喋るオーク
海賊組織『ワリャーグ』が去ってからというもの、アレーサやアルミヤ方面はすっかり平和になった。
去年なんか、商船は海賊の装甲艦に襲われて沈められるわ、黒海艦隊が北海や大西洋方面に引き抜かれたせいでついにアレーサまで襲撃してくるわで、まるで戦時中のような緊張感がこの辺を覆い尽くしていた。こうやっていつも通りに仕事をして、平和に過ごすのがどれだけ幸せな事か、当時を思い出す度に実感する。
雨上がりでぬかるんだ道をケッテンクラートで走ること30分くらい。道は舗装されておらず、いたるところがでこぼこしていて、そういう場所を通過する度に車体がガタガタ揺れる。お尻が痛くなってきたしそろそろ喉が乾いたので休憩にしようかな、なーんて思いながら走っていると、道の向こう側に荷馬車が立ち往生しているのが見えた。
これからアレーサの方へ売りに行くのだろう、荷台に野菜をどっさり乗せた荷馬車だった。どうやら地面に開いた穴に車輪がはまり込んで動けなくなっているらしい。
路肩にケッテンクラートを停車させ、エンジンを止めてから降りた。
「大丈夫ですか?」
「え、ああ、ちょっと困ったねえこれは」
馬車の傍らで困っていたのは老夫婦だった。見た感じ80歳くらいだろうか。
「車輪がはまり込んじゃって、すっかり動かなくなっちゃったのよ」
「あー……」
何度も野菜を売りに行くのに使っているのだろう、年季の入った荷馬車の車輪は地面に深々と穿たれた穴にすっかりはまり込んでいた。それに加えて雨上がりで泥濘と化した地面である、これは老夫婦の力で荷馬車を脱出させるのは容易ではない。
「ちょっと待っててくださいね」
一声掛けてから、一旦ケッテンクラートへ戻った。車体後部にある折り畳み式スコップを手にとって、黒いスコップを展開し車輪周りを軽く掘っていく。
べちゃべちゃと音を立てる泥を路肩に退けていると、その様子を見ていた老人が言った。
「お嬢ちゃん、冒険者かい?」
「ええ、そろそろ1年になります」
「はぇー、そんな小さいのによくやるねぇ」
「まあ、憧れの仕事でしたから」
仕事は大変だし、下手すりゃ死ぬ危険な仕事だけどやりがいはあるし、自由もある。あのクソ親父に束縛され、良いように使われて退屈な毎日を過ごすよりよっぽど有意義だ。
スコップの先端が硬い地面に当たったところで力を込め、ある程度掘り進めてから荷馬車を押す。全く動かなかった荷馬車がゆっくりと動き出し、長い間荷馬車を拘束していた穴からの脱出に成功した。
「ありがとう、助かったよお嬢ちゃん」
「いえいえ、当然の事をしたまでですよ」
「申し訳ないね、時間をとらせちゃって。これから仕事なんでしょう?」
お婆さんはそう言うと、荷馬車からタマネギを1つ手に取って渡してくれた。
「こんなものしかないけど、持って行きなさいな」
「え、良いんですか?」
「いいともさ。こんなものがお礼になるかどうか分からないけど」
「ありがとうございます!」
老夫婦にお礼を言い、貰ったタマネギをケッテンクラートに乗せているアイテムの入ったポーチの中へ。ゆっくりと進み出した老夫婦の荷馬車を見送りながら手を振って、水筒へと手を伸ばした。
乾いた喉を潤してから、再びエンジンをかけてケッテンクラートを走らせる。バイクのエンジン音と履帯の音が混ざり合い、何とも奇妙なサウンドを響かせながらイライナの大地を進んでいく。
いつもは仲間と一緒に仕事をする機会が多いからなのだろう、こうして1人で長距離を移動して仕事をするのもなかなか良いものである。ちょっと寂しいけど。
あくびをしながら、腰に下げた小型ラジオのスイッチを入れた。電波入るかな、とちょっと心配になったけれど、若干のノイズと共にちゃんと音声が聞こえてきて安堵した。
流れているのはラブソングのようだ。遠くにいる恋人の元へこれから会いに行く少女の心境を歌っているようで、落ち着いた曲調が聴いてて何とも心地良い。
音楽を聴きながら走り続け、橋の上を通過。この辺りからのどかな平原の風景は鳴りを潜め、周囲は森に包まれ始める。
そろそろ昼食にするか、と路肩にケッテンクラートを停車させ、荷台に乗せているポーチからさっき貰ったばかりのタマネギとパン、サワークリームの容器と缶詰を引っ張り出して、そのまま荷台の上に腰を下ろす。
タマネギの皮を剥いてナイフで適当に小さく切り、サワークリームを塗ったパンの上にタマネギを敷き詰める。
缶詰の蓋を開け、中に入っていたニシンの塩漬けをいくつかパンの上に乗せ、口へと運んだ。
「ん、うま」
サワークリームの酸味とタマネギの歯応え、ニシンの塩漬けのしょっぱさを堪能しながらもう1つ作って口へと運びもぐもぐする。これ、持ってきた食料は1人分だからだけど、もしクラリスが一緒だったら一瞬でなくなりそうだ。
こっちの世界にやってきてから、サワークリームを口にする機会が劇的に増えた。イライナ料理屋ノヴォシア料理では結構な頻度でサワークリームを使い、こっちの食文化においては無くてはならないものとされている。
あとマヨネーズな。日本人が和食で醤油を使う以上の頻度でマヨネーズも使う。なのでノヴォシア人やイライナ人、ベラシア人は例外なくマヨラーなのだ(列車の厨房にもクソデカ容器に収まったマヨネーズがあって目を丸くしたものだ)。
さてもう1個もらおうかな、とニシンの缶詰に手を伸ばしていると、匂いにつられたのか野良猫がやってきた。灰色の毛並みの野良猫はこっちを見つめながら、僕にもくれよと言わんばかりににゃーにゃー鳴き始めたので、缶詰から取り出したニシンの塩漬けを一切れあげた。
あれそのまま食べたらしょっぱくないかな、とちょっとばかり心配になりながら、ニシンを口に咥えて去っていく野良猫を見送り、ポケットから取り出したスマホのスイッチを押して地図を表示した。
さて、今回の仕事だが……標的はアルミヤ郊外、エルソン付近で目撃されたオークの調査及び討伐だ。オークをただ討伐して帰るだけならば楽な仕事なんだが、今回の仕事はどうやら特殊な事例のようだ。
というのも、依頼者の話ではそのオークは『人語を発した』というのである。
普通では考えられない話だ。確かにゴブリンやオークといった魔物は簡単な鳴き声で他の個体とコミュニケーションをとっている姿は度々目撃されているし、解剖した生物学者の話では『人間に近い骨格をしている』というので、そのうち何かの言語でも話し始めるのではないかという学説も囁かれ始めて久しい(もちろんこれに対する反論もある)。
しかし、人語を発するオークなんて聞いた事がない。更にはその個体、依頼者に対し食料を要求してきたのだという。
今思ってみれば、この時点で違和感を感じるべきだったのだ。普通のオークだったら、人類を発見した時点で問答無用で襲ってくる。彼らにとって獣人は外敵、あるいは食料という認識でしかなく、話しかけてコミュニケーションをとってみよう、という発想にすら至らないからである。
そんなオークがのしのし近くにやってきて、怯える依頼者に人間の言葉で『ご飯ちょーだい』と食料を要求してくるなんてあり得るだろうか?
進化した特殊な個体なのか、それとも依頼者の勘違いか、あるいは嘘か。
なんか変な依頼を受けちまったな、と軽く後悔する。これならもっと下のランクのゴブリン退治とか薬草採取とか、そういう楽な仕事を受ければ良かった。なんでこんなめんどくさそうな、更には信憑性もアレな案件を引き受けてしまったのだろうか。
食事を終え、再びケッテンクラートを走らせた。そろそろエルソン郊外、例の人語を話したというオークが目撃された地域に到着する頃である。
本当に人語を話すオークがいたら、きっと学者たちが黙っていないだろう。捕獲したらかなりの額の報奨金がこっちの懐に追加で入るだろうし、そのオークはすぐにノヴォシビルスクの学術都市に送られ徹底的に研究されるはずだ。
まあいい、面倒な案件だが大金が舞い込んできそうな案件でもある。少しはギルドのために貢献するとしよう。
しばらく走っていると、森の中に『この先エルソン市 45㎞』という看板が見えた。この辺だ。この辺で例のオークが発見されたのだというが……しかし、本当にそんなの居るのだろうか。
メニュー画面を開き、AK-308を召喚。オークみたいにでっかくて、骨格もがっちりしている魔物にダメージを与えるならば5.56mm弾でもいいが、もっと確実に殺しにかかるならばやはりこれだ。7.62mm弾の贈り物で喜ばない相手はいない。
しかし、食料を要求してきたってのが割とマジで引っかかる。
「……」
ちょっと、罠でも作ってみるか。
ケッテンクラートの荷台からスコップを拾い上げ、地面を掘り始める。幸い雨上がりという事もあって地面は多少ぬかるんでいたけれど、おかげで穴は掘りやすい……と、思うじゃん?
違うんよ、そうじゃないんよ。イライナの土は水を含むと異様に重くなる。それこそ作業者よりも先にスコップがへし折れた、なんて話も工事関係者から聞こえてくるレベルで、だ。スコップに土を乗せているというより、ダンベルでも運んでるような、そんな重さがある。
バチクソに重い泥を押し退けて穴を掘り続けること2時間ほど、とりあえずは十分な深さの穴が掘れたので、その上に細い枯れ枝を敷き詰めて蓋をし、落ち葉でそれを隠し、最後にニシンの塩漬けが入った缶詰の蓋を開けた状態で上に置いた。
さあさあ寄ってこい、新鮮なニシンだぞ? 黒海で獲れた新鮮なニシンだぞ?
ケッテンクラートをその辺に隠し、2時間かけて掘った落とし穴を見張る。一応オークも雑食の魔物なので、魚も食べる。というか食えるものなら何でも食う。肉だろうが魚だろうが、野菜だろうが果物だろうが虫だろうが何でもだ。野生のオークなんか蜂の巣を襲撃して蜂蜜と幼虫、それと周りをブンブン飛んでる蜂を捕まえて食ってしまうほどである。
まあ、クマみたいなもんだ。
だからニシンの塩漬けにだって飛びつくだろう……ニシンより先にミカエル君に飛びついてきたらまあ、その後の展開はエロ同人確定なのだが。
でも多分大丈夫でしょ。こんなちんちくりんなメスガキハクビシンを襲ったってなにも得はない……多分。
だって需要ないでしょこんなの。なんか勝手に薄い本描かれてるけど。
などと考えながら待っていたその時だった。
『やめてくれ、やめてくれぇっ! 誰かっ……誰かぁ!!』
「!?」
本気で助けを求めている声にぎょっとして、半ば反射的に声の聞こえた方向へと走っていた。
まさかオークか? 例のオークに誰か襲われているのか?
AKのセレクターレバーを弾いて中段に入れた。7.62×51mmNATO弾のフルオート射撃は辛い事この上ないが、しかしそうも言ってられない。特にヒグマ並みの頑丈な骨格を持つオークが相手となっては、手加減なんてしてられない。
続けて聞こえてきたのは銃声だった。『追い詰めろ』、『逃がすな』という声も聞こえてくるが、そこでミカエル君の脳裏に違和感が湧き出る。逃げているのか追っているのか、どっちなんだろうか。
樹の幹を蹴って跳躍、枝の上に登って樹の上を素早く移動する。元々ハクビシンは木登りが得意な動物だ。東京でも電線の上を綱渡りして移動している姿を目にする事があるが、それも本来は木の上で生活するために身についたスキルのようなもの。これが本来の姿である。
AKを手に樹の上を移動していると、やがて茂みを突き破って巨大な影が姿を現した。
大きさは2mくらいだろうか。がっちりとした体格にオリーブドラブの肌、豚みたいな鼻に黒い頭髪。腰には仕留めた動物の毛皮……ではなく、その辺の樹の皮を繋ぎ合わせて作ったと思われる粗末なパンツのようなものを身に纏っている。
オークだ。
既に背中には弾丸が直撃したと思われる傷跡があり、赤々とした血が溢れ出ている。
『やめてっ、やめてくれよぉ! 俺が何したってんだよぉ!!?』
「……しゃべった」
声を発したのは、そのオークだった。
そしてそのオークを追い、茂みの中からマスケットで武装した冒険者たちが3名、さながら猟犬の如くオークを追い立てている。
装填が終わっていたのだろう、冒険者の1人がマスケットを撃った。ズドン、と腹の底に響く銃声を轟かせ、放たれた80口径(※およそ20mm)の鉛弾がオークの肩甲骨の辺りを穿つ。
『ひぎィ!!』
苦しそうな声を発しながら、オークが地面を転がった。
「やっと追い詰めたぞ、化け物め」
「大人しく死ね」
『やめてくれ、やめてくれ……何だよ、俺はただご飯を分けてほしくて……!』
……何か事情がありそうだ。
それに、このまま目の前で獲物を他の連中に横取りされるのもな……と思った頃には、ミカエル君の小さな手はポーチの中からスモークグレネードを取り出していた。
やっぱりお人好しねぇ……どうしても非情になれない。
安全ピンを引っこ抜き、スモークグレネードを冒険者たちの目の前に落っことした。プシュッ、と空気が抜けるような音と共に勢いよく白煙が吐き出され、森の一角が真っ白になる。
「うわ、何だコレ!?」
『げほっ、げほっ!?』
AKを背負い、樹の上から飛び降りる。
白煙の中で呆然としているオークの手を引っ張ると、血塗れのオークはぎょっとした顔でこっちを向いた。
「こっち」
『え……!?』
「早く、死ぬぞ」
オークの手を引いて、とにかく全力で走った。例のオークはというと、ドスドスと重そうな足音を発しながら全力で走っている。こんなところで死んでたまるかという生への執着が垣間見えるが、それにしたって被弾していて全力疾走できるその頑丈な肉体には脱帽だ。
さっき隠したケッテンクラートに跨り、荷台にオークを乗せた。しっかり掴まってろよ、と告げながらエンジンをかけ、アクセルを捻って急発進。エンジンの唸りを高らかに、オークを乗せたケッテンクラートがぬかるんだ地面の上を全力で走っていく。
今はとにかく、この場から離れよう。
オークを追っていた冒険者たちが、さっきミカエル君が掘っていた落とし穴に引っかかっているのを見て笑いながら、俺はそう思った。




