出撃の日
「お、おう……何アレ」
一通り爆薬の設置を終え、マルガレーテと一緒に戻ってきたセロ。これから機関銃の設置に向かうようでブローニングM2重機関銃を肩に担いだ彼女が目を丸くするのも、まあ無理もない話ではあると思う。
元々は花壇か何か、植え込みでもあったのであろう場所。気温の低下で朝方には地面に霜が張るのが当たり前になり、どこもかしこも硬くなってしまったイライナの地面を掘り進めるなんて一苦労だ。
そんなガチガチの地面には、いつの間にか人間の兵士が1個分隊くらいはすっぽり収まりそうな大穴が穿たれていて、その面積は現在進行形で増えつつある。
噴火でもしてるんじゃないかと思ってしまうほどの勢いで穴の中から吐き出されてくる土の塊。俺もスコップで周りを少し掘りながらちらりと穴の底をセロと一緒に見下ろしてみるが、案の定、予想通りの光景が広がっていた。
穴の底に居るのはメイド服姿のクラリスだ。真っ白なフリルのついた清楚なメイド服を泥まみれにしながら土を掘り進める彼女の手に、スコップだとかつるはしだとか、そういう穴を掘り進めるのに必要不可欠とも言える道具の類はない。
その代わり、いつも身に着けている長手袋を外し露になったその両手は、蒼い外殻に覆われていた。
ドラゴンの外殻だ。クラリス本人の申告では、あれはサラマンダーの外殻なのだという。
銃弾すら弾く外殻と指先から生えた鋭い爪は、さながら鋭利なナイフだ。それで硬い大地を切り裂き、強靭な腕力で強引に掘り進めていくクラリス。まだ作業開始から半日しか経っていないというのに、この調子でいけば今夜にでも戦車壕が出来上がってしまいそうなペースである。
ちなみに普通の兵士では、1人用の塹壕(”タコツボ”と呼ばれる)を掘るのにだいたい半日くらいかかるらしい。これでクラリスの穴を掘るペースが尋常ではない事がお判りいただけるだろう(半日で1個分隊くらい入れそうな塹壕になっている)。
これ俺要らないのでは、と思いながらもとりあえず両手持ち用の大型スコップで穴を掘り進めていく。
この時期のイライナの土はとにかく固い。気温の低下で地中の水分が凍結し霜が張っているので、何度スコップを突き立ててもなかなか掘れないのだ。
やっとのことで土を掘り進めていると、ポケットの中でスマホが振動を発した。誰だろ、と思いながらスコップを地面に突き立ててスマホを取り出すと、画面にはパヴェルのアイコン画像が表示されていた。
AKを抱えたヒグマのイラストが彼のアカウントのアイコンになっている。本人曰く「自画像です」だそうだが……まあ、だいたい合ってる。
ちなみにミカエル君のアイコンは”リンゴを両手で抱えるハクビシンの幼獣”である。パヴェルに2万ライブルで依頼して描いてもらった。
「もしもし?」
《おう、そっちはどうだ》
「今ね、クラリスがね、ものすごい勢いで戦車壕掘ってる」
《マ?》
「ああ、このペースじゃ今夜には戦車壕完成しそう」
《早すぎて草》
「そっちは」
《ああ、カーチャのやついい筋してるよ。コイツは即戦力になる》
「それは期待できそうだ」
転生者殺しの組織内で訓練を受けた、とは言っていたが、使っていた銃は何なのだろうか。俺たちを襲ってきた兵士たちはHK416を装備してたし、やっぱりHK416なんだろうか?
それじゃ、と彼との連絡を終え、ホテルの方を見た。
ホテル・リュハンシクは大きく分けて本館と西館の2つで構成されている。営業当時は労働者や観光客から貴族まで、貧困層から富裕層までを幅広く宿泊させていたホテルであるが、当然ながら両者を一緒の部屋に宿泊させるというのは無理があったため、本館を貴族などの富裕層、西館を低所得者向けとして客層の棲み分けを行っていたという。
俺たちが布陣を予定しているのは西館の方だ。本館は囮に使う。
作戦はもう考えてあるし、パヴェルや他の仲間たちとの会議も経て正式に決定されているものだ。後はそれをベースに適宜修正を加え、作戦決行当日を迎えるつもりである。
鬼が出るか蛇が出るか。
全ては勝利の女神の気まぐれ次第。
パス、パス、と空気の抜けるような音が聞こえてくる。
サプレッサーの中で発射ガスを分散し、意図的に弾丸を減速させることで銃声を軽減する―――原理は訓練を受けた時に耳にしていたし、扱った事もあるから把握はしている。
けれども、訓練で使った銃(総統閣下は”HK416”と呼んでいた)と比較すると、血盟旅団のパヴェルが与えてくれたこの銃は反動が大きい。
HK416がボクサーの様子見のジャブなら、こっちは本気の右ストレート―――文字通り”殴りつけてくる”かのような衝撃に、肩が少し痛くなる。
それでもレーンの奥にある的の頭には、次々に大口径の7.62×51mm弾が直撃しては、板を切り抜いて作ったのだろう安そうな人型の的の頭は欠けていった。
しばらくして訓練終了のブザーが音を立て、訓練が終わる。
何度も何度も繰り返した通り、マガジンを外してからコッキングレバーを引いて薬室内の弾丸を排出、何度か空撃ちして弾丸が出ない事を確認してから安全装置をかける。これでこの銃は、意図的に安全装置を外して弾丸を装填しない限り他人を傷つける事が出来ない武器になった。
ちらりと後ろを見ると、パヴェルは腕を組みながら頷いていた。
「よし、もう一回だ」
「……了解」
空になったマガジンに弾薬箱の中の7.62×51mm弾を装填していく。
今日でいったい、この作業を何回繰り返しただろう?
日が昇ってから日が沈むまで、何度かのトイレ休憩と食事休憩を挟んだ以外はひたすら射撃の訓練を繰り返した。発砲と装填を何度も何度も繰り返したおかげで、マガジンに弾丸を押し込む私の右の親指は真っ赤になっている。
けれども、「まだ続けるの?」とは言えない。
日程はたったの2日しかない。銃の扱いの基礎が出来ているとはいえ、パヴェルから支給されたのは血盟旅団でも運用されている”AK”という銃―――その中でも唯一、フルサイズのライフル弾を使用する”AK-308”というモデルだと聞いている。
HK416とは操作方法も異なるし、銃そのものの”クセ”も異なる。けれどもこれならば防弾装備の兵士が相手でも確実な殺傷が期待できるという事で、これを与えられた。
パヴェルは言っていた。「何度も何度も繰り返し、身体に覚えさせるのだ」と。
頭で理解するのではなく身体で理解する。何度も同じ動作を繰り返し、反射的に身体が動くレベルにまで擦り込んでいく。そうすることで兵士という”兵器”はひとまずの完成を見るのだ、と。
転生者殺しにいた頃でも、射撃訓練はこんなには長くなかった。訓練が終わったら今度は基礎体力訓練やら座学やら、後は外国の言語学習の時間もあった。総統閣下の元には多くの復讐を誓った人々が集まって、報復のためだけに熱心に訓練に取り組んでいたのを今でも覚えている。
けれども、はっきり言っておくわ。
パヴェルの訓練は、あっちの訓練よりはるかにキツい。
朝から晩まで何度も何度も射撃訓練の繰り返し。服の上からだから分からないけど、多分私の右肩少し青くなってると思うの……5.56mm弾よりも反動が大きい銃だから、ストックが肩に食い込むのなんのって。
でも、そうしなきゃ彼らの戦力には数えられないし、私も罪滅ぼしが出来ない。
これは試練―――復讐に身を堕とし、そこから再び這い上がる道を選んだ私に課せられた試練なのだ、と自分を納得させながら、装填を終えたマガジンを銃に装着、安全装置を解除して下段のセミオートに切り替え、コッキングレバーを引いて初弾を装填する。
「―――始め!」
パヴェルが声を張り上げるとブザーと共に別の的がぱたんと音を立てながら起き上がり始めた。
最初の内はあれを狙おうとか、こっちは後回しでいいやって感じで考えながら撃っていたんだけど、お昼ご飯(あの『かれーらいす』とかいう料理ドチャクソ美味しかった)を食べ終え射撃訓練が後半に入ってから、身体が勝手に銃を撃ってるような、そんな錯覚を覚えるようになった。
銃を撃つ、狙って撃つ、最初は考えながらやっていた事が段々と身体が勝手に動いているような感じになって、頭では別の事が考えられるようになってくる。弾切れまであと何発とか、今日のご飯なにかなぁ、とか。
まるで身体の主導権を別の誰かが乗っ取ったような……ううん、違う。身体が今までの動作を覚えて、私の理性の代わりに勝手にやってるような、そんな錯覚すら覚え始めてもう2時間くらい。
起き上がった的の頭を撃ち抜いたところでブザーが鳴り、訓練終了を告げられる。
この後も、身体に任せておけばよかった。マガジンを外して薬室から弾丸を排出、空撃ちして弾丸が発射されない事を確認。後は安全装置をかけて銃を完全に無害化すると、パヴェルは騎士の鎧みたいな義手で拍手してくれた。
人の柔らかい肌ではなく硬い装甲だからなのか、聞こえてくるのは聞き慣れたパチパチという音ではなく、ガシャガシャという機械的な音だったけれど。
「さて、休憩だ。夕飯にしよう」
「了解よ」
「飯食ったら分解結合の訓練、これも何度も繰り返す。明日も同様の訓練スケジュールだが、明日は訓練終了後、直ちにミカ達と合流する。敵は待ってくれないからな」
「ええ。よろしくお願いするわね」
「おう」
そう言いながら、パヴェルは葉巻に火をつけた。
葉巻を持つ彼の指をじっと見ていると、パヴェルは「何だ、この腕が気になるか」と言いながらニヤリと笑った。
彼は傷痍軍人なのかしら。
どこかの戦場で腕を失い、それでも失った身体を機械で補ってなおも戦場に立つ兵士。負傷したら除隊するという選択肢もある筈なのに、なぜそうまでして彼は死が常に蔓延る戦場に舞い戻ったのだろう?
「……俺な、こう見えて身体の7割が機械なんだ」
「……え?」
耐熱手袋をはめ、床に散らばった空薬莢を拾い集めていると、パヴェルがぽつりと衝撃的な言葉を口にした。
「腕だけじゃねえ。足も、心臓の一部も、肺の片方も、顔の右半分に脳の大半、そして両目に至るまで……細かいところまで挙げればキリがねえが、まあそんなところだ。生まれ持った身体より、機械の方が大半を占めてる」
言葉を失った。
なぜ……なぜ、そこまで失ってまで、戦場に戻ろうとするのか私には理解できない。
彼くらいの年齢であれば、他にも仕事はある筈よ。それこそ武器を手放して生きる道だって残っていた筈。なのにどうして、そんな身体になってまで……。
「でもな、ミカの奴はこんな俺でも人間だって言ってくれてさ……あの時ぁ嬉しかった、惚れちまったよ」
「……そうなのね」
「……アイツの事、色々あると思うが、ミカはその通りいい奴だ。どんな奴にだって生きる事を肯定してくれるし、苦しんでいる人には救いの手を差し伸べる。敵の命だって奪う事につい最近まで躊躇してたんだぜ、アイツ」
こうして彼らと話す事がなかったら、私の中でのミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフは単なる転生者というだけで終わっていた。
父の死の原因を作り、私から全てを奪った転生者。与えられた借り物の力を我が物顔で振るい、後先考えずに全てを蹂躙していくだけの存在……そのレッテルがミカエルから剥がれる事は、きっとなかったと思う。
今になって、ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフという転生者の素顔が見えてきた。
アイツ、良い奴なんだ。
一緒にいたメイドとか、ルカ君とかノンナちゃんとか、皆に慕われていた。それはきっとパヴェルが今言ったように、どんな人にだって生きる事を肯定し、救いの手を差し伸べるような優しさ故なのかもしれない。
つくづく、私は何という事をしてしまったんだろうと痛感させられる。
そして同時に、安堵した。
ミカエルを殺さなくて良かった、と。
格納庫の中の空気はひんやりとしていた。
10月中旬のリュハンシク。いつ雪が降り始めてもおかしくはない時期で、外の気温は今の時点で-2℃。吐き出す息は真っ白に濁り、地中の水分は瞬く間に凍り付いて霜となる。
コートを羽織り、ウシャンカをかぶって、スリングをつけたAK-308を背負った。ホルスターには訓練で使ったグロック17が収まり、腰の後ろにはサバイバルナイフもある。
AKは中距離射撃用のスコープとフォアグリップ付き。それ以外には特に手をつけてはいない。シンプルな方が良い、というのもあるけれど、そこまで知識があって弄れるというわけではない事の方が大きい。
「準備は良いな」
「ええ」
バイザー付きのヘルメットに冬用のコート、そして腹に大量のマガジンを刺したパヴェルがそう言いながらトラックの運転席に乗り込んだ。私も冷え込む格納庫の中で白い息を吐きながら、助手席のドアを開ける。
「待ってお姉ちゃん!」
「ノンナちゃん……?」
これから出撃しようとしているところにやってきたのは、ツナギ姿のノンナちゃんだった。今ではもうすっかりケガも回復して、ちょっとずつ仕事に復帰している健気な女の子。私が部屋で軟禁されている時も、よくご飯を運んできてくれたり、漫画を持って遊びに来てくれた。
どうしたのかな、と思って彼女の方を振り向きながら、屈んで彼女と目線を合わせる。
するとノンナちゃんは真っ白な息を吐きながら、恥ずかしそうに真っ黒な人形を差し出した。
「これは……私?」
デフォルメされた、黒猫の獣人の小さな人形。ボタンでできた丸い目とセミロングの髪、頭のネコミミまで細かく再現されている。
「お守り……持って行って」
「ふふふっ、ありがとうノンナちゃん。これ、大事にするわね」
そう言いながらノンナちゃんの頭を撫でると、彼女はまだ心配そうな顔で続けた。
「それとね、ミカ姉は本当に優しくて、その……良い人なの。優しくしてくれるし、おやついっぱいくれるし、あとね、その……だから、ミカ姉のこと嫌いにならないで……ほしい、な」
「……うふふっ、そうね。うん、あの人……本当にいい人でしょうから」
私は本当に、なんて見当違いの復讐をしようとしていたんだろう―――その事を自覚する度に、恥ずかしさと申し訳なさが込み上げてくる。
全てが終わってケリをつけたら、ミカエルに謝罪しよう。
そのためにも、必ず生きて戻らないと。
「気を付けてね、お姉ちゃん」
「うん、ありがとう。行ってくるわね」
「うん。あのね、美味しいご飯作って待ってるからね!」
「ふふふ……じゃあ、楽しみにしてるわね」
人形を空いているポーチにそっと入れ、トラックの荷台に乗り込んだ。
さあ、行きましょう。
贖罪のため―――そして因縁を断ち切るための戦いへ。




