大改修、BTMP-84
「サキュバスって絶対性病とか凄いよね」
開幕早々に何を言ってるんだコイツは。
一体何を思ったか、格納庫での兵器の改装中の休憩時間を利用して薄い本の原稿を描き始めたパヴェル。まだラフの段階だけど、何となく内容が分かってしまうのはオタク文化に慣れ親しんだ元アニオタの転生者であるが故だろう。
粗い線で大まかに描かれたイラスト。そこに描かれているのはどこからどう見てもミカエル君で、どういうわけかサキュバスっぽいコスプレをしている。なんだこれは。
「お前何描いてるの」
「ミカエル君の薄い本」
「オイコラ俺はフリー素材じゃねーぞ」
「分かってる、分かってるって」
絶対分かってないって。
とんでもなく速い速度でイラストを仕上げていくパヴェルだが、本人からすればこれも趣味なのだろう。兵器を弄るのも、薄い本を描くのも、料理をするのもきっと趣味の延長線上にあるものなのだ。
機械油と金属の臭いが充満する格納庫を執筆の場に選んだ理由は定かじゃないけれど。
どんどん完成していくサキュバスミカエル君(まーたクラリスが鼻血吹き出しそうである)から視線を逸らし、格納庫の中で盛大に分解されているBTMP-84へと視線を向ける。
砲塔を取り外され、車体を11mまで延長されたウクライナ製の試作重歩兵戦闘車は、ここから見てみるとかつての超重戦車みたいな迫力がある。
天井にあるクレーンに吊るされているのは、これからBTMP-84に搭載予定の新砲塔。お椀をひっくり返したような、伝統的なソ連スタイルの砲塔とは異なり、砲塔後部に砲弾の弾薬庫を搭載した、まるでぬらりひょんの頭を思わせる形状をしている。
あれはウクライナが輸出向けに試作した主力戦車『T-84-120 ヤタハーン』の砲塔だった。
トルコの刀剣”ヤタガン”の名を冠したそれは、ソ連の伝統的なスタイルから脱却し、西側の技術を積極的に取り入れた野心作として製造される筈だった兵器である。残念ながら輸出先になる筈だったトルコでは採用されず試作のみに終わってしまったが、血盟旅団はその野心作に目をつけた。
西側の戦車は、東側の戦車と比較すると乗員の生存性が高いのである。
T-72やT-90といった戦車は、車体の下部に砲弾と装薬を円形に敷き詰め、そこから収納されている砲弾が旋回、自動装填装置によって装填される方式を採用している。これによって車高を下げ、被弾率を下げることに成功している。
それに対してエイブラムスを代表とする西側の戦車は、砲塔後部に予備の弾薬を収めておく弾薬庫を配置。砲塔内の乗員が乗るスペースとの間に防爆型のハッチを配置して完全に隔離する事で、万が一被弾しても爆風が砲塔内部へ及ばないよう配慮された設計となっている。
弾薬庫の上には『ブローオフ・パネル』と呼ばれるハッチが用意されていて、もし火災や被弾によって弾薬庫が炎上、その後に爆発が起こるような事があっても、このブローオフ・パネルの方が真っ先に吹き飛んで爆風を外部へ逃がす設計となっているので、砲塔内の防爆ハッチをぶち抜いた爆風が乗員を焼き尽くす……という事はない。
実際、過去の実戦においてこの設計が多くの戦車兵の命を救っている事からも、西側の戦車の設計は高く評価されているのだ。
東側の戦車では足元に予備の砲弾がすし詰め状態になっているので、もしそんなところで火災が起こったら悲惨な事になる。砲塔ごと持ち上げられるように吹き飛んでみんな仲良くびっくり箱……というわけだ。
ちょっとアレな言い方だけど、現代の戦争において最も高価な部品は人間であるとされている。
兵器であれば、破壊されれば部品を交換するなり、新規に製造するなりして復帰させればいい。けれども基本的な人権が最も尊いものとされている先進国の軍隊においては、人間の兵士はそうはいかない。特に、その兵器の操縦に精通した熟練の兵士は。
兵士の訓練には当然金がかかる。訓練用の機材、支給する装備一式に食料品、他にも給与など色々……それだけの投資をしながら兵士が一人前になるまで育てるのだから、トータルで見るとかなりの出費になる事が分かるだろう。
それだけ手塩にかけて育ててきた兵士が、戦場で一瞬で失われるのである。
それを防ぐためにも、兵士の生存性を可能な限り高める設計は非常に重要だ。
特に、国家の抱える軍隊ではなく、冒険者ギルドとして活動している俺たちにとっては本当に重要な要素といっていい。ギルドの経営方針でもこれには触れていて、依頼の遂行より仲間の命を優先する事が盛り込まれている。
そういう事もあって、すでに運用している兵器を見直す事となった。
BTMP-84もまた、砲塔内部に砲弾を敷き詰める伝統的ソ連スタイルの兵器である。それを廃し、ウクライナ製戦車『オプロート』をベースとしたヤタハーンの砲塔を搭載する事で搭乗員の生存性UPを狙ったわけだ。
ただ……思ったよりも大規模な改造になってしまったが。
さっきも言った通り、ヤタハーンの砲塔は後部に大きく突き出た弾薬庫が特徴的である。無改造のBTMP-84に乗せるとどういう問題が起こるかというと、その突き出たぬらりひょんの頭みたいな弾薬庫が兵員室のハッチを上から塞ぐ形になってしまい、兵員室に乗った乗員が閉じ込められる事になってしまうという致命的な問題を生み出す結果となる。
兵員輸送能力は維持したい、でも生存性も重視したい……決して混じり合う事のない、西と東の水と油みたいな戦車設計。どっちが水でどっちが油かはさておき、最終的に行き着いた答えはなんとも強引なものだった。
―――『だったら車体延長してスペース確保すればええやん?』というわけである。
その結果、7.5mだった車体は随分と伸びて11mになった。長さだけで言うならばフランスの超重戦車『シャール2C』以上となっている。
この改造のおかげで予想以上の大型化を果たしてしまったわけだが、おかげで生存性と歩兵の輸送能力の両立に成功。更に空いたスペースを利用して予備の弾薬庫を拡張、更に増大した重量を補うために大型化したパワーパックで馬力を確保したので、機動性は(理論上は)改造前とほとんど変わらないという。
主砲は西側規格の120mm滑腔砲。みんな大好きラインメタル社製……ではなく、ウクライナ国産の120mm砲である。しかもソ連の残り香の如く対戦車ミサイル『レフレークスM』まで発射できるので火力も十分。サイズアップ以外は満足できる性能に仕上がる予定との事だ。
搭載砲の変更に合わせ、今後の呼称は『BTMP-84-120』となる。長いがまあ、本家との識別のためにも仕方がない事ではある。
今後はこのBTMP-84-120とIT-1がこの第三格納庫に収納され、IS-7は予備の戦車として召喚を解除、必要に応じて現場で召喚し運用する事となる。
砲塔が変更され使用砲弾も変更となったので、火砲車と警戒車の砲塔もヤタハーンの砲塔に換装予定だそうだ。パヴェルはその大改修をアレーサ滞在中に済ませるつもりのようだが……。
「何か手伝おうか」
さすがに改修作業を何から何までパヴェルに任せっきり、というのも拙いだろう。彼には他にも仕事があるし、こっちは手が空いている。
順調に描き上がっていくサキュバスミカエル君の薄い本。ベッドで寝ているメイドさん(これどこからどう見てもクラリスでは)をメスガキみたいな顔で煽り始めるシーンを描いていたパヴェルは「いや、大丈夫だ」と言いながらペンを走らせる。
「俺1人で何とかなるさ」
「そうかい」
「ああ。それに何度も言ってるが、お前らは血盟旅団の稼ぎ頭なんだ。休める時に休んでくれ。こういう仕事は俺に任せてくれていいからさ」
1人で、ねえ。
戦車と列車の改修を1人で済ませるってのもなかなかやべえが……ホント何者なんだ、コイツ。
「まあいいや、んじゃ俺ちょっと妹のところに行ってくるわ」
「はいよ、気を付けて」
パヴェルにちょっと妹に会いに行ってくる旨を告げてから、一旦自室へと戻った。てっきりクラリスが薄い本でも読んでいるところに遭遇するのではないかとちょっとヒヤヒヤしたけれど、彼女は不在のようだ。仕事に行っているのだろう、いつも部屋に置いてあるクラリスのマガジンポーチがなくなっている。
コートに袖を通し、軽車両が置かれている第一格納庫へと向かった。
バイクとかピックアップトラックとか、戦車砲を搭載したBA-10Mみたいな装甲車(戦車よりも軽いのでこっちに置かれている)が収納されている広大な格納庫の中に並んでいる『ベスパLX125』に跨り、エンジンをかけた。
艶のないオリーブドラブに塗装されたそれに跨りながら合図すると、制御室にいたノンナが手を振ってからレバーを操作、格納庫側面にあるハッチを解放してくれる。
「寒っ」
まだ10月上旬だというのに、外はいつ雪が降ってもおかしくないほど気温が下がっていた。
ハクビシンは本来台湾とか中国南部、東南アジアのように温かい地域に生息する動物なので、そのハクビシンの獣人であるミカエル君的にこの寒さはちょっと辛い。
できれば炬燵の中で丸くなるか、お姉さんの膝の上で撫でられながら丸くなりたいものである。
ヘルメットをかぶってから手を振り、アクセルを捻った。
ミカエル君を乗せたイタリア製のスクーターが格納庫の外に躍り出る。そのまま線路の上を通って踏切から車道へと出て、アレーサの町を進んだ。
冬になればその降雪量のせいで道路も線路も埋まり、国内すべての物流がストップしてしまう。それは海運業も例外ではなく、ノヴォシア帝国が面する海の殆どは冬になると凍り付いてしまい、砕氷船でもなければ入港は不可能だ。
しかし、この黒海を含めた一部の海は冬になっても凍らない。特にアレーサやアルミヤのアルムトポリの港は冬になっても凍結しない”不凍港”なので、アルムトポリは海軍の拠点に、そしてアレーサは貿易の玄関口として、冬でも機能し続ける。
そういう事情もあって、アレーサは冬季の食糧事情には余裕がある。冬は死ぬほど寒くなるけれど、海は凍らないので少なくとも海産物には困らないためだ。どちらかというと船を動かす燃料の備蓄に気を使っているイメージがある。
ブロロロ、とエンジン音を響かせながら、後部にスペアタイヤを乗せたミカエル君のベスパLX125は町を外れ、丘の上にある家に向かった。パヴリチェンコ家―――母の実家だ。
潮の香りが程よく遠ざかったところに母の実家はある。ここで母さんは幼少期を過ごし、15歳になってから家計を支えるためにキリウへと渡って、リガロフ家のメイドとなったのだそうだ。
庭の外にベスパを停めると、庭にいたカタリナお祖母ちゃんと目が合った。
「あらぁミカちゃん。いらっしゃい」
「こんにちは、お祖母ちゃん」
お祖母ちゃんは庭で何をしていたかというと……どうやらサリーの遊び相手になっていたようだ。
ピンク色の可愛らしいスコップを片手に、庭に穴を掘っていたサリー。泥遊びでもしていたのだろう、地面に掘られた穴には水が溜まっていて、その傍らには泥団子がいくつか積み上げられている。
「にーに!」
俺の姿を見るや、サリーはスコップを投げ捨て、転ぶんじゃないかと思ってしまうほど危ない足取りでこっちに駆け寄ってきた。
しゃがんで彼女に目線を合わせ、駆け寄ってきた妹を抱き抱える。サリーの手についていた泥で見事にコートが汚れたが、そんな事は関係ない。妹が可愛いからそんな事はどうでもいいのだ。『目に入れても痛くない』とはよく言ったものだ。
「おー、なになに、泥遊びしてたの?」
「あいー、あいー」
「そっかそっか。んじゃあお兄ちゃんと遊ぼうか。な?」
「むふー」
「よしきた」
「わきゃー♪」
手を放し、走って逃げるサリーを後ろから追いかける。何度か転びそうになるサリーだったけれど、やはり身体能力は高いようで、絶妙なバランス感覚で体勢を立て直している。
おお、すげえなこの子。
やっぱりサリーもハクビシンの獣人だから、大きくなったらパルクールとかが特技になったりするんだろうか。成長したサリーの姿を想像しながら妹を追いかけ回しているうちに、庭にはサリーのきゃっきゃと楽しそうな声だけが響いていた。
そんな俺たちの様子を、お祖母ちゃんはニコニコしながら見守っていた。




