呪われた子
スマホからの投稿です。少し短めになりますがご了承下さい。
『いやー、ありがとう。助かったよ』
「お、おう……」
パンや缶詰、ドライフルーツを片っ端から口の中に放り込んでもぐもぐしながら、そのオークは嬉しそうに言った。
やはりこの体格なのだ、消費するカロリーも人間のそれを上回るのだろう。だからオークは基本的に大食いで、野生の個体は常に空腹、気が立っているのだそうだ(しかし腹が満たされたからといって温厚になるわけでもないから質が悪い)。
それにしても、確かにこのオークは人語を発していた。
そりゃあ、人語の発声に適した骨格ではないからなのだろう、彼の話すイライナ訛りのノヴォシア語には、これまた奇妙な訛りがある。それでも彼の話す人語は流暢で、最近覚えたような感じには思えない。
さっきあげたエリクサーのおかげで、オークの身体の傷は消えていた。とはいえ完全には消えてない傷もあって、古傷みたいになっているが……。
「ところで君は何者なんだ?」
問いかけると、オークは黒パンを口へと運ぶのをぴたりと止めた。
「俺はミカエル。人語を喋るオークの調査依頼を受けてきたんだ」
本当は討伐も依頼内容に含まれてるが、そこまでは言わなかった。彼に不要な警戒心を抱かせるわけにもいかないし、何より警戒されては情報を聞き出せなくなってしまうからだ。
『……俺は"ヴァシリー"、獣人だよ……たぶん』
「……たぶん?」
返ってきた答えは、なんとも曖昧だった。
たぶん、とは果たしてどういう意味なのか。彼の発言の意味を察しようと頭を回転させるけど、それよりも先にヴァシリーと名乗ったオークは真相を語り始める。
『俺のご先祖様、大昔にズメイの"竜の血"を浴びたらしいんだ』
「……!」
―――『竜の血』。
リガロフ家の祖先、英雄イリヤーの伝承にも登場した単語の出現に、俺は思わず息を呑んだ。
竜の血とは、一部の古い竜、その中でも特に起源に近いエンシェントドラゴンの血の事を指す。彼らは誇り高く、ゆえに自らを害した敵を決して許さず、その怒りと憎しみは流れ出た血を呪いの塊に変えてしまうとされている。
だからエンシェントドラゴンの討伐は、本来は非常に危険な行為なのだ。エンシェントドラゴンそのものも危険なのだが、その内に宿す竜の血もまた危険物なのである(マガツノヅチは比較的新しい種族だったからこれがなかったのかもしれない)。
さて、ミカエル君のご先祖様である英雄イリヤーは、盟友でありまた救国の英雄でもある『ドブルィニャ・ニキーティチ』と共に、当時のキリウを襲撃したエンシェントドラゴン『ズメイ』を追い、ノヴォシア地方西部に位置する『アラル山脈』での戦いにおいて、三日間にも渡る死闘の末、3つの頭を持つとされるズメイの頭の1つを斬り落とし、封印することに成功したと伝承には記されている。
その際、斬り落としたズメイの首からその滾る怒りを宿した竜の血が溢れ、周辺の村を飲み込み、甚大な被害をもたらしたのだという。
あまりにも深い呪いは、ノヴォシアの大地ですら受け入れることを拒み、ズメイの呪いは三日に渡り大地を焼き、森を枯らし、あらゆる生命に呪いを植え付けた。
ドブルィニャ・ニキーティチは戦いで力を使い果たしたイリヤーに代わってその呪いの中に飛び込み、身体を蝕まれながらも三日に渡り詠唱を続け、やがてノヴォシアの大地は呪いを受け入れ、災厄は去った。
それがイリヤーとニキーティチの伝承で最も有名な、ズメイとの戦いの顛末である。
「という事は、あんたアラル山脈辺りから来たのか」
こくり、とヴァシリーと名乗ったオークは頷いた。
『俺の一家、鹿の獣人なんだ。でも俺、ご先祖様が浴びた竜の血のせいなのか、こんな身体で生まれてきた……でも心はヒトなんだ、信じてくれよぉ!』
「わかった、わかった。大丈夫だよ、信じるから」
『ホントか!?』
「あ、ああ」
そうじゃなきゃ、オークでありながら人語を発している説明がつかない。
魔物の肉体にヒトの心、か……。
彼が今までどんなに辛い人生を送ってきたか、何となくだが想像はつく。容姿のせいでさぞ苦労した事だろう。心はヒトだと何度叫んでも、周りが受け入れてくれたとは思えない。
『俺の母さん、こんな俺の面倒を見てくれて……でもその母さんも赤化病で死んじゃって……それで俺……』
「そうか……辛いよな、それは」
『あんただけだよミカエル、俺の話を聞いてくれたのは』
ぎょろりとした双眸から涙を溢れさせながら、ヴァシリーは涙声で続けた。
『こんな姿だから人前に出れなくて、ご飯ももらえない……畑から野菜を盗んだり、木こりとか農夫から食料を分けてもらったりしてなんとかここまで来たけど……』
そりゃあ、こんなオークがのしのし近付いてきて「ごはんちょーだい(意訳)」なんて要求してきたら誰だって怖がるだろう。冒険者ならばまだしも、木こりとか農民ならばなおさらである。
しまいには"喋るオーク"の噂話が蔓延し珍獣扱いだ。討伐依頼も出ているし、生け捕りにされればノヴォシビルスクにある学術都市に連れて行かれ、実験動物としての余生を過ごす羽目になるだろう。
どう転んでも、ヴァシリーに明るい未来が待っているとは思えない。
「……で、アラル山脈からなんでイライナに?」
『……母さんが教えてくれたんだ。イライナ地方のアルミヤ半島の近くに"生まれ変わりの泉"があるって』
「生まれ変わりの泉?」
『その泉の水で沐浴すると、全ての生命はあるべき姿に戻る……そんな言い伝えがある』
ミカエル君はイライナ地方出身のイライナ人だけど、まさかアルミヤ半島辺りにそんな場所があるなんて知らなかった(ワリャーグが実効支配していた地域だから情報がないのも仕方のないことだけど)。
「じゃあ、そこに行けば……」
『もしかしたら、元の姿に戻れるかもしれない』
なるほど、だからアラル山脈からはるばるイライナまで……。
列車でもかなり時間がかかる距離である。そんな気の遠くなるような道程を、冒険者と魔物の襲撃、それから飢餓に苦しみながらも旅してきたのだと思うと、彼をなんとかしてやりたいという思いに駆られてしまう。
見捨てられない……そう思った瞬間に、心は決まった。
「俺も行くよ、ヴァシリー」
『……え?』
「ここからアルミヤ半島まではあと一歩の距離にあるけど、まだ距離はあるし、その姿で人前に出るのはまずいだろ?」
『い、いいのか?』
「ああ。依頼者には"見間違いだった可能性大"って報告しておくよ。それより、元の姿に戻れるといいな」
『あ……ありがとう、ありがとうミカエル……! 俺にはお前が天使に見えるよ……!』
そりゃあ天使ですもの???
とまあ、自分でもお人好しだとは思うし、厄介事を呼び込む悪い癖だという自覚はあるけれとも……少しくらい、ほんの少しくらい、優しくて甘い奴が居てもいいのではないだろうか、とは思う。
現実は残酷なのだ。いつであろうと、果てしなく。
だからこそ、受け皿が必要なのだ。
残酷な現実にふるい落された者を拾う、優しさという受け皿が。
霧の中に、巨大な影が見えた。
ガソリンエンジンの唸り声を高らかに響かせ、鋼鉄のレールを踏み締めながら姿を現したのは、堅牢な装甲と強力無比な主砲を兼ね備えた怪物だった。
敷かれたレールの上しか移動できないという制約こそあるものの、その戦闘力は最新の戦車に匹敵すると言ってもいいだろう。
血盟旅団の列車、『チェルノボーグ』の先頭に連結されている警戒車だ。
機関車とは独立したディーゼルエンジン(ウクライナの戦車『オプロート』のパワーパックを流用したものだ)を搭載したことにより、列車と分離しての単独行動も可能、武装として125mm滑腔砲、7.62mm対人機銃、12.7mm機銃を搭載、更には機甲鎧も1機搭載可能という、さながら動く要塞である。
列車に先行しての偵察や、戦闘中の仲間の火力支援、または列車自身の攻撃力として重宝されている車両である。
車体の左前方にあるハッチが開くや、中からは戦闘車両に乗り込むにはあまりにも場違いな、修道服に身を包んだ金髪の女性が姿を現す。
シスター・イルゼだ。
真っ向からの戦闘は苦手とする彼女だけど、仲間の治療や車両の運転などといった面で仲間をサポートしてもらっている。クラリスと違って安全運転してくれるし(ここ重要)、ちゃんと運転免許を持っている(ここ重要)ので、ハンドルを任せるこっちとしても安心である。
……ん、今なんかクラリスのくしゃみが聞こえた気が……気のせいか。幻聴だ幻聴。
運転席のハッチから顔を出し、手を振る彼女にこっちも手を振って応じた。隣では警戒車を目にしたヴァシリーが、ぎょろりとした目を丸くしながら警戒車を凝視している。
『え、え……なんだこれ』
「ウチの兵器」
『れ、列車に大砲が……!?』
警戒車の上に搭載されているのは、ウクライナの戦車『オプロート』の主砲……を砲塔ごと移植したものだ。なので実質的に、レールの上を移動する戦車みたいなもんである。
親しげな様子で手を振りながら、警戒車から出てくるシスター・イルゼ。しかし俺の隣にいるオークを目にするや、敵意こそ見せなかったけれど、なんとも言えぬ複雑な表情を浮かべた。
ヴァシリーの件は、既に電話で仲間たちに詳細を伝えてある。喋るオークの正体は竜の血を浴びた事により呪われ、身体は魔物、心はヒトとして生まれてきた歪な存在である、と。
そしてそのヴァシリーは、『生まれ変わりの泉』で本来の姿に戻るため、アルミヤを目指している事も伝えてある。
イルゼは人を見た目で判断したり、差別するような人ではない。むしろ苦しんでいる人には必ず救いの手を差し伸べる、聖母のような慈悲を持つ女性である。
だが―――身体が魔物、心がヒトという未知の存在に対し、どう接すればいいのかわからない、そんな戸惑いが彼女の表情からは伺えた。
「彼がヴァシリー。真面目で良い奴だよ」
「はじめまして、イルゼです」
『ど、どうも……』
ヴァシリーはというと、イルゼの胸を何度かチラ見していた。オイコラこのスケベオーク、どこ見てんだコラ。
「乗りな。アルミヤまで直行だ」
警戒車のハッチを開けながら、ヴァシリーに乗るよう促す。いいのか、と言わんばかりに戸惑っていたヴァシリーだったけど、躊躇いながらも彼は機甲鎧の搬入用ハッチから車内へと入っていく。
ヴァシリーが乗り込んだのを見計らい、俺もケッテンクラートを車内へと収納、ハッチを閉鎖しロックをかけた。
目的地はアルミヤ半島にあると言われる『生まれ変わりの泉』。
これからそこで―――1人の人間を、救うのだ。




