逃走車両調達作戦
ペレノフ教会は、リーネの高級住宅街の一角にあった。これでもかと贅を凝らした派手な屋敷ばかりが乱立するその中であっても、教会は目立つ。騎兵が持つ槍みたいに長大な、円錐状の屋根。それを切り離せば巨人用の槍でも作れそうなほどのサイズである。
あそこで3日後、モニカの結婚式が行われる。花嫁本人は決して望まない、死刑宣告にも等しい結婚式が。
上着のフードを被り、顔を見られないよう周囲に気を付けながら歩いた。石畳でしっかりと舗装された道路は磨き抜かれていて、まるで鏡のよう。アスファルトの舗装では決して発する事の無い輝きに違和感を覚えながらも、周囲に誰も居ない事を確認して街灯をよじ登る。
ハクビシンの獣人として生まれてよかったと思う事は、生まれつきパルクールが得意である事だ。もちろん練習してそれを完璧なものにしたつもりだが、元々素質はあったらしい。ハクビシンは木の上や電線の上を軽々と移動できる身体能力を持つから、それが獣人としての肉体に反映されているのかもしれない。
手のひらにある肉球も、滑り止めとして機能するから本当に頼りになる。大事な局面で手が滑って転落死……なんて事になったら笑えない。
しなやかに、それこそ都会の電線の上を悠々と進むハクビシンの如く、電柱によじ登ってから電線の上に足を置いた。ミカちゃんの体重はとっても軽いのだ。肉弾戦となったら体重の無さは不利に働くが、”柔よく剛を制す”という言葉もある。考え方次第ではこれは利点にもなり得る。
言っておくが、ミカエル君転生前は空手やってたからねマジで。一応黒帯だからねマジで。あと柔道もかじったよ、一年だけだけど。
電線を伝って屋敷の屋根の上へ。庭では雇われた庭師たちがせっせと手入れをしている姿が見えるが、みんな仕事熱心なようで、白昼堂々と屋敷の屋根を踏み締めている部外者の存在には気付いていないようだった。
屋根の上からペレノフ教会を見下ろす。
「……行けそうだな」
ワイヤーか何かがあれば、ここからペレノフ教会の屋根まで飛び移れそうだ。後はそこからステンドグラスをぶち破って突入し、モニカを救出して電撃的に離脱……そういう流れになりそうだ。
具体的な作戦を頭の中で組み立てつつ、視線をペレノフ教会の出入り口へ。貴族御用達の教会という事もあって、入り口にも豪華な装飾が見える。あれを盗めたらいくら位になるんだろうな、などという強盗のような思考を断ち切って、逃走経路として有用か否かを判断してみる。
悪くはないが……いくら何でも人目につきすぎる。
通報を聞きつけた憲兵隊が駆けつけてきたら、あそこで銃撃戦を繰り広げる事になる。警備兵がどの程度持ちこたえられるかにもよるが、時間内にそれを突破できなかった場合、大慌てで駆け付けた憲兵隊と大通りを挟んで銃撃戦だ……いくらなんでもそれはぞっとしない。
とはいっても、パヴェルが下見に行った際に”仕込み”を準備していてくれたらしい。曰く『パヴェルさん特性の即効性睡眠ガスだ』との事だ。イライナハーブとジギタリスを調合して作ったものらしいが……それに期待するのであれば、あそこからの正面突破も選択肢としてはアリかもしれない。
プランBは裏口だ。こっちは守りも監視も手薄だろうが、逃走車両を隠す予定の空き地からは離れている。脱出は楽だが、その後が山場になる事は想像に難くない……とりあえず、どちらを選択するかは突入した時点での状況で判断する他ない。
下見はこれでいいか。
さて、後は逃走車両の調達だ。どこかに”花嫁強盗”に使えそうな、4人乗りのセダンを無償で貸し出してくれる太っ腹な貴族は居ないものか。
比喩表現じゃなく、マジな意味で腹が太い貴族だったら腐るほどいるんだけどな……仕方ないよ、ノヴォシア料理はアホみたいにマヨネーズ使うんだ。クッソ寒い雪国で効率的にカロリーを摂取するための工夫で、日本食で醬油とか味噌を使うノリでマヨネーズを使う。
それだけならまだしも、みんな何にでもマヨネーズを使うんだ。サラダのドレッシング代わりに使ったりするのならまだしも、パンに塗ったり揚げ物に塗ったり……レギーナ、そんな食生活でなぜあのすらっとしたスタイルを維持できていたのか俺には分からないよ。
電線を伝って隣の屋敷へ向かい、そこから大通りを見渡す。
狙えそうな車はないものか、と車道を見下ろしていると、良い感じのセダンが視界に入った。映画館へ子連れの貴族たちを送り届けに来たらしく、セダンの後部座席から男性と女性、それと小さな子供たちが3人ほど降りていくのが見える。
運転手は映画が終わるまで、どこかで時間を潰すつもりのようだ。映画館前から車を走らせ、大通りから離れていくのが見える。
「……」
狙いを定めたからには、逃がしてたまるものですか。
屋根の上から電線の上へ。大通りを横切って貴族の屋敷の屋根を横断、車道を走るセダンとの距離をショートカットして詰めていく。
両足に力を込めて大きく跳躍、建物の雨樋に手をかけて落下の勢いを殺しつつ路地裏に着地。ゴミ箱の中の残飯を漁っていた野良猫諸君を驚かせたことに罪悪感を感じながらも、とりあえずはジャコウネコ科なんだから許してよ、などと謝罪にすらならない思考を思い浮かべながら突っ走る。
路地裏を抜け、乱雑に積み上げられた木箱をジャンプ台代わりにして大きくジャンプ。建物の窓枠に手を引っかけて壁をよじ登り、屋根の上へと駆け上がる。
そこから車道を見下ろしてみると、さっきのセダンが見えた。どうやら貴族たちが映画を見ている間、お菓子でも買って時間を潰すつもりらしい。菓子パンの専門店の前に車を停め、何とも間抜けな事にエンジンをかけっぱなしにして運転席を離れやがった。
どうせすぐ戻るから、とか、リーネの街中だし治安は良いだろうという思い込みでそんな事をするのだから、ここに居る強盗の卵に狙いを付けられるのだ。
運転手が入って行った菓子パン専門店”ムリーヤ”はキリウにもあった。労働者でも手が出せるくらいの価格の菓子パンから貴族向けの高級菓子パンまで幅広く取り扱う店で、いつも大繁盛していたのを思い出す。リーネに出店したその支店も例外ではないようで、店の中では菓子パンの並んだ棚を眺める子連れの客や仕事帰りの労働者が列を作っていた。
あの様子じゃ15分は出て来ないな、と判断。少なくとも運転手と鉢合わせになることは無いと踏み、電線を伝って車道の反対側へ。するすると電柱を降り、セダンの運転席へと滑り込んだ。シートを前に寄せて両足がアクセルやブレーキ、クラッチペダルに届く事を確認してからシートベルトを締める。
ちらりと店内を確認し、運転手がこっちに気付いていない事を確認しながらクラッチペダルを踏み込んだ。シフトレバーを操作してからアクセルを軽く踏み込み半クラへ、エンストに注意しつつそのまま一気にアクセルを踏み込んで車を発進させる。
車道に出ながらシフトレバーを操作、ギアチェンジを行いつつ、異世界の車の運転方法が前世の世界のMT車と全く同じ方式であったことに感謝する。
懐かしいなぁ、教習所で半クラのタイミングを何度もミスってエンストしたっけ……。
頭の中で列車の待っている場所を思い出しつつ、ハンドルを切って大通りを左折。そのままリーネの防壁の方へと向かい、防壁の外へと繋がる道路を通って城郭都市を脱出。ここまで来ればもうこっちのものだ。
線路沿いに道を進み、針葉樹がちらほらと見え始めたところで、列車用に作られた待避所の停車している俺たちの列車が見えてきた。ソ連製機関車のAA-20、間違いない。
「ん」
列車の後方へ回り込むと、見慣れない車両が連結されている事に気付いた。3両の客車の後ろに、オレンジ色の塗装が施された貨車が1両だけ連結されているのだ。何じゃありゃ、とまじまじと見つめながら後ろへ回り込むと、貨車の後部のドアがゆっくりと開き、中でクラリスがニコニコしながら手を振っていた。
「こっちですわご主人様!」
「お、おう」
ハンドルを切って線路の上へ。車のサスペンションがそんなに性能が良くない事もあって、すっげえ不快な揺れがミカちゃんを襲う。これ大丈夫? と不安になりそうな揺れを何度か繰り返し、盗難車は無事に貨車の腹へと収まった。
エンジンを切って降りる。貨車の中には整備用の工具がずらりと並んでいて、もう1両くらいなら車両を格納できそうなスペースがあった。
車両の調達にクラリスが同行しなかったのは、パヴェルが『手伝ってほしい事がある』と直前に言いやがったからなのだが……これか、もしかして。
へえ、と呟きながら車両の中を見渡していると、ツナギ姿のパヴェルが酒瓶を片手に姿を現した。
「どーだミカ、車両格納庫! いいだろ!」
「お前こんなんどっから……?」
「いやー、リーネに下見に行った時に郊外に良い感じに廃棄されてた貨車があったんでな。お前が調達に行ってる間、こっちも貨車を調達してきたってわけさ」
「で、クラリスにも手伝ってもらったと」
「頑張りましたわ、ご主人様のために!」
えへんっ、と大きな胸を張るクラリス。ぶるんっ、とGカップのおっぱいが揺れるがコレわざとやってるんだろうか。それとも気付いてないんだろうか。後者だったら可愛いんだが。
「このサイズだ。さすがに主力戦車級は無理だが、WWⅡとかの中戦車や軽戦車級だったら2両は格納できる。今後の作戦に活用できそうじゃないか?」
「まあ、確かに」
「頑張って拡張すれば主力戦車入るか……? まあ、まだその辺の寸法は測ってないが、何とかなるだろ。というか俺が何とかする」
戦車か……戦車ねえ、強盗にそんなもん使うか?
こんな車両の中に戦車が2両もみっちりと詰まっているのを想像していると、クラリスが「ああ、そういえば」と言いながら俺の肩を軽く叩く。
「ご主人様、列車の名前が決まりましたわ」
「ああ、何になった?」
実は調達に行く前、名前の候補をいくつか挙げておいたのだ。その中から車両の調達中に2人に選んでもらう事になっていたのだが、それが決まったらしい。
「”チェルノボーグ”に決まりましたわ」
「やっぱりな。自信あったんだ」
チェルノボーグ―――スラヴ神話に登場する”黒き死神”、それがこの列車の名前の由来。
物騒な名前だが、パヴェルの車両基地で眠っていたあの機関車を見た時、真っ先に頭に思い浮かんだのがその名前だった。黒く、力強い、神出鬼没の冒険者の拠点を牽引する機関車。なかなかぴったりな名前ではないかという自負があったんだが、仲間たちもそれに同意してくれたらしい。
自分の意見が通ってちょっと嬉しくなる。
「さて、俺はこれから作業に入る。腹減ったろ、食堂車にハンバーガーを用意してたからな」
「ああ、サンキュ」
これからパヴェルは一仕事だ。ナンバープレートの取り換えと防弾ガラスへの換装、簡易装甲の取り付けに処分用の爆薬の設置を行い、作戦決行当日までに仕上げなければならない。
こちらも3日後に訪れる”本番”に備え―――やらなければならない事がある。
パパン、パパンッ、と乾いた音が連鎖する。
銃口から放たれた低致死用のゴム弾が人型の的を直撃、腕や足、腹などの部位に的確にヒットしていく。通常の弾薬とは異なりゴム弾は殺傷力が低く、対象を悶絶させる程度で済ませることも可能だが、弾丸の素材が変わっても弾丸は弾丸。音速で飛来する弾丸に殴打されればただでは済まない。
狙った部位によっては普通に死に追いやる事もあるので、ヘッドショットは厳禁だ。
ボルトハンドルを後退させて引っかけ、空になったドラムマガジンを取り外す。腰の後ろにあるダンプポーチの中に使用済みのマガジンを放り込んで予備のマガジンを引っ張り出し、装着してから引っかけていたボルトハンドルを叩き落す。
ガチン、という金属音と共に初弾が薬室へと装填される。
このG3系列の銃特有の操作方法にもだいぶ慣れてきた。
俺のMP5もだいぶカスタムした。A5をベースにハンドガードをM-LOKハンドガードに変更、ライトとバーティカル・フォアグリップを装備している。ストックは従来の伸縮型で、マガジンは打ちまくって相手を制圧する事を想定しドラムマガジンを採用。光学サイトはロシアのPK-120を採用した(結局これが一番使い慣れているからだ)。
もちろん、装填しているのは実弾ではなくゴム弾だが。
隣で豪快に撃ちまくっているクラリスも、”花嫁強盗作戦”で使う予定の銃の訓練に勤しんでいる。彼女が持っているのはMP5……ではなく、後部がずいぶんとずんぐりとした、ブルパップ式のSMGだった。
中国製SMGの”JS9mm”だ。
95式自動歩槍、QBZ-95を今の中国軍は採用しているわけだが、それをベースにした”QSZ-05”と呼ばれるSMGも並行して採用している。それを更に改造し、使用弾薬を中国独自規格のものから一般的な9mmパラベラム弾に変更したのが、クラリスがメインアームとして選んだJS9mm、というわけだ。
彼女はブルパップ式の銃に思い入れでもあるのだろうか? とはいえ、ベースとなった銃から派生したモデルの1つだから操作方法も似通っているし、訓練も短期間で済むから理に適っているとは言えるだろう。
しかも嬉しい事に、MP5のマガジンをそのまま流用できる点もポイントが高い。
訓練用に用意した弾丸を撃ち尽くしたところで、ちらりとカレンダーを確認する。
”花嫁強盗作戦”決行まで、あと1日―――。
準備はしてきた。できる事もやった。
あとは勝利の女神がどちらに微笑むか―――。




