収穫
【ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフの暗殺には失敗したようだな】
ドビュッシーの月の光と共に、頭の中に女の声が響く。
不甲斐ないところを見せてしまった、とボグダンは今回の結果を恥じた。
今のテンプル騎士団にとって、血盟旅団は”計画”の障害になりつつある。そのまま黙って何も考えず、広大なノヴォシア帝国を旅していればいいものを、テンプル騎士団の計画に勘付いてそれの阻止に動きつつあるのだ。
だから消さねばならない―――特に血盟旅団の頭目、ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフは。
いつだってそうだ。テンプル騎士団にとって、いつでも強力な味方は転生者であり、そして最大の脅威もまた転生者であった。
(申し訳ございません、同志団長)
【構わんさ。あと一歩だったのだろう?】
ボグダンの立案した作戦は完璧だったはずだ。
手頃な盗賊団のリーダーを機械人間とすり替え、部下たちを誘導して血盟旅団に届く筈だった品を強奪させる。そうなれば血盟旅団は盗賊団を放ってはおかない。必ず物資の奪還と、報復に動く。
しかし血盟旅団ならば、それが単なる盗賊の略奪だとは思わない筈だ。アジトに遺された手紙とか、顧客リストのようなものを調べ上げ、その”取引先”にまで目を光らせるだろう。
案の定、血盟旅団はそこまで至った。盗賊たちが盗品を送っていたのがノヴォシア地方ウゴレオストクにあるベリニフコフ海運である事―――そしてそれが、企業としての実態を持たないダミー会社である事にも、彼らは気付いた。
同様のやり口で資金を集めていたザリンツィクの一件は、血盟旅団の連中の記憶にもしっかりと刻まれているだろう。
今回の一件がテンプル騎士団の子飼いによるものであると気付いた血盟旅団は、案の定、盗賊団のリーダーの保護に動いた。その中身がヒトではなく、ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフ暗殺の命を帯びた機械人間である事にも気付かずに、だ。
後は中身をすり替えられたリーダーが、ミカエルの首筋にナイフを突き立て暗殺してくれれば全ては終わっていた。少人数のギルドで、練度はそれなりとはいえ中堅の域を出ない弱小ギルドである。頭を失えばすぐにでも瓦解するであろう、というのがボグダンの見立てであった。
誤算は、彼らに強力な味方が存在した事か。
【それにしても、さすがアイツだ……私の夫を名乗るだけの事はある】
(まさか”同志大佐”がこの世界にいるとは……しかし、あの人は戦死なさった筈では?)
”ウェーダンの悪魔”の異名を欲しいがままにした男は、果てなき復讐の果てに命を落とした。
復讐のために戦う術を磨き、異論は結果を出して黙らせ、歩く先々で屍の山を築き上げてきた文字通りの悪魔の最期は、意外にも撤退する味方を支援するために前線に踏み止まり、敵軍の総司令官を道連れにするという壮絶なものであったという。
彼の死は、敵側ではウェーダンの悪魔は死んだ、という戦意高揚のため、そしてテンプル騎士団側では兵士たちの復讐心に訴えかけるためのプロパガンダとして、敵味方の双方で大々的に行われた。
ボグダンもまたそれを見聞きし、国民的英雄の死を悼み復讐心を滾らせた兵士の1人である。
そう……”同志大佐”は死んだのだ。死んだはずなのだ。
実際、回収された遺体は丁重に葬られた。第二次世界大戦をテンプル騎士団の勝利に導いた英雄として、その偉業の数々は墓標に刻まれている。
ボグダンは目にしていないが、彼の頭の中に語り掛けている彼女―――”同志団長”は実際に、彼の、自らの夫の遺体を目にしている。
では、あそこにいる男は何者なのか?
声に仕草、機械化された四肢に使う武器、そして戦闘中の動き―――あらゆる点で、戦死した筈の同志大佐と見事に一致するあの男は、”パヴェル”と名乗るあの男は何者なのか?
もし仮に、パヴェルが”同志大佐”と同一人物なのだとしたら、テンプル騎士団に味方をする筈だ。彼の組織に対する忠誠心は本物で、あらゆる命令に対し忠実であったというのは有名な話である。
ではなぜ、組織に対し牙を剥くのか?
テンプル騎士団を自らの古巣であると認識していない……という可能性はゼロだ。もう既に、彼はこちらの正体に気付いているだろう。
では、何だというのか。
ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフなどという庶子に、忠誠を誓えるだけの魅力でもあるのか? それとも彼は、血盟旅団を利用して何かを成し遂げようとしているのか……。
【まあ良い……いずれ私もそちらに行く。奴の真意はそこで聞こう】
(了解しました)
【それとボグダンよ、”イコライザー”の調査はどうなっている】
(ノヴォシア地方に眠っている、という事は確定です。現在はシェリルが現地に飛び調査を)
【よろしい。所在の調査と発掘を急がせろ。それとこれは絶対に外部には漏らすな】
(承知しております)
イコライザー。
かつて、”初代団長”の時代に実施された懲罰作戦の最終局面において、この世界の全ての旧人類を滅亡に追いやった大量破壊兵器。
その圧倒的な威力に恐怖した初代団長タクヤ・ハヤカワは、側近と信頼できる数名の仲間に命じ、残った弾頭とそのデータを破棄したという。だから現在では、テンプル騎士団が保有するどのデータベースにもイコライザーの運用データや図面は残っていない。
しかし―――まだ一発、この世界に残っているのだ。
130年前の懲罰作戦において投入され、不発のまま放置された最後の一発が。
その大量破壊兵器は、是が非でもテンプル騎士団が手に入れなければならない。
どう間違っても、それ以外の勢力の手に渡る事はあってはならないのだ。
血盟旅団のような勢力には、特に。
「テンプル騎士団、か」
腕を組みながら、アナスタシア姉さんは足元に積もる粉末の山を見下ろした。すっかり錆び付き、朱色に染まった金属の粉末。それはつい十数分前まで黒騎士だったものだ。
今回の一件、その顛末は全て姉上や兄上たちに話してある。そしてこの兵器を送り込んできた謎の組織の名が”テンプル騎士団”である事も。
奴らは得体が知れない。
拠点がどこにあるのか、目的は何か。この世界で資金を集め、一体何を成し遂げようとしているのか。
全てが不明だ。
唯一分かるのは、彼らが強大で先進的な軍事力を保有している、という事くらい。
姉上たちに話したのは、テンプル騎士団という組織名と、彼らが先進的な兵器を保有している謎の組織であるという事。さすがに「異世界からやってきた軍事組織」、「クラリスの古巣」などといったディープな情報は伏せておいた。
さすがにそんな話は信じてくれないだろうし、クラリスにも迷惑がかかるからだ。
「それが……敵の名前……」
傍らで話を聞いていたエカテリーナ姉さんが、心配そうな顔でそう呟く。
正直、奴らとの戦力差は絶望的だ。
クラリスの話が本当なのだとしたら、奴らは旧人類を滅ぼしている。しかも彼らを滅亡に追いやったのはテンプル騎士団から派遣された一部隊に過ぎず、本体たるテンプル騎士団そのものは、その何百倍もの総戦力を保有している。
真っ向からやり合って勝てる相手ではない。
先ほどまであんなに冷えていたキリウの市街地も、今では元通りの気温となっている。今夜のキリウの気温は18℃。明日からはこのまま気温が下がっていき、9月中旬には降雪が始まるという事だ。
ちょうどいい気温になったな、というところで、ジノヴィがこっちにやってきた。
「どうだ」
「回収した粉末を調べましたが、何も。何の変哲もない錆びた金属粉でした」
「証拠は残さない、か」
撃破した黒騎士のうち、1体分の金属粉は法務省が回収したのだそうだ。
兄上は今、解析の結果を姉上に報告に来たのだろうが……こっちの世界の技術力では、あの黒騎士の内部に潜む微生物、金属を捕食し瞬時に錆びさせる『メタルイーター』の存在に気付く事は出来ないらしい。
俺たちの……というか、パヴェルの技術力が突出しておかしいだけだ。
「面倒だな」
「ええ。引き続き科学班が解析を進めますが、何か得られる確率は低いでしょう」
「分かった、ご苦労……にしてもミカ、お前はとんでもない奴らに狙われているな」
「ええ……困ったものです」
懐から取り出した棒付きキャンディを口に咥え、もう1つを姉上に差し出した。オレンジ味のそれを手に取った姉上は、どういうわけかやたらと嬉しそうな顔で(ケモミミがピコピコしている)口に咥える。
「お前も気を付けるのだぞ……とはいっても、こういった襲撃は何度も退けているのだろうが」
「仲間の協力のおかげです。俺1人ではとても……」
「ふっ、謙虚だな。まあいい、とにかくお前たちの旅の無事を祈るよ」
「ありがとうございます。では、私はこれで」
見様見真似で姉上に敬礼すると、キャンディを口に咥えたアナスタシア姉さんはしっかりとした敬礼で応じてくれた。
踵を返し、屋根が派手にぶっ壊れたヴェロキラプター6×6へと乗り込む。オープンカーみたいになってやけに涼しくなった後部座席でシートベルトを締めるや、運転席にいるシスター・イルゼが車を走らせた。
街中で銃撃戦なんかやったからなのだろう、キリウの街中はやけに騒がしい。いたるところにパトカーが待機していて、パトランプの赤い光をキリウの夜景に加えていた。
ラジオから流れてくる音声も、やはりどれもさっきの銃撃戦についてだった。容疑者は不明だの何だの聞こえてくるが、その件についてはマカール兄貴が色々と手を回してくれている。やっぱり警察の権力者が身内に居るといろいろやりやすくて非常に良い。
それに今回の一件……収穫ゼロ、というわけではないようだ。
踏切から線路に入り、キリウ駅のレンタルホームへ。俺たちの接近を察知したのだろう、軽車両を収納している第一格納庫のハッチがスライドするや、中から出てきたクレーンアームがヴェロキラプター6×6をそっと掴んだ。
みしみし、と車体が軋む音と共に、頭上から微細な破片が降ってくる。クレーンに掴まれたピックアップトラックが格納庫内部へ引き込まれ、所定の位置へ降ろされたのを確認してから、シートベルトを外し外に出た。
オイルの香りが充満する格納庫を後にし、火砲車と倉庫を通過、そのままパヴェルの研究室へ。
スペースの限られる客車の1階、そこに設置された工房の後ろ半分を贅沢に使ったパヴェルのラボは、相も変わらず薬品の臭いで満たされていた。小学校の理科室を更に2000倍くらいヤバくしたような場所で、さすがにホルマリン漬けの標本とかは置かれていないけれど、わけのわからない図面や微生物の収まったガラスの培養器などが所狭しと並んでいる。
足音か、それとも室内に流れ込んできた外の空気で察したのか、この研究室の主はゆっくりとこっちを振り向いた。
「やあ、ミカ」
「何かわかったか?」
パヴェルが工具を片手に向かい合っているのは、研究室の中に置かれた手術台―――その上に横になっている、黒い騎士の防具を身に纏った何者かだった。
そう、テンプル騎士団が俺たちの抹殺のために放った、あの黒騎士である。
黒騎士に限った話ではないが、テンプル騎士団の兵器はどれも撃破されたり機能を停止すると、内部に仕込まれているメタルイーターが活性化、急激に錆びて分解され、痕跡を抹消されるという機能がある。これは自分たちの技術が他勢力の手に渡り解析されるのを防ぐためと、自分たちの関与したという証拠を残さないための機能であるとされている。
本当であれば、この黒騎士も機能を停止した際に急激に錆びて分解されてしまう筈なのだが―――。
「本当に幸運だよ、まさかメタルイーターの不調で鹵獲に成功するなんて」
どうやら、ここにいる個体は肝心なメタルイーターが不調だったらしい。
活性化させるためのシステムに異常でも生じたのか、撃破された際に錆びる事無くそのまま残骸として残ったのだそうだ。黒騎士のバイザーを見てみると、12ゲージのスラグ弾が直撃した弾痕がくっきりと刻まれている。
留置所から脱出する際、エントランスで銃撃した個体だろう。あの時はスモークグレネードを使用中で視界が悪く、撃破確認までできなかったのだが……どうやらキッチリ撃破していたらしい。これでミカエル君のスコアが増えた。
その後、撃破されたコイツをパヴェルが極秘裏に回収し、こうして解析を行っていた、というわけだそうだ。
ちらりと手術台の脇にある小さな台を見た。電子回路に配線で繋がれた、オレンジ色のアンプルのようなものが置かれている。おそらくメタルイーターの入ったアンプルとその制御装置なのだろう。既に外されているから、せっかく鹵獲したコイツが急に錆びて解析不能になる事はない筈だ。
「んで、ミカ……コイツの制御なんだが」
「ああ」
「かなり複雑化しているが……根本的なところは騎士団が使っているような軍用の戦闘人形と変わらない」
「なんだって?」
この黒騎士の制御が、あのカマキリみたいな連中と変わらない?
「つまり……俺たちが今まで戦ってきた黒騎士は、”テンプル騎士団の戦闘人形”って事か?」
「そういう事だ。高度な制御によって動く、死を恐れない機械の兵士……しかもコレ、おそらくだが誰かの戦闘データがベースになってるな」
「誰かって……誰の?」
「そりゃあ分からん……だが、心当たりはある」
マイナスドライバーを黒騎士の内部へ差し込んで、部品を分解しながら言うパヴェル。いつもの飄々とした彼とは打って変わって、まるで真っ黒な過去に向き合っている時のような、そんな真剣な表情だった。
「まあ、何か分かったら追って連絡する。とりあえず今夜はもう休め、ミカ。明日には出発だぞ」
「ああ……パヴェルこそ、休める時に休んでおけよ」
「あいよ」
それだけ言い残し、彼の研究室を後にする。
あの黒騎士……テンプル騎士団の戦闘人形の動きには、確かに俺も既視感がある。
距離の詰め方に微かな仕草に至るまで、その動きは俺もよく知っている”誰か”に似ていた。
おそらくだが、彼らの動きはその戦闘データがベースになっているのだろう。誰かの戦いを模倣してそれをインプットし、ああやって黒騎士を量産しているのだ。
「……まさかな」
参考にされているという、誰かの戦闘データ。
俺の頭の中に真っ先に思い浮かんだのは、パヴェルだった。




