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飢えの街


 異様な雰囲気に包まれているのは、駅だけではなかった。


 ガリヴポリの駅から外に広がる市街地。ここはマルゾフ海に面する沿岸の街で、アレーサと並んで活気に満ちた場所、と屋敷で読んだ本には書いてあった。そこには船から水揚げされた大きな魚と並んで誇らしそうに記念撮影をする漁師の姿や、新鮮な海産物を目当てに市場を訪れる人混みで賑わっている様子が白黒写真に収められていて、心地良い潮風と客引きの声がアクセントとなった素敵な場所なのだろう、という期待に胸を膨らませずにはいられなかった。


 冒険者ノマドになって冒険の旅に出た暁には、一度は訪れてみようと頭の片隅で考えていた場所であるだけに、屋敷で読んだ本の内容と現実との乖離かいりに動揺を隠せない。


「ここが……ガリヴポリ?」


 本当にか、というニュアンスを含んだ心の呟きが、理性の制止を振り切って口から溢れ出る。


 思わずそう呟いてしまうほど、市場のあったであろう場所は閑散としていて、大通りに並ぶ店の大半はシャッターが下りていた。そうじゃない店も、多くが『Сросёд(閉店)』と記載されたプレートを表口にぶら下げている。


 開店している店は数えるほどしかなく、しかも店内の商品棚には何も並んでいない。食品店も、雑貨店も、洋服店も、どこもかしこもそんな感じだった。


 購入した物資を入れて持ち帰るためのカーゴを牽引したケッテンクラートの後部座席に乗りながら、俺は異質な雰囲気の街を見渡す。店の奥にあるカウンターでは、商品が無ければ客も居ない閑散とした店の中、退屈そうな様子の中年の店主が、これからの生活をどうするかと悩んでいるところだった。


 気のせいか、大通りを行く通行人の顔にも活気はない。子連れの親子も表情が暗く、ウシャンカの下にある顔は痩せているようにも見える。


 その親子だけではない―――仕事帰りと思われる労働者も、退屈そうにしている店の店主も、そして路地裏でぐったりしている男性も、みんな痩せ細っていた。


「何ですの、これは」


 ケッテンクラートを運転するクラリスも、その異様な光景にそんな言葉を漏らす。


 活気がない―――。


 まるで街全体が死んでしまっているかのようだ。


 ケッテンクラートの後部座席で揺られながら、ポケットからスマホを取り出した。連絡先のリストの中からパヴェルを選択して画面をタップ、モニカと一緒に石炭や保存食の買い付けに向かっている筈のパヴェルを呼び出す。


《もしもし?》


「もしもし? すまん運転中か」


《心配ない、モニカに運転させてる。んで用件は……何となく予想がつくが》


「ああ……街の様子がおかしい」


 電話しながらも周辺を見渡す。


 大通りをだいぶ進んだ。そろそろ街の中心部に差し掛かる頃だと思うが、周囲の風景は変わらない。いくつか営業中の店がちょっとばかり増えてきた程度で、それ以外は何もかもが同じだ。シャッターの閉まった店、閉店した店、死んだ顔で大通りを歩く通行人。


 それから新たに目立ち始めたのは、閉店した店のシャッターにペンキで殴り書きされた、標準ノヴォシア語の文字だった。


【Пё рвонёвтя нётйизк!!(労働者よ、立ち上がれ!!)】


 スローガン……だろうか。


 その傍らには、赤い旗を掲げた軍服姿の兵士が描かれたプロパガンダ用のポスターも貼り付けられている。背景では鎌を手にした農民とハンマーを手にした労働者が、手を取り合いながら笑みを浮かべる様子も描かれているが、しかし現実とは程遠い。


 この街を実効支配しているというノヴォシア共産党のプロパガンダポスターなのだろう。中にはそのポスターに描かれた兵士を憎々し気に睨んでいく通行人もいて、彼らがガリヴポリの住民にどう思われているのか窺い知る事が出来た。


 やはり、歓迎されてはいないらしい。


「これ、物資手に入るか?」


《分からん……努力はするが、ここでダメならリュハンシクでも同じだ。最悪の場合、マズコフ・ラ・ドヌーまでノンストップでいく事も考えにゃあならん》


「でもそれじゃあ、冬の分の備蓄が足りなくなるぞ」


《分かってる……クソ、どうなってやがる?》


「ノヴォシア共産党の仕業か?」


《可能性はあるな。とりあえず物資の調達を。最低でも何が起こっているか、情報は掴んできてくれ》


「分かった」


《それと気を付けろよ、ミカ。共産主義者ってのは暴力で物事を解決しようとする。そして連中はメンツを潰される事を何よりも嫌う》


「そうだろうな。ソ連の惨状(前例)はよく知ってるつもりだ……そっちも気を付けて」


《はいさ》


 何でこんなにも、嫌な予感というのは的中してしまうのかね?


 通話を切り、ポケットにスマホを押し込んだ。


 再びノヴォシア共産党の連中が列車を”訪問”してくる可能性もあるため、血盟旅団の列車では未だかつてないほどの警戒態勢が敷かれている。


 普段ならば最低限の警備要員を残して物資の買い出しや仕事に行くところだが、今回は外出メンバーを4人までに制限、他のメンバーは列車の警備とし、機関車もかまに火を入れたままキープ、いつでも出発できるように備えている。


 いつものようにリラックスした感じで街の散策……とはいかないのだ。まるで戦場のど真ん中にやってきたかのような緊張感に苛まれながら、ホルスターの中に収まっているハードボーラーの感触を確かめる。


 中に収まっているのは麻酔弾……実弾のマガジンも持ってきたが、こっちの出番がない事を祈るばかりだ。


 食料を購入できそうな店を探すが、どこも店仕舞いしているところばかり。左右をきょろきょろしながら大通りを走っている間に、ついにガリヴポリの大通りが終わってしまい、更に閑散とした、さながらゴーストタウンのような風景が眼前に広がった。


 嘘だろ、と呟き、クラリスにケッテンクラートを路肩に停めてもらう。後部座席から降り、近くにあった開いている店へと足を踏み入れる。


 店内は随分と寒かった。薪ストーブが置かれており冬への備えは万端に見えるが、しかしその薪ストーブに火が燈っている様子はない。寒々とした空気の中、ひんやりと冷え切った鉄製のオブジェとしてそこに置かれているだけだ。


 そしてやはり、商品棚には何も品物がない。ジャガイモや黒パン、干し肉にドライフルーツといった冒険者御用達の保存食が売られていたであろう棚の上は閑散としていて、値札だけがぽつんと置かれ、そこに商品があったという事を告げている。


 何もない棚をきょろきょろと見渡しながら奥へと向かい、カウンターのところですっかり冷えてしまったコーヒーを啜っていた店主に声をかけた。


「すいません、さっきこの街に来た冒険者なんですが……できれば食料を買いたいのですが、どこのお店にも品物が置いてなくて」


「……」


 ゆっくりと、店主が顔を上げた。


 脳天から眉間にかけて生えている白い体毛―――俺と同じハクビシンの獣人だった。けれども違うのは、俺が人間に尻尾とケモミミ、そして肉球を生やしたような姿の第二世代型であるのに対し、より獣に近い骨格の、というより”二足歩行の獣”といった感じの姿をした第一世代型の獣人である点だろう。


 疲労か、それともストレスからか、よれよれになってしまった髭をピクリと動かしながら、高齢の店主はマグカップをカウンターの上に置いた。


「お嬢ちゃん、アンタ余所者かい」


「ええ」


「……なら、悪い事は言わない。早いとここの街から離れなさい」


「……」


 ハクビシンの店主は寒そうに身を震わせ(ハクビシンは寒いのが苦手なのだ。俺もである)、肉球のある手をこすり合わせながら言葉を続けた。


「食料や燃料なら、みーんな共産党の連中が持って行っちまったよ。”人民に平等に分配する”なんて言ってたけど、ウチや近所には何も分配されやしない。隣の地区の連中に届いたのはパン2個とジャガイモ7個……それだけの食糧で、一体どうやって冬を乗り切れっていうんだい。イライナの冬は6ヵ月もあるんだよ……」


 ―――ホロドモール。


 ソビエト連邦時代のウクライナを襲った未曽有の大飢饉―――ウクライナの歴史に刻まれた悲劇を思い起こしたのは、俺だけではないだろう。


 どうしてどの店も閉店に追いやられ、あるいは商品が何一つとして残っていない状況なのか、よく分かった。


 ノヴォシア共産党を名乗る連中が全てを持ち去っていったのだ。『全ての人民に、富を平等に分配する』という理想の元に。


 しかし、現実はどうだろうか。食料も、冬を乗り切るための燃料も”徴収”され、貧困にあえぐ人民にそれは平等に分配されたのだろうか?


 この惨状を見れば結果は明らかだ。


 冬の到来までの秒読みは既に始まり、6ヵ月にも渡る永い冬はもうすぐそこまで迫っている。しかし彼ら人民の元に満足な量の食料も無ければ燃料もなく、このままではガリヴポリの住民の大半が餓死か凍死の道を辿る事になるだろう―――暴力を盾に徴収し、私腹を肥やした共産主義者ボリシェヴィキを除いて。


「そんな事が……」


「アイツらの言葉を信じた私たちが馬鹿だったのさ。富を貪る貴族共とは違い、我々は平等に富を分配する、なんて言葉に夢を見た……そして裏切られた。連中も何も変わらない。共産主義だかレーニンだか何だか知らないが、貴族連中と何が違うんだ」


「……教えてくれてありがとう」


 ポケットに手を突っ込み、中に入っていたキャンディを全部取り出した。移動中とか、小腹が空いた時に食べるため、あるいは旅先で会った子供にあげたりするために、いつもお菓子を常備しているのだ。


 それを全部カウンターの上に置くと、ハクビシンの店主は目を丸くした。


「ごめんなさい、こんなお菓子しか持ってないけど……」


「……ははは。優しいねえ、お嬢ちゃんは。ありがとう」


 腹の足しにはならないだろうけど、少しでも飢えを忘れられますように。


 笑みを浮かべた店主にもう一度お礼を言ってから、踵を返した。


 閑散とした店を出て、店先で待ってくれていたクラリスのケッテンクラートの後ろに乗り込む。俺が乗ったのを悟るや、クラリスはエンジンを吹かしながらケッテンクラートを走らせた。


 手ぶらで帰ってきた時点で察しているのだろうが、念のため彼女にも報告しておく。


「……共産党の連中が食料を強制的に徴収しているらしい。燃料もだ」


「どうりでお店になにも置いてないわけですわ」


 店だけではない。


 車道を走る車の数もやけに少ない事に、俺は今になって気付いた。大半が車ではなく馬車を使っていて、しかもその馬車を引く馬も気の毒なほど痩せ細っている。


 車の燃料になるガソリンも、馬の餌になるニンジンや牧草も、何もかもが不足しているのだ。


 なんて奴らだ、とは思ったが、テロ集団であるウロボロスを支援している時点で似たようなものであろう。下手すりゃ奴ら以上にヤバい連中である。


 さて、どうするか……。


 スマホを取り出しパヴェルにメールを送信。『共産党が食料と燃料を徴収している』と送信してからポケットにスマホを戻した。おそらくだが、彼も同じ結論に至っているだろう。こんな状態で食料や燃料、その他の日用品が手に入る可能性は限りなく低いが……。


 しかしここかリュハンシクで補給しなければ、俺たちも冬を越せない。


 どうするべきか……大金を共産党に支払って物資を”買い取る”か、それとも強硬手段に出るか。


 というか、ここを統治している貴族や憲兵はどうなっているのか。他の地域にいるであろう憲兵隊は指を咥えて見ているだけなのか?


 列車に戻ったら兄上や姉上たちに報告しよう、と思っていたその時だった。


 ぐんっ、と身体が後ろに―――ケッテンクラートの進行方向へと引っ張られ、あやうく振り落とされそうになった。一応はシートベルトが追加されているので安心だが、ミカエル君はミニマムサイズなので大人用のシートベルトだと身体がすっぽ抜ける恐れがあるのだ(チャイルドシート? ふざけてんのか)。


 どうした、と後ろを振り向いた俺は、事態を理解すると同時に、右手をハードボーラーの収まったホルスターへと近付けていた。


 ケッテンクラートの進行方向を塞ぐように、1台のセダンが立ち塞がっている。黒塗りで艶のある、いかにも高級車でっせといった感じの車だが、後部のドアに描かれた赤い星が何となく不安を煽る。


 前方だけじゃない―――後方からもオリーブドラブに塗装された同型の車両が迫ってきて、進路も退路も完全に塞がれてしまう。


「―――また会ったな、同志リガロフ」


 前方の黒塗りの高級車から降りてきたのは、軍服の上に冬用のコートを羽織り、ウシャンカを被った筋骨隆々の男―――さっき列車を訪問して食料と金を徴収しようとして、パヴェルに脅された挙句賄賂をつかまされ退散したニコライだった。


 というか、何で俺の名前を……?


「今度は何の用です?」


「我らが同志、スターリンが君に会いたがっている」


 スターリン、という名前を聞いた途端、もう嫌な予感しかしなくなった。


 そしてそういう嫌な予感というのはだいたい的中する。いやらしい事この上ない世の中である。


「ご同行願えるかな?」


 戦闘態勢に入るクラリスの肩に手を置いていさめ、返答を返す。


「……彼女クラリスも一緒に行っていいという条件であれば、応じます」


 俺1人、という指名だったが―――クラリスを1人にすると何をしでかすか分かったもんじゃない。戦闘用に生み出されたホムンクルスである以上、彼女の考え方は対話よりも実力行使を優先するだろう。こちらの望まぬ形で共産党との戦端を開かれてしまうのも本意ではない。


 クラリスにはブレーキ役が必要だ。すぐ近くで緊急ブレーキのボタンを押せる人員が。


「まあ、良かろう」


 ちょっと予定とは違うが、まあいいか。そんな感じのノリで頷いたニコライは「ついてきたまえ」と言ってから助手席に乗り込み、セダンで俺たちの前を走り始めた。


 後方にいるセダンにクラクションを鳴らされ、急かされるようにクラリスはケッテンクラートを走らせる。


 スマホを取り出し、パヴェルに短くメールを送る。


 『面倒な事になった』、と。


 参ったね。


 俺は面倒が嫌いなんだ。





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― 新着の感想 ―
[一言] スターリンかぁ…そういえば何処ぞの世界にも居たなぁ… ともかく、ミカエル君の言う通り面倒なことになりましたね。 というかこの状況、傍から見たらただの少女(幼女?)誘拐なんですが?
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