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個人の対価、みんなの自由


 1888年 10月12日


 ノヴォシア地方 某所






 まったく、どいつもこいつも役立たずだ。


 同志からその知らせを聞いた時、薄々勘付いていた事ではあったが、やはり現実となると落胆するものがある。


 我らノヴォシア共産党が必死になって築き上げた、イライナ地方における橋頭保きょうとうほ―――ガリヴポリ、及びリュハンシクの両方を失陥するとは、何たる無様な失態か。


 とはいえ、あの腐敗ぶりでは遅かれ早かれこうなっていたであろう、とは思う。党員の義務たる冒険者からの徴収を行わず、賄賂などを受け取って私腹を肥やすなど言語道断。そういう己の利益を優先する姿勢が共産党を腐敗に導くのだ。


 領土の失陥は手痛いが、しかし党の腐敗した部分を斬り捨てる事が出来た、と考えれば儲けものであろう。腐敗の芽は手早く摘み取る事こそが、組織をより長く、健全に保つ秘訣である。


 警備兵に身分証を提示し扉を開けてもらうと、大きな円卓の置かれた部屋がその向こうに広がっていた。


 元々は貴族の屋敷だったのだろう。装飾の類はそのままだが、家紋などの身分を証明する部分だけは丁寧に削り取られている。おそらくはここで貴族たちが舞踏会やらなにやらを開いて贅沢三昧の生活を送っていたのだろうが、今となってはここは我らの本拠地だ。


 腐りゆくノヴォシア帝国、この偉大な祖国を生まれ変わらせるための革命の出発点である。


「あ~あ、やっちゃったねえ。スターリン?」


「……いたのか、トロツキー」


 円卓に等間隔に並べられた大きな椅子。私のようにがっちりとした、筋骨隆々の巨漢が座っても少し大きく思えてしまう椅子だからなのだろう。小柄でまだ幼さが残る”彼”―――トロツキーがそこにいた事に、私は気付く事が出来なかった。


 大人用の椅子に座る子供さながらに、足をぶらぶらさせながら棒付きのキャンディを舐めているのは、幼い外見だが一応は我ら共産党の一員―――そして共に同志レーニンを支える幹部の1人、『レフ・トロツキー』。


 人に近い姿をした、第二世代に分類される獣人だ。黒髪で前髪と睫毛、眉毛だけが白い。後ろから生えている尻尾も長く、ハクビシンの獣人である事が分かる。身長も小柄で幼い少女のような容姿……ここまでくるとアレだ、アイツに似ている。血盟旅団の頭目、ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフに。


 彼女をガリヴポリで呼びつけた時も薄々思っていた。コイツ身内の誰かに似てる、と。


 そうだ、コイツだ。トロツキーに似てる。ここまで身体的特徴が一致すれば見分けがつかなくなるのではないだろうか。


「同志レーニンがあれだけ根回ししてさ、用意周到に準備を進めてやっと手に入れたイライナの都市を2つも同時に失うなんて」


「……黙れ」


「ぷぷー♪ 何、ピキった? ピキったの? やーんこわーい♪ トロちゃん泣いちゃう~♪」


 殴っていいか?


 こういうのをメスガキというのだろう。大人をからかうような、ドチャクソ生意気な口調で煽ってくる幼女の事をそう呼ぶのだろう。だが残念、トロツキーは男だ。


「すたぁりんもぉ~、頑張って準備したみたいだけどぉ~、ぜぇんぶ水の泡だねぇ? 悲しいねぇ、悔しいねぇ? ぷっぷー♪」


「……」


 信じがたいと思うが、こんなのでも今のところ党内を二分する派閥を率いる幹部である。多分コイツの派閥についた同志たちはメスガキ目当てなのだろう。こういうメスガキに罵倒されて興奮する変態なのだ。これからトロツキーを支持する連中をそういう色眼鏡で見ようと思う。


「ねえねえざこざこすたぁりん?」


「殺すぞ」


「やーんこわーい☆ それよりぃ、この失敗の落とし前はどうつけるつもりなのぉ? 指でも斬る? 斬っちゃう?」


 確かに、失敗の落とし前はつけなければ。


 同志レーニンの計画に、これで大きな遅延が生じた。計画通りであればイライナ全土を支配下に収め、帝国への食糧供給を停滞させて国民の不満を煽る。そしてそれが最高潮に達したところで民衆に呼びかけ革命を起こす―――つまるところ、実効支配するに至ったガリヴポリとリュハンシクはその計画のための第一歩、出発点となる筈だったのである。


 それが、計画初期の段階で潰された。


 その責任は確かに私にあるのだろう。幹部としてケジメはつけなければならない。


 しかし、しかしどうしても……今私の目の前にいる、このクッソ腹立つメスガキに罪を擦り付ける事は出来ないものか、脳をフル回転させている私がいる。


 擦り付けられなくてもせめて道連れに……無理か。


「ざぁこざぁこ♪ 今どんな気持ち?」


「―――そこまでにしなさい、トロツキー」


 唐突に、部屋の奥から凛とした声が響いた。


 声を張り上げているわけでも、荒げているわけでもない。むしろ子供に言い聞かせる父親のような、静かで、しかしはっきりと聞こえる声。


 その声には特有の”訛り”がある。


 イライナ人がイライナ訛りの標準ノヴォシア語を話すような訛りとも違う。少しこもるような、何とも言えない独特のアクセントが彼の話す言葉の中には散りばめられており、それが彼の正体の裏付けとなっている。


 部屋の奥、窓から三日月を見上げていた初老の男性が、ゆっくりとこちらを振り向いた。


 暗闇の中で爛々と輝く相貌は人間のそれではない。無防備な獲物を暗闇から狙う、捕食者特有の鋭い眼光。その持ち主の顔はもちろんヒトのそれではなく、黒豹のそれだ。


 まるで二足歩行の獣がコートを羽織っているかのような、そんな印象を受ける。


 獣に近い骨格を持つ第一世代型、黒豹の獣人にして我らが共産党の指導者『ヴラジーミル・レーニン』は、笑みを浮かべながら円卓の方へとやってきた。「座りなさい」と優しく言った同志に促され、大きな椅子の1つに腰を下ろす。


「……イライナ東部を失ったのは大きな損失だ」


「何なりと罰を」


「いや、私は君たちを罰するつもりはない。革命はこれから本格化していくのだ、優秀な人材には最適な部署で勤めを果たしてもらわなければ」


 しばらくして、若い猫の獣人の同志がコーヒーを運んできた。私と同志レーニンにはブラックを、そして苦いものが苦手なトロツキーには砂糖入りのホットミルクが目の前に置かれる。


 運んできた同志に礼を言い、コーヒーの香りを楽しんだ同志レーニンは、それを口に含む前にぽつりと言う。


「……ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフ」


「……」


 私の面子を潰した敵の名だ。そして隣でミルクを飲んでいるトロツキーのそっくりさんでもある。


「彼をこちら側に取り込めなかった事の方が手痛いな」


「この際人質を取ってでも」


「いや、それでは相手の反発を誘うだけだ。どうあっても手懐けられない獣もまた存在するものだよ、同志スターリン」


「ではどうなさるのです」


「党の脅威になるのであれば、早い段階で摘み取るのが一番だろうな」


「……は。ではそのように」


 やれやれ、敵がまた1人増えた。


 だがまあ、これも致し方あるまい。


 我が共産党に牙を剥いた害獣、ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフ。


 貴様は我らノヴォシア人民最大の敵だ―――消えてもらうぞ、ミカエル。













『見てくださいご主人様!』


 すっごい嬉しそうな声で、スキップしながらこっちにやって来るのはメイド服姿のクラリス氏。身体が上下するたびにGカップのOPPAI(※ネイティブ発音)がぶるんぶるん揺れてるんだけど、今大事なのはそっちじゃない。


 彼女が手にしている代物だった。


 随分と薄い、ページ数にして15ページくらいしかなさそうな薄い本。その表紙をミカエル君によく似たハクビシン獣人の男の娘と、マカールおにーたまにそれはそれはもうそっくりなライオン獣人の男の娘が飾っていて、お互い顔を赤らめながら指を絡ませ、今にもキスをしそうなほど寄り添っている。


 いや、待って。それってもしかして……。


『レア物ですわ!』


 待て待て待て、やめろ。お前それダメだろ、それは駄目だろそれは。


 いつからミカエル君はフリー素材になったのだろうか。





『 ミ 〇 エ ル 君 と マ カ 〇 ル 君 の B L 本 で す わ ! ! 』





 や゛め゛ろ゛ぉ゛ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!



「―――はっ!」


 いかんいかん、美少女が出してはいけない地獄のような声で目が覚めた……ん、美少女?


 思考回路の混乱が見られるが……なんだろう、それよりも見てはいけないものを見たような気がする。まあいい、忘れよう。忘れるのだ。この封印は絶対に解いてはならない、絶対に。


「ん」


 すう、すう、と寝息が聴こえてきた。誰か近くに居るのかな、とベッドから身体を起こしてみる。

 

 どうやら俺が居るのは駅に停まっている血盟旅団の列車、客車にある自室のベッドのようだった。二段ベッドの一段目、いつもクラリスに抱き枕にされて眠っているベッドである。


 その傍らに居るのはクラリス……ではなく、どういうわけかマカールおにーたまだった。


 心配してくれたのか、ベッドの毛布に頬を押し付けるようにして眠っている。


「……」


 お互い子供の頃は嫌い合っていたが、今となっては互いに頼りにしている戦友のような関係、か。前世の世界じゃあ人間関係が悩みの種だったりしたけれども、こうして長い付き合いになるとどういう関係に発展するのか予想できないもんである。


 そうかそうか、ミカエル君の事を心配してくれたのかいおにーたまは。


 もっふもふの鬣みたいな頭髪で覆われた頭に手を置くと、ぴょこ、とケモミミが動いた。


「……にゃぷ」


「……」


 転生前に家で飼ってた猫もこんな感じだったな、と思いながら自分の腹違いの兄をモフモフしていると、パシャ、とスマホのシャッターを切る音が聴こえてきて、ミカエル君の視線はいつの間にか部屋の中にいてスマホを構えるクラリスの方に向けられていた。


 上目遣いで煩悩垂れ流しの彼女を見つめていると、クラリスは鼻血をハンカチで拭き取りながら言った。


「あっ、目を覚まされたんですねご主人様?」


「目を覚まされたんですねじゃねーよ」


 何撮ってんじゃ。やめろ、撮るな、連写すんな。動画撮るな。自撮りすんな。んでもってそれをギルドの共有ファイルにアップロードすんな。


 やれやれ、と呆れながら、けれども胸の中にはやりきった、という達成感があった。


「俺たち……やったんだよな」


「ええ」


 駅の外を見た。


 冬が目前だというのに、街中はお祭り騒ぎだった。そこかしこにイライナ公国時代の国旗が掲げられ、窓越しにもイライナ公国の国歌の大合唱が聴こえてくる。街のいたるところで火の手が上がっているが、燃えているのは戦闘で砲弾が命中した家屋ではなく、街中から集められた共産党の赤い旗のようだ。


 そして大通りでは、男たちが酒瓶を片手に踊っている。中には燃え盛る共産党の旗を囲み、アコーディオンの奏でる音楽に合わせて激しいダンスを披露する民衆もいて、みんな浮かれてるなあ、という印象を受けた。


 でも、これでいいのだ。


 この自由こそが本来あるべき姿。それを享受する権利は誰にだってある。


「先ほど、アナスタシア様からも連絡が入りました。リュハンシクも同じく陥落、共産党はノヴォシア地方に撤退したそうです」


「コレでひとまずは安泰かな」


「ええ」


 やるべき事をやった。ベストを尽くした結果だ。


「みんなは?」


「はい、街の治安維持と捕虜の護送は憲兵隊に任せ、皆さんは物資の買い出しに向かっていますわ」


「おっと……こうしちゃいられない、俺もいかなきゃ」


「あっ、駄目ですわご主人様!」


 マカールおにーたまを起こさないようにベッドから出ようとしたけれど、床に足をついた途端に倒れそうになった。いつも通りに立とうとしたつもりだったんだけど、力が入らない。


 ふらりとぶっ倒れそうになったところをクラリスが受け止めてくれた。


「ああ……ごめんクラリス」


「まったく……ご主人様、あんなに魔力を使った後なのです。安静にしていなければお身体に障りますわ」


「……そっか」


 そういえばそうだ。


 体内の魔力をほぼ全部使い果たす勢いで魔力を放射したもんだから、魔力欠乏症の症状が出てたんだっけ。


 軽度であれば少し休んで水分とカロリーを補給すれば何とかなるけれど、重篤になればなるほど回復には時間がかかる。自力で立てない程に消耗しているという事は、そういう事なのだろう。


 アレ、下手したら死んでたレベルなのではないだろうか。そう思うと、あの時の自分の迂闊さが恐ろしくなる。


 けれども―――大きな代償ではあったけど、みんなは無事だったのだ。


 だったらそれでいいじゃないか。


 窓の外で繰り広げられるお祭り騒ぎを見守りながら、クラリスに手助けしてもらってもう一度ベッドに横になった。


 どこかの誰かが打ち上げたと思われる花火が、三日月の浮かぶ夜空で虹色の大輪を咲かせたのは、そのすぐ後だった。




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― 新着の感想 ―
[良い点] トロツキー…あっ(察し) もしもしCIA?異世界にポリシェビキがいるぞ。あと石油もある。(おいおいノヴォシア終わったわ) [気になる点] そういやベレッタM9出てましたっけ。イタリアの中…
[一言] うわぁ…まさかあのレーニンがハクビシンのメスガキとは… なるほど、ミカエル君とフリスチェンコ博士を掛け合わせるとこうなるのか…?(薄い本的な意味ではなく) それにしてもレーニン派の党員には獄…
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