ジャコウネコ科をナメるな
『デェェェェェェェェェェン!!』
「……」
この着信音、何とかならないものか。
パヴェルが作ってくれたお手製スマホ、作戦に必要なアプリから暇潰し用のアプリまで幅広く揃っていて、インターネットこそ使えないものの通話は(圏内であれば)可能、メールのやり取りも(圏内であれば)可能と、異世界基準で考えれば至れり尽くせりのスペックを誇っている。
それは良いのだが、なんで着信音がかなりソビエトを感じるコレで固定なのだろうか。しかも音量を最低に設定している筈なのに、まるで某モニカゼミの如く鼓膜を破壊しに来るレベルのボリュームである。
何度これの改善をリクエストしても『貴様資本主義に毒されたか!』なんてソ連軍指揮官のコスプレをしたパヴェルに断られる始末。作業着から一瞬でコスプレする早着替えには目を見張るが、それはそれとして何とかならないのかこれは。
まあいいや、とスマホを耳に当てると、シスター・イルゼの声が聞こえてきた。
『もしもし?』
「もしもし」
『ああ、ミカエルさん。水の成分解析、完了しましたよ』
「どうだった」
『成分自体はその辺の水と大差ありません。ほんの少しカルシウムの含有率が高いくらいですが……寄生虫も確認できませんでしたので、飲み水としても使えそうです。きれいな水ですよ』
「そうか……分かった、ありがとう」
『それと、近くに別の冒険者の列車が』
「ああ、それは分かってる」
AK-19を肩に担ぎ、懐から棒付きのキャンディーを取り出して口へと放り込んだ。
「―――まあ、警告はしたさ」
人語を話すオークは諦めろ、と伝えたつもりではあったが。
確かに、彼らの考えることは分かる。きっと彼らのクライアントは、ヴァシリーの討伐にそれなりの額の報酬を支払うと宣言したのだろう。もうじき、この国にも冬がやってくる。永くて冷たく、苛酷なノヴォシアの冬が。
物流も止まり、春からの蓄えだけでなんとか乗り切らなければならない過酷な冬。そうなる前に少しでも多く収入を得て、食料なり燃料なりを買い込んで冬に備えなければならないのだ。彼らもまた必死なのである。
だが―――他にも仕事はある筈だ。
この仕事に拘らなくても、他の仕事を引き受けて成功させ、こつこつと稼いでいけばいい話である。ヴァシリーを討伐しなければ死んでしまうわけでもあるまい。
だから俺は言ったのだ。彼は諦めてほしい、と。
そうすれば危害は加えない、と。こちらは流血は望まない、と。
それを、彼らは無視した。
俺たちと戦う事を選んだ。
あくまでも冒険者として、結果だけを貪欲に追い求める者として振舞うというのであれば、こちらも手加減する義理はない。
AK-19のコッキングレバーを引いて初弾を装填。マガジンの底に配置されたスプリングが5.56mmゴム弾を押し上げ、最初の一発を薬室の中へと送り込む。
続けて麻酔弾を装填したスタームルガーMkⅣの後端にあるボルトを引き、同じく初弾を装填。専用に用意された麻酔弾が薬室へと送り込まれ、後は安全装置を解除して引き金を引くだけで発砲できる状態になる。
正直に言おう。
魔物が相手になるようなら仕事はともかく、ミカエル君は人同士の戦いはあまり望んでいない。
だから彼らに警告はしたし、こちらの立場も伝えたつもりだ―――しかし相手がそれでもなお闘争を選んだというならば、こちらも矛を向けざるを得ない。
降りかかる火の粉は払い除ける―――そうするしかないのだ。
結局のところ、対話だけで平和は掴めない。こちらもある程度の武力を見せつけ、その上で相手と交渉のテーブルにつく。それが一番現実的なのだ。
それでも戦いを選んだ相手には、こちらも武力で応じる他ない。
『ミカエル、どこに行くんだ?』
ちゃぷ、と泉に浸かっていたヴァシリーが目を丸くしながらこっちを向いた。まるで温泉に入っているかのような姿だが、一応言っておく。これは水である。お湯ではなく水である。
そんな彼に微笑みながら、手短に告げた。
「……ちょっとね、”来客”の相手をしてくるよ」
『?』
「それより、元の姿に戻れるよう祈ってるよ、ヴァシリー」
『ああ。ありがとう、ミカエル』
”友人”に手を振って、泉のあった場所を後にする。
闘争を望む愚か者よ。
―――力は、力によって滅ぼされると知れ。
ここはきっと、シェルターか何かだったのだろう。
旧人類が遺した地下施設の中にあった棚をランタンで照らしながら、俺はそう思った。埃の堆積した棚にはずらりと缶のようなものが並んでいて、色も掠れ、読み取ることすら困難になった表面のラベルには、辛うじてニシンのイラストが描かれているのが分かる程度である。
きっとこれは保存食なのだろう。俺たち獣人を造り上げた旧人類が、いつか来たるべき世界規模の大災厄に備えて建造した緊急避難用のシェルター。しかし旧人類が一人残らず姿を消し滅亡した事と、ここに誰かが逃げ延びてきた様子がない事から察するに、哀しい事にこの施設は本来の役目を一度も果たすことなく忘れ去られ、こうしてダンジョンと化してしまったようだ。
食い意地の張ったオレグがおそるおそる缶を銃剣でぶっ刺して開けた。ちょっと膨らんでたからガスでも溜まってるんだろうな、という予感は大当たりで、パンッ、と弾けるような音と共に、腐ったような悪臭と変な汁が弾けた。
「うわっ!」
「くっさ!」
「おえっ……おえぇぇぇぇぇぇぇぇ!」
「くっそ……何やってんだバカ!」
「ごめんよボス、食えるかなって思っ―――オロロロロロロロロ」
うわ、コイツ吐きやがった……。
顔をしかめながら視線を背け、オレグの馬鹿がこじ開けた缶詰を蹴飛ばす。さすがに130年も経過すれば保存食でも腐る……とは思ったが、とんでもなく臭い汁の中から顔を覗かせたニシンの切り身には腐敗している様子はなく、まるでオイル漬けのような綺麗な光沢を放っていた。
まさかアレ、臭いがヤバいだけで食えるのではないか。いや、食おうとは思わないが。
確か北方諸国の1つ、『ヨルデン王国』にはああいうとんでもない悪臭を放つ缶詰があると聞いた事がある。確か名前はシュールストレミングだったか……臭いは破滅的だが味は良いと聞いている。いや、食おうとは思わないが(二回目)。
などと考えている間に、異変は起こった。
昼食のカーシャを床にぶちまけたオレグの背中をさすっていたグリシャが、言葉すら発さずにどさりと崩れ落ちたのである。
「!?」
「お、おい、グリシャ!?」
何だ、何があった。
目を見開きながら、彼の身体を確認する。首筋には何やら小さな、それこそ小指みたいな大きさの注射器のようなものがぶっ刺さっていた。
それが何であれ、敵からの攻撃に変わりはない。
では、この状況で俺たちに牙を剥くであろう敵とは何か?
先ほどまで流れていた放送の主―――”雷獣のミカエル”に他ならない。
「ボス、あそこだ!」
「!!」
暗い部屋の奥―――通路の天井からだらりと垂れさがっていたケーブルが、一瞬だけスパークし光源となる。
その蒼い光が、小柄な人影を映し出した。
やはり子供のようだ……背丈はそれほど高くはない、せいぜい150cm程度だろうか。本当に冒険者を名乗れる年齢に達しているのかも分からない容姿だが、しかし闇の中でギラリと輝く眼光は、確かに場数を踏んできた冒険者のそれだ。
敵意を露にしたネコ科の動物を思わせる目で睨んできたあのメスガキこそが、間違いなく”雷獣のミカエル”なのだろう。闇のような黒髪と、前髪と周辺の一部のみが白い変わった頭髪。それが何か幾何学的な模様にも見え、得体の知れない不気味さを醸し出す。
「オレグ、畳み掛けろ!」
「分かった!」
ラッパ銃を抱えたオレグが、えっほえっほと重そうな足取りでミカエルを追う。力持ちだが走るのが苦手なオレグでは、奴を追い立てることはできないだろう。
案の定、ミカエルは素早く動いた。姿勢を低くし、ネコ科の動物のようなしなやかさで闇の中を駆け抜け、どこかへと消えていく。小柄な身体であのスピードなのだ、こんなに遮蔽物の多い場所では厄介な相手と言わざるを得ないが……同時に、その小柄さが弱点にもなる。
身体が小さいという事は体重は軽く、筋肉の量も限られるという事。つまり真っ向からの力比べでは軍配が上がるのはこっちで、一度でも懐に潜り込んでしまえばこっちのものという事だ。
だから俺はオレグがミカエルを追いかけ回している間に先回りし、挟撃してやればいい。
作戦を頭の中で思い浮かべながら、勝てない相手ではない、と結論を導き出した次の瞬間だった。
暗闇の中に、オレグの絶叫が響いたのは。
『―――ギャアアアアアアアアア!!!』
「!?」
まさか、もうやられたのか?
ぎょっとしながら方向転換。さっきオレグが突入していった、通路の向こうの部屋へと向かって全力で突っ走る。
あんなドジでデブのチキン野郎その2でも、俺にとっては大切な仲間だ。足を引っ張られたり迷惑をかけられた回数は星の数ほどあるが、それでも一緒に死線を潜り抜けてきた戦友である。まだ息があるのであれば助けてやりたい、見捨てたくない―――頼む、生きていてくれと祈りながら通路へ飛び出した俺が目にしたのは、通路の反対側にある部屋の入り口で足を押さえ、苦しそうな表情で悶え苦しむオレグの姿だった。
「オレグ!」
「ぐあぁっ……くそ、足をやられた……ッ」
オレグの足には、鋼鉄の顎が食らい付いていた。
トラバサミだ。踏むと仕掛けが動作し、獲物の足を挟み込んで動きを拘束する狩猟用の罠。よりにもよってそんなトラップが、通路の床に設置されていたのである。
この視界の悪さも手伝って、オレグは足元に仕掛けられていたトラップの存在に気付かずにそれを踏み抜き、結果としてトラバサミに自分の右足を献上する羽目になったようだ。
仲間の傷の具合を確認してみる。幸いトラバサミには他のモデルにあるようなスパイクが無く、獲物を傷付け出血を強いるような、悪辣な構造でなかったのは幸いと言える。
だが―――トラバサミが動作した際の対象の足を挟む力は非常に強い。それこそ、スパイクが無かったおかげで出血はなくとも、挟まれるだけで足の骨は容易くへし折れてしまうほどに。
オレグもそのようだった。足の骨が折れているようで、膝から下が普通ではありえない方向へ、微かに曲がっているのが見て取れる。
歯を食いしばり、周囲を睨んだ。
辺りには暗闇しかない。物音と言えばオレグが発する呻き声程度のもので、それ以外に生物の痕跡は何も感じない。
くそったれ、ミカエルの野郎はどこに行った?
「出て来いよクソッタレ、臆病者め! 俺が怖くなったか!?」
銃剣付きのマスケットを腰だめで構える。暗闇から姿を現した瞬間がミカエルの最期だ。本当に子供だったとしても、俺の仲間にした仕打ちは許せるもんじゃねえ。コイツで風穴を開け、喧嘩を売った事を後悔させてやる。
さあ来い、かかって来いよクソ野郎……心の中でミカエルへの殺意を高めていた俺の視界に、その”異物”が映り込んだのはそれからすぐの事だった。
「……!?」
暗闇の中―――壁から飛び出たケーブルのスパークに照らされて露になったのは、一本の剣だった。
片刃で、サーベルにしては刀身が分厚く、長い剣。東洋の刀を真っ直ぐにしたような、しかしそれでいて過度な装飾もない、実用性だけを突き詰めたような剣。
それが―――まるで幽霊の剣士がそこにいるかのように、宙に浮いているのである。
ゆっくりと、剣の切っ先が俺へと向けられて―――。
その切っ先が迫ってくる―――俺が覚えているのは、そこまでだった。
警告を守っていれば、こんな事にはならなかっただろうに。
虎みたいな獣人(スミロドンの獣人だろう)と、奥の食糧庫でぶっ倒れていた獣人の足を引き摺りながら、俺は通路に出た。薄暗い通路の中では大人の男性がすすり泣くような声が聞こえてくる。
気を失い、麻酔薬で眠りに落ちた2人の獣人をずるずると引き摺りながらそのすすり泣く声の発生源に向かうと、さっき仕掛けたトラバサミに足を挟まれた牛の獣人が、「痛てえよ、痛てえよ……」と涙を浮かべながらすすり泣いているところだった。
そいつの傍らに、戦闘不能になった二人組を放り投げる。どさり、と埃の充満した床の上に転がった2人を見た牛の獣人が、目を見開きながらこっちを振り向いた。
「ひっ……ひぃぃぃぃぃぃぃ!」
「……警告はしたはずだ」
仁王立ちしながら、声帯に住んでる二頭身ミカエル君にクールな声を出してもらう。
名演だったのか、それともすっかり恐怖に呑まれたのか、牛の獣人は持っていたラッパ銃を投げ捨て、両手で頭を抱えながら声を震わせた。
「ち、違っ……! 俺はボスの命令で一緒についてきたんだ! アンタと戦うつもりなんてなかったんだよぉ! 頼む、頼むっ……い、命だけは、命だけはっ! 頼むよ、見逃してくれ、頼む……っ!」
「……」
太腿に巻いている革製の工具ホルダーからマイナスドライバーを引き抜き、しゃがんでトラバサミに手を伸ばした。彼の足をがっちりと挟み込んでいるスプリング、それを固定しているプレートのネジを緩めていくと、足を挟んでいたトラバサミはあっという間にただの物言わぬ金属の塊に成り下がった。
恐る恐る足を引っ張り上げる彼に治療用のエリクサーを手渡し、いつもの優しい声で告げる。
「……怖い思いをさせてすまなかった」
「……はぇ?」
「俺も戦いたくはなかった。大丈夫、この2人は殺してはいない。ちょっと気を失ってるだけだ。それを飲んで回復したら、2人を連れてここを去ってくれ。いいな?」
無言でコクコクと、赤べこさながらに頷く牛の獣人の冒険者。甘いと言われるかもしれないが、俺には分かる。この人は良い人だ―――真っ直ぐで、嘘をつくのが苦手な、そういうタイプの人だ。
だからきっと、俺の言う事にも耳を傾けてくれるだろう。そう信じて彼に微笑みかけ、踵を返した。
もしこれでもまだヴァシリーを狙うようであれば―――その時は、腹を括ろう。
そうならない事を祈るばかりだ。




