Need-to-know
逮捕された盗賊連中は、キリウ憲兵隊の留置所にいるのだそうだ。
ここで取り調べを受けて余罪を調べた後、起訴するか否かの判断(概ね起訴されるだろうが)を憲兵隊が行い、そこから裁判を経て実刑判決が下る、というプロセスになる。
留置所はさながら要塞のようだった。周囲は塀で囲まれていて、その上には有刺鉄線が設置されている。しかもあの有刺鉄線、どうやら電流を流しているようで、迂闊に有刺鉄線にとまろうとした蛾があっという間に燃え、黒焦げになりながら落ちていった。
正門で身分証を提示すると、警備兵はマカール兄貴を門の内側へと通してくれた。俺も冒険者バッジと、さっき兄上から貰った書類を警備兵に提示する。
まるで服を着た大熊みたいな姿の、グリズリーの獣人(骨格が獣に近い第一世代型だ)がじろりと俺を睨んだ。書類に添付してある証明写真と同一人物か判別しているのだろうが、そこに添付しているのはつい10分前に大急ぎで撮影した写真だ。別人であってたまるか。
「……」
「俺の妹だ」
「弟です」
「……俺の弟だ、怪しい者じゃない」
「……わかりました、どうぞ」
冒険者バッジを返してもらい、兄上の後に続いて留置所の中へと足を踏み入れた。
塀の内側はまるで刑務所のようだった。背中に単発式の小銃を背負った警備兵が、訓練を受けたのであろう警察犬を引き連れて敷地内を巡回している。
マカール兄貴は仕事の都合上何度もここを訪れているのだろうが、ミカエル君がキリウ留置所を訪れるのは人生でこれが初めてだ。覚えのない匂いを発する部外者に警察犬が吼えるが、しかし傍らでリードをしっかりと手にしている警備兵が、吼えながらも飛びかかろうとする警察犬をしっかりと制止してくれる。
あんなのに飛びかかられたらアカンわ、とちょっとビビりながら、兄上にぴったりくっついて中に入った。
「兄上が居てくださって本当に良かった」
エレベーターに乗り込み、地下のボタンを押しながら言う。格子状のドアがゆっくりと閉まっていくや、鳥かごを思わせるレトロなデザインのエレベーターが静かに地下へと吸い込まれていく。
既に、兄上には(だいぶ端折ったが)こっちの事情を伝えてある。今日逮捕してきた盗賊たちが例の組織、”テンプル騎士団”の子飼いである可能性。そして今回の任務失敗、すなわち資金調達ができなくなり、憲兵の手に落ちた彼らを組織の連中が生かしておくわけがない、という話。
ザリンツィクの一件で”組織”と交戦、その脅威の片鱗を実際に目で見ているからこそ、兄上の行動は速かった。電話でその事を伝えるや、部下に命じて留置所の警備兵を増員。更に俺の分の入場許可証を用意してくれたおかげで、正規の手続きで留置所に入る事が可能となった。
最悪の場合、留置所への強引な潜入も考えていたので、正規の手続きでここまで素早く対応できたのは本当にありがたかった。
「例の組織の子飼い、か……確かに、もし事実なら口封じのために消そうとするだろうな」
俺だってそうするさ、と腕を組みながら言うマカール兄貴。短いチャイムが鳴り、エレベーターが地下6階へと到着する。
兄上と一緒に降りると、耳に装着しているヘッドセットからかなりひどいノイズ交じりに、モニカの声が聞こえてきた。
《ミカ、こっち……置につい……》
「……了解、警戒態勢を厳に」
果たして聞こえているかは、定かではない。
はっきり言わせてもらうが、今回はテンプル騎士団が襲撃してくる可能性は濃厚だ。だから血盟旅団からもいくらか戦力を出している。モニカに至っては機甲鎧まで持ち出して、キリウのどこかで警戒態勢をとっているのだ。
彼女だけではない。パヴェルはドローンを飛ばして留置所の周囲を警戒、クラリスは対戦車ライフルで屋上から警戒しているし、兄上と姉上たちもすぐ動けるよう待機してくれているのだそうだ。
こっちの警戒態勢に抜かりはない。
もっとも、何事もなく終わってくれるのが一番なのではあるのだが。
留置所の中は、映画やアニメに出てくる刑務所と見分けがつかなかった。連発式のペッパーボックス・ピストルに警棒で武装した警備兵が、警察犬の代わりに戦闘人形を引き連れて巡回している。
逃走者の捕縛を第一に考えているのだろう、カマキリを思わせる両腕の大型ブレードは巨大な金属製の棒に換装されているようだった。先端部からは電極が突き出ていて、それが単なる棒ではなく電流を流す事が可能なスタンロッドである事が分かる。
カチャカチャと金属音を響かせながら歩いていく戦闘人形に踏み潰されないよう気を付けながら、兄上に案内され留置所の独房へ。
やがて壁面のプレートに”621”と記載された独房が見えてくる。中にいる男に会いに来た旨を兄上が伝えると、警備兵は腰に下げていた鍵の束を取り出し、その中の1本を鍵穴へと差し込んで解錠した。
「どうも」
礼を言ってから、兄上と一緒に中へと入った。
留置所の中は、もっと不衛生なイメージがあった。
犯罪者たちがぶち込まれる刑務所の独房みたく、便器と洗面台、あとはベッドくらいしか置かれていないような薄暗い場所を想像していたものだから、留置所の独房の中がこんなにも明るくて清潔である事に、俺は驚きを隠せなかった。
磨き抜かれた木製の床に、北欧から取り寄せたのであろう木製の家具の数々。暖かみのあるこの空間が本当に独房の中なのかと疑ってしまうほどだ。
「てめえ、あの時の……!」
唐突の来訪者の出現に、この独房の主……盗賊団のリーダーは、読んでいた本(経営学の本らしい)をかなぐり捨てるや、こっちに向かって飛びかかりかねない程の勢いで俺たちを睨みつけてくる。
こんな部屋の中で放し飼いにされている……と思いきや、そうでもないらしい。
彼には足枷が取り付けられていて、鎖の長さが許す範囲にしか移動できないようだ。独房の中は清潔で自由にあふれているように見えて、こういうところはしっかりと留置所っぽくなっている。
これから刑務所に入るまでの間、せめて良い思いをしておけという憲兵の粋な計らいなのだろうか。
近くにあった椅子を2つ引っ張り、兄上に座るように促す。彼が着席したのを合図に、俺は腕を組んだままリーダーに向かって問いかけた。
「……お前ら、盗品を誰に売っていた?」
「誰が答えるかよ」
「ベリニフコフ海運……ダミー会社だな」
「チッ」
知ってたのかよ、と言わんばかりに舌打ちするリーダー。反省の色は見えないが、俺は正規の手続きを経てまで、コイツに反省を促すためにここまでやってきたわけじゃない。
兄上の方を一瞥してから、リーダーに視線を向けたまま歩み寄った。ベッドに腰を下ろしながら何やら悪態をついていた彼の胸倉を思い切り掴み、そのままベッドの上に押し倒す。
「てめっ―――」
「いいかクソ野郎、面白い事を教えてやる。お前は今、とんでもなくやべー状況にある。分かるか」
何事かと独房の外の警備兵が鉄格子から中を覗き込んでくるが、気にするな、と視線で訴えながら首を横に振って警備兵を制止する兄上。それだけで警備兵を止められるのだから、兄上が憲兵隊でどれだけの権力を持っているのかが窺い知れるというものだ。
身内に権力者がいるというのは実に心強い。
至近距離で詰め寄ると、リーダーは息を呑んだ。
「ベリニフコフ海運を隠れ蓑にした”組織”……そいつらへの資金調達に失敗したお前らは、奴らからすれば用済みだ。それだけじゃない、組織の人間と接触、そうじゃなくてもやり取りをしていたお前を、奴らは放っておかない筈だ。第三者に情報が流れる前に口を封じる……お前は遅かれ早かれ殺される。留置所の中だろうとお構いなしに、だ。分かるか?」
こくこく、とリーダーは頷いた。
事の深刻さをやっと理解したのだろう、先ほどまでの敵意を剥き出しにした視線は既に消え失せ、困惑しているような、あるいはすぐそこまで迫りつつある絶望にやっと気付いたかのような顔で、詰め寄る俺をじっと見つめていた。
「じゃ、じゃあ、どうすりゃあいいんだよ……?」
「―――取引をしよう」
絶望の中、何とか絞り出したリーダーの問いに答えたのは俺ではなくマカール兄貴だった。椅子に座ったまま腕を組み、彼は話を続ける。
「”組織”についての情報を洗いざらい吐け。そうしたらお前は釈放してやってもいい」
「なんだって?」
「司法取引ってヤツさ」
ノヴォシア帝国にも、司法取引という制度がある。
俺も詳しい事は知らないけれど、憲兵隊に対して捜査に有力な情報を提供するなどの協力的な姿勢を見せた場合、釈放や恩赦といった見返りがあるのだそうだ。
マカール兄貴の提案はまさにそれだった。
組織―――”テンプル騎士団”についての情報を俺たちに話せば、今回の盗賊行為については恩赦を与え釈放する、という提案である。
起訴は確定、余罪を考慮しても実刑判決は免れないレベルの悪人だが、刑務所にぶち込まれるよりははるかにマシなのだろう。司法取引、という言葉を聞いた瞬間に、ぴょこ、と狼のケモミミが動いた。
しかし、まだだ。それだけではカードとしては弱すぎる。
「で、でもよ……釈放されたって、俺は命を狙われてるんだろ?」
「そこは心配しなくていい」
彼のケモミミの近くで囁くと、視線がこっちに向けられた。
「俺の仲間に、そういう”人間を別人に作り変える”プロがいる。情報を提供してくれたら恩赦に加えて、お前を別人にしてやる。戸籍上も書類上も別人という扱いになって、第三国でまっさらな状態から新しい人生を始めるんだ。いくら”組織”のエージェントでもそこまでは追えないはずだ」
事実、パヴェルはこういう仕事が得意だ。
ザリンツィクで赤化病の特効薬を転売していた連中も、結局は”組織”に殺されないよう戸籍や書類を改竄して別人とし、無事にザリンツィクから脱出させている。
その時と同じようにこいつも逃がす―――今回は第三国、海外までだ。
「そちらにとっても、悪い話じゃあないと思うが?」
胸倉から手を放すと、リーダーは「本当に助けてくれるのか?」とでも言いたげな目つきで、俺の顔を見上げてきた。
「安心しろ、助けてやる」
飴と鞭、とはよく言ったものだ。
相手に絶望を見せ、心が折れたところで手を差し伸べる……なかなかアレなやり口だが、パヴェル仕込みの話術はなるほど確かに効果抜群だった。
俺がパヴェルから学んだのはAKの撃ち方だけではない。サバイバルに格闘術、即席の武器の造り方……冒険者として戦い、そして生き延びるために必須のスキルをベテランの兵士から学んだ。
その中には何故か、尋問も含まれている。
パヴェル曰く、相手を従順にさせるコツは「一度心を折る事」なのだそうだ。
だが俺とパヴェルの尋問には決定的な違いがある。
それは単純明快、「俺は本当の事しか言わない」事だ。
ただ、淡々と事実を述べただけ。それだけで相手の心が折れるのだから、まあ安いもんである。
「どこまで知ってる?」
「俺たちもあまり詳しい話は聞かされてないんだ。盗品を奴らの所に送れば、転売額の一部をこっちに支払ってくれるって……どんな商売をしてるのかは知らないが、報酬の額がなかなかのもんだったから、俺たちは奴らに従っていた」
「”組織”の人間と会った事は?」
「ない……指示は電話か手紙、あとは仲介人を何重にも挟んで送られてきた。直接会った事はない」
こりゃあ、あまり有益な情報は期待できそうにない。
予想していた事ではあるが、あくまでも彼らは組織からすれば部外者。活動資金を調達するために盗品を運び込んでくる、それだけの関係であって、不要になればいつでも切り捨てる前提で関係を結んでいたのだ。
そんな連中に、あれだけ慎重なテンプル騎士団の連中がペラペラと重要な情報を話すとは思えない。
『Need-to-knowの原則』―――つまりはそういう事だ。
取引は失敗か……そう思っていた時に、俺は気付いた。
口から吐き出す息が、白く濁っている事に。
「……?」
「なんか、冷えるな」
室温が下がっている。
バカな、今はまだ夏なのに……そこまで考えたところで、過去の事例が頭を過る。
テンプル騎士団の刺客が襲ってくる時は、決まって気温が急激に低下するのだ。
実際に、俺とクラリスがキリウ地下の研究所を調査している最中にも急激な気温の低下と降雪が観測され(真夏にだぞ)、それを合図に列車を襲撃してきた連中がいた、という。
これはまさか、と思った頃には、もう身体が動いていた。腰に下げていたMP17をホルスターから引き抜くや、サプレッサー付きのそれを構えて一瞬でストックを展開、リーダーの足かせに繋がっている鎖を撃ち抜いて切断する。
ぎょっとした警備兵が「何をしている!?」と声を荒げるが、そこはマカール兄貴が対処してくれた。
「奴は司法取引に応じた、釈放する」
「し、しかし」
「説明している時間はない、警戒レベルを引き上げろ。奴はここから移す」
「来い、こっちだ」
やれやれ、だ。
ゆっくり尋問する時間も与えてくれないか……。




