再訪、ザリンツィク
1888年 9月1日
ノヴォシア帝国 イライナ地方 ボリストポリ近郊
やかましいアラームの音が、格納庫の中に響き渡る。
まったく、少しは空気を読んでほしいものだ。こっちはホットミルクを飲んでさあこれから熟睡するぞ、とベッドに潜り込んでは、つい3分前までクラリスに抱き枕にされていたというのに。
赤く点滅する警報灯に照らされながらタラップを駆け上がり、第二格納庫の中に収納されている機甲鎧……ミカエル君専用機である初号機のコクピットの中へと滑り込んだ。
シートに背中を預けつつシートベルトを締め、正面にある車のハンドルに似た操縦桿、その付け根にあるキーを捻ってエンジンを始動させる。車のガソリンエンジンを改造した機甲鎧専用のパワーパックが目を覚まし、コクピット内の計器類に光が燈り始める。
目の前にあるタコメータのエンジン回転が1600rpmに達したところで、コクピット上面にあるスイッチを弾き機体各所をチェック。燃料漏れもなく、エンジン温度にも異常なし。足元にあるアクセルを踏み込んでエンジン回転数を変化させてみるが、タコメータに表示されている回転数はしっかりとその変化を反映してくれている。
機体のチェックをしていると、ツナギ姿のルカがコクピットに顔を突っ込んで軽く説明してくれた。
「左足のバランサーがちょっとおかしいんだ。高速移動時は気を付けて」
「了解。他に注意すべき点は?」
「右腕のモーターのパワーが17%低下してる。後でこれは部品交換するけど……ごめんミカ姉、万全の状態とは言い難いかも」
「十分だ、一発で終わらせる」
「期待してるよ」
可愛い弟分に親指を立て、彼が離れたのを確認してからコクピットのハッチを閉鎖。ハッチの内側に用意されたメインモニターに、頭部にあるカメラからの映像が映し出される。
ノイズ一つない綺麗な映像。これで映画とか見たいな、なんてどうでもいい事を考えつつ、火器管制システムをチェック。異常がない事を確認していると、ゴウン、と天井がスライドし始めた。
パヴェルの奴が追加した機能だ。格納庫の天井を開閉できるようにしたらしい。
続けて床がせり上がり、初号機を乗せた床はそのままエレベーターの如く上へ上へと押し上げられていく。メインモニターいっぱいに星空が迫ったところで、ヒュン、と数発の曳光弾が流星さながらに夜空を駆け抜けた。
後方からの銃撃だった。
数発の弾丸が格納庫の装甲に弾かれ跳弾、暗闇の中で火花を散らす。
「ったく、めんどくせえな」
《全くだ。悪ノリが過ぎる客には退場してもらおうか》
「OK、わからせてやる」
弾丸が飛来する方向を睨んだ。
暗闇の向こう、闇を切り裂く猛烈な光が見える。
機関車に搭載されたライトだ。
あまりにも眩しいので、コクピット上面にあるスイッチを弾き遮光フィルターを起動。光の量が適正に調節され、その光を放っている敵の正体がメインモニターにはっきりと映り込む。
俺たちの列車、チェルノボーグの後方を追う形で迫ってくる別の列車がその正体だった。機関車正面のプレートに番号らしきものはなく、エンブレムもない。
機関車の後方、炭水車の後ろに連結されている車両に据え付けられた、手回し式のガトリング砲からの射撃のようだった。必死にクランクをぐるぐると回しているのは痩せ細った男たち。身なりも清潔とは言い難く、まるでここ数週間風呂に入っていないような、そんな汚れっぷりである。
できればお近づきになりたくないタイプの連中だ。こう見えてミカエル君は綺麗好きなのである。
おそらくだが、盗賊連中だろう。
冒険者がそうであるように、盗賊もまた多種多様だ。特定の地域を拠点に活動する盗賊もいれば、ああやって列車に乗り(おそらくどこかから強奪したのだろう)、冒険者や普通の列車、または輸送列車を襲撃して略奪を行う連中も存在すると聞く。
ボリストポリの憲兵隊は何をやっているのだ、と悪態をついていると、機関車から顔を出した盗賊の1人が、拡声器を片手に声を張り上げる。
『前方の列車、停車しろ! 言う通りにすれば命までは取らねえ!』
どうなんだか。
相手は法を守るという事を知らない無法者、人語を発するだけの野獣でしかない。法すら守れないような連中が、果たしてそんな約束を守ってくれるのかと言われると首を横に振らざるを得ない。
どのくらい信用できないかというと、『うんわかった、行けたら行く』くらい信用できない。そんな返事を返す奴がちゃんと約束通りの時間に来た試しがない。
左手をグローブ型のコントローラーにはめ込んだ。初号機と4号機のみ、操縦者の腕の動きをこれでトレースさせることで機体の両腕を動かす機構となっている。単純にサイズが大きい4号機ならばまだしも、初号機にこれを搭載した理由は単純明快。2号機や3号機のように「着る」ようにして操縦するタイプだと、ミカエル君の体格と合わないためだ。
この操縦機構を組み込んでいるため、初号機は実質的にミカエル君専用機となっている。
何度か左手を握ったり開いたりしてマニピュレータの動作チェックをしてから、盗賊連中に向かって思い切り中指を立ててやった。
そのメッセージはちゃんと相手に伝わったようで、ガトリング砲の掃射がまた始まる。格納庫に搭載された装甲が銃撃を弾き、機甲鎧の装甲からも銃弾を弾く音が聞こえてくる。
コイツの防御力はあくまでも7.62×51mmNATO弾を完全に弾く程度。12.7mmクラスともなるとコクピットのある胸部以外は貫通を許してしまい、近接射撃においてはコクピットブロックも貫通される恐れがある……その程度だ。
機甲鎧は”デカい歩兵”、通常は車両に搭載したり地面に設置しなければ運用できない兵器を、歩兵のように軽やかに移動しながら運用できる移動砲台という位置付けだ。だからコイツがあるからといって戦車相手に無双できる、というわけではない。
しかしそれは現代兵器が相手だった場合の話。未だ黒色火薬を使用するガトリング砲が相手なら、棒立ちのノーガード状態でも何とかなってしまう。
被弾している音が聞こえてくるが、特に機体が破損するレベルの脅威ではないのでそのままスルー。落ち着いてコクピット上面にあるスイッチを弾き、兵装の中から右肩にマウントした対戦車ミサイル『TOW』を選択する。
ガゴン、とランチャーが展開しアクティブとなったところで、機甲鎧の頭部にあるバイザーが稼働した。
頭部には眼球型の、ぎょろりとした複合センサーがある。メインモニターの映像もこれが撮影したもので、自由にズームしたり暗視モードに切り替えたりできる。が、如何せんデリケートな装備なので、2号機と3号機は戦闘中に機内に収納する機能がある。
では初号機はどうなのかというと、この操縦機構のせいで機内に収納できるスペースがないので、センサーの周囲を装甲で覆いつつ、戦闘時は可動式の装甲バイザーで防護する方式となっているのだ。
バイザーが眼球上のセンサーを覆い尽くし、バイザー表面に搭載された複眼状のセンサーが紅い光を放つ。
照準のレティクルを後方の機関車に合わせ、右側のレバーにある発射スイッチを押し込んだ。
ボシュ、とミサイルのロケットモーターに火が燈る。航空機用の4連装ランチャーから放たれたミサイルは、格納庫の上を通過し後方の列車へ真っ直ぐに飛翔すると、炸薬の代わりにコンクリートを詰め込んだ弾頭を後続の機関車の正面、円形の煙室扉へ深々とめり込ませた。
荒ぶるミサイルの運動エネルギーは、それだけでは止められない。
直撃しても爆発する事のない、純粋な質量のみで相手を殴りつける質量弾と化したTOW(コンクリート弾頭)は煙室扉を厚紙さながらにぶち破ると、ボイラーの中を伸びる煙管を樹の枝のようにへし折りながらなおも直進、火室の中に飛び込んでやっと運動エネルギーを使い果たして停止した。
ただの一撃で動力を喪失した盗賊たちの機関車の動きが目に見えて遅くなっていく。ゆっくりと眠りに落ちていくかのように機関車のスピードが落ち、やがて火室から溢れ出る焔をちらつかせながら、針葉樹の森の中でついに動かなくなってしまった。
客車の方から、立て続けに信号弾が撃ち上げられる。5、6発くらい撃ち上げられたそれは夜空の中で赤い大輪を芽吹かせ、周辺をパトロールしているであろう憲兵に異常を知らせてくれる。
機関車を潰された盗賊たちには、もう逃げ場はないだろう。
夜道の中、パトランプを点滅させ爆走していくパトカー3両と俺たちの列車がすれ違う。後始末は彼らに任せる事にしよう。そういうのは俺たちよりも憲兵の本職だろうから。
終わったぞ、と無線機に告げつつ戦闘モードを解除。ランチャーをパッシブモードに切り替えると同時に、足元のエレベーターが稼働して機甲鎧が再び格納庫の中へと収納されていく。
天井がスライドして閉じていくのを確認し、計器類をもう一度チェック。何発か被弾したが、深刻な損傷はないようだ。
エンジンキーを捻ってエンジンを停止、ハッチ開放レバーを引いて外に出ると、ツナギ姿のルカとメイド服姿のクラリスが出迎えてくれた。
「お疲れ様ですわ、ご主人様」
「すげえよミカ姉! 一発だったな!」
「おう、お仕置きしてきたゾ」
タラップを伝って降り、自分の機体を見上げた。
被弾した痕跡はあるが、装甲は貫通されていない(7.62×51mmNATO弾から完全防護できるのだから当たり前だ)。
クラリスから貰ったキャンディを口に放り込んで、整備はルカに任せ格納庫を後にした。今はもう深夜1時、ミカエル君はとっくに夢の中にいる筈である。
自室に戻る……前に洗面所で手洗いうがいを済ませてから、自室でまたパジャマ姿に着替えてベッドに潜り込む。つい先週まではまさに夏って感じの気温だったのに、今ではもうすっかり冷え込んでしまっているイライナ地方。さすがに半袖では風邪をひいてしまうレベルである。
毛布をかぶって目を瞑ると、するする、と布の擦れ合うような音が聞こえてきて、ああ、クラリスも着替えてるんだなと悟る。
俺とクラリスの付き合いは長い。今年で5年の付き合いになる。メイドと主人という関係ではあるが、今となってはもうそれ以上のものだという自負はある。
薄目を開けて見てみると、メイド服を脱いで下着姿になったクラリスがパジャマに袖を通しているところだった。冬用なのだろう、白くてもふもふした、フード付きのパジャマだ。
ボタンを閉じて大きな胸を完全に覆い隠すや、彼女はニコニコしながらベッドに潜り込んできた。
「さあご主人様、クラリスが暖めて差し上げますわ♪」
「お、おう」
一応、客車にあるベッドは全部二段ベッドになっている。なのだが、この部屋に関してはベッドの二段目を使った事は数えるくらいしかなく、いつも俺たちは一段目で寄り添い合うようにして眠っている。
だからもう、Gカップのおっぱいを押し付けられて寝るのには慣れっこだ……いや嘘、まだ慣れてない。童貞のミカエル君にこれはなかなかキツいものがある。
ぎゅー、と抱きしめてくれるクラリス。おかげでその、胸が、胸が……。
「クラリス?」
「なんでしょう?」
「その……前々から思ってたんだけど、胸を当ててくるのはわざと?」
「うふふっ♪ ご主人様は大きな胸がお好きなのですわよね?」
「はい大好きです」
「でしたら問題ありませんわ♪」
性癖がバレてる件について。
俺って性癖開示した事あったっけ、と思っているうちに、頭の上から寝息が聞こえてきた。クラリスの方はもう眠ってしまったらしい。
「……」
両手をクラリスの背中に回して、まるで母親に抱き着く子供のような体勢で、俺も瞼を閉じた。
常人よりも高い彼女の体温のおかげで、肌寒さは感じない。
この温もりと、胸の奥から聞こえてくるクラリスの心音。それを感じていると不安も全て消え去って、気が付いた頃には眠りに落ちていた。
《えー、ご乗車ありがとうございます。次の停車駅はザリンツィク、ザリンツィク。お降り口は左側です》
ここに戻ってくるのは1年ぶりか。
モニカの故郷でもある城郭都市リーネを通過し、やがてザリンツィクの街が見えてくる。相変わらず巨大な煙突がいくつも立ち並ぶ工業都市ザリンツィクは、あれから大きく変わってはいないようだ。
とはいえ赤化病の脅威も消え去ったし、それを利用して貧民を食い物にしているクソみたいな貴族も消えたので、少しは平和になったもんだと願いたいところではあるのだが。
元々はザリンツィクも通過してアレーサに向かう予定だったんだが、他の列車とのダイヤの関係や道中でのトラブルも想定し、こまめな補給を受けるべきという結論に至り、ザリンツィクでは食料品や燃料の補充と機関車の点検、そしてダイヤ調整のために立ち寄る事となった。
駅員の誘導で、チェルノボーグは『8』と記載されたレンタルホームへと滑り込んでいく。減速した列車が完全に止まったのを確認してから、俺はクラリスと一緒にホームへと降り立った。
1年で何がどう変わったか……それを見てくるのもまた一興だろう。




