に写っているのは幼いゴールデンレトリバーの獣人の少年で、手にはサッカーボールを持っている。
15年前、転生者が振るった力に巻き込まれて命を落とした我が子の事を思い出すと、いつでも怒りが燃え上がる。
貴様らさえいなければ、と心の中で憎悪を燃やし、車長は無線機に命じた。
「照準、12時方向ホテル・リュハンシク。撃て!!」
ドムンッ、と滑腔砲が吼えた。
重々しい装薬の爆音を高らかに響かせ、3発の砲弾―――多目的対戦車榴弾《HEAT-MP》が発射される。
大地を抉り、歩兵や軽装甲車両など容易く粉砕する戦車の一撃に、割れかけの窓ガラスとカーテンはあっさりと道を譲った。5階に設けられていたダンスホールへと突入した3発の砲弾は室内の人影を引き千切りながら、今にも落ちそうになっているシャンデリアの付け根に着弾、爆風と破片を室内に撒き散らす。
灯りを発していた窓から爆炎が芽吹いたのは、着弾からすぐの事だった。
『弾着』
「機銃掃射しつつ前進。歩兵部隊、掃討戦準備」
転生者を1人も生かしておくつもりはない。
異世界からやってきた異邦人が全て死に絶えるその日まで、転生者殺しの戦いは続くだろう。
この世界は獣人たちのものなのだから。
ハッチから身を乗り出した車長はコッキングレバーを引き、同軸の機銃掃射に合わせてブローニングM2重機関銃の押金を押し込む。ダガガガガガガッ、と重厚な銃身が吼え、12.7mmNATO弾を曳光弾と共に5階のダンスホールへと叩き込んでいく。
戦車砲の砲撃に加え、執拗なまでの機銃掃射。これでは室内にいた相手が転生者だろうとただでは済まないだろう。いや、常人であれば爆風と破片に身体を切り裂かれ、弾丸に抉られて死に絶えている筈だ。
突入するであろう歩兵部隊が目にするのは、凄惨なまでの破壊の痕跡である。
前進するT-72たちの車列が、ホテルをぐるりと取り囲むレンガの塀を押し倒し、そのままぐいぐいと進んでいく。
兵員を乗せたトラックの車列もホテルの敷地内へと突入し、先頭を進むT-72が庭の中央にある噴水の近くに差し掛かった次の瞬間だった。
どう、と下から突き上げるような衝撃が走り、機銃を撃ち続けていた車長の五感から全ての感覚が消えた。
T-72に乗る乗員たちは与り知らぬ事であったが―――噴水の近くに、3枚重ねで埋められていた対戦車地雷を、彼らは盛大に踏み抜いてしまったのである。
1つでも戦車を擱座、あるいは撃破に追い込む破壊力のある対戦車地雷。それを3つも重ねたものを起爆させてしまったのだから、ただで済むはずがない。戦車の装甲で最も脆いと言われる車体底面の装甲をメタルジェットが貫き、その爆風が砲塔内部にまで達する。床にぐるりと敷き詰められていた砲弾の装薬が燃焼、立て続けに誘爆し、T-72の狭い車体の中はたちまち溶鉱炉と化した。
車内にいた仲間たちが瞬時に焼き殺されていく中、車長はせめて息子の写真だけはと自分の座席に手を伸ばす。
しかし彼の手が燃えゆく家族の白黒写真に届くよりも先に、砲塔内部の砲弾が一斉に誘爆した。
砲弾と乗員の乗り込む区画が分離されていないが故の悲劇だった。一斉に起爆した砲弾の爆風で車長の身体は粉々に砕け散り、爆風に押し上げられたT-72の砲塔が上へと派手に吹き飛ぶ。
湾岸戦争の際、アメリカ兵たちに”びっくり箱”と揶揄された事例の再演であった。
唐突な味方の戦車の爆散に、後続の部隊が明らかに動揺する。
これは軽装の敵を狩るだけの簡単な仕事―――そう思い、ピクニック気分でやってきた転生者殺したち。
しかしそれは、完全な誤りだった。
血盟旅団と”何者か”により仕組まれた情報戦―――彼らは偽りの情報に踊らされ、迷い込んでしまったのだ。
腹を括り、戦う覚悟を決めた魔獣たちの巣窟に。
彼らがその事を自覚した頃には―――どこからか放たれた1発のAPFSDSが、2両目のT-72の車体側面を撃ち抜いていた。




