ジャコウネコ吸い in リガロフ家
実家に帰ってくると、皆の視線がまあ外敵を見るようなものになっているのが良く分かる。兄上や姉上たちと一緒に居るからまだマイルドだけど、ミカエル君1人でトイレに行こうとしたりするともう酷い。
あからさまに睨んでくるし、呼んでも無視なんて当たり前。結局ミカエル君の味方をしてくれるメイドはクラリスだけなんだねってのが良く分かる。
「……」
今だってすれ違ったキツネの獣人のメイドに睨まれた……というか、汚物を見るような目で見られた。なんかアイツ見覚えがあるなと思ったらアレだ、実家を襲って強盗した時に警備兵に夜食のボルシチ作ってたメイドだ。名前は確か”リュドミラ”だったか。
最近屋敷に来たメイドたちならばまだしも、軟禁状態の哀れなミカエル君を知っているメイドたちからすれば俺は強盗の容疑者(まあ実行犯だけども)。どうせ父上がそう吹聴していたせいもあるのだろうが、庶子であるミカエル君を冷遇していたのは兄姉や両親だけではないという事だ。
そういうメイドたちの態度が目についたのだろう、先頭を歩いていたアナスタシア姉さんが唐突に歩みを止めた。
「……リュドミラ」
「は、はい、何でしょうかアナスタシア様」
「私の妹に、あまりそういう態度は感心しないな」
静かな、諭すような声音だった。少なくとも俺の耳にはそう思えた。
けれども当のリュドミラには、さながら死刑宣告のように聴こえたのだろう。ぎょっとしながら身体を震わせ、目を見開いたリュドミラは、「も、申し訳ございませんっ!」と震えながら半ば叫ぶように言うと、逃げるように階段を降りて行ってしまった。
「すまないなミカ、古株のメイドの筈なのだが教育が行き届いていないらしい」
「いえいえ、お気になさらず」
慣れっこですから……いや、慣れちゃダメか。
まったく、そういう態度を続けるから恨みを買って金品と秘宝盗まれるんだぞ。分かったかリュドミラ……いや、アイツ1人の責任ではないけども。
そんな感じで階段を上り、2階にある姉上の部屋を目指す。道中、他の執事やらメイドやらに睨まれたりわざと聞こえるような声で陰口を叩かれたりした。内容は随分と酷いもんで、「害獣の仔は害獣」だの「アイツは生まれるべきじゃなかった」だの、「望まれて生まれた命じゃない」なんていう誹謗中傷の嵐。前世の世界だったら名誉棄損で訴えるべきか検討するレベルである。
しかも標的にされるのはミカエル君だけじゃない。こんな俺を信じてついて来てくれたクラリスにもその矛先は向けられているようで、さっきなんか「裏切り者」だなんてワードが聞こえてきて、うっかりその使用人に噛み付きそうになった。
けれどもそんな連中も、アナスタシア姉さんの一睨みで全部轟沈。逃げるようにその場を去っていく。
さすがアナスタシア砲、攻城砲みたいな破壊力である。
そんなこんなで部屋に辿り着くと、クラリスがドアを開けてくれた。
可愛いぬいぐるみやら小物やらがたくさん置いてあるエカテリーナ姉さんの部屋と打って変わって、アナスタシア姉さんの部屋は何というか……物騒だった。
壁にはイライナ・マスケットの1790年モデルが一式、銃剣付きの状態で飾られている。手入れはしっかりとされているようで、赤みがかった木製の銃床にはシリアルナンバーが刻まれた黄金のプレートが燦然と輝いている。
その下にはフリントロック式のピストルが2丁、ノヴォシア伝統の刀剣であるシャシュカが一振り、こちらもきっちりと手入れされた状態で飾られている。
机の隣には白銀の鎧が一式飾られていて、まるで大昔の騎士が部屋の中にいるかのような重苦しさがある。
あれ、俺部屋間違えた? ここ武器庫じゃないよね?
恐る恐る部屋の扉を見てみるが、そこにはきっちりと『アナスタシア』と記載された黄金のプレートが埋め込まれている。それでもう一度視線を部屋の中に戻すけれど、やはり中には武器やら鎧やらが飾られていて、その……なんというか、女性の部屋とは思えない異様な雰囲気を醸し出している。
アナスタシア姉さんの部屋に入った事がない(足を踏み入れたことがあるのはエカテリーナ姉さんの部屋とマカールおにーたまの部屋だけだ)ので今まで未知の領域だったのだが、まさかこの重苦しく高級感あふれる扉の向こうはこんな有様になっていたとは。
部屋というか武器庫だよマジで……しかも自室に入るなりリラックスした表情で窓際にある自分の席に座り、ピストルを手に取って眺め始めるアナスタシア姉さん。もしかしてミリオタなのだろうか。
「ん、そういえばミカがこの部屋に来るのは初めてだったか」
「は、はあ」
「ふふっ、どうだ私のコレクションは? なかなかのものだろう?」
「コレクション」
「うむ、そうだ。これなんか凄いぞ、イライナ・マスケットの1777年モデル、植民地軍に配備されていたものだ。原形型との差異はこの撃鉄の部分の形状でこっちのほうが長期間の使用で変形しにくいよう肉厚になっていてな、銃身もより重く銃剣は更に長くなっていて、兵士の強靭な筋力で繰り出される攻撃は”イライナの長槍”と呼ばれ敵対国の兵士たちに恐れられたという。しかし問題点として非常に重くなってしまい、非力な兵士にはそもそも扱う事すら困難なレベルになってしまってな、植民地の一部の兵士たちが運用しただけで歴史の影に埋もれてしまったのだ。私が手に入れたものは手入れも万全、その他の備品も一式揃った極めて良好な状態の個体でな、シリアルナンバーは6638、残っている記録によると植民地駐留軍に引き渡された後は武器庫で保管され続けていたことになっている。つまり一度も実戦で発砲されたことはなく、それ故に製造当時の設計思想が色濃く残っていてこれは歴史的に考えても非常に価値のある逸品だろう。どうだミカ、そう思うだろうミカ? うんうんそうだろう、私は良い買い物をしたと思う。それでだな、ここに刻んである紋章はザリンツィクにある第三十八兵器工廠の紋章だ。今では解体されてしまった工廠だが、イライナ製の銃は当時から非常に高く評価されていた事が窺い知れる。同じイライナ人として非常に鼻が高いよ。だがノヴォシア製のものはよく似ているが仕上げが雑でな、素手で触ったら皮膚が切れた、なんて話もある。まあ、この私の肥えた目にかかればそれがイライナ製かノヴォシア製かなど一発で分かる、本当さ。初等教育で習った勉強を今になって解き直すようなものだ。そんな初歩的な問題を間違うマニアなど世界中どこを探してもいないだろう。イライナ製ならここのプレートが長方形、ノヴォシア製なら楕円形になっているのだ。これは一番わかりやすい判別方法だが、他にもフロントサイトの形状が開放型になっているのがイライナ製、リング状になっているのがノヴォシア製だ。今後見分ける時はこっちを注視してみると良い」
出た、オタク特有の早口。見ろよ、あのエカテリーナ姉さんがちょっと苦笑いしてる……基本的に誰にでも愛想を振りまき、何でも全肯定するあのエカテリーナ姉さんが、だ。
とにかくまあ、これなら姉上にとって騎士団は天職なのかもしれない……仕事熱心なのは良い事だと思うの、うん。
意外な姉上の趣味にびっくりしていると、マカールおにーたまがそっと耳元で(おい馬鹿ケモミミは敏感なんだよ)ASMRの如く囁いた。
「ちなみにこれ全部姉上がオークションで落札したものだそうだ」
「オークション」
えぇ……?
うわ、地球儀の隣にガトリング砲もある。クランクを回して連射する人力のやつだ。最新式よりもちょっと古い形式の武器が好きなのだろうか姉上は。
自分の席から立ち上がり、来客用のソファに腰を下ろすアナスタシア姉さん。それを合図にジノヴィやエカテリーナ姉さん、マカールおにーたまもソファに腰を下ろし、クラリスはというとテキパキと紅茶を淹れ始める。さすがはメイドといった手際の良さだ。
しかしソファは随分とサイズが小さく、ぎゅう詰めとはいかないが、2人ずつ座ってちょうどいいレベルの小さいものだ。それほど大人数がやって来る事を想定していなかったのか、それとも自慢のコレクションにスペースを割いたせいでしわ寄せがソファにやってきてしまったのが、疑問は尽きない(絶対後者だとミカエル君は思う)。
「お姉様、ミカが座れませんわ」
「む、仕方がないな……」
姉弟4人で集まってお茶会、というのはよくやっていたのだろう。今回はそこにミカエル君も加わったから5人―――姉上のちょっと不慣れな感じが伝わってくる。
腕を組んでいた姉上は、ちょっと恥ずかしそうに自分の太腿をぽんぽんと叩いた。ん、姉上? お姉様?
「なら、ほら。私の上に座ると良い」
「その発想はなかった」
確かにミカエル君はミニマムサイズだけど……いいのか、いいのか姉上。それでいいのか姉上。
しかしまさか次期リガロフ家当主筆頭、更にはリガロフ家の至宝とまで言われているアナスタシア姉さんの膝の上に庶子が座るってなかなか絵面がヤバいと思うの。父上とか母上が見たら卒倒するレベルで。
本当に良いんですか、と困惑していると、姉上は「いいから早くしろ」と言わんばかりにもう一度、膝の上をぽんぽんと叩いて催促する。
良いんだろうか、とジノヴィの方を見てみると、どこから取り出したのか推理小説なんて読んでやがった。こんにゃろう助け舟くらい出してよおにーたまお願い。
推理といえばマカールおにーたまがこの前、聖イーランドからやってきた名探偵と一緒に連続殺人事件を解決に導いたらしい。手紙に書いてあったし、何よりイライナに戻ってきてから購入した新聞記事の一面にその事が書いてあってびっくりしたものだ。
とりあえずOKっぽいので、「し、失礼します……」と小声で言いながら姉上の太腿の上に着席。
うん、むっちりとした健康的な太腿で、しかも柔らかいだけじゃなくちゃんと鍛えた筋肉が内側に収まっているのが分かる非常に良い太腿ですね。ソムリエのミカエル君が言ってるんだから間違いないですよ(?)。
着席して気まずくなるが、しかしミカエル君は身長150cmのミニマムサイズ。スモールサイズのマカールおにーたまより小さいせいなのだろう、姉上からすると全く邪魔にはなっていないようだ。
んでアナスタシア姉さんの反応はというと、すっげえニコニコしながらミカエル君の肉球をぷにぷにしたり、尻尾やケモミミをもふもふしたりハムハムしたり……やめて、姉上、ケモミミだけはやめて敏感なのマジで。
「すぅ~」
「姉上?」
「はむ?」
「あのぉ~……何吸ってるんです?」
「む、庶民の間では”ネコ吸い”なる行為が流行ってるようでな。ちょうど目の前にジャコウネコ科の妹がいたので吸ってみようかと」
「うふふ、ジャコウネコ吸いですね姉上?」
「すぅ~」
「はにゃぁ~……」
「お茶が入りましたわ」
「む、すまんなクラリス」
「それとアナスタシア様、ご主人様はケモミミの先っぽがふわふわしているので吸うならそちらを」
「おお、そうか」
何教えてんのクラリスさん?
「すぅ~♪」
なんだろうか、ジャコウネコ吸いって流行ってるんだろうか。
困惑しながらマカールおにーたまの方に視線を向けてみる。言っておくがジャコウネコ科は別にネコ科の仲間というわけではなく、全く別の種である。どっちかというと同じネコ科のライオン獣人でスモールサイズのマカールおにーたまの方がお買い得なのではないでしょうか?
そう思いながらマカールおにーたまの方を見てみるが、あんにゃろ「俺なあにも知りませんよ」と言わんばかりにどこからか取り出した漫画を広げては、隣にいるジノヴィと全く同じポーズで読み耽っている。やっぱり兄弟なのねと言いたくなったが、やめとこう。
「姉上、俺を呼び出したのってまさか」
「うむ、別にお前を吸いたいとかそういう不純極まりない動機でモスコヴァからはるばる有休をとって帰ってきたわけじゃないからな私は」
「姉上、欲望が漏れ出てます」
「もふぅ~(裏声)」
「ふにゃぁ~(ロリボ)」
姉上のキャラ崩壊が激しい。
エカテリーナ姉さんの方はというと、隣で「あらあら、ミカったらそんなに気持ち良さそうに♪」なんて言いながら笑みを浮かべている。違う、違うんです姉上。俺はただ吸われてるだけなんです姉上。別にケモミミの裏側をふがふがされて気持ちいいとか、喉を撫でられてゴロゴロ鳴いたりとかしてないですからね姉上。ゴロゴロ。
昔では考えられないリガロフ五姉弟(庶子含)。昔はというとミカエル君を毛嫌いしていたマカールおにーたまに誰にでも優しいエカテリーナ姉さん、そしてそもそもミカエル君の事すら眼中になかったジノヴィ&アナスタシア姉さんという状態だったんだが、どうしてこうなったのか。
しばらくして、コンコン、と部屋をノックする音が聞こえてきた。アナスタシア姉さんが「誰だ?」と問いかけると、これまた随分と性格がキツそうな女性の声が聞こえてきて、母上だと全員が察する。
姉上の返事を待たずに扉が開いた。やはりそこに立っているのは、紫色のドレスに片眼鏡を身に着けた、いかにも性格がキツそうな、分かりやすく言うと子供の教育に悪いからとアニメにゲームに漫画、娯楽の全てを禁止して勉強だけやらせてそうな、そんな感じの女性だった。
ミカ君、こんなのが実の母親だったら発狂しちゃうね。レギーナマッマでホント良かった。
そう、母上(形式だけ)の『オリガ・ルキーニシュナ・リガロヴァ』が部屋にやってきたのである。
「アナスタシア、姉弟で買い物に行くのも良いですが、貴女はリガロフ家の長女なのです。相応しい殿方との結婚を―――」
そこまで言ったところで、ミカエル君とマッマの目が合った。
そしてついでに、ミカエル君のケモミミと髪の毛に顔を埋めてジャコウネコ吸いを堪能していた姉上とも目が合った。
リガロフ家の至宝とまで言われ、帝国騎士団特殊部隊の指揮官として活躍する女傑、アナスタシア・ステファノヴァ・リガロヴァ。道を歩くだけで誰もがその凛とした風格に圧倒され、あるいはその美貌に見惚れ、あるいはその力に恐れ戦くリガロフ家の長女。
そんな”リガロフ家の至宝”、次世代のリガロフ家を背負っていく女傑の膝の上に、何ともまあ卑しく汚らわしい(ふざけんなこのババア)庶子―――夫とメイドの間に生まれた庶子がちょこんと座り、ジャコウネコ吸いの被害者にされているのである。
一瞬で頭の情報処理能力を超過したようで、マッマは片眼鏡を外すや、ごしごしと目を擦った。
そうだ、これは夢だ。リガロフ家の至宝たるアナスタシアが、卑しい害獣の獣人を膝に乗せ、あまつさえジャコウネコ吸いを堪能しだらしない顔をするという醜態をさらすわけがない。そんな心の声が、困惑ぶりから窺い知れる。
しかし何度目を擦っても、目の前にいるのは大絶賛ジャコウネコ吸い中のアナスタシア。鼻いっぱいにもふもふの髪の毛を吸い込んでは吐き出して、また吸い込んでを繰り返している。
嘘でしょう、と言わんばかりに、マッマは付き添いの警備兵の方を見てから―――ぶっ倒れた。
「―――ああ嘘」
「お、奥様ぁぁぁぁぁ!?」
卒倒するマッマを見て、ミカエル君はそれはもう真っ黒な笑みを浮かべた。




