狙われたミカエル
走馬灯を見る機会は、残念ながら与えられなかった。
それはつまり、死神はまだ俺に興味が無いという事。それはそれでありがたいし、走馬灯なんて見る機会がない事に越したことはないのだが。
全てが静止した世界の中、一歩後ろに下がりながら俺は相手の顔をよく観察していた。
目の前にいる相手が憎い―――憎くて憎くてたまらない、そんな怨嗟が前面に出た表情。復讐のためにすべてを捨ててきた者こそが、ここまで至るのだろうか。
黒猫獣人のお姉さんはそういう顔をしていた。
しかしそのお姉さんにもまた、最大の障壁が迫っているのも事実だった。
「……」
ナイフを手に、俺の胸元を狙った刺突をかまそうとするお姉さん。そんな彼女の目の前に、クラリスが握りしめた左の拳がどどんと”置いて”ある。
それは今こそ時間停止の中でぴたりと静止して大人しくしているが、あと0.4秒くらいすれば本来の運動エネルギーを取り戻し、お姉さんの顔面を粉砕するだろう。さすがに手加減はしていると思うが……。
いずれにせよ、彼女の刃は俺には届かない。
死ぬべき時は今ではない―――それが分かったところで、時間停止の効果が解けた。
ぐしゃあっ、とお姉さんの顔面にめり込むクラリスの左ストレート。頬ではなく顔面を真正面から捉えたその一撃は彼女の鼻の骨を粉砕するや、首の骨までへし折りかねない勢いで振り抜かれ、お姉さんを見事に吹っ飛ばしてみせた。
顔面いきおったよこの女……と少し引いている間にも、馬の蹴りの如きパワーで殴り飛ばされたお姉さんは悲惨な末路を辿っていた。
殴り飛ばされ、石畳でバウンドしたお姉さんはなおも勢いを失わず後方へ転がるや、少し盛り上がっていた瓦礫をジャンプ台替わりにしてほんの少しだけ飛び、街角に設置されていたゴミ箱の中へと突っ込む羽目になった。
うわぁ……と黒猫のお姉さんに同情している俺を、こっちを振り向いたクラリスの手が白い長手袋越しにがっちりと掴む。
「お怪我はありませんかご主人様!?」
「あ、ああ、だいじょうぶ」
そう言っている間に始まるクラリスのボディチェック。人の顔を散々ぺたぺたと触り、傷がないことを確認するやクラリスは安堵したように息を吐き、ぽん、と頭の上に大きな手を置いた。
ここまでは俺のよく知っているクラリス。
そしてここから先は、鬼の形相となったクラリスだ。
よくもご主人様を、と呟くや、ゴミ箱の方へと吹っ飛んでいったお姉さんを睨み、猛烈な殺気を振り撒きながら歩いていった。
トドメでも差すのではないか、と肝を冷やしたミカエル君だけど、彼女はゴミ箱の中で気を失っているお姉さんを見下ろすや、すっかり力の抜けた腕を掴んでゴミ箱から引っ張り出し、踵を返して列車の方へと歩き始める。
おそらく、列車に連れ帰って”尋問”するつもりなのだろう。
彼女の最初の狙いは俺だった。何の躊躇もなく、俺を殺しにきた。
ただ、プロの殺し屋とは思えない―――それは確かだ。
金銭を対価に標的を抹殺する殺し屋は、あんな殺気は振り撒かないし、あれほどまでに相手を憎むような事もないだろう。どこまでも淡々と標的を始末し金銭を受け取る、冷淡でビジネスライクな存在である。
しかし、このお姉さんはどうか。
あんなにも俺を憎むような目を向け、殺意を剥き出しにするような殺し屋がいるだろうか?
それと、もう一つ。
『―――死ね、転生者』
「……」
この人―――俺を”転生者”と呼んだ。
頭の中に、ドスの利いた彼女の声がリフレインする。
少なくとも転生者の存在を知っている……いったいなぜ?
気を失ったお姉さんのボディチェックを行い、改めて背中に背負って列車の方へと連れて行くクラリスの後を追いながら、俺は考える。
恨みを買うような事は今までたくさんした。合法・非合法問わず、だ。
だから命を狙われてもおかしくはない。というか、現時点で例の組織―――テンプル騎士団と、それからノヴォシア共産党にも命を狙われているので、今更命を狙ってくる新たな敵が出現したところで何なのだという感じではあるのだが。
「ミカエルさんを狙うなんて……」
「……まあ、なんだか慣れたよシスター」
肩をすくめながらそう言い、再び改札口を通過した。
コイツの正体が何にせよ、その”背景”だけは洗っておかなければならない。
「おうおう、ついに街中で命を狙われるようになったか」
がっはっは、と笑いながら空になったウォッカの酒瓶を空瓶回収ケースの中に収め、パヴェルは葉巻に火をつける。笑い事じゃあねえんだよな、と思っている間にも彼はゴソゴソと手元にある工具をバッグに詰め込むや、一体何に使うのか、スパイク付きの棍棒を肩に担いで歩き始めた。
例の襲撃者―――黒猫のお姉さんを監禁しているのは、食堂車の下にある倉庫だ。以前に俺たちを襲撃してきた暗殺ギルドの連中を監禁した場所として使ったのは記憶に新しい。
ドアを開けると、ジャガイモの土の匂いが充満する倉庫の奥に、パイプ椅子に座らされ手足を結束バンドで拘束された黒猫のお姉さんが、憎たらしそうな目でこっちを睨んでいるのが見えた。クラリスにぶん殴られへし折られた鼻はエリクサーの投与で何とか元の形に戻っているけれど、それでも鼻の周辺に付着した血痕は消えていない。
「まあ喜べミカ、それだけお前も有名になったって事さ」
「悪い方向にか」
「有名になるのに良いも悪いもねえよ、そこからどっちに伸びるかだ」
そういうもんかねぇ。
ふーん、と納得しながら腕を組み、お姉さんの前に歩く。
「……なぜ俺を狙った?」
「……」
答える様子はない。
何も答えず、ただただ怨嗟の乗った視線を向けてくる黒猫のお姉さん。思い当たる節はいくらでもあるので、どれだったか教えてくれるだけで良いんだけどなぁ、と思っている俺の後ろでは、パヴェルがさっき用意していた工具をゴルフバッグみたいなでっかいバッグから取り出しているところだった。
プラスドライバーにマイナスドライバー、大小さまざまなサイズのモンキーレンチにラチェット、ペンチ、ニッパーに釘、ハンマー、糸鋸。普段は仕事に使う工具としか思っていないが、しかしこういう薄暗い密室の中、拘束している相手の前で取り出されるともう拷問の道具にしか見えない。
いったいどこに詰まっていたのか、最後にバッグの中から例の棘付きの棍棒を引っ張り出したパヴェルは、こっちに歩み寄ってくるやお姉さんの顎を掴み、強引に自分の方を向かせながら言った。
「―――女、情報を吐いてからボコボコにされるのと、この棍棒でエロ同人されてからボコボコにされるの、どっちがいいか選べ」
エロ同人されるとは。
いや、お前お前、それでオブラートに包んだつもりか。どことなく香ってくるR-18臭にお前マジかと驚愕しながらそう思う。
「パヴェル、相手は女だからな」
「分かってるよミカ、俺は男女平等主義者だ」
そう言い、パヴェルは自分の分のパイプ椅子を広げてその上に腰を下ろした。
「―――男にやった事は女にもやる」
「ヒエッ」
「そりゃあお前当たり前だろ、男女平等ってのは女を特別扱いする事じゃねえ。男にやってる事を平等に女にもやる事だ。だから必要とあらば女の顔面にも躊躇なく右ストレートかますからね俺は」
怖すぎて草。
葉巻を指に挟んで煙を吐き出すパヴェル。彼の今の発言と人相の悪さも手伝って、ここに来てやっとお姉さんの表情に怯えの色が見え始めた。
「……早いうちに吐いた方が身のためだよ、マジで」
「……」
「いや、あの喋らないとマジでエロ同人されるよ」
「……」
「R-15の範疇で何とかしてほしいんだ、マジで」
「……」
「ミカ、コイツは俺に任せろ」
「お、おう」
そう言いながら煙を吹かすパヴェルは、さっき取り出した工具の中からマイナスドライバーを手に取った。
「……一応聞くけど、エロとグロどっちで行くの?」
「両方かな」
「両方」
「大丈夫、修正用のモザイクは持参した」
「え? うわぁ……」
よーく見ると倉庫の片隅にモザイクが置いてある。あんなに大量に使うのか?
引きながらも「じゃあ、後は頼む」と尋問をパヴェルに任せ、倉庫を後にする。一応倉庫の壁は防音仕様なので、内部の音や声が外部に漏れる事はない。何でこんな仕様になったのかは定かじゃないが、客車の改装を行ったのもパヴェルなので、おそらくは最初から倉庫兼尋問部屋として使う事を想定していたのだろう。そんな禍々しい設備が、いつもみんなでワイワイしながらご飯を食べている食堂車の真下にあるというのもなかなかアレな話ではあるけれど。
頼むから穏便に済ませてほしいものである。工具で殴ったり、爪を剥がしたりとかそういうのは勘弁だ。ミカエル君は平和主義者なのである。ラブアンドピース。
なんて感じですっかり中の音が聴こえなくなった倉庫を後にし、2階へと上がる。客車は全て2階建てで、小学校の頃に何度か乗った2階建ての新幹線を思わせるような作りになっている。乗り降りに使う扉のすぐ近くに1階と2階に繋がる階段がででんと設置されているのだ。
食堂車を通過し自室へと向かう。とりあえず、外出早々に俺が狙われたという事は仲間たちにも共有され、日用品の買い出しはモニカとリーファ、それからシスター・イルゼと範三のペアに任せる事になった。
もちろん襲撃を受けた事もあって、仲間たちは全員武装している。さすがにライフルを背負ったまま買い物というのもアレなので、大きくても小型SMGやPDW、またはピストルカービン程度の軽装ではあるが。
列車には俺、クラリス、ノンナ、ルカ、それからパヴェルが残った。
いつもは列車に仲間を残して買い物なり散策なり、仕事なりしているので、こうして列車で留守番をするというのも新鮮な感じがする。だがまあ、それも仕方のない事だ。命を狙われているのだから、外出はパヴェルもクラリスも許してはくれないだろう。
自室に戻ると、クラリスが待っていた。小さなテーブルの上にはクッキーとジャムが乗った皿が置かれていて、ティーカップには熱々の紅茶が注がれている。
「おかえりなさいませ、ご主人様」
「ただいま」
「パヴェルさんは何と?」
「尋問するって……エロ同人みたいに」
「エロ同人みたいに」
大量のモザイク置いてあったからなぁ……いったいどんな尋問になる事やら。
席についてクッキーに手を伸ばす。おやつ用にノンナが焼いてくれたものなのだろう。最近はノンナも本格的な料理を作るようになったけれど、彼女の得意分野はこういうお菓子作りらしい。
お店開けるよ、とルカは太鼓判を押していたが、ノンナとしては将来的には兄と同じく冒険者になりたい、との事だった。まあ夢を持つのは良い。夢に現実が追い付いた時の達成感は何事にも代えがたいものだ。
「ところでご主人様」
「ん」
紅茶に手を伸ばしていると、クラリスはいつもとは違う少し冷静な声で言った。
「ご主人様とパヴェルさんは、”転生者”なのですね」
「―――」
手が止まった。
それが俺の返事―――いや、真実を証明する仕草だと受け取ったのだろう。クラリスは笑みを浮かべながら、話を続ける。
「いえ、隠していた事に怒っているわけではございません。異世界から転生してきた人間と言われても、常人ならば信じないでしょう」
「……そう、だよな」
「ええ、ですから敢えて話す必要もない、という判断は賢明ですわ。それにクラリスが所属していたテンプル騎士団も、元々は転生者が創り上げた組織。異世界転生を果たした者たちの存在は、以前より存じ上げております」
「そうなのか」
「はい。こう見えて”対転生者戦闘”も学んでいますし、実戦経験もありますので」
テンプル騎士団の創設者―――クラリスの話では確か、”タクヤ・ハヤカワ”という男だったか。
クラリスたちホムンクルス兵の遺伝子的ベースとなったオリジナルにして、テンプル騎士団最強の男。そして俺と同じく、女性的な容姿で性別が曖昧な”男の娘”だったと聞いている。
今まで自分が転生者であると明かして来なかったは失敗だったか、とは思ったが、クラリスの言う通りの理由で今までその点には触れて来なかった―――異世界からこっちの世界に転生し生まれ変わった存在、なんて言って誰が信じてくれるというのか。
とはいえ、そろそろ仲間たちにその事を明かしてもいいだろう。俺も、そしてパヴェルもだ。
「それと今回のあの女ですが……こちらを」
話を切り上げ、クラリスは新聞を手に取った。
書いてあるのはノヴォシア語ではない。ドルツ語だ。
一応、海外に行く事も考慮して独学で勉強していた他言語の1つである。さすがに訛りは酷く発音も滅茶苦茶、ネイティブの人が聞いても聞き取れないレベルの酷いもの、というレベルだ。読み書きも単語が断片的に書けて理解できる程度で、ドルツ語の文章を書け、なんて言われたら文法も何もかもが滅茶苦茶な何かが生まれるに違いない。
そんな有様ではあるが、とりあえず今ある知識を総動員して解読を試みる。
『連続殺人』、『被害者は若者』、『17件目』という単語は理解できた。連続殺人事件を扱った記事なのだろう。
ノヴォシア側でも、これに共通する事件がある。
最近、ノヴォシア帝国内でも似たような事件が多発しているのだ。連続殺人事件、その犠牲者は大半が若者で、それも”まるで未来を見てきたような先見性”で凄まじい結果を叩き出し、脚光を浴びた者たちが片っ端から殺されているのだ。
もしかしてとは思っていたが……。
「被害者は転生者か」
「おそらくは」
転生者でなければ考えられない事である。
前世の知識や技術を生かし、こっちの世界でいわゆる知識チートでもやっていたのだろう。
しかし―――転生者ばかりを狙うこの一連の事件はいったい何が目的だ?
転生者の根絶か、それとも他の何かのメッセージか。
いずれにせよ、パヴェルの尋問の結果を待つしかなさそうだ。
……それと、彼が健全な尋問をやってくれる事も、おまけ程度に祈るとしよう。




