写真家
リュハンシク市街地の喧騒から離れた丘の上に、貴族の屋敷を改装したレストランがある。
レストラン『ジールカ』。イライナ語で”星”を意味する綺麗な響きのその店の屋根には、黄金の星を模したオブジェが飾られている。建物自体が白を基調に、アクセント程度に黄金の装飾を散らす伝統的なイライナ様式の建物だからなのだろう、屋根の上で燦然と輝く星型のオブジェはよく映える。
夜に見れば、それはまさに一番星のように見える事だろう。
カメラでレストランと周囲の風景を撮影しながら、俺はそんな感想を抱いた。
レストラン『ジールカ』はその景観の美しさから、オープン前から貴族たちの予約でいっぱいだったのだそうだ。それはそうだろう、リュハンシクの街と周囲の大自然を一望できる丘の上に店を構え、夜になれば美しい星空の天蓋が頭上を埋め尽くすその光景は壮観で、しかも一流の料理人が調理するフルコースとなれば貴族や美食家が飛びつかないわけがない。
商売繁盛は約束されていたのだろうが、しかしあの店のオーナーは幸運の女神には見放されていたらしい。
オープン初日にリュハンシクにノヴォシア共産党がやってきて、この街を実効支配し始めたのだ。連中にブルジョア認定されたレストランは開店から僅か数分で閉店に追い込まれ、料理人とオーナーたちは共産党の影響が及ばないマルキウまで従業員と共に退避する羽目になったと聞いた時は、一度オーナーにお祓いとか、そうでなくても教会のエクソシストに見てもらう事を勧めたくなった。
そんな不運なスタートを切ったレストランが最初の客として迎え入れたのは、ガリヴポリを解放した英雄、ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフ率いる血盟旅団と他の転生者2名、そしてその仲間たち。
カメラをズームアップすると、黄金の窓枠で装飾された煌びやかな窓の向こうで食事をする数名の客の姿が見えた。その中でも一際目立っているのが褐色で銀髪、身長の高い狼の獣人の女で、その向かいには前髪の一部と睫毛、眉毛が真っ白、他は黒いという、いかにもハクビシンのような感じの小柄な獣人の”少年”が座って、メインディッシュと思われるステーキを切り分けているのが見える。
何かを話しながら食事をしているようだが、会話の内容は唇の動きで推察できるし、何よりあそこにいる転生者たちの最近の動向を考慮すれば、その内容が件の”転生者殺し”に関する事であるのは明白である。
なるほど、複数の転生者で合流して迎え撃つ腹積もりか。
確かにその辺の二流の暗殺ギルドのような連中であれば、単独でも迎え撃つ事は可能だろう。しかし相手も銃で武装し、更に防弾装備まで身に着けた兵士を複数飼い慣らしているとなれば苦戦は必至である。
より有利に戦いを進めるため、複数の転生者で手を組むというのは良い考えではある。好き勝手にバラバラに行動していれば各個撃破されるのがオチであろう。それよりは互いに協力し難局を乗り切るのが最善、と判断したに違いない。
レストランでの会合となった理由も察しが付く。
今、血盟旅団の列車は動力源たる機関車を潰され身動きが取れない。それに加え、あの時機関車で仕事をしていた仲間の1人が負傷し安静にしている状態だ。
そんな状態でまた襲撃を受ければたまったものではない。
そこでこう考えたのだろう。列車から離れた場所にあるレストランに転生者3人で集まり、情報交換をしながら狙いを分散させるべき、と。
その気になればいつでも潰せる列車と、最近冒険者界隈を騒がせている転生者が3人となれば、脅威度が高くなるのは後者だ。
とはいえ列車にも腕利きの転生者(得体の知れない不気味な奴だ)が1人残っているので、全くのノーガードというわけでもないようだが。
「……」
窓の向こうで切り分けたステーキを口へと運び、咀嚼してから何かを話すミカエルの唇の動きから、彼の発言を推測する。もし彼が標準ノヴォシア語、あるいはイライナ語で会話をしているならば、たった今こう発言した事だろう。
―――『有益な情報は無し、か……』と。
「……」
さーて、どうするか。
ここは救いの手を差し伸べてやるべきか。そう思い至った頃には、既に身体が動いていた。バックパックの中から無線機を取り出し、チャンネルが”いつもの”になってるのを確認してから、滅多に表舞台に出てこない仲間を呼び出す。
「―――”サイト3-1”、取れるか」
何度も口にしてきたコールサインを呼ぶと、少し間を置いて気だるげな、昼下がりの退屈な時間をソファに身体を預けて過ごしてそうな若い男の声が返ってくる。
《―――こちら3-1、問題発生か?》
「例の転生者殺し共と交戦した転生者のグループが目の前にいる。”情報”を渡しても大丈夫か?」
ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフたちが求めている情報―――例の転生者殺しが何者か。そしてその指導者はどこにいるのか。そういった彼らが欲しがっている情報は、ここにある。
おそらくだが、この情報をもたらす事で話は一気に進むだろう。血盟旅団とセロ・ウォルフラム、そしてしゃもじとかいう転生者(偽名だろうこれは)の実力であれば、転生者殺しを打ち破る事は難しくはない筈だ。
とはいえ、こちらも表舞台に立つのは避けたい。とはいえ情報提供の際に接触は不可欠だが、それも最低限にしたい。
幽霊の如く相手に捉えられず、しかしどこにでも現れる―――それが俺たちである。
すると、ヘッドセットの向こうからは肯定的な返事が聴こえてきた。
《ああ、問題ない。現状、転生者殺しに対抗できるのは彼らとアンタくらいだろう。協力には賛成だね》
返答がやけに肯定的だった事に違和感を覚えたが、その理由はすぐに察した。
サイト3-1―――無線機の向こうで、今頃本当にソファでくつろいでいるであろう仲間には特殊な力がある。マレーバクの獣人としての特殊な力が。
「……またお前の”夢”か」
《ああ、おかげで休んだ気がしないよ》
相棒は”夢”に関する特殊な能力を持っている。それが彼のみが持つ唯一無二の能力なのか、それともマレーバクの獣人という人種の共通の能力なのか、それは分からない。いずれにせよ彼が見る予知夢に、俺は何度も救われてきた。
そしてそれは作戦計画の立案や襲撃の回避にも役立っている。
便利だが、しかし彼の言う通り”休んだ気がしない”というのもなかなか嫌なものだ。過酷な現実と、そう変わらない質感の夢を寝ている間も見せられる。夢と現実の境界線が取り払われ、現実一色に塗りつぶされているような、きっとそんな感覚なのだ。
相棒からの許可が下りたところで、俺は頭を掻きながら声を漏らした。
「……しかし、せめて空爆でも呼べればな。転生者殺しの連中を纏めて吹き飛ばせるってのに」
《ハッハッハッ、爆撃機なんて無いぞ、この世界には……それじゃ》
確かにそうだ、爆撃機なんてこの世界には存在しない―――”今の時点では”、な。
アメリア合衆国、いわゆるアメリカに相当する国家では今、ライト兄弟が飛行機を飛ばす実験を繰り返しているのだそうだ。もしそれが実用化まで漕ぎ着ければ、この世界の人類はすぐにその有効性に気付くだろう。どんな障壁も飛び越え、空から火力を大地へ投射する事が可能な新兵器―――飛竜のように育成と調教の手間が無く、個体差も無く、資源と工場がある限りいくらでも調達できる新たなる空の王者。
この世界の空を複葉機が飛ぶのもそう遠くないのかもしれない……いずれは戦闘機や爆撃機が悠然と飛ぶことになるであろう空を見上げながら、小さな声で呟いた。
「……協力とは愛や友情と同じく、与えることで得られるものである……ってか」
デザートに出てきたイチジクのタルトを平らげ、スーツ姿の店員が食器を下げていくのを見守りながら、ちょっぴり落胆していた。
レストランのコース料理の味に、ではない。フルコースを堪能したわけだけど、どの料理も素晴らしいものばかりだった。料理人の創意工夫と熱意が詰まったそれは、ウチのギルドが誇るパヴェルの手料理ともまた違った最高の一品と言ってもいいだろう。
ワンチャン常連になりそうである。
落胆しているのはそこではなく、会合で得られた成果だ。
確かに”転生者殺し”に関する情報は集まった。しかしそれはいつ襲撃されたとか、どんな作戦で襲ってきたとか、相手はどんな銃を使っていた、といった情報ばかりで、相手の拠点がどこにあるとか、リーダーは誰なのか、という根本的解決に結びつきそうな情報は何一つとして共有する事が出来なかったのである。
まあ、それは仕方がないとは言えるが……。
ごちそうさま、と一言告げてから立ち上がり、部屋を出た。バイオリンを用いた静かな音楽が流れる店内を進み、会計を済ませる。この世界ではキャッシュカードやらクレジットカードというものがまだないし、転生前のミカエル君も田舎者なので、東京に遊びに行っても基本的に漢の現金払いが基本。電子決済とは一切無縁の人生を送ってきた。
だからなのだろう、現金で支払いを行うのが当たり前なこっちの世界は意外と違和感は感じない。
カウンターにいるスーツ姿の男性に全員分の食事代と、対応してくれた店員たちへのチップも含めて金を支払う。
「最高のサービスをありがとう」
「勿体ないお言葉でございます。またのご予約をお待ちしております、リガロフ様」
羊の獣人の男性にそう言ってから、仲間たちを連れてレストランの外へと出た。
駐車場に停まっているウラル-4320へと向かって歩きながら、さてどうしたものか、と思う。とりあえずはカーチャがこっちに気を許し、情報を吐いてくれるのを待つしかないか。それまでは警戒態勢を厳とし、場合によっては列車ではなくどこかのホテルに宿泊する事も考えるべきだろう。
この辺にいいホテルないかな、とクラリスに問いかけようと思ったその時だった。
停車しているガントラックの荷台の後ろから、唐突に人影が歩み出てきたのである。
ぎょっとしながら立ち止まり、チェストホルスターの中にあるグロック26のグリップを掴んだ。クラリスは俺を庇うように前に立ち、手にしたブリーフケースでいつでも応戦できるように構えている。
驚いたのは、いきなり誰かが出てきたからだが……それよりも驚いたのは、一切”気配がしなかった”事だ。
そこに誰かいるんじゃないか、という気配すらない。まるで幽霊のように目の前に現れたのである。本当に幽霊じゃないかと思ったが、ちゃんと足はあるし影もある。少なくともこの世の存在ではあるようだ……。
「何者です?」
相手を睨みながらクラリスが問い質す。セロも、そしてしゃもじも同じように戦闘態勢に入っているが、彼女たちの表情から察するに、セロとしゃもじもこの目の前に現れた男の気配は感じ取れなかったらしい。
何か、気配を遮断するような魔術でも使っているのか? それとも幻覚?
目の前に現れた男は、どうやらホーランド・ロップ……垂れ耳ウサギの獣人のようだった。頭髪は茶髪で、ホーランド・ロップの特徴である垂れた耳もその中から伸びている。
身長はいたって平均的、パヴェルより一回り小さいくらいだろうか。体格も華奢で、鍛えているようには見えない。顔立ちは整っていて、よく見ると映画の俳優……というわけではないが、それでも優しそうな彼の顔つきはその雰囲気もあって女性にモテそうだ。
私服の上から冬用のコートを身に着けていて、背中には登山者を思わせる随分と大きなバックパックがある。キャンプとかでもするのだろうか、と思ったが、首にはカメラを提げていて、写真家である事が分かる。
グロックのグリップからそっと手を放し、警戒態勢に入っているクラリスの事も手で制した。
―――この人は敵ではない。
ハクビシンは害獣呼ばわりされている動物だが、食物連鎖で見てみるとその地位は低い。猛禽類や肉食獣に遭遇してしまったら最後なのだ(猛禽類や虎は天敵である)。
そういうハクビシンの性質を反映しているようで、俺はそういう相手の発する殺意や敵意にはそれなりに鋭敏な方だった。
こちらが警戒態勢を解いたのを察したのだろう。ホーランド・ロップの獣人は安堵したように頷くと、コートの内ポケットから封筒を1つ取り出し、こっちに渡してきた。
「これは?」
封筒に視線を落とし、中身は何か問いながら顔を上げた頃には、もう既に目の前にあの写真家の格好をしたホーランド・ロップの獣人はいなかった。
「今のは……いったい……?」
「……」
幽霊ではない……と思う。
本当に何者なんだろう、と思いながら封筒を開けてみた。
「これ……写真?」
「あら、凄いわその写真。カラーじゃないの」
「え? あっ」
前世の記憶があるから違和感は感じなかったけど、いつの間にか隣から写真を覗き込んでいたマルガレーテの一言でその異様さに気付いた。
そう、封筒の中身はカラー写真だったのだ。それもかなり鮮明に写ったカラー写真である。
こっちの世界では未だに白黒写真が主流だ。象がブレやすく、画質も粗くて白黒。それに加えてズームアップとかもできないし、ラッパみたいに大きなストロボと三脚が必須になる大掛かりなものである。
けれどもあのおホーランド・ロップの獣人が渡してくれた写真は、そういった写真とは明らかに次元が違う代物だった。
異世界で出会った高画質のカラー写真に驚きながらも、中に入っていた2枚の写真に写っている人物をよく見てみる。
遥か遠距離から撮影したものなのだろう。廃墟のような場所の前に数台のハンヴィーが停車していて、その周囲には見覚えのある兵士たちが立っている。黒いコンバットシャツにコンバットパンツ、そして同じく黒いボディアーマーに身を包み、素顔をバラクラバで隠している兵士たちだ。
彼らの手にはホロサイトとバーティカル・フォアグリップのついたHK416がある。
間違いない、例の襲撃者たちだ。
そしてそんな彼らの隊列の中央に居るのは、白い制服のようなものに身を包んだ、東洋人と思われる少年だった。
腰には革のホルスターがある。中身はワルサーP38だろうか。俺も他人の事は言えないが、なかなか古風な趣味をしている。
顔立ちは明らかに東洋人のそれで、眼光は鋭い。まるで怒りをその内に秘め、静かに滾らせているかのようだ。集まった兵士たちに向かって語り掛けているようだが……?
「ミカ、それは?」
「分からん……だがこれは……」
あの写真家……何でこんなものを……?
「これは……転生者殺しに関する重大な手がかりだ」




