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『生まれ変わりの泉』


 海賊ワリャーグの魔の手から解放されて1年経つアルミヤ半島だが、その復興はなかなか進んでいないようだった。


 今、ノヴォシア帝国は大きな混乱の中にある。農業重視から工業重視への強引な政策変更、隣国アスマン・オルコとの関係の悪化に、北海と大西洋を挟んだ向こうに位置する聖イーランド帝国との制海権争い。俺たち国民からすれば遥か雲の上の出来事で、民主主義という政治体制も浸透していない現代では政治に口出しできる立場にないが、しかし全知全能なる皇帝陛下ツァーリのやらかした事のしわ寄せは全部国民へと降りかかってくる。


 この復興の遅れも、海軍力の増強を命じた事による財政の悪化が一因であるとまで言われている。


 利益を優先し他者から富を貪ることしか考えない、ハイエナ同然の海賊連中に、インフラ整備とか住民への食糧の分配とか、そういうまともな思考回路があるとは思えない。案の定線路はガタガタで、全くメンテナンスしていないか、やったとしてもかなーり適当なメンテナンスしかしていない事が分かる。


 チャイヌイ集落の郊外に出てから、それはより酷い事になった。


 ちょっと警戒車が進むだけで、足元からレールの軋む音や、緩んだボルトの音が聞こえてくるのである。こんな線路を走っていたら、いつ脱線するか分かったもんじゃない。


 重装甲と重武装、そして圧倒的なペイロードを誇る装甲列車は、かつては地上最強の兵器として君臨していた。大勢の兵士に大量の火砲、そして銃弾すら通さぬ重装甲はさながら動く要塞で、それと相対する羽目になった敵軍の将兵にとっては悪夢のようなもんだったというのは想像に難くない。


 しかし列車という性質上、レールを爆破するなどして脱線させてしまえば、後は何とでもなるという脆弱性も併せ持っている。


 そういう事(他にもレールの規格が国家によって違ったりする等)もあって、装甲列車というカテゴリーの兵器は最近では鳴りを潜めつつある……一部の国家では現役だったり、復活の動きを見せている事例も存在するが。


 列車どころか話が脱線したが、つまり何が言いたいかというと、俺たちの乗る列車やこの警戒車も例外ではない、という事だ。願わくば踏み締めているレールが何かの拍子でポロリ……なんて事にはならないでほしいもんである。


 ガタガタ、と緩んだボルトがいやーな金属音を奏でる。頼むよ、脱線しないでくれよ、と祈りながら、ミカエル君は再び砲塔から身を乗り出した。ターレットリングに据え付けられたブローニングM2重機関銃と防盾の向こうには、錆び付き、一部が歪んだ線路がずっと続いている。かつてはイライナ地方の内陸部から、エルソン市を経由して、海軍のアキヤール要塞があったという”アルムトポリ”に通じる路線として多くの列車の往来を見届けてきたのだろう。


 それがヒトの手を離れた途端にこの有様だ……なんとも悲しくなる。


 戦車の車長にでもなった気分で(いつもはパヴェルが担当している。彼は経験豊富なのだ)双眼鏡を覗き込み、周囲を見渡す。


 レンジファインダーを内蔵した双眼鏡の向こうに見えてくるのは、のどかなアルミヤの午後の風景だった。古びたトラクターに乗った農夫が農作物を収穫し、トラックの荷台にどっさりと乗せていく姿が見える。もうじき冬がやって来るのだ……地獄のような、長く辛い冬が。


 何とかして、過酷な冬を乗り切らなければならない。そのためには食料が必要で、それを買い込むために金が必要で、そしてその金のためには仕事が必要だ。


 だからこそ、切羽詰まった”同業者”は牙を剥くだろう。


 獣人に転生してからというもの、自分や仲間に対する敵意や、もしかしたら危害を加えられるのではないか、という予感を察知する術がより鋭敏になったような、そんな感じがする。


 獣人ゆえの感覚の鋭さか、それともハクビシンが食物連鎖の中でも下位に属しているからか。


 理由が何であれ、ミカエル君の直感はさっきから、音割れしそうなほど声高に叫んでいた。


 『背後の敵に備えよ』、と。


「……」


 が、今のところ敵襲の気配はない。


 これが考え過ぎであればいいのだが。


 グラつく線路の上を走ること30分ほど。地平線の彼方にまだ辛うじて見えていた腐海もすっかり見えなくなり、辺りには岩場が目立ち始める。ごつごつとした岩肌が、アルミヤののどかな風景と腐海をすっかり遮ってしまうと、辺りは一気に窮屈になった。


 アルミヤ半島がワリャーグの手に落ちてからは実質的な廃線となっていた路線だからなのだろう、半島が解放された今も、まともに整備された形跡がない。


 いつ脱線するかも分からぬ不安に駆られながら見張りを続けていると、すっかり錆び付いた線路の向こうに待避所が見えてきた。


 この世界の路線は、在来線だけでなく冒険者ノマドたちも利用する。もちろん優先するべきは在来線であって、そのダイヤを乱すような事はあってはならないのだが、ダイヤの合間を利用して列車の運行するのもなかなかハードルの高い話である。


 そんな冒険者ノマドたちのために、ああいった待避所が各所に用意されている。後方から特急が追い付いてきたら、冒険者ノマドは待避所に入って特急を先に行かせなければならない。


 かつてはそのために用意されていた待避所の中へ、警戒車は滑り込んだ。ギシ、とイヤーな金属音が足元から聞こえたけれど、どうやらそれもこれで終わりらしい。


 左手でスマホをタップし、パヴェルが入れておいてくれたアプリの中からマップを起動する。GPSなんて洒落たものはないのだが、どういうわけかスマホの画面には周囲の地形が詳細に映し出されており、その精度は距離が近ければ近いほど高くなっているようだった。


 パヴェル曰く『スマホ自体から特殊な電波を発して周辺の地形をスキャンしている』のだという。何だそのオーバーテクノロジーは。


 迷彩ネットを警戒車に被せ、木の葉や草を散らして偽装するシスター・イルゼに「ここは頼んだ」と言い残し、俺はヴァシリーを連れて、スマホ片手に岩場へと足を踏み出した。


 さすがに警戒車を留守にするわけにはいかない。目を離した隙に盗まれたり、破壊されたら面倒な事になる。すぐに逃げなきゃいけないのに盗難に遭ってました、なんて事になったら笑えない。


 ここはノヴォシア帝国、日本ほど治安は良くないのだ。少なくとも落し物が自分の元に返ってくる、なんて事はありえない。絶対に。


 それがこの世界の技術水準から大きく逸脱した現代兵器ともなればなおさらだろう。見張りと不審者の迎撃、そうでなくとも警戒車を移動させるための運転手兼砲手は残しておくべきだ。


 幸い、シスター・イルゼも銃の扱い方には慣れている。修道服に身を包んだ彼女の背中には、どういうわけか鉄パイプに横からマガジンをぶっ刺したような形状の機関短銃―――『ステンMk-Ⅱ』が背負われている。


 イギリスが第二次世界大戦中に急遽製造した簡易型のSMGだ。性能は他国のSMGには及ばなかったが、安価で大量生産できた事からイギリス軍を大いに支えたとされている。


 しかし、なぜイルゼはステンガンといいMP40といい、EMP35といい旧式の銃を好むのだろうか。血盟旅団には謎が多いが、イルゼの銃のセンスはその中でも35位くらいにランクインしている謎である。


 片手にスマホ、もう片方の手にMP17を持ち、ヴァシリーと一緒に岩場を進んだ。マップ情報によれば(パヴェルの謎技術を信用していいのだとすれば)、ヴァシリーの言う”生まれ変わりの泉”はこの辺にある洞窟の最深部に存在するという。


 んで、その洞窟なんだが……。


「……これか」


『……っぽいね』


 どこまでも、どこまでも延々と、代わり映えしない景色が続くものと思っていた視界に突如として現れたのは、岩肌の中に穿たれた穴と鋼鉄の扉だった。傍らには扉のロックを解除するためのものと思われる端末がある。


 洞窟というよりは、何かの地下施設への入り口のようだった。


 アルミヤ半島がワリャーグの魔の手から解放されたのはつい1年前の事だ。管理局も未だにアルミヤ半島全域の危険度を把握しているわけではないのだろう……だとすると、こんなところに未開のダンジョンが存在していても、おかしくはない。


 MP17をホルスターに戻し、右手を端末に伸ばしてみた。試しにボタンを押してみるけれど、これが旧人類の遺産なのは明らかで、動力は完全に死んでいる。ボタンを押しても、引っ張っても、優しく愛を語りながら恋人を扱うように押してみても、扉はうんともすんとも言わない。


 ならば、と試しに魔力を放出して回路に電流を流してやった。こういう時、雷属性の魔術師は非常に便利である。いざとなったらこんなバッテリーみたいな役目も果たせるので、停止した機械の再起動などお手の物なのだ。


 ショートしながらも再起動した端末のスイッチをガチャガチャしているうちに、なんか知らんけど扉は軋む音を立てながら開いていった。やったぜ、とヴァシリーに親指を立てながらウインクすると、『お前それでいいんか』と呆れたようなツッコミが帰ってくる。


 おお、いいねそういうノリ。


 MP17のライトをつけ、施設内を照らしながら進んだ。足元にはひび割れた壁面から流れ込んだのであろう水が溜まり、足を進める度にパチャパチャと音を立てた。


「イルゼ、こちらミカ。洞窟……というか、ダンジョン内部に突入した」


『ダンジョン?』


「例の泉、どうやら旧人類が遺した施設の奥にあるらしいぞ」


『そういう事でしたか……施設の警備システムが生きている可能性があります、慎重に』


「了解」


 よくある話だ。旧人類の施設に入ったら、まだ防衛システムが稼働していて返り討ちに遭った、という話は。ダンジョン名物と言ってもいいレベルで、旧人類の謎技術によって生み出されたセキュリティシステムは、旧人類滅亡から130年の時代を経てもなお動き続けている。


 だからどんな相手が出てくるのだろうか、と警戒していたのだが……鼻腔の中、充満する埃と薬品集の中に生臭さが混じったのを、ハクビシンの嗅覚は鋭敏に感じ取っていた。


『……ミカエル?』


「ヴァシリー、一つ聞くけどさ」


『なんだよ』


「お前って戦える?」


 問いかけると、彼は恥ずかしそうに答えた。


『お、俺、喧嘩弱いんだ……人を傷付けた事がないんだよ、一度も』


「それは良い事だ」


 スマホをポケットの中に放り込み―――MP17のストックを伸ばす。それをしっかりと肩に押し当てながら、銃口を頭上に向け引き金を引いた。


 まるで締め潰されていくカエルのような断末魔を響かせ、9×19mmパラベラム弾に脳天を撃ち抜かれた緑色の異形が天井から落下してくる。


 バチャ、と水音を立てて動かなくなったのは―――イライナ地方でおなじみの魔物、ヴォジャノーイだった。


『ま、まも……ッ!?』


「下がってろヴァシリー!」


 叫ぶや、空気の乱れを感じた方向へと銃口を向け、すぐさま引き金を引いた。


 ピストルカービンに取り付けられたスライドが後退し、9×19mmパラベラム弾の空薬莢が床を覆う水面へと落ちていく。いつもとは違う、金属音に蒸発音が混ざる音を耳にしながら、淡々と引き金を引いていく。


 どうやらここの防衛システムはとっくにダウンし、今ではヴォジャノーイの巣窟になっているらしい。小部屋や何かの倉庫だったであろう場所から次々にヴォジャノーイの成体が飛び出してくるけど、どいつも俺たちに傷をつけることすら叶わなかった。


 柔らかく、ぬめりとした表皮を火薬の暴力が殴打していく。弾丸が命中する度にカエルに似た化け物たちは動かなくなり、足元の床を覆う水面を紫色の体液で変色させていった。


 30発入りの拡張マガジンを使い果たす頃には、『ヴォロロロロロロロ!』なんてきっしょい鳴き声を発しながら襲い掛からんとしていたカエル共は静かになっていた。マガジンを交換、スライドストップのレバーを下げてスライドを前進させ、フォアグリップ内部に予備の拡張マガジンをぶっ刺しておく。


『グェ……グェ』


 まだ息のある個体が居たので、そいつの眉間に1発、心臓辺りに2発、弾丸を叩き込んで楽にしてやった。


 人間だったら慈悲はかけるが、意思の疎通ができない魔物に対しては情け無用だ。むしろ、殺してやった方が彼らにとっても情けとなるだろう。


「終わったぞ、ヴァシリー」


『……は、はぇ……え、もう倒したの? あれだけの魔物を?』


「ああ」


『ウソだろ……お前、強いのか?』


「……まだまだ半人前だ。それより、先を急ごう」


 そう言い、俺はヴァシリーと共に先に進んだ。













 劣化し、崩壊したコンクリート壁のその先に、”それ”はあった。


 蒼く輝く水面と、天井に穿たれた穴。そこから落下し堆積した土と瓦礫を押し退けて、泉の中央にできた小さな足場からは、1本の木が生えている。骸骨みたいに細く弱々しい木だけれど、白い花を咲かせ、天井の穴から差し込む日光を浴びて生きようとするその姿は、他の植物には無い”生命いのちの強さ”を感じさせられる。


 その木の周囲に広がるのは、日光を受けて蒼く輝く泉。


 傍らにある壁面、そこから顔を覗かせる大きな水管から流れ出る水が溜まってできたものなのだろう。元々は何かの冷却水や工業用水だったのかもしれないけれど、それにしたってこの輝きには神々しさすら感じさせる。


 間違いない、ここだ。


 旧人類の地下施設の先―――崩落したコンクリート壁の向こうにあったこれこそが、全ての生命をあるべき姿に戻すという『生まれ変わりの泉』なのだ。


「これが……」


『すげえ……ほ、本当にあったのか』


 誰も今まで足を踏み入れることのなかった秘境。


 蒼く輝く水面を見つめながら、俺たちは息を呑んだ。





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