パヴェルの尋問
……この男は何をしているのだろう?
倉庫の中、手足を縛り付けられ身動きがとれない私を"尋問"しに来たというこの熊みたいな男は、しかし未だに持参した工具や棍棒を使った尋問とやらを始める様子はなかった。
私の前に2mくらいの距離を空け、パイプ椅子に座る熊みたいな男。目線すら合わせず、ただ手にした奇妙な機械(手のひらサイズの機械の板のようだが……?)に指を這わせては、葉巻から煙を吹かしている。
しかし「尋問しないの?」とこちらから声を掛けるわけにもいかず、いつ尋問が始まるのかも分からぬ重苦しい空気の中、私に出来る唯一の抵抗はこの男を睨み付ける事しかできなかった。
「ん、時間か」
私に言い聞かせるというよりは、独り言じみた声。腕時計の時刻を確認した彼は立ち上がるや、のそのそと倉庫を後にした。
しんと静まり返った倉庫の中。開いた木箱の中に積み上げられたジャガイモの土の臭いが充満する空間の中、私は安堵しながら、同時に暗殺に失敗した事をただただ恥じた。
全ての転生者を抹殺する―――そのためだけに、私は生きてきた。
かつての奴らが私から全てを奪っていったように、私も奴らから全てを奪ってやるのだ。そうするために力を得たし、訓練もしてきた。あらゆる全てを投げ打って、復讐のために生きてきた。
それがなんてザマだろう?
あんな、たかが貴族とメイドの間に生まれた害獸一匹すら殺せないなんて。
こんな無様な姿、"あのお方"には見せられない。
我らの復讐心を肯定し、そのための機会を下さった偉大な転生者―――"総統"には、絶対に。
しばらくして、またあの熊みたいな男が倉庫へと戻ってきた。ジャガイモの臭いにやたらと美味しそうなバターの香りが混ざり、胃袋と食欲を狙い撃ちにしてくる。
「いやー、寒い日にはこれよなァ」
そう言いながら熊みたいな男はパイプ椅子にどっかりと腰を下ろし、近くにあった適当な木箱をテーブル代わりに食事を始める。
ぐるるー、と私の腹も情けない音を立てた。
そういや朝から何も食べてない……お腹空いた……任務が終わったらイワシの缶詰をお腹いっぱい食べようと思ってたけど、結局任務に失敗してこの有り様だからね……。
私が居る事を知らないかのように、男は夕食をパクつきはじめる。
献立は豪華で、サワークリームを添えたボルシチにオリヴィエ・サラダ、パンとチキンキリウ。どれもイライナ地方ではポピュラーな料理ばかりだけど、なんだろう、空腹であることもあってやたらと美味しそうに見える。
「……たべる?」
「……」
「……そう」
ちぎったパンをもぐもぐしながら、熊みたいな男は問いかけてきた。
空腹の状態でそれは卑怯だろう……危うく首を縦に振りそうになったが、なんとか理性が踏み留まってくれた。ここで食欲に負け「うん食べるー♪」なんて口を滑らせてしまったら終わりだ。”同志”たちの情報を流すわけにはいかない。
熾烈な拷問に屈したというのであればまあ、まだ分かる。仲間たちもきっとわかってくれる(それでも許されない事ではあるけれど)。でもそれが空腹に負け、こんな、人の目の前で美味しそうにボルシチを頬張ってパンにかぶりつき、ウォッカを豪快に飲み干すような奴の誘惑に屈したとなったら末代まで続く恥になる。
ああダメ、よだれが……。
「……たべる?」
「……たべない」
「そう」
すすー、とチキンキリウにナイフを走らせる熊みたいな男。サクサクの衣で覆われた鶏肉のカツレツがあっさりとナイフに道を譲ったかと思うと、断面からはとろりと黄金のバターソースが溢れ出て……!
匂いだけで分かる、あれはただのバターソースなんかじゃない。きっとガーリックを利かせたやつだ。まろやかな味わいの中にガーリックの刺激があって、単なるバターソースでは終わらない深みがあるに違いない。
皿の上に生じた黄金の泉に小さく切ったチキンキリウをつけ、フォークで口へと運んでいくと、彼の口の中からはサクサクと美味しそうな音が聴こえてきた。それはそうだろう、あんなサクサクの衣に覆われたジューシーな鶏肉の旨みとバターソースの深い味わいが組み合わさっているのだ。美味しくないわけがない。
「……たべる?」
「……たべ……ない!」
「……そう」
すると男は、千切ったパンを皿の上のバターソースに浸けて食べ始めた。
確かに美味しそう……だけどウチでは行儀が悪いからってよく母さんに怒られていた食べ方だ。でも母さんは知らないのだろう、バターとパンの親和性を。あの神が生み出した黄金の調律を。
ついにはオリヴィエ・サラダに追いマヨネーズ、これでもかというほどカロリーを見せつけてきた男は、サラダを口に運びボルシチを平らげてから、チキンキリウの切れ端をフォークで突き刺しながら問いかけてきた。
「……たべる?」
「……たべた……くない!」
「……そう」
ぺろり、と口の周りについていたバターソースを舐め取って、男はちょっと残念そうな表情でこっちを見てきた。まるで子供が頑張って作ったお菓子をママに食べてもらえなかった時のような、ちょっと無垢な失望を覗かせるが油断してはいけない、私には分かる。この男の得体の知れない気味の悪さが。
暗殺を邪魔してきたメイドも異常だが、そこが知れない、気味の悪さの度合いで言ったらコイツが遥かに上だ。
どうして、と問われると理屈で説明するのは難しい。何となく、というか、本能で悟ったとか、そんな感じだ。コイツはヤバい、と私の本能がさっきからずっとアラートを鳴らし続けている。
こんな男の”尋問”はいったいどんなものなのか。そもそもR-15の範疇で収まるレベルなのか、はっきり描写していいレベルなのか。その辺はっきりさせてほしいものである。
食事を終え、男は木箱の上に食器を纏めると、ごそごそと足元のゴルフバッグみたいな鞄の中を手で漁り始めた。
そう、いよいよ始まるのだ―――”尋問”とやらが。
この男の事だから、基本的人権だとか、尊重しなきゃいけない要素とかその他諸々を踏み躙ってくるのは当たり前のこと。一体どんなえげつない尋問が始まるのか、考えただけで背筋が冷たくなる。
総統、私は情報を吐くならば舌を噛み切って死ぬ所存です……私が死んだら、故郷の妹の事をどうかよろしくお願いします……!
ああ、遺書でも書き残してくればよかったな、と後悔を浮かべている私の目の前で、男が取り出したのは色んな意味でとんでもない代物だった。
ババーン、という謎の効果音と共に出てきたのは―――そう、黒板である。
「……ふぇ?」
こ、黒板?
学校とかによくあるアレだ。昔、村の小さな学校で先生の手伝いをしていたから見た事がある。教室の中にあるようなでっかいやつで、明らかにあのゴルフバッグみたいな鞄に入るサイズではない。
あの、カジュアルに物理法則捻じ曲げてくるのやめてくれない?
ちょっと待って、これギャグパートなの? シリアスパートじゃないの?
「安心しろ、俺がギャグパートにしてやった」
なぜ私の心を読むのか。
「さて、これが最後通告だ……貴様は何者だ? なぜミカを狙う?」
「……」
「お前、まさかミカの身体が目当てで……!?」
「違うわ!!!!!」
「ミカを拉致してあーんな事やこーんな事を……!? お前、乱暴するつもりだったんだろ! エロ同人みたいに! エロ同人みたいに!!」
「するか! ―――いやするわ、するわソレは」
「エロ同人みたいに? うわ引くわきっしょ」
「は???」
何だコイツ。
熊みたいな男(よく見ると上着の正面から覗くシャツにグリズリーの顔と『KUMA』っていう文字がある)はさっきまであんなヤバそうな雰囲気を放っていたのにこのギャップである。
完全に相手のペースに飲まれている……落ち着け、落ち着け私。相手に付き合ってはいけない。
「さて、真面目に答えろ」
「アンタがふざけたんでしょ」
「うるせえここじゃ俺がルールだ」
「理不尽」
「理不尽だもん」
何だコイツ。
「お前らの目的は転生者の抹殺……最近世間を騒がせている連続殺人事件もお前らの仕業だな?」
「……」
答えるわけにはいかない。
情報は一切漏らさない―――それが私の、今の私にできる唯一にして最大の抵抗だった。
だんまりを決め込む私に痺れを切らしたのか、男はそっと手袋を外した。
真っ黒な手袋の下から現れたのはがっちりした巨大な―――機械の手。
義手なのか、と思っていると、ジャキンッ、と鋭い金属音を響かせながら、指先に折り畳まれていた金属製のクローが展開した。
あっ……待って、それ……まさか……!
「黙ってばかりの悪い子にはお仕置きが必要だなァ」
「ま、待って……ねえ待ってそれだけは―――」
男は悪魔のようににんまり笑うと、クローで躊躇なく黒板をひっかき始めた。
「あ゛ぁ゛ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ―――!!!」
「ミカぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
「ああ、お帰りモニ―――にゃぷ!?」
ふよんっ、と柔らかい何かが顔に押し付けられる。ああこれモニカのOPPAIか、と思っている間に、飛びかかってきたモニカにそのまま押し倒されてしまう。
待ってお前何してんの? とりあえず降りて降りて、クラリスがこっち見てる。目からハイライト消えてる! ヤンデレっぽくなってるよクラリスさん!
マジでやめてよヤンデレは。学生の頃、恋愛アニメが見たいって友達に言ってヤンデレが出てくるサイコホラーアニメをオススメされたトラウマは未だに癒えてないのよミカエル君は。
「聞いたわよミカ、襲われたんですって!? け、怪我とかしてない!? 大丈夫!?」
「お、おう、大丈夫」
「はぁ~……良かったぁ」
安心しながら俺をぎゅっと抱きしめてくれるモニカ。そんなに心配してくれてたのか、と彼女の本心に触れたようで嬉しくなるが、それに反比例するようにクラリスの目が……目が……。
ひょいっ、と上着の襟を掴まれ、まるで親猫にうなじを咥えて運ばれていく子猫のようにモニカが持ち上げられてしまう。
「うにゃ?」
「モニカさん、ご主人様をいつまで押し倒しているつもりですの?」
「ありゃ、ごめーん……あは♪」
「全く、困りますわ。ご主人様は庶子とはいえ公爵の爵位を与えられた名門リガロフ家の末席に連なるお方です、もっと大事に扱ってくださいまし」
庶子だけどね……リガロフの名を名乗るのが許されてるだけでだいぶ温情だとは思うけど。
なーんて心の中で捕捉していると、ドドドドド、と廊下の方からすっごい足音が聞こえてきて、今度はリーファがドアを蹴破らん勢いで部屋に飛び込んできた。
「ダンチョさぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!!!」
「に゛ゃ!?」
ぼいーん、とFカップのOPPAIがミカエル君の顔に押し付けられるや、やっぱり飛びかかってきたリーファの勢いに押され、またしても押し倒されるミカエル君。しかもモニカより明らかにデカい胸を押し付けられながらなので幸せ……ゲフンゲフン、いやでもリーファもでっかいよね、好。
「怪我ないか!? 無事ネ!?」
「う、うん」
「はぁー、よかったヨ。生きた心地しないネ」
するりと伸びてきたクラリスの手が、チャイナドレスっぽい私服を纏うリーファの襟のところを掴むや、またしても子猫のうなじを咥えて運ぶ親猫の如く持ち上げてしまう。
「アイヤ?」
「リーファさん、ご主人様を誘惑するのは良くありませんわ」
「ンー? でもダンチョさん喜んでたヨ?」
「本当ですかご主人様???」
「……」
とりあえず目を逸らそう。これ、多分沈黙が答えだと思う。変に選択肢を選んだらどっちかに殺される未来しか見えない。
圧をかけてくるリーファとクラリスの間に挟まれ冷や汗を垂らしながら(というかコレご主人様への仕打ちか?)待つこと2分、今度はやけに重量級の足音が聞こえてきて、二度ある事は三度ある、といういやーな言葉を思い出してしまう。
ドアをマジで蹴破りながら入ってきたのは、朱色の袴姿の範三だった。
「ミカエル殿ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!」
「うお筋肉」
硬い、デカい、暑苦しい。先ほどまでのOPPAIの包み込むような柔らかさはどこへやら、今度は鍛錬に鍛錬を重ねガッチガチになった胸板に押し倒されてしまう。
むさ苦しく腐女子にしか需要のなさそうなシチュエーションに困惑する中、クラリスの方を見て見ると何故か目を輝かせながらスマホで写真を撮りまくっていた。オイお前腐女子か。腐ってたんかワレェ?
「心配したぞミカエル殿! うむ、傷はなさそうで何よりだ!」
「お、おう……ありがとう」
「いやー、本当に良かった。武士として大将を守り切れぬとあっては末代まで続く恥、切腹ものだからな! がっはっはっはっは!!」
あははは……やめてよ腹斬らんでくれよ頼むから。
「うむ、それはそうと夕食の時間だそうだ。腹が減っては戦はできぬぞ」
「あ、そうか……」
もうそんな時間か。すっかり忘れてた。
とはいえ、襲撃事件もあった事だし全員仲良く晩ご飯……とはいかないだろう。ローテーションで警備にあたる必要がある。
特に相手の狙いが転生者であると分かった以上、標的となるのは俺とパヴェルの両方だ。しかし、連中はいったいどうやって転生者を判別しているのだろうか……まあ、それもパヴェルが尋問で聞き出してくれるだろう、たぶん。
「悪いけど、みんなは先に飯食べててくれ」
「あれ、ミカは?」
「連中の仲間が襲ってこないか、警備してるよ。食べ終わったら教えてくれ」
クラリスも来てくれるか、というまでもなく、彼女はグロック17をホルスターに収めて一緒について来てくれた。
それにしても、参ったものだ。
ガリヴポリに続き、リュハンシクでも面倒事とは。
ガリヴポリの時はこっちから仕掛けた戦争だったが、今回は不可抗力なんだよな……。




