ブリーフィング モニカ救出作戦
「久しぶりだねぇ、クリスチーナ。半年ぶりかな」
来客が来たと聞いたから誰かと思ったけど、応接室に姿を現したのは案の定、あの男だった。
丸い顔に大きく突き出た腹。体格のせいなのか、彼が一体何の獣人なのかと聞かれたら真っ先に豚が思い浮かぶような、そんな男。
よく「人は見た目じゃなくて内面で見ろ」と言う。私もまあそれは半分正しい事だと思うし、相手の事を愛する事ができるなら容姿なんて関係ないと思う。けれども、容姿どころか内面まで許容できないレベルともなれば、もはや救いは無い。
彼はそういう男だ。醜悪なその内面を隠そうともしない。
”エフィム・ザハーロヴィッチ・スレンコフ”。母上が私を嫁がせようとしているスレンコフ家の長男で、この城郭都市リーネの実権を握るスレンコフ家の次期当主。その気になれば首都にすら影響力を及ぼす事の出来るほどの一族というだけあって、母上は本気だった。是が非でも私を嫁がせ、レオノフ家再興のための力を得る―――そのための政略結婚。
無論、そこに私の自由は無い。相手を選ぶ自由もなければ、幸せになる権利もない。こんな男の伴侶になったらどうなるか……欲望のままに貪られ、子を生むだけの機械にされる。そんな運命が待ち受けている事は想像に難くない。
そんなのは嫌だ。
でも、今の私にはここから逃げ出す力がない。
「いやあ、びっくりしたよ。半年前に失踪してからというもの、一時期は死亡説まで流れたからねぇ」
重々しい足音を響かせ、応接室のソファに腰を下ろすエフィム。皿の上に置いてあるリンゴを一つ手に取った彼は、幼少の頃にマナーを叩き込まれるであろう貴族とは思えないほど、無造作にかぶりついた。
口の端から果汁を垂らしながら、リンゴを咀嚼するエフィム。そんな彼を見て顔をしかめてしまうが、彼はそんな事など気にしない―――むしろ、こういう嫌悪感を向けられるのが好きな、一種の変態のようだった。
「でも君が無事でよかった。変な男も寄っていないらしい……僕の未来の妻に何かあったら困るからねえ」
「……」
「ふふっ」
こっちに近寄ってきたかと思いきや、愛おしい恋人を撫でるかのように私の頬に手を伸ばしてくるエフィム。でも彼の内面は良く分かっている。彼にとって女とは伴侶となるべき相手ではなく、自分の欲望を満たすためだけの道具。少なくとも、同じ”ヒト”としては見ていない。
そんな本性が分かっているからこそ、そんな些細な行為ですら反射的に拒絶してしまう。
手を振り払い、彼を睨みつけた。エフィムはちょっとびっくりしたように自分の手を押さえながら、けれども拒絶の意志を纏う私を見てニヤリと笑う。
「まあいいさ、君の無事が確認できただけでもいい。来月の1日……その日が僕たちの門出になる」
門出―――私にとってそれは、死刑宣告にも等しかった。
一族のため、没落した実家のために己の自由を捨て、女としての尊厳も失う。
バージンロードではなく、断頭台への道を進むかのような―――少なくとも私には、そう思えた。
結局、一族の利益のために使い潰されるのだ。母上も、そして幼い頃から面倒を見てくれたセルゲイも、それを望んでいるに違いない。
いっそのこと死んでしまおうか、とも思った。食事用のナイフを自分の喉元へと向け、何度思い留まった事か。死ぬ決心も出来ず、かといって待ち受ける未来を受け入れる事も出来ず、何もできぬ無力感を噛み締める毎日。
こんな日常を、思いのままにぶち壊したい。
二度と後戻りが出来なくなっても良い。
だから力を欲したのだ。
結局、それは叶わなかったけれど。
「それじゃあ、また来るよ。ウエディングドレス姿が楽しみだよ、クリスチーナ」
そう言い残して応接室を出て行くエフィム。私は彼の姿が見えなくなったのを確認してから、殺意を込めて中指を立てた。
とにかく気分が悪い。強がって中指なんて立ててみせたけど、本当は怖くて怖くて仕方がない。あんな男の元に嫁がなければならないのか、と身体中全ての細胞が拒絶しているかのようだった。
「お嬢様、お部屋に」
「……」
応接室の外で控えていたセルゲイに促され、部屋を後にした。階段を上り、5階にある自室へ。部屋の前には2名のメイドが待機していて、私の姿が見えるなりぺこりとお辞儀をしてきたけれど、それに挨拶を返す気にもなれない。
傍から見ればごく普通のメイド。でもその腰にはサーベルとピストルがあり、戦い方を学んだ立派な女の兵士であることが分かる。
私の監視を担当するメイドたちだ。レオノフ家に莫大な権力と富を齎す生贄を、もう二度と屋敷から逃がさないためにお母様が用意したメイド兵たち。レオノフ家の屋敷という鳥籠の番人。
「お嬢様を頼む」
「かしこまりました」
「さあ、お嬢様」
「……」
メイドたちに促され、部屋の中へ。
幼少の頃から過ごしてきた、あの頃とあまり変わらない自室。けれどもいつからだろうか、この部屋が、生まれ育った屋敷が、自分にとって最も安らぐ場所であると思えなくなってきたのは。
監獄なのだ、ここは。
死刑囚に、刑を執行するまでの猶予期間を与えるための場所。
お母様も、セルゲイも、結局は私の事を権力を得るための道具だとしか見ていない。
ここに私の味方なんて、1人もいなかった。
「助けて、ミカ……」
ベッドに横になり、身体から力を抜くと―――そんな言葉が、涙と一緒に勝手に零れた。
列車の客車、その1両目は血盟旅団のメンバーの居住スペースになっている。進行方向から見て右側に通路が配置されており、左側は二段ベッドの置かれた寝室になっている。客車のサイズが大きいから思ったよりも寝室のスペースはゆったりとしているが、さすがに机やらなにやら置くと窮屈さが見え隠れし始める。
そんな感じの寝室が1階と2階に7部屋ずつ、合計で14名が生活できるようになっている筈なのだが……いつの間にか、その部屋の数は半減しているようだった。
2階の寝室はそのままだが、1階の寝室はいつの間にか全部無くなっていたのである。その代わりに広いスペースが確保され、ビリヤード台を思わせる大きなテーブルが1つ、広いスペースを占領するかのようにドドンと置かれている。
クラリスの話では、俺が気を失っている間にパヴェルが改装してブリーフィングルームにしたのだそうだ。依頼を受けた場合や”裏稼業”として強盗をビジネスとしてやっていく場合に役立つだろう、との事だった。
依頼はともかく、強盗をビジネスにねえ……。
「来たか」
初めて足を踏み入れるブリーフィングルームを見渡していると、機関車の方からやってきたパヴェルがニヤニヤしながらテーブルに着いた。脇にあるコンソールを手慣れた手つきで操作していくと、テーブルの表面が唐突に蒼く輝き始め―――うっすらと空中に血盟旅団のエンブレムが表示される。
ぎょっとしながら目を丸くする隣で、クラリスも同じような顔をしながらそれをまじまじと見つめていた。
「立体映像は初めてか?」
「あ、ああ……」
なんか段々SFっぽくなってきたぞ。
「簡単だ。魔力の流れをちょっと弄ってやれば……ああ、それより本題に入ろう」
話を中断し、コンソールを操作するパヴェル。やがてドラゴンが翼を広げるアニメーションを何度も繰り返していたエンブレムが消え、彼が偵察で撮影してきたものと思われる写真がいくつか、テーブルの上に立体映像として表示される。
城郭都市リーネ、その中央部に存在するレオノフ家の屋敷。壁は雪のように真っ白で、窓枠や屋根の一部には黄金の装飾らしきものがある。キリウにあった貴族の屋敷と比較すると黄金の装飾が控えめで少々質素に見えるが、黄金をアクセント程度に留めているが故に、そのコントラストには静かな美しさが感じられる。
イライナというより、ノヴォシアの伝統的な建築様式にも思える屋敷。それがモニカの―――クリスチーナの実家なのだろう。
別の写真には、窓の向こうで誰かと言い争っていると思われるモニカの顔がはっきりと映し出されており、ここが彼女の生まれ育った屋敷なのだという事をはっきりと告げている。
「モニカとかいう娘がこの屋敷の娘だという確証は取れている。本名は”クリスチーナ・ペカルスカヤ・レオノヴァ”。没落したレオノフ家の次女で、スレンコフ家の長男との結婚を控えているらしい。言うまでもなく政略結婚、実家の再興のための道具だ」
「……」
無意識のうちに、拳を握り締めていた。
自分も似たような境遇だったから、その辛さは良く分かる。自分の人生が他者の意志で決められるなんて、そんな事があっていい筈がない。人間には自由意志がある。自分の人生を自分で決めるという権利が、誰にも平等に与えられている筈なのだ。
自ら望んだ隷属ならば咎めはしない。そういう選択をしたのであれば、それを批判する権利は誰にもない。だが、個人の自由を踏み躙り、尊厳も何もかもを取り上げた上での強制的な隷属ならば、断固としてそれに抗うべきだ。
モニカはそうしようとした。そして今も、きっとそれを望んでいる。
「侵入経路は」
「落ち着けミカ、話は最後まで聞け」
「……すまん」
「警備状況だが、警備兵の人数が多い上に、基本的に彼らは二人一組で行動している。そのうえ……」
撮影した写真がズームアップされ、彼らが腰に下げている装備が露になる。黄金の装飾がついたサーベルとフリントロック式のピストル、こういう屋敷の警備兵の武装としては最もポピュラーなものだが、わざわざパヴェルがズームアップしてみせたのはそんなありふれたものを見せつけるためじゃあない。
よく見ると、革製のホルスターに収まっているピストルには違和感があった。銃身がやけに太いというか、何というか……。
その答えは、ホルスターの後端部から突き出ている銃口で分かった。
「ペッパーボックスか」
「その通り」
ペッパーボックス・ピストル。
連発式拳銃の黎明期に姿を現した、連続での射撃が可能な拳銃の1つである。弾丸と火薬を装填した銃をいくつか束ね、それを発射の度に回転させることにより連続射撃を行うという仕組みだ。
リボルバーよりも製造しやすく安価であることから、大昔には随分と流行ったのだそうだ。今ではほとんど姿を消してしまっており、博物館にでも行かない限り目にすることは無いだろうが、ドイツのH&K P11などの水中用拳銃などが同様の形状となっているなど、完全に廃れたわけではないらしい。
連発式拳銃を標準装備した警備兵―――それがどれだけの脅威か。
いや、もちろん性能はこっちの持ってる銃と比較すると大きく劣る。命中精度は低く、使用している火薬の関係で威力も乏しく、射程距離も短い。それに再装填にも非常に手間がかかる。だが、連発できるという点は脅威と捉えるべきだ。特に、こちらの優位性を縮めるような武器を持った戦闘のプロは。
別の写真では、随分と長いスコープのついたマスケットを装備した狙撃手も確認できた。黎明期の狙撃用スコープにも見える。機関部上部から銃口の辺りにまで達するほどの長さだ。
「装備が先進的ですわね」
腕を組みながら写真を見ていたクラリスが興味深そうに呟く。
「ザリンツィクとの交易で優先的に回してもらったか、金に物を言わせて買い占めたかのどちらかだろう。とにかく、ここの警備兵はちょっとばかり厄介そうだ。屋敷をドローンで撮影してたんだが、侵入経路は全部厳重に警備されてる」
写真が変わった。正門、裏口、塀の内側。いたるところに警備兵が巡回したり、魔力センサーが設置されているようだった。まるで要塞……というより、刑務所を連想させる。
実際そうなのだろう。一族の繁栄のため、それを危うく水の泡にしかけたモニカを囲い込んでおくための牢獄。彼女を他の貴族の元に差し出す事で、レオノフ家は息を吹き返す―――没落している今から、最も権力を手にしていたあの頃のように。
そんな事が許されるのか。
個人の自由を踏み躙り、彼女を人身御供にするような真似が許されていい筈がない。
しかし―――憤ったところで、侵入経路が見つかるわけでもない。警備は厳重、警備兵も皆重装備。潜入も強行突破も、これではなかなか難しい。
「何かいい手はないか、パヴェル」
「……実はな、10月1日にペレノフ教会で結婚式を挙げるのだそうだ。屋敷への侵入は難しいが、教会ならば簡単だろ」
屋敷の写真が消え、ペレノフ教会の写真が立体映像の中に浮かぶ。城郭都市の中心部、石畳で舗装された道や綺麗に整った水路が流れる美しい街並みの中、一際高い屋根が特徴的な建物が屹立している。それはまるで騎兵が持つ槍のようで、しかしその穂先には黄金の十字架が飾られている。
屋敷と違って塀もなく、周囲には他の建物もある事から屋根を伝っての侵入は簡単であろう。とはいえ、結婚式当日は警備兵も展開するだろうから難易度が劇的に下がった、とも言い難い状況ではあるのだが。
難易度がベリーハードからハードくらいになったものだろうか。
とはいえ、少なくとも不可能ではない。それだけは確かだった。
「となると、救出作戦決行は10月1日の結婚式当日か」
「それがベストだと個人的には思ってる。ミカ、お前はどうだ」
確かにこの情報は、これ以上ないほど魅力的なものだった。結婚式当日、レオノフ家の娘とスレンコフ家の長男が結ばれる晴れ舞台。警備はつくだろうが、貴族ってのは見栄えの良さを重んじるものだ。自分も貴族出身だからよく分かるのだが、とにかく派手に、というのが貴族の共通の思考回路と言っていい。
それは結婚式も例外ではない。神の祝福を受けた男女が結ばれる神聖な場、そんなところに重装備の兵士をずらりと並べておくとも思えない。やるとしたら最低限で、何かトラブルが発生したら別の拠点から応援を要請するといった形になると思われる。
「警備体制次第になるが、おそらく結婚式の警備は必要最低限になると思う」
「なぜそう思う?」
「貴族ってのは見た目を重視するんだよ。2つの貴族が結ばれるめでたい場を重装備の兵士でガッチガチに固めたら物騒だろ? 一応俺も貴族だから、そういうのは分かるんだ」
「つまり、想定より警備は手薄になると?」
「九分九厘そうなる」
「なるほど……」
「決行するなら結婚式当日、それには俺も賛成だ」
「なら決まりだな」
モニカ救出作戦の大まかな流れは決まった。後は細かい準備が必要になってくる。突入して彼女を救出、それで終わりじゃあない。顔を真っ赤にして追いかけてくるであろう警備兵や憲兵をやり過ごし、逃げ切るまでがこの作戦だ。
さて、そのためには何が必要か?
「それじゃあ作戦を決行する前に準備をしてもらう。法に触れる内容ばかりだから顔は隠すように」
「分かった」
「……」
法に触れることなら既にやってる。今更抵抗はないよ……人のためになるのであれば。
「必要になるのは逃走車両。可能であれば4人乗りのセダンが良い。後は侵入経路も下見をしておけ。ぶっつけ本番で迷子になりました、なんて洒落にならんからな」
「分かった」
「逃走車両を確保したらここに持ってこい。ナンバープレートを付け替えて塗装を変更、防弾ガラスに変更して簡易装甲を取り付ける。後は処分用の爆薬もセットしないとな」
「証拠は残さない、か」
「その通りだ」
それはそうだ。こっちはただでさえ、キリウ方面ではお尋ね者なのだ。
さて、それじゃあ逃走車両を確保しに行くとしますか……。
目標は4人乗りで、それなりに速度の出るセダン。
調達開始だ。




