1人でのお仕事
そういやミカエルって名前、ウクライナだと「ミハイロ」、フィンランドだと「ミカ」になるそうです。
「ご主人様、何を読んでいますの?」
「伝記だよ。ご先祖様の」
そう言いながら、クラリスに本の表紙を見せた。『英雄イリヤー』というタイトルの、リガロフ家の祖先の伝記である。ラノベみたいな軽い感じの表紙ではなく、いかにも伝記といった感じのお堅いイラストがそこにはあった。馬に跨り、大剣を掲げたイリヤーが、キリウを火の海に変えたエンシェントドラゴン『ズメイ』に挑もうとしている姿が描かれている。
ちなみに『ズメイ』だと標準ノヴォシア語読み、『ズミー』だとイライナ語読みになる。こういうところの読み方で出身地がバレてしまうので、イライナ出身のミカエル君としては声高に主張していこうと思う。
「ああ、そうでしたか。クラリスはてっきり同人誌を読んでらっしゃるのかと」
「頭の中煩悩エグいって言われた事ない???」
なにが悲しくて朝っぱらから同人誌読むんや。
クラリスが持ってきてくれた紅茶を受け取り、冷ましながらちょっとだけ口の中に含んだ。砂糖とジャムがたっぷり入った、甘酸っぱい紅茶の味が起きたばかりの脳味噌に染み渡っていく。二頭身ミカエル君ズも大喜びだろう、たぶん。
さて、何でいきなりご先祖様の伝記を読み始めたかというと、理由は単純明快である。
実家から盗んできた”イリヤーの時計”についての記述があるかどうか、チェックするためだ。
こういった遺物の類がどのような能力を持っているのか、それを知るのに一番手っ取り早いのは、それの本来の持ち主の物語を読み、どのような能力であったかを把握する事だ。ゲームやアニメ、ラノベみたいに入手した瞬間にどんな能力があるか一瞬で把握できるなど、そんな都合のいい話はないのである。
というわけで、色んな出版社や作者が出している英雄イリヤーの伝記を時間を見つけては読み漁っていたわけだ。ちなみにこれで19冊目、フョードル・フレスキン著の伝記である。
なんで複数の出版社が出したイリヤーの伝記を読み漁ってるかって? そりゃあ、情報源は複数あった方が良いに決まってるだろ、調べものの基本だ。こうやって複数の情報源に目を通しておくことで、情報の信憑性は違ってくるのだ。
さて、ここでどの伝記にも共通した記述を纏めておこうと思う。
どの出版社や著者が書いた伝記に共通している事―――特にイリヤーの時計に関する記述での共通点は、「時間を操る事が出来た」と記載されている点だ。
現時点で俺が使えるのは、1秒限りの時間停止のみ。しかし伝記を読む限りでは、「英雄イリヤーは自在に時間の流れを操る事が出来た」という記載がいくつかの出版社が出した伝記に見られ、中には「時間を巻き戻し、停止し、早送りする事さえできた」という記述まで存在した。
つまりどういう事かというと、1秒のみの時間停止というイリヤーの時計の能力はほんの片鱗に過ぎず、俺もこの秘宝を全く使いこなせていない、という事を意味するのだ。
さすがに英雄イリヤーみたいに使いこなすのは無理だろうが、もうちょい上のステップを目指してみてもいいのではないか―――ポケットの中に納まっているイリヤーの時計を取り出し、黒曜石で造られたそれをまじまじと見つめた。
遥か昔、旧人類がエンシェントドラゴン『ズメイ』の脅威に晒されるよりはるか昔に生み出された、伝説の秘宝の1つ。それは生み出されたその瞬間から現代に至るまで、1秒たりとも狂う事無く動き続けている。
いったい、これの動力源は何なのだろうか。
やっぱりリガロフ家の血筋、その末席に名を連ねるとはいえ盗人に過ぎない俺に、英雄の力は応えてはくれないのだろうか。
ちょっとしょんぼりしながら、伝記に栞を挟んで立ちあがる。机の上に置いていた慈悲の剣を鞘と一緒に拾い上げ、腰に下げてから部屋の出口へと向かって歩いた。
「お仕事ですか、ご主人様」
「ああ。ちょっとね」
「お気をつけて行ってらっしゃいませ」
立ち上がり、ロングスカートの裾を摘まみ上げながらお辞儀するクラリス。彼女に見送られながら自室を後にし、軽車両が収納されている第一格納庫へと歩いた。
いつもならば同行してくれるクラリスだが、彼女には別件で仕事を頼んでいる。
クラリスに頼んだ仕事―――それは家族の警護だ。
今、血盟旅団は例の組織―――”テンプル騎士団”と水面下で抗争状態にある。以前までは俺たちの事を取るに足らない存在と見下していたのだろうが、キリウであんな大掛かりな作戦まで立てて俺の暗殺に打って出てきた辺り、テンプル騎士団内部での俺たちに対する認識にも変化があったらしい。
晴れて命を狙われる身となったミカエル君だが、もし自分がテンプル騎士団の立場であれば、家族という弱点を狙わない手はない。人質にとるなり、れいの機械人間にすり替えて暗殺を狙ったり、手段はいくらでもある。
そうならないように、クラリスには母の実家の監視と警護を依頼していた。特に家にはまだ1歳のサリーが居る。
彼女に関しては、はっきり言って謎が多い。
祖母も、母も、そして俺も身に宿す属性は雷属性。しかしサリエル―――妹のサリーだけは違う。
まだ幼い彼女が身に宿しているのは、原始的な属性―――”原初の二属性”の片割れ、『死属性』である。
魔術において、属性は『炎』『水』『氷』『土』『雷』『風』『光』『闇』『血』の9種類に分類されている。そこから”特性”と呼ばれる別の系統で更に細かく分類されるのだが、今は属性の話なので割愛しておく。
しかしサリーが身に宿す死属性は、そのいずれにも分類されない。
対を成す『生属性』と共に、これらすべての属性を生み出したとされる原初の二属性。サリーが適性を持つそれは、最も原始的な属性であり、現代においては身に宿すこと自体が稀有な代物だった。
この事を知るのは母と祖母、俺とクラリス、そして―――アナスタシア姉さんのみ。
他人に知られると色々と厄介な事になる。異端として処刑されるか、その希少性を研究するために魔術の手によって解剖され、標本となるか……いずれにせよ、他人に知られるとろくなことにならない。
昨年、サリーはそれを発動させ、実家を襲撃したワリャーグの戦闘員たちを皆殺しにした。
赤子の時点でそれである。もし彼女が成長し、自身の魔術の属性適性を知って修行したらどうなるか……。
一応、兄として妹の宿す死属性について調べてみたんだが、色々ととんでもない属性だった。全部すると長くなるので分かりやすく、短くまとめようと思う。
ゲームで例えるなら『全部の攻撃に即死効果がある攻撃を連発できる』という、ゲームバランスぶっ壊れレベルである。アプデで真っ先に修正されそうだ。
とんでもない素質を持って生まれてきたものだが、しかしそれは誰からの遺伝なのだろうか……気になるところである。
格納庫の中に停まっている奇妙な乗り物に乗り込んだ。傍から見るとレトロなバイクだが、しかしその後方はがっちりとしたトラクターのようにも見える。さながらバイクと小型の戦車を繋ぎ合わせたような外見、と言うべきだろうか。
これは『ケッテンクラート』という乗り物だ。第二次世界大戦中のドイツ軍で運用されており、見た目通り悪路に強い。
ノヴォシア帝国は悪路が多いので、こういうオフロードに強い乗り物は大歓迎である。
一応、これはドイツで製造されたものではなく、血盟旅団で正式採用されているウクライナ製バイクの”K750M”を、パヴェルがケッテンクラートっぽく改造したものだ。だから前方から顔を覗かせるバイクも、よく見るとドイツ製のバイクではなくK750Mである事が分かる(バカデカいライトとゴツいマッドガードにその名残が見られる)。
手を振って制御室にいるルカに合図を送り、ハッチを解放してもらう。親指を立ててからエンジンをかけ、アクセルを捻って横にスライドしたハッチから外に出た。
バイクのエンジン音に加え、キュラキュラと履帯の回転する音が聞こえてくる。当然ながらバイクと比較すると車体は重く、小回りも利かないけれど、コイツはとにかく悪路に強い。春に訪れるイライナの泥濘もこれならば怖くない。
車道を走っていると、通行人や露店で商売をしている人たちの視線がこっちに向いた。この世界では車の普及率は富裕層のみに留まっていて、バイクに至っては”金持ちの高価な玩具”という認識になっている。なので街中で目にする機会はそう多くないのだが、注目が集まっているのは多分それが理由ではない。
単純にケッテンクラートが珍しいのだ。
そりゃそうだろう、前がバイクで後ろが戦車みたいなコイツなんて、ミリオタでもない限り知っている人はそう多くはない筈だ。前世の世界の日本でそれなのだから、異世界ならば猶更である。
「やあお嬢ちゃん、その乗り物はなんだい?」
信号待ちをしている最中、魚を売っていた漁師さんに大きな声で聞かれたので、俺もエンジン音に負けじと叫んだ。
「ケッテンクラートです!」
「けってん……なに?」
信号が青になったので、もう一度「ケッテンクラート!」と叫んでから、漁師さんに手を振ってアクセルを捻った。
車体側面にはちゃんと血盟旅団のエンブレムが描かれている。ミサイルを鷲掴みにし、翼を広げた飛竜のエンブレムだ。
血盟旅団が運用している乗り物は、この世界ではとにかく目立つ。自然と注目が集まるわけだから、こうやってロゴマークをこれ見よがしに描いて街中を走るだけで宣伝になるのだ。費用はガソリン代のみ、安いもんである。
ギルドの宣伝をしながら走ること5分とちょっと、管理局の駐車場にケッテンクラートを駐車して、建物の中に入った。
平日の昼間だからなのだろう、併設されている酒場は大盛況だった。冒険者たちがそこで大騒ぎしたり、仕事の後の打ち上げまたは反省会をしたり、静かに魚料理に舌鼓を打っている。
そして受付の方はというと、ある受付嬢の前に随分と行列が出来ていた。
掲示板の方に向かいながら横目でちらりと見てみるが、やっぱりそこに居るのはミカエル君のママ。優しげな笑みを浮かべながら、依頼書を持ってやってくる冒険者にしっかりとした対応をしている。
レギーナさん大人気じゃないですか~。
こっちに気付いた母さんが手を振ってきたので、ウインクを返しておいた。
掲示板で依頼をチェック。まあ、予想はしていたんだが、あんな数の冒険者が依頼書を持って並んでいるので、残っている依頼は随分と限られている。Bランクの依頼は全滅していて、残っているのはCランク以下のみ。これは困った。
仕方がないのでCランクの依頼が張り付けられている掲示板に視線を向ける。報酬金額がBランクのものより落ちているが、収入と言えば収入だ。
さーて何かお仕事はないものか。今回は1人なので難易度控えめだとミカエル君嬉しいな、と疎らな依頼書たちを見渡していると、ある依頼に視線が釘付けになった。
「……?」
依頼書を手に取り確認する。
依頼主はとある農夫。依頼書によると、アレーサ郊外、アルミヤ方面の山中で山菜を採っていたところ、なんと”人語を発するオーク”と遭遇したらしい。
食料を要求されたので、怯えた農夫は持っていた昼食の弁当を渡してそのまま逃げ帰ったそうなのだが……依頼はそいつの調査、可能であれば討伐というものだ。
人語を発するオーク、か。
ヒトを襲ううちに人語を習得したか、それとも何かの実験の産物か。捕獲すりゃあ一攫千金も狙えそうだな、なーんて考えながらそれを掲示板から剥がし、受付の方へと向かう。
長い長い列の後ろに並んで待つこと15分、やっと出番が回ってきたので、受付に背伸びをしながら依頼書を提出した。
「あら、仕事に行くの?」
「うん」
「そう、気を付けてね」
「心配性だなぁ母さんは」
依頼書を受け取って手続きをする母さんを待っていると、後ろからごそごそと話声が聞こえてきた。
「母さん?」
「まて、レギーナさんって子供いたのか」
「子供……いやでもあれどう見ても幼女では」
「見習いの子かな?」
困惑する冒険者たちの話声を背に待っていると、依頼の手続きを終えた母さんが戻ってきた。
「それじゃあ、行ってらっしゃい」
「うん、行ってくる」
笑顔でそう言ってから受付を離れる。背後から無数の視線を感じたので、振り向いてからミカエル君に注目している冒険者諸君に向かってウインクしてやった。
顔を赤くする冒険者たちを見ながらニヤリと笑い、駐車場のケッテンクラートに跨る。
いやー、アイツらからかうの面白いなぁ。
エンジンをかけ、アクセルを捻って走りながら、俺はそう思った。
※リアルではズメイ=ロシア語読み、ズミー=ウクライナ語読みとなります。




