小さな命、大きな憎悪
レティクルの向こうで崩れ落ちる相手を一瞥する事なく、スコープのレティクルは次の標的へと重ねられていた。
さながら十字架だ、と思う。罪人を磔にするための十字架。しかし現代の十字架は相手を磔になんてしない。頭を撃ち抜いて一撃で終わらせる―――火炙りにしたり、槍で突き刺して殺すよりはよっぽど人道的である。少なくとも俺はそう考えている。
サプレッサーで銃声を殺された6.5mmCreedmoor弾が飛翔、レティクルの向こうでHK416を撃ちまくっていた黒服の兵士のこめかみへと行き着いた。距離にして500m、それだけの距離を飛んでも相手を殺すのに十分な殺傷力を維持していた6.5mm弾は、そこでヘルメットを叩き割り、赤い華を咲かせた。
レンタルホームの列車を襲撃した黒服の兵士たちは、どうやら防弾装備を身に纏っているらしい。プレートキャリアにヘルメット、そしてフェイスガード。装備品の隙間を撃ち抜くか、より大口径の銃で撃ち抜かない限りは倒れないだろう。
だが、哀れな事に6.5mmCreedmoor弾を止められるヘルメットは存在しない。命中すればヘルメットを貫通、相手の頭を叩き割って、真っ赤で肉みたいな質感の華を咲かせることになる。
こめかみに喰らった敵兵もまさにそうなった。ヘルメットが割れ、頭蓋骨に大穴が開いて、反対側からひしゃげた弾丸が吐き出されていく。大きく花びらいた傷口はさながらバラのようで、しかし美しいとは思えない。俺にそんな、癖の強い感性はない。
ただ俺が撃って、相手が死んだ。それだけの事だ。
ただそれだけの事―――言葉で飾って、一体何の意味があるというのか。その淡々とした現実に何を見出せというのか。
さて、これで2人目。さすがにそろそろ移動しよう、と狙撃に使っていたライフル―――『SCAR-H TPR』をスリングで背負い、狙撃していた茂みからそっと退散する。
狙撃において、狙撃地点の変更は極めて重要な要素だ。狙撃手にとって居場所を特定されるというのはすなわち死を意味する。
特に相手が支援砲撃を要請できるような規模の連中だったら最悪だ。迫撃砲の砲撃を要請されたらまず、狙撃手に明日はない。
あの連中にそんな装備があるようには思えないし、事前に確認したところでは支援要員が後方に詰めている様子もなかったが、しかし対抗狙撃でやられた、なんて事になったら笑えない。
駅員が列車を誘導するために手旗信号を送るのに使う見張り台の根元へと走り、二脚を展開した。ライフルを安定させ、敵兵たちの様子を覗う。
やはりというか、最初の勢いはすっかり削がれているようだった。奇襲攻撃で彼ら―――”血盟旅団”の不意を突き、機関車を潰したまでは良い。けれども予想外の狙撃で勢いを削がれ、そこからは息を吹き返した血盟旅団側の粘り強い抵抗に攻めあぐね、ただただ時間と弾薬を浪費しているだけのようだった。
「―――」
引き金を引いた。
機関車に身を隠している3人組を狙う兵士の側頭部が割れた。黒い破片に混じってピンクの肉片が飛び散り、左側の側頭部をべろりと剥がされた兵士が、神経と繋がった眼球を晒しながら倒れていく。
これで機関車に隠れている3人組の逃げ道は出来た。
彼女たちもさすがにそのくらいの事は把握できたのだろう。機関車に釘付けにしていた銃撃がぴたりと止まったのを察知するや、小柄なハクビシンの獣人の子が先陣を切って飛び出した。まだHK416で応戦してくる黒服の兵士たちを逆にAK(やけにモダナイズドされたような外見をしている)の射撃で釘付けにしてしまう。
その間に小さな女の子を抱き抱えた、やけにもふもふの獣人の子が機関車を飛び出した。抱えられている女の子のお腹にはボウイナイフみたいな黒い破片が突き刺さっていて、ツナギのお腹の辺りには血が滲んでいる。
「……」
心の中に、小波が立った。
最近、この辺を騒がせている連続殺人事件。あの黒服の連中がその犯人である事は間違いないし、今まさに襲撃を受けている血盟旅団にも転生者がいる事は疑いようもない事実となったわけだ。
しかし―――あんな小さな子供まで巻き込むなんてね。
まったくもって醜悪極まりない。
テロリストと何が違うのか。無関係の人々を巻き込み、暴力での現状変更を目指す野蛮な連中と同類なのだ、奴らは。
「……」
乱れた心の中を整理しておく。余計な感情は照準に誤りを生じさせるノイズだ。
さすがに不利だと判断したのだろう、黒服の兵士たちが後退を始めた。さすがにこれだけ派手にやれば当局も動き始めているだろう―――その証拠に、俺の聴覚は先ほどから接近してくるパトカーのサイレンの音を朧げにではあるが捉えている。
《聞こえるか? 当局のパトカーが緊急通報を受けて向かってる》
「……確認している」
《そろそろ潮時じゃあないかな? 職質されるなんてアンタも嫌だろう?》
「……まあ、な」
それに、血盟旅団もやり手だと聞いている。
ガノンバルド討伐にマガツノヅチ討伐、最近ではガリヴポリを実効支配していた共産党の連中とやり合い、これの放逐に成功している。
これだけ支援してやれば、彼らも後は上手くやるだろう。そっとSCAR-H TPRの二脚を折り畳み、その場を後にした。
最近は物騒な事件があまりにも多い。
落ち着いて読書したり、写真を撮ったり……そんな日常が一番だ。
先ほどから響いてくる銃声に振動、おそらくは仲間たちが攻撃を始めたのだろう。先ほどあった一際大きな振動―――おそらく爆発物を使ったのだろうとは思うけれど、そのせいで私が座っていたパイプ椅子は盛大に横転してしまった。
まあ、おかげであの熊みたいな男が残していった尋問道具……というか工具の中にあった糸鋸に手が届いたんだけど。
こんなので何をするつもりだったのかしらね、と思いつつ、両手を押さえつけている結束バンドを糸鋸でギコギコしていく。パツッ、と小さな音と共に両手を押さえつけていた圧迫感が消え失せ、やっと両手が自由になった。
「よし……っ」
同じように両足を拘束している結束バンドも糸鋸で切断、晴れて自由の身になる。
床から起き上がり、工具の中からマイナスドライバーを拝借して倉庫のドアに向かった。工具の中にあった針金を使ってピッキングを行い強引に解錠、倉庫の外に出る。
この列車は2階建てになっているようだった。貴族の列車でもよく見る構造だけど、随分と豪華な列車に乗ってるのね。転生者風情が、どうせ貴族みたいに豪遊しながら旅でもしているんでしょう?
ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフ……キリウの名門、リガロフ家の庶子。
しかしその中身は転生者……私はあの、男だか女だかよく分からない、性別が万年行方不明の転生者が許せない。
アイツのせいで……アイツのせいで父さんは……!
列車を襲撃した仲間たちの目的は分かっている。私の抹殺、それだけだ。転生者の手に落ち、情報を漏らしたかどうかわからない間抜けはさっさと消すに限る……この手の秘密組織がよくやる手だし、私もそうなる事は覚悟していた。
でも―――でもその前に、せめてアイツだけは。
ミカエルだけは、この手で始末する。
殺意を漲らせていたところで、列車から出ようとした私と、大急ぎで列車に飛び込んできた人影と鉢合わせになった。
「!?」
「―――!」
大慌てで列車の中に飛び込んできたのはビントロングの獣人の子だった。
困ったような顔を浮かべている彼の腕には、パームシベットの女の子がぐったりとした様子で抱きしめられている。お腹には大きなナイフを思わせる破片が刺さっていて、ツナギには真っ赤な血が滲んでいた。
早く手当てしてあげなければ、この子は死ぬだろう。
「お姉さん……どうして……!?」
「……っ」
身を挺して彼女を守ろうとするビントロングの子と、昔の自分の姿が重なった。
ああ、あの時もこうだったのかな、と思う。
家に押し寄せるマスコミ関係者と、怒涛の如く質問や非難をぶつけてくる彼らに怯える妹。私はずっとそんな彼女をこうやって庇って、何とか今まで生きてきた。
全てはミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフが始めた地獄。
けれども―――この子たちは、関係ない。
「……エリクサーは?」
「食堂車に予備のが……」
「食堂車は?」
「上だよ、この上」
「……」
彼の手を取って、気が付いたら私はマイナスドライバーを投げ捨て走っていた。階段を駆け上がり、上にある食堂へと向かう。
ああ、何やってんだろ。
なんで敵を助けてるんだろ。なんで脱出してミカエルの首を取る千載一遇のチャンスを手放したんだろう?
分からない。どうしてかは分からない。
けれども、目の前で消えゆく小さな命を見捨てる事だけは出来なかった。
食堂の椅子に彼女を座らせると、ビントロング君は壁にある薬箱から大急ぎでエリクサーを取ってきた。
「ダメよ、それだけじゃダメ!」
「じゃあ何を!?」
「最初にこの破片を抜くからガーゼを! 急いで!!」
「う、うん……!」
エリクサーはあくまでも”傷を塞ぐ”回復アイテムでしかない。破片がこのように刺さったり、弾丸が体内に残っている場合は事前に摘出しておかなければ、傷を塞いでも何の意味もない。
彼がガーゼを持ってきたところで、私はそっと破片に手をかけた。
「……ごめん、痛くするけど……我慢してね」
そっとパームシベットの子に語り掛け、ビントロング君に彼女が暴れないよう押さえつけておくように指示してから、お腹に刺さっている破片を引っ張った。
変声期を迎えたばかりの、けれどもまだ幼い声音を宿した少女の金切り声がすぐ耳元で響いた。怒涛の如く押し寄せてくる苦痛に必死に耐え、けれども救いを求める悲痛な声。ごめんね、ごめんね、と声を絞り出しながら破片を引き抜いて、消毒されたガーゼをその傷口に押し当てた。
とはいっても、こんなガーゼでは完全な止血なんて到底無理な話。あくまでも出血死を多少遅らせる程度が精一杯だった。
「エリクサーを! 早く!!」
足を押さえていたビントロング君が大急ぎでエリクサーの入った瓶を開け、中にあった錠剤を彼女の口へと放り込んだ。すかさずそのまま水を流し込み、なおも暴れる彼女を抱きしめながら「大丈夫……ノンナ、大丈夫、大丈夫だから……っ」と祈るように声を絞り出す。
この子、ノンナっていう名前なのね……。
私の妹と同じ名前……。
やがて、ノンナは叫ぶのをやめた。遊び疲れた子供が眠りにつくように、きつく瞑っていた瞼から力を抜いて、呼吸も静かになっていく。
脈はある。大丈夫、彼女はまだ生きている。
「ノンナ? ノンナ、おい……」
「大丈夫、生きてるわ」
「本当?」
「ええ、気を失ってるだけよ。少し休ませてあげて。この子のお部屋は?」
「……こっち」
ビントロング君はノンナちゃんを抱き抱えると、私を案内しながら歩き始める。
気を失った彼女を私に預けない辺り、まだ信用されてないのね……と思う。それはそうでしょう、私は街中で彼らのリーダー、ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフを殺そうとした女。であれば彼らにとっても敵でしかなく、そんな相手に仲間を預けるなんて正気の沙汰じゃない。
私だってそうするもの。
部屋に着くなり、ビントロング君はノンナちゃんをベッドにそっと寝かせた。
「……お姉さん」
「なあに?」
「……妹を、ノンナを助けてくれてありがとう」
「どういたしまして」
妹、という言葉に少し違和感を覚えた。
この2人は顔が全く似ていない。血の繋がっていない兄妹、という事なのかしら。貴族連中はどうかは分からないけれど、こういう兄妹は貧困層に多い。
窓の外を見てみると、すっかり戦闘は終わっているようだった。銃声も聴こえず、代わりにパトカーのサイレンの音だけが接近してくる。
その時だった。背中に銃を突きつけられる感触を覚えたのは。
「ここで何をしている」
「ミカ姉!」
ゆっくりと振り向くと、そこには小柄な獣人が立っていた。
頭髪は真っ黒で、前髪の一部と眉毛、睫毛が真っ白だ。瞳は銀色で今は鋭くなっているけれど、本当はくりくりとした優しく愛らしい目つきである事が分かる。
ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフ。
私から全てを奪った相手―――。
コイツを殺すために、私は送り込まれた。
「やめて、やめてよミカ姉! 銃を下ろして!」
「何言ってんだルカ、こいつは―――!」
「このお姉さん、ノンナを助けてくれたんだ! 本当だよ!」
「なんだって?」
ルカ、と呼ばれたビントロング君の言葉を耳にするなり、ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフは視線をベッドの方に向けた。お腹に刺さっていた破片を取り除かれ、落ち着いた息遣いで眠っているノンナちゃんを目にしたミカエルは、驚いたような顔で私の方を見上げ、そっと銃を下ろす。
「……すまない、ありがとう」
「……礼はいらないわ」
「だろうな」
「ええ」
ミカエルへの敵意を向けながら、私はコイツを睨みつけた。
サイレンの音と、夜空に登る白銀の満月。
騒がしい夜は、遥か彼方へと去りつつあった。




