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同業者、襲来


 相変わらず、腐海の周囲は酷い臭いだ。


 ピンク色の、とてもではないが海とは思えない色に染まったアルミヤ半島の腐海を見ながら、冒険者たちのリーダー格の男―――ヴィクトルは顔をしかめる。


 腐海は水深が浅く、潮の流れもそれほど激しくなくゆったりとしている。腐海という名称はその名の通り、腐臭にも似た悪臭からつけられたものだ。実際に海水が腐敗していたり、海底にヘドロが沈殿しているというわけではなく、腐海の沿岸部では昔から塩の製造が盛んである事からも海水自体は清潔である事が分かる。


 秋になり、悪臭はだいぶマイルドになったものの、それでもなかなかに強烈である。まるで討伐後の処理を怠った魔物の死体のようだ。中途半端に腐敗し溶けた肉に、ハエの飛び交う屍から覗く白骨。目を瞑ればその悪夢のような、グロテスクな姿が鮮明に思い起こされる―――食事がまずくなるような記憶を呼び起こすような、そんな臭いだった。


 ヴィクトル率いる冒険者ギルドもまた、各地を移動しながら仕事をするスタイルの冒険者ノマドである。彼らもCランクの冒険者、それなりに場数は踏んできたつもりだ、という自負はあるし、特に団長であるヴィクトルは見習い時代から実績を積み上げてきた叩き上げだ。その辺の有象無象とは違うのだ、と彼は己の実績を誇りに思っている。


 だからこそ、彼らから仕事を奪い去っていった”何者か”が気に食わない。


 現場に遺された小さな足跡―――それから分かる事は、少なくとも相手は未成年、子供であるという事だ(それにしても足跡が小さすぎるような気はしたが)。そんな、冒険者とは何かという事すら理解していない若造が、ベテランであるヴィクトルたちから仕事を、”標的”を奪っていったことが何よりも気に食わない。


 相手が誰であろうと本気でかかる―――スミロドンの獣人として生まれた彼が、同じく冒険者であった父親から叩き込まれた思想は、怒りと共に彼の胸中で熱く燃え滾っていた。


「グリシャ、もっとスピードは出ないのか!」


 炭水車の上を乗り越えて機関車を覗き込みながら怒鳴るように言うと、汗を流しながら火室へと石炭を放り込んでいたグリシャは「勘弁してくれ」と泣きそうな顔で返答する。


「ボス、この辺の線路はもうガタガタだよ。いつ脱線するか分かったもんじゃない……」


「関係あるか! 構わん、限界まで飛ばせ!」


「そんなこと言ったって……くそっ、線路ぶっ壊したら重罪だよ」


 広大な国土に毛細血管の如く広げられた鉄道網は、ノヴォシア帝国の産業を支えてきた要と言ってもいい。


 この鉄道網の発達により、広大な国土の往来が格段に楽になり、物資輸送も迅速に行えるようになったことで、ノヴォシア帝国は急激に発展した。それは現代に至るまで維持されており、今でもあらゆる産業を支える尽力者と見做されている。


 それだけに、線路の破壊は重罪なのだ。


 運転を誤り路線を破壊、列車の運行に大きな影響を与えた場合、最高で死刑が求刑される程である。だから競合関係にある冒険者ギルドを出し抜くために線路を爆破したとなれば、爆破を実行したギルド関係者全員が断頭台ギロチン送り……という事も十分に考えられる。


 そしてそれは、このアルミヤに遺された廃線同然の線路も同様である。


 まともなメンテナンスを受けていないとはいえ、法律上はここもイライナ地方の在来線の1つだ。だからもし無理に速度を出して線路を破壊し列車を脱線させるような事があれば、ヴィクトル率いるギルド関係者全員の首が飛びかねない。


 物理的にそうならずに済んだとしても、少なくとも10年以上は牢獄の中で過ごす事になる。あるいは、人権を剥奪され奴隷として一生を過ごす事になるか……いずれにせよ、まともな未来は待ってはいまい。


 だからこそ慎重になるグリシャの方が、普通の思考というものだ。たかが20万ライブルのために首が飛ぶような真似をするよりは、後でまた仕事をして金を稼げばいい……グリシャは暗にそう言っているつもりだったが、しかしヴィクトルはそれに耳を貸す素振りすら見せない。


 もし路線を破壊する羽目になったら、コイツに全責任を被せて減刑を狙ってやる、と仲間を売る算段を頭の中で考え始めるグリシャ。それに対してヴィクトルは、線路の破壊を全く恐れる様子を見せず、炭水車の上に腰を下ろして前方を睨みつけていた。


 今の彼の目には、”商売敵”の姿しか映っていない。













 生まれ変わりの泉、なんてファンタジーな名前なもんだから、もっとこう妖精が周囲を飛んでいるような、そんな光景を想像していた。


 しかし、実際はどうだろうか。


 泉の場所は旧人類の地下施設の最奥、それも崩れたコンクリート壁の向こう側だ。泉そのものも大地から湧き出たものではなく、壁から顔を覗かせる水管から漏れ出た水がただ単に貯まっただけ。おまけに天井は劣化して崩落し、その土と瓦礫の上に白い花を咲かせた小さな木が生えている。


 幻想的と言えば確かにそうだが、ファンタジーっぽいというよりは、まるで人類滅亡後の世界のようだ……実際に旧人類は滅亡しているが、俺たち獣人も絶滅してしまったら、こんな風景がこの世界のあらゆる場所に姿を現すのだろうか?


 スマホで写真を撮影し、シスター・イルゼに画像を添付して送信。残念ながら列車との通話やメールのやり取りは出来ないが、警戒車で待機しているシスター・イルゼは近くにいるから通信は出来る。ちょっと電波悪いけど……。


『なあ、さっきから思ってたけどその小さな板みたいなの何なんだ? 光ってるけど……』


「ん、コレ? コレはウチの技師が作った発明品だよ。スマホっていうんだ」


『すまほ?』


「そ。何でもできるよ、手紙のやり取りだったり電話だったり」


『へぇ~……すごい』


「……あとえっちな画像も見れる」


『ちょっとそれ詳しく』


 うわ馬鹿、食いついてくるな馬鹿。


「……ところでヴァシリー、君の性癖は何だね? 俺は身長が高くて胸が大きいメイドさんだったりバニーガールのお姉さんが好みのタイプ」


『俺? 俺は……女騎士かなぁ。敗北して”くっ殺せ”なんて言ってるとそそる』


「見た目通りの性癖やめーや」


 性癖がド直球すぎて草。


『それより、さっそく泉に―――』


「ああ、待て待て」


『なんだよ』


 ポーチから空き瓶を取り出し、コルク栓を外して泉の水をそれに収めた。光を受けてキラキラと光るそれは、確かに透き通っている。不純物はそこにすっかり沈殿しているようで、上澄みの部分はさながらアクリル板のよう。


 上澄みの部分と、比較的底に近い部分、2つのサンプルを採取してから、バックパックの中からドローンを取り出した。4つあるメインローターを折り畳んだ状態で収納されていたそれを展開し、機体下部にあるラックに採取したサンプルを固定。スイッチを入れると、センサー部を緑色に発行させながら、目を覚ましたドローンはローターの回転音を響かせながら天井の穴から飛び去って行った。


『あれは?』


「もしかしたら泉の水に有害物質とか混じってたりするかもしれないし、どんな成分なのかも分からない。いきなり沐浴するのは危険だと思うぜ」


『いくら何でも慎重すぎじゃ……?』


「まあそうかもしれないけどさ……お前みたいな良い奴を目の前で失うのは避けたい」


『ミカエル……』


「せっかく生まれた命なんだ、幸せにならなきゃ勿体ない」


 だろ、と微笑みかけると、ヴァシリーは照れたように目を逸らした。


 そのリアクションから、ミカエル君は悟る。


 コイツ多分俺の事を男として認識していない―――ラノベか何かのグイグイ来る系のヒロインだと認識している、と。


 ミカエル君はそういうのに敏感なのだ。


 もしかしてフラグを立ててしまったかもしれない……クラリスだったら大喜びしそうだし、パヴェルが知ったらノリノリで薄い本を描きそうで怖い。メスガキミカエル君わからせ本の次はくっ殺ミカエル君わからせ本とか笑えない、笑えないぞパヴェル。それをどこで頒布するつもりだパヴェル。ミカエル君はフリー素材じゃないぞパヴェル。


 さて、ドローンにサンプルを持たせてシスター・イルゼの元へと向かわせたのにはちゃんとした訳がある。


 1つは有害物質が混入していないか確認するため。そのための試薬も警戒車には搭載されている(列車に先行しての調査や偵察を想定した車両なのでそういう調査用の機材とかも積み込んであるのだ)。


 そしてもう1つは、『生命をあるべき姿へ戻す』という言い伝え通りなら、どのような成分がそれを可能にしているのか調べるためだ。こっちは可能であれば、で構わない。別に大量に泉の水を持ち帰ってパヴェルに軍事転用してもらおうだとか、そんな悪い事は考えてないよミカエル君は。本当だ、ミカエル君嘘つかない。


 念のため、MP17をホルスターから抜いて警戒しておく。さっきまでの戦闘で魔物はあらかた倒したとは思うが……ここはダンジョンの中、安全地帯など存在しないのだ。何があっても対応できるよう備えよ、というパヴェルの言葉は戒めとして脳裏に焼き付いている。


『何でまだ警戒してるんだ? 魔物は全部倒したんじゃ?』


「まだ残ってるかもしれない」


『考え過ぎだよミカエル』


「分からないよ、泉の中からいきなりサメが襲ってくるかもしれない」


『いや、泉に住んでるサメなんて聞いた事が―――』


「おいおいヴァシリー知らないのか? 最近のサメは頭が6つになったりタコの脚が生えてたり、竜巻に乗って空を飛んだり家の中に出たりするんだぞ?」


『サメとは』


「だからB級映画のノリで泉の中からサメがこんにちは、なんて事もあるかもしれない」


『君の頭の中のサメはどうなってるのさ』


 俺もよく分からん。どうなってるんだサメって。


「……まあ、サメも奥が”フカい”って事さ」


『……もう冬かなぁ、やたらと寒い』


「引っ叩くぞコラ」


 あはは、と笑い合い、ポーチに入っていた食料を分け合った。パヴェルお手製の高カロリーチョコレートスナックはサイズも大きくて食べ応え満点、小腹が空いた時に食べると十分な満腹感を得られる。


 もちろん戦闘などの激しい運動でカロリーを消費する事を前提に調整した食品だから、普通の人が3時のおやつに食べていたらあっという間に肝臓がフォアグラになってしまう。


 食べ終わってから、俺はヴァシリーと雑談する一方で、地面に腰を下ろして工具を抜いた。バックパックに収まっていた廃材を加工して、次々にトラップを作っていく。


 錆びた金属板とスプリングがトラバサミ(危ないからスパイクはないよ)に姿を変えていくのを見ていたヴァシリーに手先の器用さを褒めてもらいながら、敵の襲来に備える。


 魔物ではない―――ヒトの、”同業者”の襲来に。













 ガタつく線路から脱線せずに済んだのは幸運と言っていいだろう。


 チキン野郎のグリシャと間抜けのオレグを連れ、足跡を辿って行き着いた場所で俺たちを待ち受けていたのは、何とも奇妙な鋼鉄の扉だった。どこまでも続くかと思われた岩肌にぽつんと、明らかな人工物が埋め込まれるように佇んでいたのだ。


 明らかに現代のデザインではない。おそらくだが、これは旧人類の遺構―――ダンジョンなのだろう。俺たち獣人の創造主たる旧人類が遺した何かの施設、そうに違いない。


 そして間抜けなオークとその協力者は、ここに逃げ込んだようだった。


 足跡は途中で途切れていたが、匂いは誤魔化せない。さすがにこのアルミヤで、獣っぽいオークの臭いと洗濯したての服みたいな匂いは目立ちすぎる。


「グリシャ」


「……」


 バックパックから握り拳よりも大きな爆弾を取り出すグリシャ。導火線はしっかりと乾燥していた。コイツの汗で導火線が湿っていたら、顔面が変形するくらいボコボコにぶん殴っているところだが、まあいい。


 ライターを取り出し、導火線に火をつけた。火薬がたっぷりと詰まった陶器製のそれを扉にセットし距離をとる。しばらくして、導火線が姿を消すと同時に腹の底に響く重々しい炸裂音が響き、その中に確かに金属が断裂するような音が混じったのを俺は聞き逃さなかった。


 濛々と立ち込める白煙を手で振り払い、背負ったマスケットに銃剣を装着。使い古したそれを構え、2人を連れてゆっくりと施設の入口へと足を踏み入れる。


 あのオークとガキ(あれだけ足跡が小さいのだからガキだろう)はこの中に逃げ込んだに違いない。人語を話すオークを討伐すれば20万ライブル、更にその遺体をエルソンの貴族に引き渡せば追加で10万ライブルもの値がつくのだ。冬も近いから、こんな大金が手に入るチャンスをみすみす逃してなるものか。


 グリシャはチキン野郎だから別の依頼で稼げばいい、今回の獲物は諦めろと遠回しに言ってくるが、冗談じゃねえ。俺たち冒険者は常に貪欲に仕事をこなさなければならない。そして同業者にナメた真似をされた時の対処法はただ一つ、ただただ無残にぶち殺す。これに尽きる。


 冒険者同士の戦闘はご法度だが、24時間いつも管理局の連中がストーカーみたく俺たちを監視しているわけでもない。特にダンジョンの中となっては完全な治外法権だ。中で同業者とやり合って殺しちまっても、ダンジョン調査中の戦死という扱いになる。


 クソガキもオークと一緒に始末してやろう。女だったら少し”楽しんで”からでもいいだろう……そう思いながら通路を進んでいたその時だった。


《―――冒険者諸君に次ぐ》


「なんだ」


「!?」


 施設の中に、女―――しかもガキの声が響いた。


 生意気になるくらいの年頃の女の声。別れた元妻の娘もこんな感じだったな、と思いながら、声の発生源を特定しようとする。


 そうしている間にも、メスガキは話を続けた。


《こちらは冒険者ギルド”血盟旅団”所属、団長のミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフ。現在、諸君らの標的であろうオークを保護している》


「保護だぁ?」


「血盟旅団……ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフ……まさか」


「何だオレグ、知ってるのか」


 ビビるオレグに問いかけると、デブのオレグは冷や汗を浮かべながら言った。


「聞いた事がある……ギルド単独でガノンバルドを討伐、更には未知のエンシェントドラゴンまでぶちのめして、このアルミヤの解放まで行ったっていう新興ギルドだよボス……!」


「それだけじゃない、団長のミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフって、あの”雷獣ライジュウのミカエル”だ。異名付き(ネームド)の冒険者だよ! ボス、今回ばかりは相手が悪い! ずらかろうぜ!」


「……バカ言ってんじゃねえ」


 口に煙草を咥え、火をつけた。


「ナメられたままケツ捲れってか、冗談じゃねえ」


 第一、オークを”保護”ってのも気に入らない。魔物は殺してしかるべきだろう? 新手の環境保護団体か何かか? 


 俺はな、アホみたいな感情論で後先考えず迷惑を振り撒き、世界を変えた気になってるような連中が大嫌いなんだ。そういうヤツらが視界に映るだけで、殺したくなる。生まれてきた事を後悔するレベルの無残さで、だ。


《諸君らにとって”彼”が標的である事は重々承知している。標的を横取りしてしまった件については謝罪しよう。しかし、こちらにも成すべき事がある。流血は望まない、どうか手を引いてほしい。彼を諦めてくれれば、こちらも危害は加えない》


 言葉を無視し、奥へ奥へと進んだ。


 通路には魔物の死骸が山積みになっている。イライナ地方でよく目にするヴォジャノーイたちだ。斑模様の表皮には弾痕が穿たれているが、どれもまだ新しい。


 その”ライジュウ”とやらがやったのだろうか。


「おい、ライジュウとやら! 人の仕事ヤマ横からかっ攫っておいてナメた事抜かしてんじゃねーぞ! オーク諸共、てめえもぶち殺してやる! そうすりゃこっちの腹の虫も収まるってもんだ!」


 あらん限りの声で返答し、天井に向かってマスケットをぶっ放した。


 どこから話しているかは分からんが、これでこっちの宣戦布告はライジュウとやらの耳にも届いただろう。これで逃げ道はない―――敵にも、そして俺たちにもだ。


《―――そうか》


 落胆したように、ライジュウとやらは言った。


《……諸君らの返答、確かに承った。ならばこちらも冒険者としての”仕事”をするまでだ》


 メスガキの声とは思えない程の殺気。


 スピーカー越しではあるが……なるほど、異名付き(ネームド)は伊達ではない、か。


 ―――面白くなってきたじゃあねえか。


 やり合おうぜ、ライジュウとやら。


 


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― 新着の感想 ―
[良い点] うーむこの冒険者ら身の程を知らんな [気になる点] リクエスト失礼します。 パンツァーファウスト はい。言わずもがな、対戦車ロケットです。ドイツの技術は世界一ィィィィィ! フランキ・スパス…
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