煽り運転には気を付けよう!
「サリー美味しい?」
「むふー」
「おーそっかそっか。はい、あーん」
「あー」
小さく切ったリンゴを妹の口へと運ぶと、彼女は牙の生えた小さな口でリンゴをもぐもぐ咀嚼し始めた。しゃくしゃくとリンゴを咀嚼する音を聞きながら妹の頭を優しく撫でると、サリーはハクビシンのケモミミを嬉しそうに動かし始める。
あー可愛い、俺の妹がバチクソ可愛い。
こんなん溺愛してまうやろ、と思いながらお皿の上にあるリンゴをナイフで小さくカットしていると、お祖母ちゃんが紅茶を持ってきてくれた。一緒に持ってきてくれた小皿の上にはリンゴのジャムもある。
「はいミカちゃん、紅茶をどうぞ」
「ああ、ありがとうお祖母ちゃん」
「うふふ、サリーったらお兄ちゃんにすっかり懐いちゃったわねぇ。お兄ちゃんの事好きなの?」
「あいー!」
「うふふ、そっかそっか。うふふ♪」
スプーンで紅茶にジャムを入れ、冷ましながら飲んでいるとサリーに早くリンゴちょうだい、と言わんばかりにせがまれたので、仕方ないなぁ、とニッコニコでリンゴを一切れ彼女の口へと運んだ。
それにしても、サリーももう1歳か。早いもんだ。
彼女は大きくなったらどんな女性になるんだろうか。見た感じ、目元とか全体的な顔つきは母さんに似ているので、多分母さんみたいな感じの優しそうな女の子に育つのではないだろうか。
成長した姿が楽しみだ、と思いながら再び紅茶を飲んでいると、ブロロロ、と聞き慣れたエンジン音が近付いてくるのをミカエル君のケモミミがキャッチ。俺の意志とは無関係にピンと立ったケモミミが、そのエンジン音をより詳細に拾い始める。
そんなミカエル君の隣では、ケモミミをぺたんとすっかり倒し、目を細めながら幸せそうな顔でリンゴを咀嚼するサリー。警戒心ゼロである。まだ幼児なのでまあ仕方ないっちゃ仕方ないし可愛いからね、うん。俺の妹が死ぬほど可愛い。
サリーのほっぺたをもちもちしながら待っていると、庭の向こうにウッドランド迷彩に塗装されたピックアップトラックが見えた。アメリカのヴェロキラプター6×6、血盟旅団で正式採用している車両である。
後部座席の天井に穴を開け、ターレットリングとみんな大好きブローニングM2重機関銃を乗せたそれの運転席から降りてきたのは、私服姿のパヴェル。サングラスをかけているからなのだろう、冒険者というよりはまるで裏社会を渡り歩いてきた凶悪犯罪者にも見えてしまうほどのガラの悪さで、お祖母ちゃんが心配そうな顔をしながらこっちをちらちら見てくる。
「え、誰かしらあの人」
「あー……大丈夫、ギルドの仲間だよ」
「ギルドの仲間!? え、ミカちゃんあんな危ない人と組んでるの!?」
「いや、確かに人相は悪いけどいい人だから……あはは」
いい人なんだけどね、うん。いい人なんだけど人相の悪さがそれを台無しにしている。
もしあれでスーツ姿だったら完全にマフィアとかギャングの幹部にしか見えない。パヴェルはそういう類の人間である。
コンコン、と家のドアを丁寧にノックするパヴェル。サリーを抱えて後ろに控えるお祖母ちゃんに代わって、俺が玄関のドアを開けた。
「どうもー……って、おう、ミカか」
「よっ。どうした?」
「例の件、売り手が名乗りを挙げてくれたぞ」
「お」
「これから買い取りに行くところなんだが、どうだ」
「ちょっと待って、準備する」
そうかそうか、”売り手”が現れたか。
よしよし良いぞ、とにんまり笑いながら、テーブルの上に置いてある自分の分の紅茶を飲み干して財布をポケットに突っ込む。忘れ物がない事を確認すると、お祖母ちゃんが抱き上げているサリーの喉を優しく撫でた。
猫みたく目を細めるサリーに「それじゃ、また来るね」と言い残してから、お祖母ちゃんにも挨拶をして家を出た。
薪ストーブの熱が良い感じに室内を温めてくれていた家の中とは違い、外は既にかなーり寒い。口から吐き出した息は瞬く間に真っ白に濁って、吹き付けてくる風が身体から熱を容赦なく奪っていく。まだ10月上旬だというのに既に気温は一桁代に達していて、いつ氷点下に振り切れるかも分からない状況だ。
「ちょっと心配な事があってさ」
「ん」
「家族の事だ……”組織”の連中、俺を狙ってるんだろ? 家族が人質にとられたり、あの機械人間にすり替えられないかずっと心配に思っててさ」
庭を歩きながらパヴェルにそう言う。
前々から気にしていた事だ。
兄上や姉上たちならば心配はない。あの人たちはみんな強いから、組織……テンプル騎士団の連中も、そっちに付け入る隙は無いだろう。特に姉上が負けるイメージなんか全然わかない。
そっちは問題ないのだが、問題はアレーサに住んでいる母と祖母、そしてまだ幼い妹の3人だ。もし俺がテンプル騎士団側の人間だったら、真っ先にこっちに工作を仕掛ける。機械人間にすり替えるなり、拉致して人質にしたりして揺さぶりをかける。
テンプル騎士団の連中も馬鹿ではない。きっとそうするだろう。素人同然の俺ですら危惧している事なのだ、やらないわけがない。
近い将来そうなってしまうのではないか……そういう心配が常に頭の片隅にあって、正直なところ、これまでの旅の中でも気が気じゃなかった。
その不安を、この機会にパヴェルに打ち明けたわけなのだが……やけに似合っているサングラスを義手の指でずらしたパヴェルは、唐突に庭の中にしゃがみ込んだ。
「何を?」
サリーのために職人に依頼して製作してもらったものなのだろう、木製の小さな滑り台の近くの地面を義手で弄ったパヴェルは、泥にまみれた何かを手で掬い取るや、俺に見せてくれた。
どろりとした土にまみれて、朱色の何かが混じっているのが分かる。
「これは……」
「分かるか」
「金属粉……?」
そう、錆び付いた金属粉だ。
テンプル騎士団の機械人間やあの黒騎士が、撃破された際に現場に残る錆び付いた金属粉。内部に仕込まれている微生物『メタルイーター』が活性化し、金属を捕食する事で急激に金属を錆びさせ、残骸の回収や解析を不可能にする代物だ。
自分たちの技術が敵の手に渡らず、証拠も隠匿できる便利な代物である。
血盟旅団でも鹵獲し運用しているそれの証拠が、なぜこの家の庭に……?
「―――テンプル騎士団なら、もう来てる」
「馬鹿な」
ぎょっとしながら家の方を振り向いた。まさかもう既にお祖母ちゃんや母さん、サリーが機械人間にすり替えられている……!?
不安からなのだろう、反射的に、というより身体が勝手に動き、右手をホルスターの中へと突っ込んでいた。しかし極度の不安から先走る右手を掴んで制したのは、冷たい大きな義手―――パヴェルの右手だった。
「落ち着け」
「でも」
「これはいずれも、返り討ちに遭ったものだ。組織の連中、迂闊にお前の家族に手出しできない状況らしいな」
「返り討ち……?」
「そういう事だ。サリエル、だったか。お前の妹」
「あ、ああ」
答えると、パヴェルは優しい笑みを浮かべながら窓の向こうを見た。リンゴをたくさん食べて遊び疲れたのだろう、お祖母ちゃんの腕の中ですやすやと寝息を立てるサリーの姿がここからでも見える。
「彼女が家族の”守護天使”になってる」
「どういうことだ」
「お前の妹、持ってるんだろ? ”原初の死属性”をさ」
―――原初の死属性。
かつてこの世界に最初に生じた2つの属性、その片割れ。生属性と死属性の二つは互いに混ざり合い、しかし完全に溶け合う事はなく、やがて分裂し現在のあらゆる属性が生まれたとされている。
ごく稀に、本当にごく稀に、その原初の二属性のどちらかを身に宿した子供が誕生する事がある。それは本当に希少な存在で、魔術師がそれを発見すれば解明のために拉致して実験台やら標本にしたり、教会とか宗派によっては異端として処刑されたりと、原初の属性を身に宿している事が発覚した者はろくな末路を辿らない。
あまりにも希少で記録が少ないが故に、謎が多いのだ。それこそ原初の属性は通常の属性と違って遺伝せず、それを宿した子供が生まれてくる確率は先天性色素欠乏症の子供が生まれてくる確率よりも、歩いていて隕石に当たる確率よりも、はるかにずっと低いと言われている。
無数のゼロと小数点の果てにある確率を、サリーは……サリエルは引き当てた。
死を司る大天使『サリエル』に由来する母の命名に、属性が引き寄せられたとでもいうのだろうか?
「死属性ってのは即死攻撃をバンバン使ってくるチートみたいなものだ。一度牙を剥かれたら、どんな相手だろうと生存率は限りなくゼロになる。しかもこの様子だと、あの子……力を無意識のうちに使ってやがるな」
「どういう事だ?」
「敵だと判断した相手に対して力を使っているって事だ。お前の母親も祖母も、あの子に守られてる」
「……サリーが組織の魔の手を退けている、と?」
「そういう事だ。だから心配は要らん」
そこまで話が進んで、俺も気付いた。
よく見てみると、家の庭だけでなく、塀の向こう側にも錆び付いた金属粉が散らばっているのが分かる。それらは泥と混ざり合い、イライナの大地の一部と成り果てようとしているところだった。
どうやら組織の作戦は、サリエルの規格外の能力によってとことん潰されており、家族に手出しは出来ない、と断念せざるを得ない状況に追い込まれているようだ。
すげえなサリー……。
家族の心配が吹っ飛んだところで、パヴェルと一緒にピックアップトラックに乗り込んだ。助手席に座り、いつものようにシートベルトを締める。
アメリカ人の体格に合わせているうえ、ミカエル君がミニマムサイズだからなのだろう。毎度の事ながら、ヴェロキラプター6×6のシートはやけに大きく、さながら巨人専用の車のようだ。あるいは俺が小人になってしまったような、そんな感覚すら覚える。
ピックアップトラックが動き出し、母の実家がどんどん小さくなっていく。脇道でターンしてから再び家の近くを通過し、そのままアレーサの町へと向かった。
とりあえず、家族が無事なら何よりだ……みんなを守ってくれてありがとう、サリー。
法定速度を守りながらアレーサの町を抜け、反対側へ。雨上がりでぬかるんだ道を走っていると、パヴェルがやたらとバックミラーに視線を向けている事に気付いた。
後ろを見てみると、1台の車がやけに車間距離を詰めて走ってるのが分かる。しまいにはパッシングまで始めたもんだから、ああ、こりゃあ煽り運転だな、と確信するに至った。
異世界でもあるのか、煽り運転。
パヴェルは舌打ちすると、ハザードランプを点灯させながら運転席の窓を開けた。『先に行け』と手を振って合図するが、後続車両はそれに従う様子はない。むしろゾッとするほどの至近距離で蛇行運転まで始めるもんだから、ついにパヴェルもスマイルを浮かべた。
「……ちょっといい?」
「殺すなよ」
やめてくれよ殺人は、と思っている間に、パヴェルが急ブレーキを踏んだ。
後ろから激しい衝撃を受け、身体が激しく揺さぶられる。
うげぇ、と声を漏らしている間に、パヴェルは運転席を飛び出していた。助手席から後ろを見てみるが、まあ後続車両は酷い有様だ。クーペの分際でアメリカンサイズのピックアップトラック、それも簡易装甲と武装を施した重量級の車両に喧嘩を売るものだから、グリルは潰れヘッドライトも滅茶苦茶、ボンネットまで変形していて、ひしゃげたボンネットからは白煙が上がっている。
そしてパヴェルはというと、後続車両の窓を拳で叩き割るや、相手の運転手の胸倉を掴んで詰め寄っているところだった。
『よぉ兄ちゃん、随分ケツにぴったりくっつくのが好きみたいだなァ?』
『ひっ、すいませんすいません』
『すいませんじゃねーよバカヤロー。こんなんでビビる程度の度胸ならイキった運転してんじゃねーよ殺すぞ』
掴んでいた胸倉を離すと、パヴェルは財布の中からライブル紙幣をいくらか相手の運転手に渡し、『次からは気を付けろよ』とだけ言い残してから運転席に戻ってきた。
修理費と思われる金額を相手の運転手にその場で支払い、何事もなく走り出すヴェロキラプター6×6。
みんなも煽り運転には気を付けよう、マジで。
そんなアクシデントに見舞われながらも、線路沿いに走ること15分。車両基地と思われる建物と、線路に停車する貨物車両の群れが見えてくる。
線路脇にある駐車場に車を停め、二人一緒に降りた。一応後部を確認してみるが、後続車両に激突されたところはちょうど簡易装甲が張り付けてある場所で、軽いへこみと塗装剥がれがある程度。これならすぐに修理が終わりそうだ。
後部座席に積んでいたブリーフケースを片手に、サングラスをかけ直してから歩き出すパヴェル。何というか、絵面が完全にこれからヤクの取引に行くカルテルの構成員みたいな感じになってるんだが、大丈夫だよね? コレ合法的な取引だよね? ね、パヴェルの兄貴?
なんだか不安になりながらも格納庫の方に行くと、ツナギ姿の獣人の作業員がこっちに手を振った。
「やあ。血盟旅団の方かな?」
「ええ、マネージャーのパヴェル・タクヤノヴィッチ・リキノフです。こっちは団長のミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフ」
「どうも」
「ああ、こちらこそどうも。それで貨物車両の売却の件ですが」
「ええ、購入代金はこちらに」
そう言いながら、パヴェルはブリーフケースの中の札束を見せた。
そう、今回ここを訪れたのは貨物車両を新たに購入するためだ。その目的はもちろん、”新兵器”を運用するためである。
「なるほど、確認しました。車両はこちらです」
作業員は座っていたドラム缶の上から飛び降りると、格納庫の奥に向かって歩き出した。
広大な格納庫の奥には、やけにがっちりとした貨物車両が佇んでいた。よく見ると側面には帝国騎士団のエンブレムがある。今ではすっかり掠れ、その名残が残るのみだが、かつては騎士団が保有する装甲列車のうちの1両として物資を運んだり、武装を積んで最前線で活躍していたりしたのだろうか。
「状態は良さそうですね」
「いかがです?」
「うん、悪くない。これを購入しましょう」
元軍用車両という事もあって、造りも頑丈そうだ。
これならば”新兵器”の運用にも耐えてくれるだろう。
さて……今日から忙しくなるぞ、これは。




