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ノヴォシア帝国


 ―――ノヴォシア帝国。


 中央大陸の北半分をその版図に収める、広大な国土を持つ大国だ。獣人たちが生まれる前、それこそ人間の支配する時代からこの世界に巨大な軍事国家として君臨しており、周辺諸国と鎬を削り合っていたとされている。


 リガロフ家の屋敷があるのは、そのノヴォシア帝国にかつて併合されたとされている旧”イライナ公国”、そのかつての首都があったとされる”キリウ”と呼ばれる街だ。リガロフ家の祖先はこの地に生まれ、祖国を滅亡の危機から救ったライオンの獣人であったとされている。


 まあ、俺にはあまり関係ないか。


 自室の窓を開けると、冷たい外気が容赦なく流れ込んできた。ノヴォシア帝国が大陸の北半分を版図としている関係上、この辺りはクッソ寒い。8月下旬には厚着が必須になり、9月下旬には雪が降り始めるほどだ。その関係上夏が短く、寒いのが苦手な人には厳しい環境となっている。


 ウシャンカを被り、部屋の窓から外に出た。窓の縁をしっかりと掴み、足をかけて屋敷の屋根の上へ。屋根の上にはうっすらと雪が降り積もっていて、油断するとそのまま滑り落ちてしまいそうなほど危なっかしい状態になっていたが、こんな環境は慣れっこだ。


 屋根に飛び移り、降り積もった雪に自分の足跡を刻みながら雨樋を掴んで滑り降りる。


 この世界にやってきてから9年、この身体にも慣れてきた。


 ハクビシンの獣人―――前世の世界、東京でもハクビシンは出没していた。電線の上を渡っていたり、屋根の上を走り回っていたり、平然と塀を飛び越えたり。都会だろうと地方だろうと、アイツらはどこにでもいた。


 その身体能力はハクビシンの獣人として生まれ変わったミカエル君にもしっかりと備わっているようで、パルクールはもうお手の物だった。今しがた雨樋を伝って地面の上まで降りたけれど、戻る時はこの逆だ。ここを上って部屋に戻ればいい。


 何度もこのルートを使って屋敷を抜け出してきたものだから、ほら、雨樋の付け根の所に掴んだり踏み締めたりした跡がある。


 屋敷を抜け出し、雪かきに勤しむ使用人たちに気付かれぬよう庭を抜け、塀を飛び終えてキリウの街へ。


 11月にもなれば、この国の気温は氷点下が当たり前だ。ちょっと風が吹くだけで肌が凍り付きそうなほど冷える。


 街中でも路地裏とか建物の屋根の上のような、とにかく人目につかない場所を選んで進んだ。屋敷の使用人やメイドが買い物に来ているだろうし、そうじゃなくても街を警邏けいら中の憲兵に見つかって屋敷に連れ戻されたり、報告されるのも面倒な事になりそうだからだ。


 居ない者として扱っているくせに、こういうところには敏感な実家には呆れるものだ。没落したとはいえ、リガロフ家の名に泥を塗るような真似をされるのは面白くない、という事なのだろう。


 ちょっとした復讐の方法を思いついてニヤリとしていると、キリウの街中にある建物が目についた。


「冒険者、か」


 キリウの街中にある、冒険者管理局の建物だった。伝統的な建築様式のレンガの建物。かつてはキリウを守る砦だった建物を改装したもののようで、イライナ公国が併合される前の名残が確かにそこにある。


 冒険者はこの世界で最もポピュラーな職業らしい。


 世界各地にあるダンジョンを調査したり、時折街や村を襲撃してくる魔物を追い払ったり、貴族の依頼でドラゴンの卵を盗んできたり……まあ、高度な便利屋みたいな存在という認識で良いと思う。


 とにかく依頼を受け、それを成功させて報酬を得る。そういう職業だ。


 元々は戦闘を専門とする傭兵と、ダンジョン調査を専門とする冒険者に分かれていたのだが、管理の簡略化の関係もあって統合されたと聞いている。


 収益も得られるし、自由に生きられる職業として、俺は冒険者に注目していた。


 管理局に行って簡単な審査を受け、登録申請をすれば冒険者としての活動が認められるという仕組みだそうなんだが、残念な事に登録できるのは17歳から。それ未満でも15歳からであれば、実務経験2年以上の冒険者が同伴するという条件付きで”冒険者見習い”として仮登録ができるらしい。


 が、残念な事にミカエル君はまだ9歳。年齢は足りないし、実務経験2年以上の冒険者も知り合いには居ない。とりあえず、あと8年待つしかなさそうだ。


 建物の屋根を飛び越え、路地裏へと降りる。この辺りから周囲の建物の雰囲気が一気に変わったのが分かった。綺麗で豪華だった建物が段々と質素になっていき、それが薄汚れてボロボロなものに変わっていく。


 人々の活気も、目に見えて減っていくのが分かった。


 キリウに限った話じゃないが、ノヴォシア帝国はなかなか貧富の格差が酷い。失業者や故郷を追われた人々が街の隅に身を寄せ合い、こうしたスラムを形成していくのはよく目にする。


 ここまで来れば憲兵や実家の使用人たちの目を気にすることは無いだろう。路地裏に降りると、空になった酒瓶を片手に座り込んでいたヒグマの獣人のおっさんが無気力そうな目でこっちを見つめてきたので、ポケットに入っていたコインを1枚、そっと目の前に置いた。


 ほんのちょっとだが、スープ代か酒代にはなる筈だ。


 口止め料、というわけじゃあない。リガロフ家の5人目の子供という存在は、一応はキリウ中に知られている。が、その実態が現当主とメイド(多分ね)の間に生まれた庶子という事まで知っている獣人は居ないだろう。


 単なる施しだ。偽善と言ってくれても構わない。偽善だ偽善だと非難するだけ非難し、何もしない無意味な善意に何の意味があるというのか。


 かすれた声で礼を言う獣人のおっさんに微笑みかけ、そのままスラム街の奥へと歩いた。


 階段を降り、すっかり錆び付いた鉄格子をこじ開け、今では誰も使わなくなった地下通路へ。元々は下水道のメンテナンス用の通路だったようで、よく見るとキャットウォークや転落防止柵があるのが見て取れる。


 まあ、3年前に老朽化のせいなのか下水道が崩落してからは、誰もここに近寄らなくなったが。


「……さて」


 やりますか、今日も。


 ランプに火を灯し、天井にある金網を外して換気してから、左手を目の前に突き出した。すると俺の意志に反応してか、例の蒼いメニュー画面が何の前触れもなく出現し、シンプルな画面を見せつけてくる。


 その中から装備を選択し、AKMを召喚した。


 AKM―――ソ連の傑作ライフル、AK-47の近代化モデルだ。ストックの角度が変わったのと、マズルが右上に切り欠かれているのが外見上の大きな特徴といっても良い。AKの開発者が現場の兵士の意見を参考に改良したモデルだ。


 サプレッサー付きのそれを手に、まだぎこちない動きで機関部レシーバー右側面にあるセレクターレバーを弾く。最上段、安全装置セーフティーのかかった状態になっていたそれを下段まで移動させ、単発セミオートに。


 ストックをしっかりと肩に当て、照準器を覗き込んだ。


 当たり前だが、9歳の子供にAKMはいくら何でもデカい。特に同年齢の子よりも身長の低いミカエル君にとっては猶更だった。


 ストックが調節できるM4系のライフルにすればよかったかな、とソ連だったら粛清案件な事を思い浮かべつつ、地下通路の奥にある木製の的へと狙いを定めて引き金を引いた。


 パシパシッ、と空気の抜けるような音が木霊し、強烈なリコイルが肩を蹴る。7.62×39mm弾―――小口径弾薬と比較すると近距離向けの性能とされているそれは、これ以上ないほど見事に的を外れ、その後方にあるコンクリート製の壁の表面に弾痕を穿つ。


 銃が自分の体格に合っていないという要因もあるが、それ以上に訓練不足というのが良く分かる結果だった。


 当たり前だが、銃を安全に、かつ効果的に扱うには訓練が必須だ。銃の操作方法や弾道の把握、それらを反射的といえるレベルにまで身体に叩き込んで、初めてそれは真価を発揮する。


 魔王だか神様から貰ったチート能力で初っ端から無双できるのは、ネット小説の中だけなのだ。努力無くして栄光はない。


 今はまだ下積みだ。コツコツと努力していけば、きっと実る筈だ……そう信じながら、続けて引き金を引いた。












 キリウのスラム、その中にある秘密の訓練場から屋敷に戻ると、既に部屋の中には食事が用意されていた。レギーナがついさっき運び込んでくれたもののようで、薄暗い自室のテーブルの上には、温かそうに湯気を発するボルシチとピロシキが2つ、そしてデザートのいちじくのタルトがある。


 いつもありがとう、レギーナ。


 きっと、そろそろ俺が戻ってくる頃だと察して用意してくれていたのだろう。今度会ったら彼女にお礼を言わなければ。次に外出したら何か買ってこようか、とそんな事を考えつつ、手洗いとうがいを済ませてから食事にありつく。


 火傷しそうなくらい熱いボルシチをスプーンで口に運びながら、ふと前世の世界の事に―――向こうの世界に遺してしまった家族の事を思い浮かべた。


 きっと母さんは悲しんでるだろうな……。


 色々と不器用で、今思えば出来の悪い息子だった。中学校の頃の成績があまりにも悲惨で、5点の英語のテストを丸めて近所の川に投げ捨て、証拠隠滅を図ったのは今じゃあいい思い出。結局は三者面談の時に担任に暴露されて地獄を見たけれど。


 そんな俺とは対照的に、弟は成績優秀だった。まあ、出来の良い方の息子が残ったのが少ない救いといえるだろうか……。


 だってなあ、俺テストで60点取って褒められたのに、弟は60点で怒られてるんだぜ?


 そんな事を考えながら夕飯を食べ進め、好物のいちじくのタルトを平らげると、コンコン、と部屋のドアをノックする音が聞こえてきた。レギーナだろうか―――ここを訪れるのは彼女くらいのものだ。こっちの世界での9年の人生の間で、彼女以外にこの部屋を訪れた人物は居ない。


 どうぞ、と返事を返すと、聞き慣れた声と共にレギーナが入ってきた。


「食器を下げに参りました」


「いつもありがとう、レギーナ」


「いえ、私はミカエル様のメイドですから」


 そう言って微笑み、トレイの上にてきぱきと食器を乗せていくレギーナ。この家で俺の味方は彼女と、次女のエカテリーナ姉さんだけだ……まあ、エカテリーナ姉さんは誰にでも優しくするので、俺だけを特別扱いしてるわけではないと思うが。


「ねえおかあ……レギーナ」


 お母さん、とガチでミスって言い間違いかけ、ぴたりとレギーナの手が止まった。つい先ほどまでは親し気な笑みを浮かべていた彼女の顔が強張り、知ってはならぬことを突きつけられたかのような表情が一瞬だけ浮かぶ。


「れ、レギーナ?」


「……ふふっ。ミカエル様ったら、あなたのお母様はオリガ様ですわ」


 ……嘘だ。


 ライオンの獣人同士の夫婦の間に、どう間違えばハクビシンの獣人の子が生まれるというのか。


「それでは失礼いたします」


「う、うん」


 お母さん、か。


 誰も居なくなった部屋の中で、そっと溜息をついた。


 コンコン、と再び部屋のドアをノックする音。レギーナが忘れ物でも取りに来たのだろうかと思い、いつもと変わらないノリで返事を返す。


「あら、ミカ。帰ってたのね」


「……?」


 部屋を訪れたのは、意外な人物だった。


 レギーナではない。真っ白なフリルのついた、水色の可愛らしいドレスに身を包んだ金髪の少女―――リガロフ家の次女、エカテリーナだった。


 リガロフ家の子供は5人姉弟。上から順番に長女”アナスタシア”、長男”ジノヴィ”、次女”エカテリーナ”、次男”マカール”、そして三男のミカエル君、という順番だ。


 だから誰にでも優しくしてくれるエカテリーナ姉さんは三番目、ちょうど姉弟の中間である。だからなのだろうか、視野が広く人の心をよく理解して、相談相手にもなってくれる。


 彼女がこうして、庶子である俺にも接してくれるようになったのは去年の事だった。どうやら優しすぎる彼女を、親が意図的に俺に会わせないようにしていたらしい。


「またスラムで遊んできたでしょ」


「な、なんで分かるのさ」


「なんか変な臭いがするもん」


 それは火薬の臭いでは……?


 もうアレか、スラムの臭いイコール火薬って認識なのかもしれない。スラムに実際に行った事がないから、姉さんはそこがどういう場所なのかも知らないのだ。ただ汚く卑しい場所、という両親の言葉を漠然と信じているのかもしれない。


「遊んでばかりいないで、ちゃんと勉強しなきゃダメよ?」


「わかってるよ」


「お勉強はどこまで進んだの?」


「国語は古典、世界史は近世、数学は三角関数まで」


「魔術力学は?」


「エレイエフの第三法則までやったよ」


「あら、随分進んだわね。えらいえらい♪」


 そう言いながら頭を撫でてくるエカテリーナ姉さん。獣人特有の肉球のある手で優しく撫でられながら、恥ずかしくて彼女から目を逸らしてしまう。


「ふふっ、恥ずかしい?」


「……俺もいつまでも子供じゃないよ」


「そうかしら? ミカは私にとってはずっと可愛い弟よ?」


 弟、ねえ。


 こうやって家族として扱ってくれるのは、姉弟の中ではエカテリーナ姉さんだけだ。マカールのクソ野郎は合う度に罵って来るし、長女と長男に至っては口すら利いてくれない。というか実際に会う機会が全くない。


「あ、そうだ。今から時間ある?」


「う、うん」


「じゃあ私の部屋においで? お姉ちゃんが勉強教えてあげるから♪」


「え? いや、でも俺―――」


「いいからいいから。さあ、おいでー♪」


「ああっ」


 手を握り、ぐいぐいと引っ張り始めるエカテリーナ姉さん。他の使用人や親に見られたらどうするつもりだという不安もあったけれど、素直に嬉しいのでその誘いを受ける事にした。


 転生先はクソみたいな家庭環境だが……どうやら、希望が全くないというわけではないらしい。


 以上、ミカエル君でした。




 

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[良い点] こんばんは。 最近見つけてブクマ→今日試し読みしましたが···。ファンタジー世界+近代兵器を扱う主人公という組み合わせは他にもあったと思いますが、そこに『主人公はケモミミです』というエッ…
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