モニカを救え
ハクビ村のホームには、既に列車が停まっていた。
1日に2本しかこの村に立ち寄る事の無い列車、その最終便。これを逃せば明日までこの村にやって来る列車は無く、セルゲイにとっては私を連れて屋敷に戻る最後のチャンスと言えた。
列車に乗り込み、窓際の席へ。通路側にはセルゲイが腰を下ろし、どこか申し訳なさそうな顔を浮かべている。
セルゲイと私は長い付き合いだった。私がまだ自分の足で立って歩く事すらできない程幼い頃から、セルゲイは私の面倒を見てくれた父親のような存在でもある。それほどの関係だからこそ、彼にもきっと葛藤はあった筈。そしてその葛藤の末、天秤が私の自由より一族の利益に傾いた、それだけの事だ。
所詮、私はそのための道具―――そう思うと、全てがどうでもよくなるような感覚がして、自然と視界が窓の外へと向いた。
「……申し訳ありません、お嬢様」
この決断を下した事を悔いているかのように、隣でセルゲイが言う。
「これも一族のため。貴女にとっては窮屈でしょうが、それでも私は、このセルゲイめは貴女の味方です。どうかご理解を」
「……そう」
一族のため、か。
こんなにも窮屈な運命ならば、貴族ではなく平民の子として生まれたかった。権力なんて要らない、私はただ、”私”という1人の人間として生きられるような、誰にも縛られる事の無い自由が欲しい。
だからあの屋敷は、私にとっては監獄のようなものだった。いや、監獄なんて立派なものではない。鳥籠だ。お母様にとって都合の良い、自分の操り人形として最適な娘を育てる……”調教”するための鳥籠。
あんなところに、もう戻りたくない。ましてや親の決めた相手との結婚など……。
けれども、逃げる事すら叶わない。
隣にいるセルゲイは強い。私はミカたちに天才魔術師を自称していたし、自分でも実力は魔術師の中でも高い方だという自負はある。けれどもセルゲイの力はそれすら一蹴してしまうほどだ、私では相手にならない。
だからもう、どうにもならない。彼までお母様の味方に回ってしまった以上、逃げる以外の手が打てないのだ。
《ご乗車ありがとうございます。この列車はキリウ発、バリハンスク行きでございます。ザリンツィク行き、マリーヤ行きはお乗り換えとなりますので、お間違えの無いよう―――》
ゆっくりと列車が動き始める。ホームの風景が後ろへとスライドしていって、やがてうっすらと雪の降り積もった平原の景色が窓の向こうに広がった。
楽しかったなぁ、と思う。
ほんの少し、短い間だったけれど―――お母様の元を離れ、”モニカ”という名前の冒険者として過ごした日々は確かに自由だった。誰の意志でもない、自分自身の意志で物事を決められる自由があった。誰にも縛られる事の無い確かな自由がそこにあった。
けれども自由とは、同時に自分で自分の身を守る必要のある過酷な世界に身を投じる事を意味する。
だから私は、力が必要だった。
隣にいるセルゲイにも勝てるくらいの圧倒的な力。もう、誰も私を縛ろうなどと思えなくなるくらいの、抑止力として機能し得る力。
自分の実力を磨きながらそれを追い求めた私は、あの時森の中で、彼女たちを見つけた。
”ミカ”と名乗る冒険者。彼女たちの持つ武器は、幼い頃に伝承で耳にした”鉄血の魔王”の持つとされている伝説の魔法武器そのものだった。火薬の力を用い、立ち塞がるもの全てを打ち砕く武力の化身。
その武器を譲ってくれ、などと言うつもりはなかった。どこで手に入れたのか―――最低でもその情報さえ聞き出す事が出来れば十分だった。だってその力があれば、きっと誰にだって勝てる。圧倒的な力が抑止力になってくれる。
けれども、それももうおしまい。
ミカたちが私を庇ってくれた時は嬉しかった。私を”仲間”と呼んでくれたことが、この上なく嬉しかった。最初は怪しがって距離を取っていたミカだけど、最終的にこんな私の事を仲間と認めてくれたんだなって……。
でも、ミカたちまで私の問題に巻き込みたくない。だから私は、ミカとセルゲイが戦い始める前に降参した。あのまま黙って彼女の後ろに居たら、ミカはきっと私のためにセルゲイに挑んでいただろうから。
ハクビ村がどんどん遠ざかり、自分の生まれ育った場所とも思えぬ屋敷が近くなってくるのを感じて、憂鬱になる。
きっとお母様からの叱責の後、すぐドレスを着せられるだろう。そして結婚相手がどんな人なのかもはっきりと分からぬまま、政略結婚に利用されるのだ。
せめて結婚相手くらい―――というか恋愛のあり方くらい、自分自身で決めたかった。そこはきっとミカも同じ女として分かってくれたと思う。自分の素性を明かしてないし、事情も話していないから察しようがないとは思うけれど。
ごめんね。ミカ、クラリス。
短い間だったけど、楽しかったわよ。
さようなら。
「っと……」
何とか間に合った。
これがもし大都会の駅で、ホームがいくつもあるような場所だったらきっと乗り遅れていただろう。ホームが上りと下りの2つだけという、いたって単純明快な田舎の駅であったことに救われた。
キリウ発、バリハンスク行きの列車の最後尾に辛うじて飛び乗った俺は、額の汗を拭い去りながら扉を開け、車内へと足を踏み入れた。暖房の効いた車内は随分と温かく、厚着のままであればうっすらと汗をかくほど。雪国であるノヴォシアではこういう防寒対策が徹底されていて、列車には暖房の搭載が義務化されているのだ。
乗客はバラバラで、キリウから実家へ戻るのであろう出稼ぎの労働者や商人、子連れの買い物客まで多様性に富んでいた。いや、さすがに貴族とか宗教関係の人は乗っていないように思えたが。
空いている座席を探す乗客のふりをしながら、モニカを探す。彼女は真っ白な毛並みの猫の獣人、白という色は目立つので、探すのは難しくない筈だ。猫の獣人自体はポピュラーな存在でどこにでもいるが、白猫というのはあまり見ない。少なくともイライナ地方では。
最後尾の車両にはおらず、ちょっと焦りを覚えた。もしかして乗り間違えたかと思ったが、そんな筈はない。あんな小さな駅に停車していた列車はこれだけだ。絶対にモニカはこの列車のどこかにいる。
次の車両に進んだところで、ちょっとばかり可笑しくなった。
俺、何でこんなことしてるんだろうな。
縁も所縁もない赤の他人の事だというのに。
モニカは自由でありたかった―――それは彼女の言動や振る舞いから見て間違いではない。が、セルゲイと呼ばれていたあのグリズリーの獣人に連れられ、家へと連れ戻されそうになっている。
その背景には彼女の家の事情もあるのだろうが、モニカはとにかくそれから離れたかったらしい。自分の人生でありながら、そこに都合の良いレールを勝手に敷いていく母親の元から。
親に人生を狂わされたミカエル君としては、彼女の気持ちは痛いほど分かる。もちろん、モニカがそれで良いと、その敷かれたレールの上を進むだけの人生を望んでいるというのであれば無理強いはしないし、善意の押し付けもするつもりはない。だが、彼女がそれを望んでいないのは明白だ。だから俺はこうして助けに来た。
お人よしが過ぎる、か。
ああ、今に始まった事じゃない。異世界転生する前からそうだった。おかげで色々と損をする事も少なくなかったが、決して無駄ではなかった筈だ。
人の不幸を喜ぶのではなく、人の幸福を喜べる人間になれ―――幼少の頃、母に言われた言葉だ。それはまだ、異世界転生したミカエル君の心に根付いている。
やがて、最後尾の列車から見て左側の列に、真っ白なケモミミが見えた。耳の形状からして猫の獣人だという事を悟り、ゆっくりとその座席に近付いていく。
列車がトンネルに入り、その座席に座る人物の顔が窓に映し出される。案の定、それはモニカだった。頬杖を突き、憂鬱そうな顔で窓の外をじっと眺めている。
という事は、その隣にいるコート姿の巨漢がセルゲイなのだろう。
さて、やれるか。
モニカをください、なーんて馬鹿正直に話しても譲ってくれるような相手じゃあない。世の中には話し合いで解決できない事もある。だから実力行使もまた必要―――それくらい分かってる。なんでもかんでも対話で解決できると考えているほど、それだけで平和が掴み取れると思うほど俺の頭はお花畑じゃない。
気配を殺しながら、というよりは、その辺の乗客に気配を紛れ込ませながらゆっくりと近付く。セルゲイは新聞を広げて読んでいるようで、彼の意識はそっちを向いているようだった。
そんな彼の方に、そっと手を置く。
「?」
誰かな、と顔を上げたセルゲイ。俺の顔を見た途端にそれは驚愕に変わるが、そこから先―――敵意を剥き出しにした言葉が出てくる猶予は、彼には無かった。
バチンッ、と微かに弾けるような音。雷属性の魔力が迸り、電気ショックがセルゲイの意識だけを刈り取る。
相手はグリズリーの獣人、他の獣人と比較してもかなーりタフで、常人なら気絶しているくらいの電気ショックでは物足りない。対人用のスタンガンや弾丸では、熊相手に不十分であるように。
というわけでちょっとキツめの電撃を喰らわせたのだが、このくらいでちょうどよかったらしい。
「よう、迎えに来たぞ」
「ふぇっ? え、ミカ?」
「早く」
彼女の手を引き、気絶したセルゲイの上を跨がせて通路へ。白目を剥いたまま気を失っているセルゲイを放置するのもアレなので、とりあえず読んでいた新聞を彼の顔に被せ、いかにも新聞をアイマスク代わりにして爆睡してますよ的な雰囲気を醸し出しておく。
うん、これで良し。
「コーヒーに紅茶、クッキーはいかがですかー?」
そこに都合よく車内販売の人がやってきたので、彼女を呼び止めて一つ注文を付けておくことにした。
「はい、何でしょうか」
「頼みがあるんだが」
「はい」
気を失っているセルゲイの方を指し示し、注文しておく。
「”連れ”を起こさないでやって欲しい。死ぬほど疲れてる」
「かしこまりました」
これで良し。
車内販売の人が通り過ぎていったのを確認し、モニカの手を引いて最後尾の車両へと向かう。
「ちょっと、どうするつもり?」
「逃げるぞ」
「いや、ちょっ、逃げるって言ったって……まさか飛び降りる気じゃないでしょうね?」
「そうよ、そのまさかよ」
「ウソでしょ……イカレてるわ、アンタ」
「多少イカレてるくらいが面白い。違うか?」
「それはまあ……いやでも、それとこれとは話が違うんじゃなくて?」
「……それもそうか」
でもそれ以外に手段考えてなかったのよな……。
ポケットからイリヤーの懐中時計を取り出し、時刻を確認する。このイリヤーの時計、時間を止める力があるだけじゃなくて普通に時計としても使えるので地味に便利。しかも見た目も黒と金で豪華なのでおススメです。お求めは血盟旅団まで。売らんけど。
さて、ダイヤが乱れていなければそろそろ急カーブが多発する地域に入っている頃だ。当たり前だが、列車は急カーブでは脱線を防ぐために速度を落とさなければならない。飛び降りるチャンスがあるとしたらそこだ。
最後尾の車両の扉を開けた。途端に車内の暖かい空気が薄れ、外の寒い空気と風の音、そしてレールを車輪が踏み締める金属音が流れ込んできて、モニカが息を呑んだ。
列車が速度を落とし、レールがぐにゃりと左へ曲がり始める。カーブだ。
「モニカ」
「無理よ、こんなところから飛ぶなんて!」
そう言われても、次の駅まで待ってたらさっきのグリズリーの獣人起きちゃうしなあ。
プランBを考えていたその時だった。後ろを振り向いたモニカが目を見開き、「危ない!」と絶叫したのは。
何事かと振り向いた時はすでに遅く、頭を思い切りハンマーで殴りつけられたかのような衝撃に、意識が遠退きそうになった。
「―――」
「ミカ!」
激しい頭痛に苛まれながらも何とか踏み止まる。が、状況を理解する事すら許さないと言わんばかりに、今度は大きな手が伸びてきて俺の首を鷲掴みにしやがった。
慌てて暴れるが、その剛腕はびくともしない。
肺の中の酸素が薄れ、しかし呼吸すら許されない状況。胸が熱くなり、頭が段々と重くなっていく中、その襲撃者の正体を俺ははっきりと見た。
―――セルゲイだった。
さっきの電気ショックからもう回復したと……!?
「やってくれるじゃあないか、ハクビシンのお嬢さん」
「カ……カハッ……!」
「セルゲイ、止めて! ミカを下ろして!」
「手を出してきたのはそっちだ……後悔してももう遅い、敵と見做す」
もう一度電気ショックを浴びせるかと思ったが、今回はモニカとの距離が近すぎる。彼女まで巻き込んでしまうかもしれない。
では何かいい手はないのか。思考を巡らすが、まともに酸素を受け取っていない今の脳では考えなど纏まるはずもなく、ただただ手足をじたばたと振り回して足掻く事しかできない。
「赤の他人の分際で―――他人の! 問題に! 口を挟むなッ!!」
ぱっ、とセルゲイの手が離される。
クソッタレ、と小さく悪態をついた頃には、ミカエル君の身体は列車の最後尾から投げ出されていた。そのまま重力に引っ張られ、大型の機関車の通行にすら耐えるほど太く頑丈な金属製のレールに、頭を強く打ち付ける羽目に。
これ頭蓋骨逝ったな……と思ってしまうほどの衝撃に、脳が激しく揺さぶられる。
意識を手放す寸前に聴こえてきたのは、俺の名前を叫ぶモニカの声だった。




