作戦決行
「おー、似合ってるじゃねえか」
寝室で着替えを済ませて外に出た俺を見て、パヴェルはニヤニヤ笑いながら葉巻に火をつけた。
今、俺が身に纏っているのは屋敷から持ってきた私服にチェストリグ、といういつもの格好ではない。屋敷から持ち出してきた服にも限りがあるし、そんな恰好で教会を襲撃すれば色々と面倒な事になる……などの理由もあり、パヴェルが仕立ててくれた服を着用する事になった。
上着は真っ白なもふもふのファーのついた黒いコート。フードもついており、素顔を隠したい時に役立ちそうだ。ちゃんとケモミミを入れるための袋もついているのがありがたい。何だか最近、ミカエル君のパーソナルカラーが黒と白のツートンカラーで定着しつつあるのは気のせいか。
コートの下にはグレーのワイシャツと白いネクタイ。ワイシャツの上に黒いチェストリグを装備しており、ここに予備のマガジンを収めるようにしている。コートは前を大きく開いた状態で着用しているので、チェストリグからマガジンを引っ張り出す時に動きを阻害する事がない。
下は黒いズボンとブーツ。傍から見れば正装のようにも見えるが、これはれっきとした”強盗用の服”である。普段の冒険者としての活動の時は着用せず、強盗作戦を行う時だけ着用する俺たちの正装。パヴェルはこれを『強盗装束』と呼んでいたので、俺もそれに倣おうと思う。
後はフードを被った状態でガスマスクを被ればOKだ。ガスマスクのレンズ部分にはスモークがかかっており、外から素顔を伺う事は完全に出来なくなっている。黒いガスマスクの眉間の部分には白いラインが描かれているが、これは自分で描いたものだ。なんかちょっとハクビシンっぽいからという遊び心である。
鏡の前に立ってみると、あらやだカッコいいじゃん、と思わず呟いてしまう。中二病を患っていたあの頃を思い出す。あの頃はこういう服装に憧れてたが、まさか異世界転生してから身に纏う事になるとは。
フードとガスマスクの組み合わせってかっこいいよね。分かる人いる?
ちょっとウキウキしながら待っていると、着替えを終えたクラリスもやってきた。彼女はいつものメイド服……ではなく、同じく強盗装束に身を包んでいる。
黒いTシャツの上に黒いチェストリグ、下は同じく黒いコンバットパンツにブーツ。服だけでなく装備品も黒一色で統一されており、肌の露出面積がそれほど多くない事もあって、まるで影が人の形になって蠢いているようにも思えた。暗闇では目立たないかもしれない。
顔は黒いバラクラバで覆っていて、獣の口を模したハーフマスクで口元を覆っている。頭にはベースボールキャップを被っており、帽子の鍔の上には防塵用のゴーグルが引っかけてある。
普段のメイド服のイメージが強いからなのか、帽子の後ろから顔を出す蒼い髪と、バラクラバから覗く紅い瞳を見るまではマジで誰だか分からん。クラリスだよねこの人?
「おー、いいぞ。俺の前の職場にもこんな奴いっぱいいたわ」
「いっぱいいたのか」
「おう、悪の組織みたいなところだったからなぁ、前の職場は」
どんな職場だ。
「さて、それじゃあ作戦を始めますかねえ」
「よし……行くぞ、クラリス」
「はい、ご主人様」
「ミカ」
「ん」
貨車へと向かおうとする俺の後ろ姿をパヴェルが呼び止める。フードを被りながら振り向くと、彼はこれ以上ないほど楽しそうな笑みを浮かべながらウインクし、親指を立てて送り出してくれた。
「幸運を」
「ありがとう」
よし、やるか。
客車から最後尾の貨車へと向かう。パヴェルの工房を抜けて扉を開け、貨車の中に設けられた格納庫へ。機械油と塗料のキツイ臭いが充満する中、真っ白な車体に塗り替えられた逃走用のセダンは、何も言わずに運転手を待っていた。
ダッフルバッグを背負い、後部座席へ。自分の得物の入ったダッフルバッグを助手席に預けたクラリスが運転席に座りエンジンをかけると、格納庫のハッチが警報と共にゆっくりと開き始めた。オレンジのランプが点滅する中でハッチが下へと開いていき、見慣れた線路が目の前に姿を現す。
セダンを格納庫の外へ走らせるクラリス。相変わらずサスペンションは酷い性能で、レールを乗り越える度にがっくんがっくんと下から派手に衝撃が突き上げてくる。全速力の自転車ででっかい段差をいくつも乗り越えているような、そんな感覚だ。骨盤に衝撃が打ち付けてくるような、なんとも不快な揺れである。
線路を出て車道へと入ると、ヘッドセットからノイズ交じりにパヴェルの声が聞こえてきた。
『TACネーム”グオツリー”、応答せよ』
「はいよ、こちらグオツリー」
『お、ちゃんと反応したな。いいぞいいぞ』
強盗中、さすがに本名で呼び合うのも拙いという事で、今後強盗を行う際はTACネームで呼び合う事にしている。俺のTACネームとなる『グオツリー』とは、中国語でハクビシンの事だ。漢字で書くと『果子狸』になるらしい。狸か……。
ちなみに台湾ではハクビシンの事を『ペッピーシム』と言うらしい。うん、分からん。原形無いやんけ。
クラリスのTACネームは『バウンサー』。用心棒、というわけだ。俺の専属の護衛という事になっているし、彼女の実力は全力で信頼して問題ない。というか俺の存在に疑問が生じるほどだ。彼女に全部任せりゃ丸く収まるのでは……いやいや、自信を持て俺。
「そーいや、そっちは何て呼べばいいんだよ」
『そうだな……”フィクサー”で頼む』
「フィクサーだって?」
なんともまあ意味深な単語をTACネームに選んだものだ。なんだ、パヴェルの奴は自分が全ての事件の黒幕だとでも言いたいのか? それとも自分が黒幕だとでも?
まあいいや、彼のセンスだという事にしておこう。少なくとも今は最も信頼できるマネージャーでありオペレーターだ。彼のサポートを信じようじゃないか。
車は郊外を抜け、城郭都市リーネへと到達していた。分厚い防壁を潜り抜け、赤信号に変わりそうなギリギリのところを、アクセル全開で突っ切っていくクラリス。こんなところを憲兵さんに見られたら指導案件だ……そういやみんな忘れてるかもしれないけど、大事な事だからもう一回言っておく。
『クラリスは免許持ってない』、いいね?
だから憲兵さんに声をかけられたら無免許運転で逮捕である。クラリス、お願いだから慎重な運転をお願いシマス……。
そんなヒヤヒヤする運転を繰り返しているにもかかわらず、やる気のない憲兵さんたちの目に留まる事もなく、事前に定めた逃走車両の待機位置へ。雑貨店の脇を通過した先にある空き地にセダンを停め、鍵をかけた。願わくばごろつきに盗まれない事を祈りたいものだが、ここは高級住宅街のすぐ近く。この周囲での犯罪だけは憲兵もガチで防ごうとするので、ここだけ治安が良いのだ……不思議だなー?
結局世の中権力と金よ、金。札束ちらつかせればどんな奴でも尻尾を振るのよ、分かる? これ真理な。
車を降り、下見に行った貴族の屋敷へ。相変わらず何も変わらぬ一日を過ごしているようで、塀をよじ登って屋根から庭を見下ろすと、今日も庭師の皆さんがせっせと庭の手入れをしているところだった。雑草を刈ったり、花に水をやったり……今日も精が出るな、頑張ってくれたまえ。
クラリスを連れて屋根を移動し、ペレノフ教会の屋根が良く見える場所へ。彼女もちゃんとついて来ている事を確認してから、背負っているダッフルバッグの中からクロスボウを取り出す。
折り畳んでいた照準器を展開、ストックも伸ばして構える。照準は目の前に屹立する槍みたいな巨大な屋根。ペレノフ教会のシンボルとなっているクソデカ屋根だ。
引き金を引き、矢を放つ。
後端部にロープが括り付けられたそれは、音もなく真っ直ぐに飛翔すると、ペレノフ教会の屋根に深々と突き刺さり―――向こう側へと渡るための道を切り開いてくれる。
クロスボウを仕舞い、ロープの後端を貴族の屋敷の屋根に括り付ける。ほどけない程きつく結んだのを確認してから、クラリスと共にロープの上を走って渡った。ハクビシンの獣人特有の絶妙なバランス感覚、綱渡りなんてお手の物だ。都会でも生きていけるハクビシンを舐めるんじゃない。
教会の屋根の上から周囲を確認。ここに来て、幸運の女神はキュートなミカエル君に味方したらしい。やっぱり貴族同士の結婚式という事もあって客は多かったが、それに反比例して警備の人数はそれほど多くなかった。確かにサーベルとペッパーボックス・ピストルを装備した警備兵の姿は見えたが、ここから見る限りでは10人前後。兵士1人の火力は十分なレベルでも、式場全域をカバーするにはいくら何でも少なすぎる。
こりゃあ力押しでも行けそうだ、と思いながら、ダッフルバッグの中身を引っ張り出す。
さーてMP5ちゃん、出番ですよー。
ドラムマガジンにM-LOKハンドガード、フォアグリップ付きのゴツイSMGを取り出して安全装置を解除、撃ちまくる事を考慮しセレクターレバーをフルオートに。得物の準備を済ませ、ガスマスクを被って顔を隠す。フードとガスマスクで視界が悪化するが、素顔を見られるよりはマシだ。
クラリスもJS9mmの準備を終えたところで、突入の準備を始める。
ちょうど、目の前にあるステンドグラスの向こうに人影が見えた。シルエットから判断するにスーツ姿の花婿と、ウエディングドレス姿の花嫁、そして神父の3人だろう。タイミング的にそろそろ誓いのキスの辺りだろうか。
「グオツリーよりフィクサー、突入準備完了」
『了解、教会内部の状況だが……あー、誓いの言葉を述べてるねぇ。そろそろキスの時間か』
「了解、ファーストキスを守りに行く」
結婚相手がどんな奴かは知らんけどさ……好きでもない相手がファーストキスの相手だなんて、一生モノのトラウマだろ。
そうはさせんよ。
クラリスと目配せし―――思い切り、ステンドグラスを蹴り割った。
こんなにも、この人生を、そしてこんな運命に追いやった家族を、そしてこの運命を強いた神を呪いたい、と思ったことが今まであっただろうか。
結局、誰も助けてくれなかった。自分でもどうする事も出来なかった。ただただ、突きつけられる現実をそのまま受け入れ、他人に強制されたレールの上を進むだけ……それが私の人生だというのか。
誓いの言葉が終わり、客席から拍手が巻き起こる。皆が祝福してくれる結婚式、伴侶との門出の儀式。けれどもその祝福は、少なくとも私には向けられていない。スレンコフ家とレオノフ家という2つの貴族の子の結婚、それによりもたらされる利益―――彼らが心から待ち望んでいるのはそれだ。私の意志など眼中に無い。
ミカ。
短い間だったけれど、貴女と一緒に過ごした時は本当に楽しかった。仲間というのはきっとあんな感じなんだなって、ほんの少しだけ理解できたことが私には嬉しい。
できるならもっと一緒に過ごしたかった。一緒に旅をして、自由に過ごしてみたかった。
けれども―――それはもう、叶わない。
私はここでスレンコフ家の女となるのだ。望みもしない男と誓いのキスをして、望みもしない運命を受け入れ、そのまま彼の欲望に染まっていく。貪られ、子を生むだけの機械に成り果てる―――。
ねえ、お母様。
それが望みなのでしょう?
客席の最前列で、これでやっと計画通りになると言わんばかりに安堵する母の顔を、これ以上ないほど恨めしい目つきで睨んでやった。
呪ってやる。
こんな運命の元に生んだ母を。
「それでは、誓いのキスを」
「さあ、クリスチーナ」
「……」
エフィムの手が、私の肩をそっと掴んだ。
ああ、もう終わりだ―――やっぱりあの時、無理にでもセルゲイから逃げていれば良かった。そんな後悔さえ滲んできて、身体が震え始める。
ミカ―――。
彼女の顔を思い浮かべたその時だった。
唐突に、ガラスか何かが砕けるような鋭利な音が、礼拝堂の中に響き渡った。結婚式のクライマックス、誓いのキスの瞬間を固唾を呑んで見守る観衆の視線が、そして私たちの視線が上へと向けられる。
割れたのは礼拝堂の上にあるステンドグラス。カラフルな色で彩られていた筈のそれが木っ端微塵に砕け―――太陽の光を背に、天井から礼拝堂へと降りてくる人影が。
逆光になっているせいで顔までは見えなかったけど、日の光と砕けたステンドグラスの破片を背景に舞い降りるその姿はまるで―――。
「天使―――」
そう、まるで天使が舞い降りたかのような、そんな神々しさすら覚えた。
けれどもその天井から突入してきた侵入者は、天使ほど優雅な存在ではなかったらしい。唐突な乱入に驚愕し、目を見開いたまま呆然としていたエフィムの顔面を着地地点に選んだその侵入者は、まるで狙っていたかのようにエフィムの顔面を踏みつけて押し倒すと、豚みたいな呻き声を上げる彼を思い切り踏みつけながら顔を上げた。
「うげェ……!!」
「……」
闇のような真っ黒なコート。純白のファーに覆われたフードを被ったその人物は、レンズのついた奇妙な仮面を身に着けていた。眉間から鼻先にかけて真っ白な線が描かれていて、その素顔は伺えない。
けれどもなんだか、見覚えがあるようなシルエットで……。
「―――ファーストキスは間に合ったかな」
銃のような武器を手にしたその侵入者は、聞き覚えのある声で確かにそう言った。
「あ、貴女……もしかして……!」
天に私の祈りが通じたというのか。
空から日の光と共に舞い降りたのは―――彼女だった。
「助けに来たよ、モニカ」
「ミカ……!?」




