ガリヴポリ大進撃
「オイ、煙草くれよ」
「ふざけんな、支給された分があるだろ」
「全部吸っちまったんだよ」
「しゃーねーな……」
相方の要求に折れ、仕方なく大事にとっておいた煙草の中から1本取り出す。今となってはどれもこれもが配給制で、煙草もその例外ではない。こういった嗜好品は食料や燃料と比較すると優先順位が低いから、いつもの配給の時にこれも支給される、とは限らないのだ。
だから煙草や酒は貴重品だし、それを大事にとっていたのだが、今回一緒に仕事をする事になった相方はすぐに使い切ってしまう困り者だ。ニコチンやアルコールの誘惑に勝てない、という気持ちは分かるが、もう少し我慢という言葉を覚えるべきではないだろうか。
貴重なそれを隣でマスケットを抱える同志に差し出し、溜息をつく。
そういえばこの前、同じ分隊に配属されたマクシムが工業用アルコールに手を出した、なんて話が回ってきた時は耳を疑った。あんな身体に悪いものを飲むのかと思ったが、なかなか酔えるらしい。
他にも殺虫剤を酒の代わりに飲んだり、自前の蒸留器を作って自作の密造酒を飲んだり……後で少し分けてもらおう、アルコールの独り占めなんてブルジョアの極み。富と同様にアルコールだって平等に分配するべきだ。俺たちは共産主義者なのだから。
さて、ここでの見張りもあと2時間。明日からは非番なので、俺も密造酒に手を出すとしよう。ノヴォシア地方の故郷に居た頃、親父から蒸留器の造り方と密造酒の製造方法は聞いていたし、どうせ純然たるウォッカもなかなか支給されないのだ。だったら自分で作って酔っぱらうほかあるまい。
などと身体中の全細胞がアルコールを欲し始めた辺りに、異変は起こった。
「……なんだありゃ」
「トラクターか?」
俺たちの仕事は、こうやってガリヴポリ市内へとつながる道路に設けられた検問所に駐留し、市内へ入る車両を調べる事だ。とはいっても、最近は燃料不足で車など殆ど走っておらず、見かけるのは共産党の公用車か馬車ばかり。それ以外の車なんて見ていない。
そういえば昨日、変な車が北の検問所をぶち破って逃走したらしいが……。
いや、それよりも接近してくるあれはなんだ?
トラクター……に見えなくもない。悪路だろうと走破できそうなゴツイ履帯がキュラキュラと音を立てて回転し、いかにも重そうな車体を前進させている。そしてその車体はというと頑丈そうな装甲に覆われていて、その上にはレンガのような部品がいくつか貼り付けられている。車体前方に取り付けられているのは障害物除去用のドーザーブレードのようだ。
そして最も異様なのは、車体の上に乗っているものだった。
運転席らしきものは外からは確認できず、代わりに巨大な大砲が上にででんと乗っているのである。距離があるので口径までは分からないが、これだけ離れているのに大きいと思えるという事は、少なくとも既存の大砲よりも大型であるのは確実だ。下手をしたら戦艦に搭載されている大砲に匹敵するほどではないだろうか。
人から貰った煙草を呑気に吸っている相方に代わって、俺はマイクを手に取った。検問所に備え付けられたスピーカーにそれは繋がっている。スイッチをONに切り替え、俺はマイクに向かって言った。
《接近中の車両に告ぐ、直ちに停車せよ》
こちらの声は聞こえている筈だ……しかし、接近してくる”トラクターのようなもの”は減速する気配すら見せない。それどころか、俺の錯覚でなければむしろ加速しているようにすら思える。
相方が土嚢袋のところに備え付けてある重機関銃に手を伸ばした。ジャキン、とコッキングレバーを引き、初弾を装填する。
連射を自動で行う事が出来る機関銃は、従来のガトリング砲に代わる革命的な兵器と言っていい。既に聖イーランド帝国では、これと同型の機関銃を用いて植民地の反乱を僅か半日で鎮圧したというのだから驚きだ。
しかし……。
何だろう、とんでもない不安が胸中を駆け巡る。
確かに機関銃は強力な兵器だ。従来の戦列歩兵など瞬く間に一網打尽にできてしまうほどに。
しかし―――そんな歩兵戦の切り札、戦場の王を名乗る資格のある兵器ですら、目の前から迫ってくるトラクターのような何かに対して無力であるように思えるのは、気のせいだろうか?
いや、でもこっちだって機関銃だし……。
なんか嫌な予感がする……そう思って相方の方を見るが、彼も同じ感想を抱いたようで、まるで親とはぐれた仔犬みたいな情けない目でこっちを見てきやがった。
そんな俺たちの心境も知らず、正面から突っ込んでくるトラクター。明らかに停車の意志はないと判断するや、相方は観念して機関銃の押金を押し込んだ。
ドドドッ、と重機関銃が勇ましい銃声を奏でる。押金をああやって押し込むだけで弾幕を展開できるそれは、騎兵や戦列歩兵の戦術的価値を大きく低下させた新兵器ではあるのだが……しかし、俺たちの抱いた嫌な予感はものの見事に的中してしまう。
「……あぇ!?」
信じられないものを見た。
正面から突っ込んでくる巨大なトラクターの正面を直撃した機関銃の弾丸だが……それは貫通することなく、火花を発し甲高い金属音を響かせながら、いとも容易く弾かれているのである。
1発、2発といった次元ではない。既に10発、20発くらいは命中しているが、どこに命中しても貫通する気配すらないのだ。大地を悠然と歩く巨大な獣が羽虫に刺されてもそれを意に介さないような、そんなレベルの違いを感じさせる防御力だった。
こちらの攻撃が通用しないのだから、相手が歩みを止める道理もない。トラクターは更に加速しながら検問所に向かって突っ込んでくるや、閉鎖されていた検問所のゲートを正面のドーザーブレードで突き崩し、エンジンの咆哮を響かせながらそのまま通過していきやがった。
見間違いじゃなければ、車体後部に巨大な鎧に身を包んだ2人の兵士(それにしては大き過ぎるような気もしたが)が乗っていたようにも見えた。あれはなんだ?
弾切れになった機関銃が、虚しく白煙をたなびかせる。
「……なあにあれは」
「しらない、ぼくしらない」
目の前の現実が受け止められない余り、一時的にIQが下がったようなやり取りをするしかなかった。
だってそうするしかないだろあんなの。
ごしゃあっ、と金属が潰れるような音を響かせながら、共産党の兵士が描かれたプロパガンダ用の看板が吹き飛んだ。ドーザーブレードに突き破られ、履帯に踏みつけられて哀れな金属片と化すそれをモニター越しに見ながら、まだ敵の動きがない事にちょっとびっくりする。
検問所を白昼堂々突破してまんまとガリヴポリ市内へ突入した俺たちだが、こうして人気のない大通りを歩兵2名を収容し、更には2機の機甲鎧をタンクデサントさせたBTMP-84-120が進軍しているというのに、街中には警備隊どころかサイレンすら鳴り響く気配がない。
正直、だいぶ拍子抜けしている。検問所を突破した時点で共産党の部隊との激しい銃撃戦を覚悟していたというのに、蓋を開けてみればこれだ。この対応の遅さは有事への備えが出来ていない事の証だろう。
他にも兵士たちの練度の低さや連絡体制の不備などが考えられる。たいそうご立派なイデオロギーを掲げ、着実に同志の数を増やしているとはいえ、所詮は素人という事だ。戦争の事は何も知らないらしい。
もうそろそろ食糧保管庫が見えてくるというところで、大通りの左側からやってきた共産党の車と鉢合わせになった。オリーブドラブの車体のセダンの運転手がこっちを見て目を丸くしているのが見える。
大慌てで車を乗り捨て逃げていく共産党の兵士たち。早くも無人と化したセダンを、鬼戦車と化したBTMP-84-120は遠慮なくドーザーブレードですくい上げ、投げ飛ばし、そして履帯で豪快に踏み潰していった。
さながら巨人である。
そんなBTMP-84-120を呆然とした目で見つめている彼らに、俺は手を振ってあげた。
ここまでで発砲ゼロ、死者もゼロ。
なんともまあアレではあるが、問題はここからだ。
事前に上空からヘリで偵察した通り、もう既に正面には食糧保管庫の固く閉ざされた門が見えた。固く閉ざされた、とは言ったが、しかし所詮は鋼鉄製の格子状の門が閉じているにすぎず、戦車(※BTMP-84-120は戦車ではありません。重歩兵戦闘車、IFVの仲間です)の前には障害にすらならない。
『止まれ、そこのトラクター!』
土嚢袋の傍らに据え付けられた重機関銃がこちらを睨み、正門を警備する兵士がマイクを使って声を張り上げる。
『繰り返す、直ちに停車せよ! 警告を無視した場合発砲する!』
すると、砲塔のハッチが開き、中からパヴェルが顔を出した。
「やってみろよクソ野郎!!!」
中指を立てながら、スピーカーから響く声に負けじと大声を張り上げるパヴェル。その挑発に乗ってしまうほど沸点が低かったのか、それとも警告を無視し宣戦布告したと見做したのかは定かではないが、検問所にいる警備兵たちがついに機関銃を発砲し始めた。
茹でたエビの如く顔を真っ赤にする彼らだが、しかしBTMP-84-120は重機関銃の銃弾など意に介さない。どれだけ蚊が刺してきてもマンモスが決して歩みを止めないように、弾丸では戦車の装甲(※だからBTMP-84-120は戦車ではありません)は撃ち抜けないのだ。
今は砲弾やミサイルで戦車を破壊する時代。弾丸で戦車を破壊、あるいは擱座を試みる時代は第二次世界大戦中盤を最後に終わっているのである。
『初弾装填、弾種榴弾。砲撃準備ヨシ!』
「くるぞ!」
つい癖で耳を塞ぎそうになり、ちょっと笑った。
機甲鎧に乗っているからそんな必要なんてないのに―――癖って怖い。
『発射!!』
バオンッ、と120mm滑腔砲が吼えた。
東側の125mm砲ではなく、西側規格の120mm滑腔砲を搭載されたBTMP-84-120。その絶大な威力を誇る砲弾がついに放たれたのである。
戦車が砲撃戦をするにしてはあまりにも近すぎる間合いで放たれたそれは、正門の付近で機関銃を撃ちまくる兵士たちの頭上へと飛来するや、そこで炸裂した。
爆風……ではなく、蒼い閃光が閃く。その蒼い閃光は解き放たれた無数の蛇、あるいは蛸の足のように周囲へと伸びると、BTMP-84-120を食い止めるべく必死に射撃を続けていた共産党の兵士たちへと絡みつき、あっという間に感電、そのまま気絶させてしまう。
120mm砲の砲弾を改造した、非殺傷用の電撃榴弾だ。
歩兵を殺さず無力化、場合によっては相手の電子機器を焼き切るなどの効果も期待できる砲弾である。さすがに戦車相手には普通の砲弾を使った方が早いが。
一撃で正門を沈黙させたBTMP-84-120。気を失った敵兵を踏み潰さないよう細心の注意を払いながら前進し、ついに食糧保管庫の正門をぶち破って敷地内へ進入を果たしてしまう。
『降車!』
「行け行け行け!」
モニカと一緒に車体後部から飛び降りる。
間髪入れずに兵員室のハッチが開き、中からQBZ-97で武装したリーファと、九九式小銃を抱えた範三が飛び出した。
そして頭上にはここまで弾薬を温存していたクラリスのキラーエッグも展開。食糧保管庫突入から僅か10秒で鉄壁の布陣が出来上がる。
『敵襲、敵襲!』
今になってやっと、食糧保管庫の周囲に敵襲を知らせるサイレンが鳴り響いた。
敵との遭遇を悟るのが、市内の奥深くへ浸透されてからという有様。敵の実力も窺い知れるというものだ。
食糧保管庫内部を警備していた兵士たちも飛び出してくるが、しかしゴム弾を装填した範三の九九式小銃の射撃で戦闘の兵士が足の骨をへし折られ、悶絶しながら地面に転がった。後続の兵士たちもリーファのQBZ-97のゴム弾で滅多打ちにされるか、パンダの本気のアッパーを喰らって気を失うかのどちらかだった。
文字通り”千切っては投げる”勢いで敵兵を無力化していく範三とリーファ。あの2人さえいれば制圧は容易だろう。
俺たちはここで、マカールおにーたま率いる憲兵隊が市街地へ到着するまで持ちこたえればいい。憲兵隊到着まで持ちこたえれば、それで俺たちの勝利は確定する。
ここが踏ん張りどころだ……!




