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ボリシェヴィキ


 暗澹あんたんたる空の下、ガリヴポリの玄関口は確かにそこにあった。


 どことなく嫌な予感が漂うのは、この空模様のせいではないだろう。まるで来客を歓迎していないような、いつまでも腹の奥底に沈殿し続けるような不安が滲んできて、客車の屋根にある銃座で迫ってくる駅を見つめていた俺は目を細めた。


 嫌な予感というのはよく当たるものだ。良い予感に限って当たらないくせに、悪い予感は凄腕ガンマンの如く百発百中なのだから嫌になる。


 そんな予感を抱いている理由は単純明快、イライナ地方東部の情勢である。


 俺たちが向かっているリュハンシクの周辺は、広大なノヴォシア帝国の国土における共産主義者ボリシェヴィキ連中の活動拠点となっているからだ。無神論者によるテロ組織『ウロボロス』を支援して国内の治安を悪化させ、あわよくば国家転覆を狙うような連中だから、その実態がどういうものなのかは察する事が出来るだろう。


 それだけならばいいのだが―――最近になって、共産主義者ボリシェヴィキの連中の行動に変化があった、という情報をパヴェルが入手した。


 曰く、奴らは『ノヴォシア共産党』を名乗り始め、活動を活発化させているというのだ。リュハンシクを中心としたイライナ東部で、実質的に”帝国のパンかご”として食料の生産を行っているイライナ地方を共産化させることに成功すれば、帝国は大打撃を被るだろう。


 狙いはおそらくそれだ。一応、姉上たちにも手紙を出して注意するよう警告しておいたが……。


 そして、ここからが最大の問題点。


 今まさに突入しようとしているガリヴポリも、その『ノヴォシア共産党』の影響下にある、という事だ。


 変な事に巻き込まれなければいいのだが……そんな予感が、頭の中をぐるぐる駆け巡っては、頭上の空模様の如く表情を曇らせる。


 見張り台の上で旗を振っているのは駅員ではなく、どうやら戦闘人形オートマタのようだった。ああやってプログラムを書き換え、仕様変更された戦闘人形オートマタにより省人化を果たしている駅はぽつぽつと目にするが、しかしガリヴポリのは他の駅にある戦闘人形オートマタと様子が違った。


 磨き抜かれたマボガニー色の装甲はすっかり錆び付き、腕の関節は整備不良なのか、動きはぎこちなく完全に肩が上がっていない。動く度に軋む音と火花を発しているそれは、明らかに長い間雨風に晒され、まともに整備されていない事が一目瞭然だった。


 専属の技師はいないのか、と思っているうちに、壊れかけの機械の駅員の誘導に従い、列車がレンタルホームの7番へと滑り込んでいく。


「……人?」


 煙突から舞い上がる黒煙の向こうに見えるのは、確かに人影だ。


 通常、冒険者ノマド向けに解放されているレンタルホームは通常の在来線と異なり、利用者がそのギルドに属する冒険者くらいしかいない事もあり、外部との連絡用の電話ボックスや休憩用のベンチが備え付けられただけで人気が無く閑散としている、という光景は珍しくない。


 しかし、このガリヴポリ駅はどうだ。


 これから入っていく7番レンタルホームには、カーキ色の軍服の上に冬用のコートを羽織り、ウシャンカを被った人影がずらりと並んでいる。


 第二次世界大戦の開戦前くらいの、ソ連兵を思わせる服装だ……単なる偶然であればいいのだが。


 異世界ソ連軍とか笑えないよ、悪いけど。


 しかも不穏なのは、指揮官らしき大柄な人物を除いて、後ろにずらりと整列する兵士たちの手には既に、銃剣付きのマスケットが握られている点だ。いつでも撃てるよう撃鉄ハンマーまで起こしてある。


 オイオイやめてくれ、友好的にいこうよ……喧嘩嫌いなんだよミカエル君は。


 不穏な空気を感じ取り、銃座を降りた。タラップの両端を掴んで滑り降りるや、自室に戻ってハードボーラー用のマガジンを掴む。装填されているのは実弾ではなく、パヴェルに用意してもらった9mm麻酔弾。麻酔銃として使っているスタームルガーMkⅣは潜入任務用だ。


《―――各員警戒態勢、警戒態勢》


 不穏な空気は機関車にいるパヴェルも感じ取ったらしい。スピーカーから警戒態勢という物騒な単語が出てくるが、それはそうだろう。ここは既にノヴォシア共産党の支配下にある街。テロ組織を支援しているような勢力だ、まともな連中じゃあない。


 とはいえ、初っ端から火薬でご挨拶するのもな……ここでダメならリュハンシクでもダメかもしれない。


 不穏な空気の中、列車がゆっくりとホームに停車した。


 それから間髪入れずに聞こえてきたのは、列車のドアが開く音だ。誰かドアを開けて真っ先に外に降りたのかと思ったが、どうやら様子が違う。血盟旅団の仲間の足音とは違う、どかどかと乱暴な足音が聞こえてきたかと思いきや、客車のドアから2階の寝室へと繋がる階段を、さっきのカーキ色の軍服に身を包んだ異世界ソ連兵が上がってきたのだ。


 列車の中にいきなり入ってくるとは予想していなかったので、想定外の事態に頭が真っ白になりそうになる。


 考え直す時間すら、相手は与えてくれない。廊下にいる俺と、彼らに対し敵意を剥き出しにするクラリスを見るなり、先頭に立つ男―――おそらくは指揮官と思われる大男は、口元に冷淡な笑みを浮かべた。


「長旅ご苦労、冒険者諸君」


「……あなたは?」


「これはこれは、失礼。私はノヴォシア共産党鉄道警備部隊指揮官、”ニコライ・ヴォロチェンコ”少尉。このガリヴポリ駅を訪れる冒険者諸君の監視と鉄道の警備を任されている」


「冒険者の……監視?」


「左様」


 随分と偉そうな喋り方が少々癪に障るが、俺も無意識のうちにやってるかもしれない(悪人に対しては露骨にやってるからノーカウントだ、ノーカウント)のでそこに関してはキレないでおいてやろう。脳内の二頭身ミカエル君ズは全員牙を剥き出しにして威嚇しているが。


 ニコライと名乗った男の後ろには、旧式のペッパーボックス・ピストルを腰に下げ、マスケットを手にした部下が2名。他の兵士たちはというと、窓の向こうで一斉にこちらに銃口を向けている。数名は機関車の方で銃を構えているのが見え、この様子だとルカたちも同じく銃を向けられてるんだろうな、と予想する。


 変な気は起こすな、貴様らに選択肢などないのだ―――そう行動で示しつつも、何とか抗う術を頭の中で探るが、しかし今は彼らに合わせた方が良さそうだ。迂闊に戦端を開いて仲間に死傷者を出すような事があってはならない。


 俺は血盟旅団の団長、仲間たちの命を預かる身だ。責任ある立場なのだから、普段以上に軽率な行動は慎んで然るべきだろう。


「冒険者とは仕事をした分だけ収入を得、私服を肥やす存在。我らが同志レーニンの名の下に広げようとしている崇高な思想、共産主義とは相反する。他者から富を搾取し私腹を肥やすなど言語道断」


「他者から搾取ですって?」


 声を上げたのはクラリスだった。


 言いがかりをつけられ、憤る気持ちは分かる。だが今は落ち着け―――彼女の手をぎゅっと握り、気を抜いたら今にでも飛びかかりそうな状態のクラリスに自制を促す。


 テンプル騎士団のホムンクルス兵は”戦うために造られた存在”。そこに戦があるならば飛び込んでなんぼ、という思考回路なのだろう。だからなのか、過激な手段に訴えやすい傾向がある―――クラリスの正体を知ってから冷静に分析してみたが、彼女にはそんな傾向がある。


 敵は薙ぎ倒す、そういう目的のために生み出されたのだから仕方がないが……今はどうか、矛を収めてほしい。


 頼む、と視線で訴えると、クラリスはほんの少し身を引いた。


「いずれ冬がやってくる。多くの農民、そして労働者は飢えに苦しみ、極寒の中身を震わせるだろう。そんな中、諸君ら冒険者だけが蓄えた食料で腹を満たし、暖かいベッドで眠るというのは不公平ではないかね?」


「……あなた方の目的は、人の列車に乗り込んできて嫌味を言う事ですか?」


「おっと、これは手厳しい」


 棘のある口調で返すと、ニコライは笑みを浮かべながらそう受け流した。


 この身長でこの容姿なのだ、まだ年端もいかぬ子供が威勢よく噛み付いてきおったわ、程度の認識なのだろう。完全に下に見られているという事はこれではっきりした。


「我々はそういうつもりはないのだ。ただ、この栄えあるノヴォシア人民のために”徴収”を行おうとしているだけだ」


「徴収?」


「その通り。来たるべき冬に備え、食料品や金品を我々ノヴォシア共産党に提出してもらいたい」


 反吐が出そうだ。


 虫唾がマッハで走る、そんなレベルだ。


「全部とは言わん、一部で良い。諸君らから徴収したそれを我がノヴォシア共産党が厳格に管理し、飢えに苦しむ人民へ平等に分配する。農民だろうが労働者だろうが、貴族だろうが関係はなく、例外はない。同志レーニンの名の下に、全ての人民は平等で格差のない富を享受するのだ。そのために諸君らに協力をお願いしたくてね」


「―――銃を突きつけながらするのが”お願い”ですか。私が学んだ言葉とは少し意味が違いますね」


「断るというならばまあ、別にそれでも良かろう。ただそれならば―――」


 ニコライは視線を窓の外に向け、もう一度こちらを見た。


「―――その時は諸君らを”人民の敵”と見做すが、よろしいか」


 金と食料を差し出すよう要求し、断れば速ブルジョア認定とか笑えない。こうやって暴力をちらつかせれば誰でも従うと思っているのだろうか。


 さて、どうする。


 対応を協議する、と言っても待ってくれるような相手ではないだろう。機関車を押さえられている以上、迂闊に動くわけには―――。


「―――やあやあ同志、随分と手荒な訪問だな」


 聞き慣れた野太い声が、俺たちの後ろから聞こえた。


 案の定、やってきたのはツナギ姿のパヴェルだ。機関車からそのまま来たのだろう、トカレフ拳銃の収まったホルスターを腰に下げ、煤と汗で汚れたツナギ姿の彼は、肩に大きなスコップを担いでいる。


 機関車のある方向からゆっくりと歩いてきたパヴェルは、俺に任せろ、と言わんばかりに俺の肩にそっと大きな手を置き、ニコライと至近距離で見つめ合う。


 ニコライも背が大きく筋骨隆々だが、しかしこうしてみるとパヴェルの方が上だ。ニコライがヘビー級ボクサーだとしたら、パヴェルはグリズリーのように思える。


 命のやり取りを何度も経験してきたパヴェルの眼光に、ニコライは少しだけ怯えたような表情になった。


「で、要求は」


「……諸君らから食料と金品を徴収したい。党で管理し人民に平等に分配する。冬を乗り切るためだ」


「……そうかい」


 スコップを壁に立て掛け、パヴェルは葉巻を取り出した。後ろにいる兵士と、窓の外の兵士たちが銃口をパヴェルの方に向けるが、しかし当のパヴェルはというと全く動じている気配がない。撃てるもんなら撃ってみろ、とばかりに悠然と葉巻に火をつけるや、煙を吐き出してニコライを見下ろした。


「悪いが、こっちもカツカツでね。他人に分け与える余裕はないんだ、同志」


「……ブルジョアめ」


「だがまあ、俺も礼儀知らずじゃあねぇ」


 続けて何をするかと思いきや、ポーチから取り出したのだろう―――パヴェルの大きな手には、いつの間にか札束があった。


 50万ライブルくらいはあるだろうか。


 その厚みに、ニコライの視線が釘付けになる。


「―――今回はコイツで手打ちにしてはくれないか、同志」


「ほう……話が分かる相手で良かったよ、同志」


 おう、コイツ賄賂で何とかしようとしてやがる。


 相手もまた腐敗している、という事を知っていなければできない芸当だ。しかも随分と手慣れている。彼のいう”前の職場”でもさんざんやってきた手口なのだろうか。


 ニコライは遠慮なく札束を受け取るが、しかしパヴェルの手は依然としてがっちりと札束を掴んでいて、なかなか手を放す気配はない。ぐっ、ぐっ、と引っ張っても彼の手を離れる様子のない札束に、ニコライが抗議の意思を込めた視線でパヴェルを睨む。


 しかしそれに対するパヴェルの返答は、何とも強気なものだった。


「”今回は”これで済ませるが」


「……っ」













「”次は”、どうなるか分からんぞ」














 背筋が凍り付いた。


 言葉と共に滲み出す殺気―――いや、相手を殺すとか、殺してやろうか、といったような指向性を持ったものではない。


 威圧感、とでも言うべきだろうか。


 もしこの男を敵に回したらどうなるか。少しの言葉と威圧感で、身体が、頭が、心が、そして生物としての本能が、迎え得る最悪の結末を瞬時に理解する。


 普段は飄々としていて、胡散臭さも感じさせるパヴェルだが、それは表面上のものなのだろう。


 きっと彼は―――こっちが”素”なのだ。


 まるで退役したベテランの兵士が、現役だった頃の気迫を発し始めたかのような……あるいは眠れる獅子が目を覚ましたような……いや、そんな生易しいものではない。もっと禍々しくどす黒い、得体の知れない何かを感じ取らずにはいられない。


 ああ、そうか。


 きっとこれが”悪魔”なのだ。


 歯向かえば、何をされるか分からない。ただ言える事は、決して楽には殺してはもらえない、という事。


 コイツが味方で良かった、などとは思わなかった。


 ただ、恐ろしかった。


 こんなヤバい奴が、今まですぐ近くにいたという事が。


 そんな威圧感を至近距離で受ける羽目になったニコライは、すっかり圧倒されていた。ぶるぶると足が震えているのが、ズボンの上からでもはっきりと分かる。


「あ、あ、ああ、分かった、気を付けよう」


 何とか絞り出した声で返答するニコライ。


 しかしパヴェルも意地が悪いようだ。無慈悲な言葉の追い討ちが、彼らを追い立てる。


「それとこの列車は俺たちのホームだ。”客”は選ぶ」


「……失礼した、我々はこれで。……何やってる、行くぞ」


 凍り付いていた部下2人を怒鳴りつけ、ニコライたちは逃げるように列車を降りていった。


 ホームで銃を構えていた兵士たちも、逃げ帰ってきたニコライの姿を見て共に退散していく。なんともスッとする光景だが、しかし……。


 信じられるだろうか。普段は勝手に人をフリー素材にして薄い本やら抱き枕カバーなどの同人グッズを作っている男が、あんな威圧感を発するやべー奴だったなんて。


 ともあれ、彼のおかげで助かった。


「ありがとう、パヴェル。それとその……ごめん。お金払わせちゃって」


「んぁ、いいってことよ」


 返ってきたのは、いつものパヴェルの声だった。


 飄々としていて、ちょっと胡散臭くて、しかし頼りになる兄貴の声。


「たった50万でお前らの命が助かったなら安い買い物さ。それより、外出するなら気をつけてな」


「あ、ああ」


 そう言い、壁に立て掛けたスコップを肩に担いで機関車へと戻っていくパヴェル。


 錯覚だろうか―――ほんの一瞬だけ、彼の背中に悪魔の翼が見えたような、そんな気がした。





 

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― 新着の感想 ―
[一言] うん。やっぱりパヴェルさんには黒塗りのセンチュリーが似合うと思うんですよ。 金を渡して"オハナシ"なんてやり口が完全に堅気のすることじゃないのよ。
[良い点] パヴェルの兄貴かっけぇぇぇ… [気になる点] リクエスト失礼します ブローニングM1918自動小銃 例の鈍器をフランスから輸入したけど使い物にならなくて作ったやつですね。デザインが大好きな…
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