セーフハウス襲撃 前編
列車に戻るなり、真っ先に向かったのは1号車だった。
連結部を飛び越えて階段を上がり2階へ。一番機関車側にある客室のドアをノックすると、部屋の中で椅子に腰を下ろし、本を読んでいたカーチャがこっちを振り向いた。
やはり気を許してもらっているわけではないようで、ドアの前に立っているのが俺である事に気付くや、その目つきが少しだけ鋭くなる。けれども、街中で襲ってきたあの時と比較すると、その瞳が発する敵意は随分と鈍いものになっているのがよく分かった。
きっと色々考えていたのだろう。
ドアを開けると、「何の用?」と素っ気ない言葉で出迎えられた。いつもだったらここで肩をすくめるなり何なりするが、今は緊急を要する。
彼女の胸の内にある記憶が、この事件を解決するカギになるかもしれないのだ。
隣にいるクラリスに目配せすると、彼女は例の写真家から受け取ったカラー写真の入った封筒を取り出した。中から出てきたカラー写真をカーチャに見せると、彼女の表情には明確な変化があった。
何でそんなものが、とでも言っているかのように、目を見開いたのである。
―――時には口より仕草の方が雄弁に真実を物語る事がある。
イライナの思想家、イゴーリ・ペトレンコの言葉だ。写真を見せられたカーチャの仕草はまさにその通りで、写真に写る人物をよく知っていると肯定しているようなものだった。
「知ってるな、この男を」
「……」
「教えてくれ、奴は何者だ?」
「それは……」
「カーチャ」
頼む、と言葉を続け、頭を下げた。
それを見たクラリスが目を見開く。
「ご主人様、何を!?」
「……」
「彼女はあなたを殺そうとした相手ですわ! そんな相手に頭を下げるなんて―――」
「カーチャ、俺の事が許せないならばそれでいい。一生恨んでくれていい、末代まで呪ったって構わない。ただ、今は君の持つ情報が必要なんだ」
「……」
嘘偽りは、無い。
心の中にある、ありのままの本心を言葉に乗せ、彼女に向けてぶつけた。
確かに人間の中には、話の通じない相手も存在する。同じ言語を話しているのに、まるで話が通じない。そういう相手も存在するのは事実であるが―――少なくともカーチャは、その手の連中とはわけが違う。
彼女に話は通じるのだ。
彼女の事を知っているわけではない。だが、目を見ていれば何となくその人がどんな人柄なのか、ぼんやりとだが分かってくる。
本当は、このカーチャというお姉さんは優しい人なのだ。人の話に耳を傾け、共に喜び、悲しみ、怒りを分かち合ってくれるような、そんな人のように思えるのだ。
だから彼女との対話には意味がある。対話を続ける価値はある。
だから応えてくれ―――その祈りを乗せた言葉で、俺は畳み掛けた。
「分かってくれ、今こうしている間にも君たちの怒りとは無関係な転生者が、無関係な人々が事件に巻き込まれ、命を落としている。ノンナのように苦しんでいる人々が世界中に居るんだ」
ノンナ、という名前を耳にした途端、カーチャの表情が強張った。
フラッシュバックしたのだろう―――お腹に金属製の破片が突き刺さり、今まさに死にかけていた幼い彼女の姿が。
ルカの話では、彼女の手当てをしてくれたのはカーチャだったという。彼女はノンナの命の恩人だが、同時にその生々しい現実を目にしてきた当事者でもある。
「自分の家族を殺した、あるいは全てを奪った相手への復讐であれば俺は止めるつもりはない。でも、同じ転生者だから……異世界の人間だからという理由で狙われる側にとって、その復讐心は単なる理不尽でしかないんだ。そしてその復讐劇に、何の関係もない人々だって巻き込まれてる」
「……っ」
襲撃があった夜もそうだった。
駅員が何名か、犠牲になっていた。ホームに血まみれになって倒れていた駅員の姿が脳裏を過り、思わず苦々しい表情を浮かべてしまう。
彼らにだって、家族がいただろうに。
「俺は……俺はそんな、理不尽な連鎖を断ち切りたい。ここで全てを終わらせたいんだ。だからそのために力を貸してほしい。君の内に秘めた真実を語ってくれるだけでいいんだ。頼む」
しばしの沈黙が、寝室の中を包み込んだ。
彼女の息遣いが聞こえてくる。少し乱れ、躊躇している様子がそこからは窺い知れた。
ここで話をすれば、彼女は彼らにとっての明確な裏切り者となるだろう。転生者殺しでありながら仲間を転生者に売り渡した卑劣な裏切り者―――。
いや、卑劣なのはどちらか。
何の関係もない人々まで巻き込んで、まだ何もしていない転生者を、二度目の人生を謳歌しているだけの人畜無害な転生者に対する殺戮を繰り返す転生者殺し―――そんな奴らに義理立てする必要があるのか、カーチャ。
唇をきつく閉じたままの彼女を見て、俺は一歩後ろに下がった。
「……気持ちの整理がついたらでいい、教えてくれ」
やはりまだ、話す気にはならないか。
カラー写真をクラリスから受け取り、それを懐に収めた。とりあえずこの写真はパヴェルにも見てもらおう。そう思って彼のところへ報告しに行こうと踵を返したその時だった。
「―――総統閣下」
「……え」
ぽつり、とカーチャが口を開いた。
「その人は……私たちの指導者よ」
「総統……本名、『土屋宏典』。なるほど、カーチャが教えてくれた情報と一致するな」
ブリーフィングルームで短くなった葉巻を灰皿に押し付けながら、パヴェルは納得したようにそう言った。
俺たちが優雅に飯を食っている間も、彼はカーチャへの尋問を続けていたらしい。それは手荒なものではなく、心を開きつつある彼女から優しく聞き出すようなものであったそうだが。
土屋宏典。それが敵の総大将、総統の本名。
「名前から察する通り、コイツも転生者だ。以前の襲撃で敵兵が銃や防弾装備を身に着けていた理由も、それならば辻褄が合う」
薄暗いブリーフィングルームの中、立体映像に映し出された総統閣下……土屋宏典の顔をじっと見つめていると、それまで話を聞いていたモニカがすっと手を上げた。
「ねえ……その、ごめん。あたしが話聞いてなかっただけだったら悪いんだけど、さっきから言ってる”転生者”って……その、なに?」
そろそろ言っておくべきか。パヴェルと目配せすると、彼は首を縦に振った。
「―――その名の通り、異世界から転生してきた者たちの事だよ」
「異世界から……転生?」
「そうだ。彼らは前世の記憶を持ち、同時に特殊な能力も授かる……この部屋にいるメンバーの中では、俺とパヴェル、セロとしゃもじが該当するな」
さらりと言うと、モニカは今名前が挙がった4人の顔をぐるりと見渡してから目を丸くした。
同じリアクションをしているのは隣にいるリーファも同様で、シスター・イルゼはどういうことなのか、理屈では理解しているが受け入れられてはいないようだった。
「輪廻転生」
腕を組みながら黙って話を聞いていた範三が、ぽつりとそう呟く。
「リンネテンセ……範三、何それ?」
「うむ、輪廻転生にござる。東洋には生命を終え、天寿を全うした者はまた別の命として生まれ変わり、現世に蘇るという教えが古くから存在する。幼少の頃、寺の住職から聞いた話だが……なるほど、よもやこんなところで輪廻転生の実例を見るとはな」
ああ、なるほど。そういう教えがあるから意外とすんなりと受け入れられてるのか……すげえな宗教って。
てっきりみんなモニカみたいなリアクションをするのかと思っていたが……。
「要は別の世界で生きてた人間の生まれ変わりってこと?」
「そういう事」
「アイヤー……」
「そういう事でしたら、もっと早く仰ってくださればよかったのに」
「いやぁ、悪いねシスター。いつ言おうか悩んでたんだけど……もしかしたら信じてもらえないかもと思って黙ってたんだ」
まあ、普通はそうなるよな。
俺、異世界で死んだ人間の生まれ変わりなんだ……なーんていきなり公言したら精神科に行くか、変人として周囲から距離を取られるのが関の山である。
「はっはっはっ、それにしてもミカエル殿は仲間や才能に恵まれて幸せ者でござるな。きっと前世で徳を積んだのでござろう」
「徳……ねぇ」
道端に捨てられた子猫を拾ってきて飼い猫にしたり、近所の子にお菓子をあげたり……そのくらいしか思いつかない。
「話が脱線したから戻すぞ。んでこの土屋宏典とかいうクソッタレはイライナのどこかに居て、このリュハンシク市にも連中の拠点やセーフハウスがいくつか存在する事が判明した」
パヴェルがリモコンを操作すると、立体映像にリュハンシク市を上空から撮影した画像が表示された。どうせドローンで撮影したものなのだろうが、続けてアニメーションが再生され、一部の建物がハイライト表示される。
ハイライト表示された建物がズームアップされ、そこがセーフハウスや拠点である事が表示されると、仲間たちの目つきが鋭くなった。
「―――お前ら、やられっぱなしは性に合わんよな?」
にい、とパヴェルが好戦的な笑みを浮かべる。
転生者殺し―――連中に散々好き勝手やられ、仲間まで傷付けられた怒りを燻らせていた仲間たちに、その好戦的な笑みは瞬く間に伝播していった。
相手に話は通じない、向こうは殺る気満々ともなれば、そこから先に言葉は不要だ。徹底的な暴力の果てに、最期に立っていた方が勝利する―――原始的で最も単純明快なルールのみが適用される。
「んじゃまあ、軽く殴り返しに行こうか」
「何か情報は入ったか?」
「……いや、今のところは」
リュハンシク市内にあるとある雑居ビルの一室。ソファに座りながら安物のスナック菓子を口に運んでいた男は、”本部”からの命令書を確認している仲間にそう尋ねるなり、また代わり映えしない日々を送るのかとうんざりした。
彼らの任務は各地に潜伏し、転生者と思われる人物の情報を収集、”実働部隊”に伝えることだ。その情報を元に実働部隊が行動を起こし、ターゲットを確実に始末するという流れである。
ちらり、と壁にあるコルクボードに目を向けた。そこには白黒の写真が何枚も貼り付けられている。彼らが命懸けで撮影したものもあれば、新聞紙や冒険者の専門誌、インタビュー記事からの切り抜きなど、バリエーションは多岐に渡る。
殺害が確認された転生者の写真には赤い塗料でバツ印が描かれており、既にコルクボードにある抹殺リストの4分の3が赤いバツ印で埋め尽くされているが、しかしまだその死の烙印を押されていない転生者が残っている。
雷獣のミカエルを筆頭に、彼と行動を共にするパヴェル、そして今は彼らと共に行動していると思われるセロ、そして色んな意味で要注意人物と目されている転生者、しゃもじ。
現在これらの転生者は行動を共にしており、排除は困難であると判断されている。奇襲に対してもかなり警戒しており、本部から実働部隊の再編が終わるまでは手を出さないようにという通達も出ている事からも、その脅威度の高さがうかがえる。
しかし、何も無い日々というのも退屈なものだ。早いところ浮かれている転生者の顔面に弾丸を撃ち込んでやりたい……そんな気分である。
彼らが立ち上げた先進的な事業で実家の商売が全て潰され、一家離散という憂き目にあった彼であればなおさらだ。
「つまんね、早く殺させてくれねえかな」
「そう言うな」
タイプライターを弾いていた男が、ソファで悪態をつく仲間に落ち着いた口調で語り掛けた。
「味気ないレーションを食い、泥水のようなコーヒーを啜る。うんざりするが、それが人生だ」
そんなもんかね、と男が返事を返したその時だった。
ピンポーン、と部屋の呼び鈴が鳴ったのである。
この部屋を訪ねてくる人間など、仲間以外には存在しない。
しかし仮に訪ねてくるのであれば、事前に連絡があるし、そうではなくてもドアを既定の回数、規定のリズムでノックする事で、部外者か身内かを判別している。
念のため、ソファに座っていた男はグロック43を懐に忍ばせながら玄関の方へと向かった。
こんなところにやって来るなんて、一体誰か。覗き窓からドアの向こうにいるであろう来訪者を確認しようとした次の瞬間、男の頭はドアを突き破った拳の一撃に砕かれていた。
人間の肉体で受け止めきれないほどの運動エネルギーは、頭蓋骨を砕かれた男の身体を容易に後方へと吹っ飛ばしていた。廊下に激しく激突し、仲間たちのいるリビングまで押し戻された男。仲間の死を確認した他の男たち―――転生者殺しの諜報員たちがM1911を取り出し発砲しようとするが、それよりも先に玄関のドアが蹴破られた。
血のような夕日が差し込む外の景色を背景に、仁王立ちしているのは長身のメイドだ。
ヘッドドレスの後ろからは、大きく伸びた角のようなものが見える。
「……め、メイド?」
唖然としながら絞り出した声が、最期の言葉となった。
次の瞬間にはメイドが右手に持っていたブリーフケースが火を噴き、吐き出された5.45mm弾が男の頭を撃ち抜いていたのである。
プススッ、とサプレッサー越しに放たれた弾丸で仲間が倒れ、驚愕した諜報員が引き金を引く。
しかしその弾丸はメイドに命中するも、さながら弾丸を弾く装甲車のように跳弾してしまい、我が目を疑う。
人体が弾丸を跳ね返すなんて。
信じ難い現実を目の当たりにした諜報員。次にどうするべきか、その思考すら思い至るよりも先に、メイドの後ろから小柄なハクビシンの少女が躍り出る。
手にしているのは、グロック17L―――競技用のそれにフラッシュマグとブレースを装着、大容量の33発入りマガジンにエクステンションを装着し、弾数を43発にまで拡張したものを装備した、グロックのカービン・カスタムだった。
ぎょっとした男が引き金を引くよりも先に、ピストルカービンと化したグロック17Lが先に火を噴く。ガァンッ、とスライドが軽快に後退し、9×19mmパラベラム弾の空薬莢を吐き出した。
それが床に落下し絨毯に軽い焦げ目を刻む頃には、弾丸は男の眉間を撃ち抜いていた。
ぐらり、と身体の力が抜け、男は崩れ落ちていく。
諜報員を一撃で仕留めたハクビシンの少女―――ミカエルは、ふう、と息を吐いてからクラリスに命じる。
「……情報は全部持って帰ろう」
「了解ですわ」
部屋の中に踏み込むや、ミカエルは身に着けていた強盗用のダッフルバッグの中へ、テキパキと命令書や資料を詰め込んでいく。それ以外にも有益と見られる情報は全てダッフルバッグへとぶち込んで、壁面のコルクボードもスマホの写真に収めた。
これでいいか、と呟いたミカエルへ、クラリスが問う。
「ご主人様、大丈夫ですか?」
「……うん、ありがとうクラリス」
そう言いながら、足元に転がる死体を見下ろすミカエル。
そこに転がっているのは、今しがた自分が殺した敵の死体だった。
今までは不要な殺生を良しとせず、一貫して相手を殺さない事を第一に戦ってきたミカエルが初めて、明確な敵意を持って射殺した敵の姿。
しかしその銀色の瞳に、曇りは無かった。
「お辛いでしょう。我慢できなくなったら、いつでも申し付けてください」
「うん、大丈夫」
ありがとう、と笑みを浮かべながらミカエルは言い、資料を詰め込んだダッフルバッグを肩にかけながら建物を後にした。
確かに、相手の命を奪う事実を向き合うのは辛いことである。
しかし、彼にとってはそれよりも、自らの甘えで仲間を失う事の方が遥かに辛いという想いがあった。
それに比べれば、遥かにマシだ―――ミカエルはそう言い聞かせながら、外に駐車していたウラル-4320の助手席へと乗り込んだ。
1888年 10月16日
16:37 血盟旅団及びセロ、しゃもじの転生者連合、転生者殺しへの反転攻勢を開始




