兄姉への手紙
「……」
共産党が接収したガリヴポリ議場の周囲を警備しているのは、銃剣付きのマスケットを身に着けた共産党の兵士たちだ。彼らの手にあるのはスパイク型銃剣が取り付けられ、さながら槍のような姿になった一世代前のイライナ・マスケット。後装式の単発銃が主役の座に取って代わった現代においては、二線級の兵器に格下げされ、やがては戦争の歴史の中から姿を消していくであろう存在である。
いくら旧式化し在庫が大量にあるとはいえ、これだけの兵士に支給できるだけの数を一体どこから仕入れたのか。まさか密造ではあるまいな、と思いながら、8人くらいで並びながら市内をパトロールする兵士たちの一団を撮影のためにズームアップしてみる。
イライナ・マスケットは仕様によってそれぞれ外見に差異がある。銃身の長さの違いや着剣装置の有無、微妙な口径の違いなど派生型は多岐にわたるが、それ以外にも製造する工場によって若干仕様が異なっている事も珍しくはなく、長射程に大威力で戦場での信頼を勝ち取った兵器であると共に、『どれひとつとして同一の個体が存在しない』とまで言われるほど、その個体差にはばらつきがあるのだ。
とはいえ、こういった事は昔の軍用銃では珍しくはない事だ。部品に規格という概念が導入される以前はこれが当たり前で、前世の世界で小銃の部品に規格が本格導入されるのは、アメリカのM1ガーランドの登場を待たねばならなかったのだから。
それはこっちの世界でも同じようだが、しかしそんなばらつきの大きなイライナ・マスケットにも共通している事はある。
ストックの部分にはプレートが埋め込まれており、そこに製造した工場とシリアルナンバーが刻まれている、という事だ。
プレートの材質や形状などは製造された時期や工廠によって異なるが、そこにプレートが埋め込まれ、その個体がどこの工廠で製造されたものなのかを識別するためのナンバーもある。密造された個体にはこれがない、またはシリアルナンバーの規則とは全く違う番号が刻まれていたりするので、それなりに知識があれば正規品か密造品かを一発で見分ける事が出来るのである。
ズームアップしてみると、確かにそこにはプレートがあった。
やや錆び付き、年季の入った個体である事が分かるが、そこにはエルソン工廠のものとも、そしてザリンツィク工廠のものとも異なる刻印が刻まれている。
イライナ・マスケットの製造元はその2つの工廠なので、この時点で密造銃である事が分かる。
「オイオイ……」
ノヴォシア帝国において、小銃の密造は大罪だ。
止むを得ない状況(魔物や盗賊などの外敵に備えるため、または戦時中などで銃が不足した場合などがこれにあたる)のため当局に製造数と配備先を明記した書類を提出し認可された場合を除いて、銃器の密造は全面禁止されているのだ。だから武器屋とかで売ってる銃も銃職人が組み上げたものではなく、製造元から仕入れたものである。
ちなみに申請し認可を受けた密造銃も、使用後はきっちり数をそろえて当局に回収してもらわなければならない。これらの処置を怠ると30年以上の懲役、あるいは2000万ライブル以上の罰金、あるいはその両方が科せられる。
貴族や住人の虐殺に食料の強制徴収、そして反対派の徹底した弾圧……共産党の支配地域はもはや地獄だった。ディストピア、という言葉ですら生ぬるい。
一刻も早く解放しなければ、と使命感をより一層強固にしながら、俺は偵察に使っていたアパートの屋根から滑り降りた。雨樋に手を引っかけて減速、そのままするすると路地裏へと降りていく。
とりあえず、これで必要な情報は集まった。ガリヴポリでは俺も顔が割れているし、長居は無用だ。列車に戻って写真を用意し、手紙を書いて姉上と兄上たちに提出する準備をしなければ。
路地から大通りを見ると、痩せ細った住人たちが列を成しているところだった。いったい何をしているのかと思いながら眺めていたが、どうやら食料の配給のようだ。ボロボロの布切れと化したコートを身に纏い、寒そうに手をこすり合わせる女性や老人、子供たち。彼らの列の先頭に居るのは共産党の荷馬車で、マスケットやサーベルで武装した兵士たちの監視の下、住民に食料の配給が行われている。
「いいか、食料は1人につきパン1個、ジャガイモ5つだ! それ以上は認めん!」
あれはいったい何日分の食料なんだろうな、と思う。まさかあれで冬を乗り切れと言うのではあるまいか。
子連れの母親が持っているパンかごに、兵士が黒パン3つとジャガイモを15個放り込んでいく。食べ盛りの子供にとってはあまりにも少なすぎる量だ。冬が終わる頃にはいったい何人が生き残っているのだろうか。
兵士に見つかったら面倒なので、とりあえず食料の配給を撮影してから引っ込んだ。
ざく、ざく、と音がする。
誰かが穴を掘っているようだ。路地の奥から聞こえる音が気になったのでそっちの方を覗いてみると、案の定そこには痩せ細った中年の男性がいた。錆び付いたスコップで、霜の張った地面を一心不乱に掘っているようだ。
「ん、なんだいお嬢ちゃん」
俺の気配に気付いたのだろう、ウシャンカを被った中年の男性はこっちに視線を向けながらも、霜の張って硬くなった地面を掘り続けていた。
「ええと、何をしてるんです?」
「食うものがないから地面を掘ってるんだ。地中で冬眠してるイライナネズミはご馳走だぞ」
絶句した。
イライナネズミはその名の通り、イライナ地方に生息する固有種だ。食糧庫に忍び込んでは冬のための備蓄を食い荒らしたりするので害獣とされている。しかも冬眠する上に病気を媒介する事も多く、過去にはあの赤化病蔓延の原因となり大量に殺処分された事もある。
衛生的に大問題を抱えているので、まず食用とはならない。可食部も少なく食えたもんじゃないが、そんなネズミすら食わなければやっていけないほど、ガリヴポリの人々は追い詰められているのだ。
地中から出てきたイライナネズミの首をへし折ってそのまま口へと運ぶ男性。俺だったら絶対に無理だが、何の躊躇もなく口に運んでいる(しかも火を通していない)ところを見ると慣れているのだろう。
男性に別れを告げ、路地の奥へと進んでいくと、穴の開いたドラム缶の中に燃やせそうなものを詰め込んで火を起こし、暖をとっている集団の姿が見えた。家族だろうか。中年の男性と女性、それから鹿の獣人と思われる3人の痩せた子供が、火の上に置かれた金網の中で焼けていくイライナネズミの串焼きを見つめている。
「知ってるか、西区の闇市が昨日摘発されたらしい」
「嘘だろ……あそこくらいだぞ、食料品扱ってたの」
「どうしろってんだ。食料も燃料もない……ウチには子供が5人もいるのに」
切羽詰まった住人たちの会話を耳にしながら、路地の奥にシートをかぶせて隠しておいたベスパに跨った。
エンジンをかけて路地を飛び出し、そのままガリヴポリ郊外を目指す。
冬が来る前に、ガリヴポリとリュハンシクを解放しなければならない。
そうでなければ皆が死ぬ。
住人達も、そして俺たちもだ。
「……」
もう、疲れた。
晴れ渡るキリウの空。なんか、嫌な事がある日に限って空って晴れ渡っているように思えるのは気のせいだろうか。せめてどんよりとした曇り空であればいいのに。
虚ろな目で空を見上げながらそんな事を考えてしまうほど、今のマカール君の心は曇っていた。脳内の二頭身マカール君ズもぐったりとしていて、どいつもこいつもやる気がない。
だから貴重なお昼休みの時間も、こうして自分の執務室のデスクでぐったりとしながらケモミミをぺたんと倒し、窓の向こうに見える晴れ渡った空を見つめる事くらいしかやる事がない。
ウチの母親、ついに職場にまで電話をかけるようになってきた。
内容はもちろんお見合いの件について。電話局や事務員にウチの母からの電話は絶対に俺に回さないように、とついさっき厳命したのでもう職場まで電話をかけてくる事はないだろうけど……屋敷に戻るのが憂鬱だ。俺もう出て行こうかな。
真面目に家出を考えていると、食道から戻ってきたと思われるナターシャが執務室に入ってきた。手には書類が挟まったファイルと、それから何やら手紙と封筒を持っている。
「隊長、お手紙です。”妹”さんから」
「ミカから?」
ナターシャから手紙を受け取りながら、さては旅先での土産話とか写真でも送ってきたな、なーんて考える。ミカの奴、事件とかそういう憲兵隊や法務省を動かす案件には電話を使うのが殆どだ。こういう手紙の内容はいつ里帰りする、とか、旅先での土産話が大半だ。
そろそろ冬が近いし、アイツもちゃんと備えをしていればいいのだが……そう思いながら手紙の中身を見た俺は絶句した。
そこに記されているのは、ミカたちが今ガリヴポリで足止めを喰らっている事と、そのガリヴポリの惨状だった。軽い話だと思っていた俺は、予想外の方向から飛来したボディブローの如く重い話にノックアウトされる羽目になったのである。
飢えた住民、ノヴォシア共産党の実効支配された東部地域の惨状、吊るされた貴族たちの遺体。そこにはすべてが克明に、ミカの筆跡で記されていた。
まさか、と封筒を開封すると、中から出てきたのは大量の白黒写真だった。食料の配給に並ぶ痩せ細った住民たちや、共産党のプロパガンダポスターを憎々し気に睨む痩せた子供。アパートのベランダに吊るされた貴族の遺体に、住民たちから強制徴収した食料を倉庫に運び込む共産党の兵士たち。
ミカの手紙に記載のあったそれら全てが、事実の裏付けと共に添付されていた。
「隊長、これは……」
「……よもや、こんなにも悪化しているとは」
イライナ地方東部に位置するリュハンシク市。以前から共産主義者が暗躍していた地域だが、2年前になってノヴォシア共産党の連中が街を実効支配するようになった。騎士団も何故か奪還のために部隊を派遣する事はなく、市の外周部を定期的にパトロールさせて圧力をかけるに留まっていて、騎士団の弱腰の対応が批判されていたのは記憶に新しい。
最近ではそこを足掛かりに、共産党の連中はガリヴポリまで実効支配するようになったと聞いていたが……その話はどうやら本当だったようだ。
それどころか、貴族まで手にかけるとは。
連中に国家を転覆させる力などない、所詮は田舎の民兵に過ぎない……そう見下していたが、その認識は改めなければならないようだ。
そしてもし、こんな連中が帝国を手中に収めるような事になったらどうなるか。
待ち受けているのは、人権が平気で踏み躙られるような地獄でしかない。
おそらくだが、憲兵隊や騎士団の多くが俺と同じ認識だろう。満足な装備もない田舎の民兵に大国の転覆など出来る筈がない、と。
だがもし、このままイライナで共産党が勢力を拡大するような事になれば面倒な事になる。
イライナはノヴォシア全土における食糧生産の大半を請け負っている地域だ。それどころか友好国への輸出も行っていて、ゆえに”世界のパンかご”とも呼ばれている。
そこを押さえられてしまえば、食料供給は大きく滞る。ノヴォシア地方の寒冷で硬い土壌では、イライナのように豊富な農作物は採れないだろう。仮に収穫できたとしても、質はイライナのものよりも大きく劣る筈だ。
ノヴォシア共産党の連中はそれを承知で、イライナ地方に楔を撃ち込んできた……そういうわけである。
いずれにせよ、このまま見過ごしているのは危険だ。
国家の存亡にも関わる案件だし、何よりガリヴポリの住民たちの命に係わる。
「ナターシャ」
「はい、隊長」
「この写真を全部コピーしろ。終わったら俺のところに持ってきてくれ、騎士団本部に郵送する」
「了解しました、宛先は」
「決まってる」
この案件を任せられる人物は、俺の知る限り1人しか知らない。
リガロフ家の至宝とまで呼ばれ、帝国騎士団特殊部隊『ストレリツィ』の指揮官にまで上り詰めた女傑。
アナスタシア姉さんしかいない。
あの人ならば―――きっとこの危機を共有してくれるだろう。
空には星が瞬いている。
よく見てみると星の光にも違いがある。紅く燃える星、蒼く輝く星、そして宇宙の彼方から飛来し、どこかへと流れ去っていく星。何千年、何万年も前から、この光景は変わらないのだろう。
そしてそれは、これからもきっと変わる事はない。
「……やるべき事はやった」
星空を眺めながら言うと、傍らに控えるクラリスも頷いた。
マカール兄貴に手紙は出した。ガリヴポリの惨状を伝え、証拠の写真も添付した。きっと今頃、兄上を通してリガロフ家の兄姉たち全員にこの話が行き渡っているはずだ。
そしてそれは、帝国首都モスコヴァにある騎士団本部、そこに勤務しているアナスタシア姉さんの元にも届くだろう。
騎士団の多くは共産党を見くびっている。満足な戦闘経験も無ければ軍備も貧弱な田舎者の民兵、と侮っているのだ。それが着実に勢力を伸ばし、イライナ東部を完全に手中に収めようとしている事も知らずに。
そうなる前に、叩き潰さなければならない。
とにかく、今の段階でやれることはやった。
あとは次の段階でやれることをやるだけだ。




