東部解放作戦
弱腰な対応をする士官は、とっとと首を刎ねてしまうべきだ。
冬も間近に迫った10月の朝。バカみたいに冷え込むモスコヴァの兵舎、指揮官用に用意された広めの部屋の中で、私は1人物静かに憤っていた。
別に、士官用の食堂で勤務しているおばちゃんが、まだ眠っていたいのにフライパンをガンガン叩いて起こしに来た事が不満というわけではない。あと5分、というのが通用しない世界だという事は騎士団への入団時に思い知ったし、これからもそういう生活と末永い付き合いになる事は覚悟の上である。
憤っている原因は、それとは別だ。
「……」
部屋の中にある、テーブルの上に置かれた手紙と封筒。
そこには2つの手紙と、封筒に入った白黒写真があった。
片方の手紙はマカールからだ。要約すると『ミカからヤバい案件でお手紙がありました』という内容で、もう片方の手紙はミカからのもの―――正確には、マカールの元に届いたミカからの手紙をそのまま書き写した複製だ。だからほら、文章の”クセ”はミカのものだけど、筆跡が全然違う。
アイツはもっと丸っこくて可愛い字を書くものだ―――いや、今はそんな事はどうでもいい。
問題なのはその内容だ。
ベラシア地方からキリウを経由して南下、アレーサに二度目の来訪を果たしたミカたち一行はそのまま東へと進路を変更し、ノヴォシア地方を目指して旅をしていたらしい。目的地はノヴォシア地方最西端に位置する沿岸部の街、マズコフ・ラ・ドヌー。冬になる前にそこへと到着する事を目的に、かなり駆け足でのスケジュールで向かっていたそうだ(だからエルソン駅も通過したらしい)。
しかしその道中で立ち寄った東部の街、ガリヴポリで面倒事に巻き込まれたようだ。
イライナ地方最東端の街、リュハンシク。ここは以前から共産主義者、『ノヴォシア共産党』のイライナにおける最大の拠点として問題視されてきた場所である。今の皇帝陛下による統治を否定、全ての人民を平等にするという耳障りの良い謳い文句を喧伝する裏では、無神論者による反宗教テロリスト『ウロボロス』に支援を行い治安を悪化させ、ゆくゆくは国家転覆を画策する反政府勢力である。
キノコのように生えてきては憲兵隊に消されていくその辺のカルト宗教と何が違うのか。私も以前まではそう思っていたが、しかしリュハンシクを実効支配するようになり、そこを足掛かりにガリヴポリへと勢力を伸ばしたという話を聞いた時、その認識は誤りであると気付いた。
連中は危険だ―――放っておけば、国家の存亡にも関わりかねない。
だから私は当時の上官に、速やかな共産党の征伐を具申した。そのために根回しもしたし、部下に声をかけて回り賛同者も集めた。後は騎士団上層部からの公式の出撃命令を待つのみ、という状況まで持って行った。
しかし上層部からの返答は『出撃は許可できない』。理由は周辺地域を緊張状態に持っていくのは本意ではなく、共産党も所詮は民兵組織であるからこちらの軍事力をちらつかせ圧力をかけるだけで交渉のテーブルに顔を出すであろう―――そんな腑抜けた回答に、私は幻滅したものだ。
ああいう弱腰な対応しかできない士官や将校はとっとと椅子から引き摺り下ろし、斬首刑に処すべきだ。我々帝国騎士団は国家の防衛を担う守護者であり、同時に暴力装置でもある。国内に敵を抱え込んでいて何が大国か。何が皇帝陛下による絶対的な統治か。
当時の私はそう憤っていたものだが―――まるで、燃えカスに再び火を燈されたような熱が、再び私の心を、そして身体を包み込んでいる。
「何たる事だ」
ミカからの手紙には、共産党の実効支配を受け困窮するガリヴポリの惨状が生々しく書き記されていた。6ヵ月にもわたる地獄の冬を前に、住民たちの燃料や食料は全て共産党に強制徴収され、”平等”などと言う耳障りの良い言葉の元に、配給制の物資として平等に分配されているらしい。
しかしその中身は1人につき黒パン1つとジャガイモ5個……いったいそれで何日分の食糧だというのだろうか。
それだけではない。ガリヴポリに住んでいた貴族は全員消されたらしく、その資産は共産党が没収、残った屋敷も共産党の高官の住居となるか、食料や燃料の貯蔵施設として転用されているらしい。
そしてそこにいた本来の住人は、富を搾取したブルジョアなどと言う罪状をでっち上げられ、アパートのベランダに吊るされたのだそうだ。その様子はマカールの奴が添付してくれた白黒写真でも窺い知れるが、思わず目を覆いたくなるような、人の所業とは思えないものだった。
他にも痩せ細った子供が憎たらしそうにプロパガンダのポスターを睨む写真や、ついには口にするものにも困りネズミに手を出す住民たち、摘発される闇市―――まさに地獄のような光景が、白黒写真の中に収められている。
既に副官のヴォロディミルに命じて写真の複製と上層部への提出をさせている。いくら弱腰な対応に定評のある老害連中も、これで皺だらけのレーズンみたいな腰を上げるだろう。
ちなみに以前、私の出撃要請を許可しなかった上官は魔物の掃討作戦中に喰われて戦死したそうだ。せいぜい苦しんで死んでくれたことを祈るばかりである。
パジャマから制服に着替え終えたところで、コンコン、と部屋をノックする音が聞こえてきた。
ノックの音と、それ以前に外から聞こえてきた重い足音。それだけで、誰が訪れてきたかはだいたいわかる。副官のヴォロディミルとはそれなりに長い付き合いだから、奴のクセも頭に入っているのだ。
入れ、と返事を返すと、書類を挟んだファイルを脇に抱えたヴォロディミルが部屋に入ってくるなり、敬礼しながら「失礼します、”少将”」と言った。
今の私は昇進して既に少将となっている。おかげで参謀本部に何度も誘われているが、それはいずれも断った。前線からはるか後方の安全地帯で上手いコーヒーを啜る……戦っている部下たちが血を流している時に、そんな悠長な事が出来るほど私は堕落した人間ではないつもりだ。
それに部下はせめて、私の手の届くところで守ってやりたい……そういう思いがあったから、再三の参謀本部への招集を断った。
だから将校だというのに、私は未だに大剣を片手に前線で戦っている。
「どうだ」
「騎士団本部より、正式な出撃命令が下りました。特殊部隊”ストレリツィ”は帝国騎士団第七大隊を率いて直ちに出撃、リュハンシクを解放せよ……との事です」
「ガリヴポリ方面は」
「マカール・ステファノヴィッチ・リガロフ”大佐”率いるキリウ憲兵隊が既に向かっているそうです。指揮下にはボリストポリ憲兵隊第八即応団、ザリンツィク第一、第二、第三即応団も入っているとの事で、今までに例を見ない大部隊だそうです」
「なるほど、憲兵隊の上層部はやる気満々だな」
具体的な証拠を見せつけられ、憲兵隊も危機感を抱いたらしい。
これが弱腰対応を続け、相手を増長させてきたツケだ。この軍事作戦が終わり東部が解放された暁には、共産党増長の原因を作った穏健派の将校を全員更迭するよう進言するとしよう。
「ヴォロディミル、全員に伝えろ。”愉快な遠足の始まりだ”とな」
「はっ!」
敬礼をしてから踵を返すヴォロディミルの背中を見守り、私は椅子に背中を預けながら息を吐いた。
まったく……お前の行く先ではトラブルが絶えないな、ミカ。
上には上がいるように、下には下がいる。
正直、城郭都市リーネにある実家での暮らしは最悪だと思っていた。みんな、貴族って言えばお金持ちで贅沢な生活をしているなんてステレオタイプなイメージを抱いているかもしれない。
確かにそれは合っている。衣食住に困る事はない、というのが大きなメリットだけど、けれどもそこに自由はない。あるのはただ、窮屈ではち切れそうになるような、息の苦しい毎日だけ。
しかも一族の再興に躍起になる余り、血を分けた娘を権力向上のための道具としてしか見ない母親との生活には、あたしはもう我慢できなかった。これがもう少し、あたしを1人の女として、”クリスチーナ”という1人の娘として接してくれる親だったらもっと違ったのかもしれないけれど。
いずれにせよ、あたしにとってあの実家は監獄で、あそこでの暮らしは最悪だった。これ以上下があるというなら見てみたいとすら思っていたけれど、あれ以上の地獄を目にする日がこうも早く訪れるなんて。
『いいか、贅沢は罪だ! 全ての人民の平等のため、今は空腹に耐えるのだ! これもまた戦いである!』
そんなやかましい声を響かせながら走っていくのは、オリーブドラブに塗装された共産党のセダンだった。ルーフにはスピーカーが増設されていて、そのやかましい声はそこから流れているようだった。
走り去っていくセダンを憎たらしそうな目で見つめるのは、痩せ細った子供だった。
まだ10歳にもなっていないような子供があんな目をするなんて……。
何気なく空を見上げた。
今にも雪が降り出しそうな鈍色の空を、小さな豆粒のような影が泳いでいるのが微かに見える。よく目を凝らしてみるとそれは卵のようで、けれども細く伸びた”尾”があった。
あれはおそらく、パヴェルの乗るリトルバード。作戦に参加する予定の仲間たちを乗せてガリヴポリ上空を飛行、街に張り巡らされた道路や進撃する経路などの確認を行ってるんだと思う。
この作戦は今までにない大規模なものになる、とパヴェルは言っていた。とにかく出せる戦力を全部出して、街を奪還する。そうしなければ未来はない……ここの住民たちにも、そしてあたしたちにも。
大通りから誰もいなくなったのを確認し、あたしはミカが用意してくれたピッキングツールを取り出した。それを使って、貴族の屋敷の近くにある配電盤を解錠。中にある電気配線を弄り始める。
あーあ、これでも元々はあたしお淑やかな貴族の娘だったんだけどねぇ……え、平気で300dBの声を出す女はお淑やかじゃないって? うっさい、MGぶちかますわよ?
「ふー」
「終わりました?」
「終わったわ。帰りましょイルゼ」
見張っていたイルゼと一緒にピックアップトラックに乗り込んだ。後部座席でシートに背中を預けながら地図を広げ、今細工した場所に印をつけておく。
あたしの任務は電気配線に小細工をする事。さっきの配電盤は共産党の連中が仮設の本部として使っている屋敷の裏手に設置されたもので、リュハンシクにいる本隊との連絡に使うための電線を中継しているものみたい。
それをちょっとばかり弄って、使用不能にした。だからこれで襲撃が始まっても、連中はリュハンシクに救援を要請する事が出来なくなったというわけ。
既に今回の一件は憲兵隊や騎士団にも話が回っているらしくて、ミカのお兄さんやお姉さんも動き始めているみたい。
あたしたちは騎士団や憲兵隊の動きに合わせてガリヴポリを内側から攪乱、進撃してくる憲兵隊が突入しやすいようにサポートするのが役目となる。
具体的には、ガリヴポリへと突入を図る憲兵隊に先行して共産党の食糧保管庫を襲撃。制圧した後は奪還するべく襲い掛かってくるであろう共産党の部隊の総攻撃を耐えつつ敵を食糧保管庫に釘付けにして、街の外周部の守りを手薄にする―――味方の到着まで耐え抜かなければならないという、一番ハードな役を請け負う事になる。
あたしたちにそんな事が出来るのかしら、という不安はある。
けれども―――今までも困難を乗り越えてきたのだから、今は自分の力を、そして仲間たちを信じるしかなかった。
「ミカ姉、整備は万全だよ」
機甲鎧のコクピットの中でスイッチを弾き、機体の計器類のチェックをしている俺にルカはそう報告してくれた。
彼の整備はいつも完璧だ。機体のどこにも異常はないし、背負っているガソリンエンジンの回転数を示す回転計の針にも異変は見られない。今は安定して1200rpmを堅持、順調にエンジンが温まりつつある。
燃料計も異常なし、燃料漏れもない。各種駆動部にも異常はなく、電気系統もオールグリーン。
「パーフェクトだ、ルカ」
「気を付けて。無茶は駄目だからね」
「はいよ、勝利の知らせを待ってな」
彼に親指を立てると、ルカも親指を立ててからコクピットを離れた。搭乗用のタラップが外されたのを確認してからコクピットを閉鎖、正面のメインモニターに頭部のカメラから表示される映像が乱れなく映っている事を確認する。
既に隣では、モニカの登場する機甲鎧の2号機が、ウェポンラックから自衛隊で採用されている『96式自動擲弾銃』をベースに改造したものを手にとって、格納庫から出撃していく様子が見えた。
半クラからそっとアクセルを踏んで機体を前進させ、同じくウェポンラックから96式自動擲弾銃と予備の弾薬箱を手に取る。装填されているのは非殺傷用の電撃榴弾、つまりは炸裂の代わりに放電を起こし加害範囲内の敵兵を無力化する代物だが、非常時に備え通常の榴弾が入った弾薬箱も携行しておく。
ピストルグリップとフォアグリップが追加装備され、さながらショートバレルタイプのライフルのような見た目になったそれを手に、俺も機甲鎧を加速させ格納庫から飛び出した。
既に最後尾の格納庫からは、切り札であるBTMP-84-120も出撃しており、モニカに遅れて出撃してきた俺の姿を見るや、機甲鎧のスピード(だいたいハンヴィーと同じくらいだ)に合わせて進撃を始めた。
それから少し遅れ、ヘリを収納している第三格納庫からクラリスの操るキラーエッグも出撃。メインローターの轟音を高らかに響かせながら、ミニガンとロケットポッドをぶら下げた獰猛な戦闘ヘリが夜空へと舞い上がる。
BTMP-84-120には操縦手を担当するイルゼ、それから砲手と車長を兼任するパヴェルが搭乗。兵員室には歩兵として範三とリーファが乗り込んでいる。
そして俺とモニカは機甲鎧のパイロットとして、より歩兵に近い距離での火力支援を行うという、過去に例を見ない攻撃的な布陣となっている。
機甲鎧2機、重歩兵戦闘車1両、歩兵2名、戦闘ヘリ1機。今の血盟旅団で出せる最高戦力だった。
目的地はガリヴポリ市街地中心部、食糧保管庫。
東部解放作戦の第二段階が、こうして始まった。




