リーネからの脱出
作戦は計画通りに推移していた。想定外の事態は今のところ起こっておらず、事前に予測した範疇で作戦は推移している。
ミカとクラリスは無事にモニカを確保、ペレノフ教会からの離脱に成功。後は追撃してくるであろう警備兵たちやレオノフ家、スレンコフ家の私兵部隊、ついでに憲兵隊も死に物狂いで追跡してくるだろう。だからこの作戦は電撃的、つまりは敵が対応しきれない程素早く済ませる必要がある。
ミカの奴がスレンコフ家の長男を確保したのは保険の意味合いが強いのだろうが……素直に「よくやった」と言えない決断だ。
客車の中、オペレーターとしての任務を遂行するために改装した自室の中、椅子に背中を預けながら意識をドローンに集中させる。脳波で操縦しているドローンからの映像は頭の中に直接転送されているので、まるで自分が空を飛び上空からミカたちを見守っているかのような状態だ。
城郭都市リーネの郊外を目指し、まずは防壁へと一直線に突き進むミカ達。しかしその後方を法定速度ガン無視で猛追する4人乗りのセダンが3台、その後方からは憲兵隊の装甲車らしき車両も見え、向こうの追撃の本気度が分かる。
モニカ―――レオノフ家の娘はまあ、まだ失ってもよいのだろう。没落貴族が1つ消えるだけで済むからだ。しかしスレンコフ家、つまりはミカが人質代わりに身柄を確保したあっちのデブの方は、城郭都市リーネを実質的に牛耳るスレンコフ家の長男。その気になれば首都にも影響力を及ぼせるほどの権力者、その長男だ。家督を継承する最有力候補が強盗如きに連れ攫われたともなれば貴族の面目は丸潰れである。
確かに人質としての効果はあるし、その気になれば身代金を要求するのにも使える(もっとも、ミカはそんな金の稼ぎ方は好まないだろう。ああ見えて高潔な男だ)だろうが……むしろ逆に逃走のハードル上げたんじゃね? って感じである。
まあいい、ゲームの難易度がノーマルからハードになっただけ。こっちの方が刺激的だ。そうだろ?
「ん」
じわじわとミカ達との距離を詰めている警備兵たちの装甲車らしき車両、その脇を凄まじい速度で、1台のクーペが追い抜いていったのをパヴェルさんは見逃さなかった。
ドローンの機体下部に搭載したカメラを旋回、そのクーペにズームアップ。丸みを帯びた車体に出目金みたいなライト、餌を欲しがる魚の口みたいなグリル。明らかに警備兵や憲兵が乗ってるようなお堅い感じの車ではない。個人で所有している車両に見えるが……その運転席に収まっているのは、まあ出会いたくない男だった。
まるでグリズリーが二足歩行で歩き、人間の服を身に纏っているような男―――グリズリーの獣人、セルゲイ。
もう睡眠ガスから回復したのか、と驚愕する一方で、予想できた事ではあった。だいぶキツめに調合した睡眠ガスとはいえ、あくまでも対人使用を前提とした代物だ。第一世代型獣人、つまりは人間よりも獣に身体の構造が近い彼らへの使用は、想定外とまではいかなくとも主眼には置いていない。しかもグリズリーの獣人ともなれば効果不足も頷ける。
どんな強力なエンジンを積んでるのかは知らないが、あのままでは追いつかれるな……。
「グオツリー、グオツリー、警戒しろ。後方からクマさんだ」
俺も現場に行きたいところだが……ここはミカ達に期待してみよう。
アイツらなら、きっと……。
『グオツリー、グオツリー、警戒しろ。後方からクマさんだ』
「は?」
その知らせで背筋がぞくりとした。クマさん―――それが何を意味するのか、この場にいる全員がよーく知っている。レオノフ家の用心棒にして、モニカ曰く実力者のセルゲイ。あの睡眠ガスからもう復活したのかと驚愕しつつ、後部座席のドアにあるハンドルに手を伸ばす。
ハンドルをくるくると回して窓を開け、MP5をフルオートに。くそったれ、ボタン一つで窓の開閉が出来た前世の世界が愛おしい。
身を乗り出し、追手の車両に9mmパラベラム弾を射かけた。9mmパラベラム弾とはいえ、低致死仕様のゴム弾。さすがにタイヤをぶち抜いたりしてパンクに追いやる事は出来ず、車のボンネットに車好きならブチギレ不可避なレベルの傷をつけるのが精一杯だった。
舌打ちしながら身体を車内に引っ込め、メニュー画面を呼び出す。製造済みのライフルの中からAK-19を選択し装備をチェンジ、勝手知ったるカラシニコフの感触に頷き、セレクターレバーを中段のフルオートに切り替えてから再び上半身を窓の外へ。
ガガガンッ、と派手な銃声が響き、追手のセダンのタイヤがパンクした。ぐんっ、とセダンがまるで巨人の腕に引っ張られたかのように進路を変え、歩道の近くから伸びる電柱に真正面から突っ込む。
ごしゃあっ、とグリルやらボンネットがひしゃげる金属音を響かせ、追手のセダンが1台脱落。残るは2台のセダンと1台のクーペ。
こちらが発砲した事で向こうも吹っ切れたのか、セダンの助手席やら後部座席からピストルを手にした兵士が身を乗り出して撃ち返してきた。ズドンッ、と重々しい銃声に黒色火薬特有の濛々とした煙。それに見送られた銃弾が、セダンのトランクやら後部のガラスを打ち据える。
「ひいいっ、ひぃぃぃぃ!!」
隣で失禁するレベルで怯えているエフィムを一瞥し、こっちもAKを撃ち返す。2台目もいつぞやの憲兵の追手の如く、対向車線にはみ出さない程度にジグザグに走り始めた。タイヤを撃ち抜かれるのを防ぐためなのだろうが、そんな走行をするものだから向こうのピストルの狙いも滅茶苦茶だ。回避運動を始めてから、こっちのセダンへの被弾がすっかりなくなる。
ならば、とこちらも作戦を変更。タイヤではなくグリルやボンネットへ攻撃を集中させていく。
憲兵や警備兵の車両であればある程度の被弾も想定しているだろうが、それは黒色火薬によって撃ち出される丸い弾丸を想定しての事。よりパワーのある無煙火薬で撃ち出される5.56mmNATO弾は想定外であろう。
ストックから、5.56mm弾の反動が返ってくる。しつこく打たれる左ジャブのような衝撃で、けれども9mmパラベラム弾には無い重さがあった。
そろそろ1つ目のマガジンを使い果たす……そこで、ガギュゥンッ、と嫌な音がはっきりと聞こえてきた。焼き肉の金網みたいなグリルから濛々と灰色の黒煙が溢れ、被弾を続けていたセダンの片割れがみるみる速度を落としていく。
落伍した味方の車両を尻目に増速するもう1両のセダン。銃撃をやり過ごしつつ車内に引っ込み、マガジンを取り外す。
「は、はは、ははは! す、すすす、すごい武器使ってるんだなお前!? 気に入った、お前僕のところでボディガードやらないか!? か、金ならいくらでも―――」
「バチバチ」
「あっすみませんでした」
左手に電撃を纏わせるだけで静かになった。うん、コレだよコレ。
マガジンを交換しコッキングレバーを引いた。コッキングしやすいように大型化していたのも功を奏し、流れるような再装填で反撃に転じるミカエル君。プロの軍人ほどじゃあないが、素人にしては結構やる方じゃないかという自負がだな……。
最後の1台が唐突に速度を落とし、後続のクーペに道を譲った。
「まさか」
メタリックなグレーで塗装されたクーペ。100㎞/hくらいは余裕で出ているのではないだろうか。そんな速度で猛追してくるクーペの運転席に収まっているのはもちろんあの男―――セルゲイ。
邪魔になるからと進路を譲ったのか、あのセダンは。
「セルゲイよ!」
「クソッ」
悪態をつきながらAK-19で狙う。タイヤか、エンジンか。とにかくクーペの足を止める事が出来ればゲームセット、こっちのコールド勝ちである。
だが……。
ガガンッ、とAKでセルゲイのクーペを狙う。命中は確かにしているようで、PK-120のレティクルの向こうではフェンダーやボンネットに確かに風穴が穿たれているのが分かる。が、それも数える程度。こちらの狙いを察知しているのか、セルゲイの運転は巧みだった。
ハンドルを切って対向車線にはみ出したかと思いきや、クラクションを高らかに鳴らしながら突っ込んでくる対向車を紙一重で躱し、そのままアクセルを踏み込んで急加速。時折通過していく対向車を巻き込むまいと、こっちも迂闊な発砲が出来なくなる。
こいつ……”わかって”やってやがる。
さっきまでは射線が後方、つまりは追手の方向だけに限られているから、遠慮なく射撃ができた。だが、セルゲイが回り込んだのは俺たちの進行方向から見て左側、対向車線の外側である。半ば歩道に片輪を乗り上げながらのかなり強引な走行で、対向車どころか流れ弾で歩行者まで巻き込みかねない状態を作り出している。
どうすれば、と対応に悩んでいるうちに、ついにセルゲイのクーペが真横についた。
この状態で何をするか―――考えるまでもない。
運転席に座るグリズリーの獣人がニヤリと笑みを浮かべ、ハンドルを思い切り切ったのを見て、俺は咄嗟に車内に引っ込んだ。
次の瞬間だった。凄まじい衝撃と車体が軋む嫌な音がセダンに牙を剥き、ドアの内側に頭を思い切りぶつける羽目になったのは。
「めかぶっ」
「グオツリー、大丈夫ですか!?」
「だ、大丈夫大丈夫……」
ガスマスク被ってるからセーフセーフ……顔を出してたら鼻血くらい出てたかも。
一度距離を離し、再び横から体当たりをかけてくるセルゲイのクーペ。こっちにはレオノフ家の娘とスレンコフ家の長男が乗っているというのに、随分と容赦のない攻撃だった。
「うわぁぁぁぁ! あのクマ、僕を殺すつもりか!?」
「さすがにこれは笑えないな……」
モニカの奪還のためには手段を選ばないつもりか。
二度目の体当たりを受けて揺れる車内。喚くエフィムの身体を踏みつけながら反対側の窓を開け、ドアの縁にAKを乗せて依託射撃。再び体当たりするための勢いを乗せるべく、距離を離したクーペのタイヤを側面から狙う。
10m未満の至近距離、尚且つ真横からの射撃ともなれば難易度は随分と下がる。至近距離からのフルオート射撃を受けたタイヤがあっという間にズタズタになり、タイヤの溶ける臭いや金属の焼ける悪臭を漂わせながら、石畳を金属がゴリゴリと削るような音を響かせ、セルゲイのクーペがバランスを失い始める。
そこで彼は信じられない行動に出た。
運転席から身を乗り出したかと思いきや、愛車のボンネットの上に立ち―――そこからこっちに向かって、思い切りジャンプしてきたのである。
「「「―――はっ?」」」
俺、モニカ、エフィムの3人が驚愕し、間抜けな声を上げる。
主を失ったクーペは完全にコントロールを失いスピンを開始。対向車線に完全に入り込んだところで、哀れな対向車の突進を横腹に喰らって後方へ置き去りにされてしまう。
そしてその愛車すら乗り捨てた主はというと……。
「!」
ダンッ、と車の上に何かが着地したような豪快な音がして、天井が微かにへこんだのをはっきりと見た。あの野郎無事に着地しやがった、と悪態をついたところで、ベコンッ、と今度は天井が豪快にへこむ。
セダンの天井を突き破らんばかりの勢いで放たれたパンチ。このままでは後部座席ごと潰される。
「振り落とせ!」
「了解!!」
ぐんっ、とクラリスが思い切りハンドルを切った。セダンが急に進行方向を変え、対向車線へと豪快に躍り出る。対向車のクラクションや歩道を歩く歩行者たちの悲鳴を聞きながら、俺は天井へとAK-19の銃口を向けた。
こいつに装填されているのはゴム弾ではなく実弾―――当たり所によっては、一撃で人の命を奪う、つまりは”殺すための弾丸”である。
これを人に向かって撃つのはかなりの躊躇いがあるが……相手は打たれ強さに定評のあるグリズリーの獣人、しかも身体の構造がヒトよりも獣に近いとされている第一世代型。むしろ5.56mm弾では威力不足かもしれない。
死なないでくれよ、と祈りながら、引き金を引いた。
ガガガガガッ、とAK-19が吼える。逃走用の車両は簡易的に装甲を取り付けられ、ある程度の防御力を獲得しているものの、それはあくまでも黒色火薬を使うフリントロック式のピストルやマスケットに対しての話。さっきエンジンをやられたセダンと同じ理屈で、5.56mm弾でも貫通が期待できる。
天井越しに銃弾を撃ちまくった。足音とパンチで大きくひしゃげた天井、後は野生の勘でセルゲイがどこに居るのかを察知しながら、とにかく撃ちまくる。下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる、だが急所にだけは当たるな―――そんな都合の良い事を思い浮かべていると、呻き声と共にセルゲイが車のトランクの方へと転がっていった。
「!」
どうやら被弾したらしい。後部のガラスにべっとりと赤い血が付着していて、俺は思わず朝食に食べてきたハムエッグをぶちまけそうになる。
そんな情けない有様になりながらも、車の窓から身を乗り出した。無論、セルゲイを殺すためではない。彼がどうなったかの確認だ。
武器をメインアームのAK-19から、強盗用に持ち込んでいたサイドアーム―――”MP17”に持ち替える。
『SIG P320』のパーツを組み込む事で使用可能になるピストルカービンだ。通常のハンドガンに伸縮式のストックとドットサイト、予備マガジンを収納可能なフォアグリップを取り付けたような形状をしている。
装填されているのは9mmパラベラム弾、その低致死仕様のゴム弾だ。
「うが……ぁ」
身を乗り出して見てみると、セルゲイはしぶとい男だという事を痛感させられた。
彼はまだ、車にがっちりとしがみついていた。リアバンパーの所に左手の爪を食い込ませ、そこで何とか持ちこたえている。
グリズリーの獣人というだけあって、爪はかなり鋭利に見えた。カランビットナイフみたいな迫力がある。武器を持たずとも、あれで切り付けられるだけで人体なんぞ簡単に三枚おろしにされてしまいそうだ。
右肩に被弾したと思われるセルゲイが、悔しそうな目でこっちを睨みつけてくる。
が、同情するつもりはなかった。こいつはモニカを、彼女をエフィムに売り渡し、レオノフ家の再興を彼女の犠牲で成し遂げようとした男。右肩を実弾で撃ち抜いた事に対しては罪の意識があるし、申し訳ないとは思うが―――それだけだ。
これでいいな、モニカ―――心の中で念じ、MP17の引き金を引く。
パンッ、と軽い銃声がして、スライドが後退。熱と煙を纏った9mmパラベラム弾の薬莢が踊り出し、右手に軽い反動が走る。
ゴム弾はセルゲイの眉間を直撃したようで、彼は大きく頭を仰け反らせた。人を殺さないように配慮されている弾丸とはいえ、音速を超える速度で飛んでくるのだからもうこれは立派な鈍器だ。頭を金槌で殴りつけられているような衝撃が走っている事だろう。
彼はその衝撃に耐えられなかったらしく―――リアバンパーに食い込んでいた彼の左手が、その一撃で外れた。
「ぐあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ―――!!!」
「……」
叫び声を上げながら石畳の上に放り出され、そのままゴロゴロと転がるセルゲイ。真っ向からの勝負じゃあなかったからこうして何とか撃退できたが……正面からの戦闘になっていたらどうなっていた事か。
荒くなっていた呼吸を整え、車内へと引っ込んだ。
ちょうど目の前に城郭都市リーネの防壁に穿たれたトンネルが見えてくる。その前にある信号は赤信号だったけれど、クラリスはそれを無視して交差点を突っ切り、トンネルを警備する憲兵たちの制止まで振り切って城郭都市の外へ。
後は列車に戻るだけだ。外に広がる青空を見て息を吐きながら、俺は言った。
「―――自由な世界へようこそ、モニカ」




