嵐の気配
「ふー……これで最後か?」
ジャガイモがどっさり入った木箱を倉庫の奥に置き、額の汗を拭い去りながらリストを確認。補充が必要な食品は確かにこれで最後だ。とりあえず、この貯蓄があれば冬を乗り切る事は出来るだろう。
ガリヴポリが共産党の支配下にあると知った時はどうなる事かとは思ったが、幸い血を流すことなくガリヴポリは解放されたし、住民の人々も元の生活に戻りつつあるようだ。
ここにある食品だって、定価で購入してきたものだとパヴェルから聞いた。俺は昨日ずっと寝込んでたので実際に見聞きしたわけじゃあないけれど、買い付けに行ったパヴェルやモニカたちが血盟旅団の関係者だと知るや、食料品店の店主は「タダで持って行っていい」とまで言ったのだそうだ。
さすがにそれは申し訳ないし、店の方も大損だろう。本当だったら今が稼ぎ時、冬を目前に駆け込み需要が急増するシーズンである。だから気持ちだけ受け取り定価で購入してきた、とパヴェルは言っていた。
倉庫を出て階段を上り、2階にある食堂のカウンターで食器を磨いていたノンナに食料のチェックリストを手渡した。
冬場の食糧消費は計画的に行わなければならない。保存の利く食品は後回しにして、長期保存には向かない食料、例えば海産物などを最初のうちに消費していく事になるから、最初のうちは豪勢な食事が出る。しかし冬が終盤に差し掛かるにつれて保存食ばかりになって、段々と食事に飽きるようになってくるのだ。
日本にいた頃は考えられない話だが、こっちの世界ではよくある話である。
とはいっても、限られた保存食を美味しく食べれるようパヴェルも工夫してくれているし、昨年もその努力のおかげで食事が苦痛にならずに済んだので彼には感謝しなければ。それと今年も期待しよう。
出発前の点検も全て完了し手が空いたので、そのまま自室に戻った。部屋の窓際にある机のところにはメイド服姿のクラリスがいて、机の上にはスライドを外された状態のグロック17がある。角張った黒いスライドは近未来的な雰囲気を醸し出しており、性能面でも世界中の軍隊から特殊部隊、警察組織に至るまでが採用している事からもその優秀さが伺える。
最近では血盟旅団の仲間たちもグロックを使い始めている。クラリスにモニカ、リーファもだ。ルカの奴もグロック17をホルスターに入れて持ち歩き始めており、ギルド内でも順調にグロック族が増えつつある。
俺もグロック使おうかな、と思考回路がグロックに侵食されているうちに、クラリスは分解整備を終えたグロックを構えて感触を確かめ始めた。
こういう何気ない動きに、彼女の別格さがよく滲んでいる。動きに無駄はなく、分解整備も素早い。構えている時だって余分な力はかけていないだろうし、ゴーストリングサイトを覗き込む彼女の眼光は肉食獣のそれだった。
これ声掛けちゃダメな奴かな、と思いながら見守っていると、彼女はこっちを振り向いて微笑みながら、くいっと指先でメガネの位置を直した。
そんな何気ない仕草にドキリとしてしまい、顔を赤くしているのをバレないように目を背ける。
「準備、終わったって」
「では次はリュハンシクですわね」
「リュハンシクも平和になってるかな」
「ええ、きっと」
ガリヴポリ解放のための作戦が始まったのと同時刻、アナスタシア姉さん率いる帝国騎士団特殊部隊『ストレリツィ』、そして騎士団の第七大隊の混成部隊がリュハンシク市を急襲。イライナ東部における共産党の活動拠点となっていたリュハンシク市の解放に成功し、共産党はノヴォシア本土への撤退を余儀なくされたのだそうだ。
だから俺たちが行く頃にはもう平和になっているだろう。復興で大忙しだろうとは思うが。
《間もなくレンタルホームより列車が出発します。次の目的地はリュハンシク、リュハンシクです》
パヴェルのアナウンスの後、駅のホームにチャイムが鳴り響いた。イライナの民謡をアレンジしたチャイムの後、駅員のアナウンスが窓越しに聴こえてくる。
《間もなく、7番レンタルホームより血盟旅団の列車が出発いたします。皆さんの旅の安全をお祈りします。いってらっしゃいませ》
窓の向こうのホームが、ゆっくりと右へ流れ始めた。
相変わらず、レンタルホームというのは閑散としているものだ。乗客が日常的に利用する在来線のホームとは違って、レンタルホームは冒険者専用。だから冒険者ギルドのメンバーくらいしか利用者は居らず、基本的に出迎えの人もいなければ見送ってくれる人もいない。
寂しいもんだが、まあこれでいい。
ガリヴポリの人々は、これから冬を迎えるのだ。
少なくとも飢えて死ぬことはないだろう。強制された平等ほど理不尽なものはない。
「……ん」
列車がどんどん加速していく中、俺は”それ”に気付いた。
左から右へと流れていく街並みの向こう。線路沿いの道路に大勢の民衆が集まっていて、俺たちの列車に向かって何かを叫びながら手を振っている。
思わず窓を開け、身を乗り出した。
民衆が振っているのはイライナ公国の国旗だ。コート姿の、まだ少し痩せ気味の民衆の中には見知った顔もいる。先頭に立っている老人は初めてこの街を訪れた際、街の惨状を教えてくれたハクビシンの店主だった。微かに白く濁り、けれどもくりくりとした丸い目で俺たちを見送りながら、肉球のある手を力いっぱい振って見送ってくれている。
俺も彼らに向かって大きく手を振り、声の限り叫んだ。
またいつか、と。
いつの日か、旅が終わってこの街を訪れる機会があったら―――その時は、活気に満ちた街を改めて散策してみたいものである。
その事への期待と、自由を勝ち取った住民たちが無事に冬を越せますようにと祈りを胸に、見送ってくれた彼らに手を振り続けた。
彼らの姿が、やがて見えなくなるその時まで。
《次の停車駅はリュハンシク、リュハンシク。キリウ方面、アレーサ方面、アルミヤ方面はお乗り換えです。リュハンシクの次はノヴォシア地方『マズコフ・ラ・ドヌー』に停車いたします》
目指すはノヴォシア地方、マズコフ・ラ・ドヌー。
今年はそこで冬を越す事になる。
そして来春、雪解けが始まったら本格的なノヴォシア地方の旅が始まる。
きっと今まで以上の困難が待ち受けているだろうが―――俺たちならば、乗り越えられるだろう。
仲間たちと共にある限り。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ」
肺が焼けつくような痛みをひっきりなしに訴えかけてくる肉体が、この時ばかりは恨めしく思えた。
両足が鉛のように重くなり、立ち止まれ、今すぐ休んでしまえ、と実力行使に出る。しかし少年の理性はそれを許さない。今ここで立ち止まる事が何を意味するのか、それを本能で理解しているからだ。
通行人に何度もぶつかりながら全力で走り、強引な車道の横断で車に撥ね飛ばされそうになりながらも走り続けた彼が辿り着いたのは、住宅街から大きく離れた位置にある廃工場だった。
元々は製鉄所だったのだろう。火が燈る事がなくなって久しい溶鉱炉の陰に滑り込んだところでやっと、少年は一息つく事が出来た。
「はぁっ、はぁっ……クソ、クソっ! 何なんだアイツらは」
途切れ途切れになりながらも悪態をつき、アライグマの獣人の少年は目の前に手を突き出した。現れたのは赤いメニュー画面―――ずらりとあらゆる武器や兵器の型番が並ぶ、メニュー画面だった。
それは異世界からこの世界へ呼び寄せられた外界の存在、転生者にのみ許された力。
その中から愛用の銃―――”M1ガーランド”を選択し召喚したアライグマの少年は、額に滲んだ汗を拭い去り、手慣れた手つきで安全装置を解除。バクバクと高鳴る心臓を落ち着かせようと呼吸を整え、周囲に意識を向ける。
聴こえてくるのは隙間から入り込む風の音。周囲は冷たく、風邪以外に不自然な空気の乱れはない。臭いにも不審なものはなく、廃棄された工場特有の錆と埃、それから経年劣化した工業用の脂の臭いだけが周囲を満たしている。
(さっきの奴は何だ、なんなんだ……?)
つい先ほどまで、彼を追っていた相手の事を思い出す。
今まで、彼が転生者である事は誰にも言っていなかった。銃を使うのも必要最低限、出来る限り人目につかないダンジョンの中だけに限定し、とにかく目立たないように意識しながらそこそこの収入で食い繋いできた。
人畜無害、という言葉は彼のためにあるのだろう。決して他人に迷惑をかけず、恨まれるような事もしない、文字通り”害のない”生活を送っていた筈だ。
それが、どうして正体不明の殺し屋に狙われる羽目になったのか?
思い当たる節はなく、相手も話が通じるタイプではない―――こうなったらこちらも、降りかかる火の粉を払う他ない。
今まで人を殺した事もない彼がそんな決意を胸に銃を持っているからなのだろう。数多の死線を共に潜り抜けてきたM1ガーランドが、いつにも増してずっしりと重くなっているように感じられた。
しかし、誰もやってくる気配がない。
もしかして諦めたのか―――闇の中に差し込んだ小さな光に縋ろうとする彼だったが、しかし現実とは残酷なものである。
背中に氷を押し当てられているような悪寒と共に、限界まで研ぎ澄まされた殺気が、彼のうなじを射抜いた。
ぴたり、とすべての動きが止まる。
「……なんでだ」
問いかけても、背後にいる”相手”は答えない。
沈黙が続き、やがて心の中でこんな理不尽に対する怒りがこみ上げ始めた。
何もしていないのに、なぜ。
他人に迷惑をかけていないのに、なぜ。
他人に恨まれる事はしていないのに、なぜ。
なぜ、なぜ、なぜ―――なぜこんな目に遭わなければならない?
「答えろよ!!」
叫びながら、彼は後ろを振り向きながら銃を構える。
唐突に、覗き込んでいたアイアンサイトがずれた。
ずるり、と生々しく粘りつくような感触と共に、M1ガーランドがそれを保持していた両腕と一緒に埃まみれの床に落ちる。
迸る鉄臭い液体。熱く、命が漏れ出す感触。そこまでされてやっと、アライグマの少年は理解した。
自分の両腕が切り落とされた事を。
そして―――相手もまた、桁外れの憎しみを宿しているという事を。
「―――お前ら転生者は皆殺しだ」
復讐のために、全てを投げ打った―――報復を果たすためだけにこの世に留まり続けているような、禍々しさに満ちた呪詛。
次の瞬間、今度は少年の視界がずるりとズレる。首を切り落とされた、と理解したのが、現世での少年の最期の思考となった。
どさり、と崩れ落ちる少年の亡骸。両腕と首から上を失ったその死体を蒼い目で見下ろしていた暗殺者は、手にしたサーベルを腰の鞘に収めるや、ホルスターの中から取り出したペッパーボックス・ピストルを取り出し、それを少年の死体の心臓へと一発叩き込む。
相手の死が確実となったところで、暗殺者の少女は踵を返した。
「これで……これで12人目」
もうすぐだ、と少女は唇を噛み締める。
転生者―――このような奴らがいるから、自分たちの苦しみがある。
あの日……少女がまだ、幼かったあの日。
苦しみが始まったのは、あの日からだ。
転生者―――この世界に紛れ込んだ異物は、必ず根絶する。
そのためだけに、今の自分は生かされているのだから。
新たに共産党との戦端を開いた、血盟旅団。
死闘を終え、新天地を求め旅をする彼らに―――更なる嵐が近付きつつあった。
第十九章『冬の足音』 完
第二十章『転生者殺し』へ続く




