ミカエル君の帰宅
《こちらはラジオ・キリウ。流行の音楽を最速でお届けします。それではまず最初はラジオネーム”ミニマムハクビシン”さんからのリクエストで、オリガ・ブランチェンコの名曲『向日葵幻想曲』です。それではどうぞ》
腕に溜まってくる疲労に必死に抗いながら、日替わりトレーニングメニューの腕立て伏せを終えて床に座りながら呼吸を整える。今日のトレーニングはランニング5㎞とスクワット100回3セット、それが終わってから腕立て伏せ100回3セット。相変わらずキツいが、しかしこれくらいでもしなければ上は目指せない。
女神様から貰ったチート能力で異世界無双なんて、ラノベの中だけの話だ。イキるなら自前の力でイキりたいというPolicy(※ネイティブ発音)の元、ミカエル君は今日もトレーニングを欠かさない。
ボクシンググローブを両手にはめ込み、タイマーをセット。軽くジャンプして両足の力を抜いてからタイマーを3分にセットし、射撃訓練場の片隅に用意されたサンドバッグに左のジャブと右のストレートをテンポよく叩き込んでいく。
いくら接近戦が苦手とはいえ、対策なしでは実戦で接近戦を強いられた時に死ぬ。戦いの基本は格闘戦なのだ。
タイマーがラスト30秒を告げたところでペースアップ。パンチに腰と肩の捻りを入れ、軽い体重を乗せて少しでも威力を上げようと努力をしていく。それに伴ってスタミナの消費量は上がっていくが、しかし前回と比べるとだいぶ疲れにくくなったのではないか、と思う。
腰を入れた右ストレートを叩き込んだところで、タイマーが時間切れを告げた。やかましく騒ぎ立てるタイマーのスイッチを切り、ボクシンググローブを外して水分補給。持ってきたタオルで汗を拭いていると、訓練場にクラリスがやってきた。
「ご主人様、そろそろお時間が迫っておりますわ。お支度を」
「ん、もうそんな時間か」
懐中時計を取り出し時刻を確認。トレーニングに熱中している間に、時刻はもう午前の8時30分。約束の時間が迫っている。
大急ぎで訓練場を後にし、部屋で着替えを取ってからシャワールームへ。手早くシャワーで汗を洗い流し、シャンプーとボディーソープで身体中を一通り洗ってから、洗面所にあるドライヤーでぶわぁぁぁぁっと髪を乾かす。
髪を伸ばしていたので乾くのに時間がかかったけど、なんとかまあパリッパリに乾いた。嘘、モフモフな感じに乾いた。
手早く半ズボンとTシャツを身に着け、ベルトにポーチを通す。ポケットには財布とパヴェルお手製のスマホ、慈悲の剣と何かあった時のための護身用にマカロフをホルスターと一緒に装着。さすがにキリウの街中で襲撃されるなんて事は無いと思うが……。
準備を終えて外に出ると、ブリーフケースを抱えたクラリスが外で待っててくれた。彼女にお辞儀されて出迎えられ、そのまま一緒にレンタルホームへと降りる。
外ではパヴェルとルカの2人が、食堂車の窓の張替え作業を行っているところだった。
「んお、お出かけか?」
「ああ、ちょっと実家まで」
あまり気乗りしないが、実家から呼び出しがかかったので行く事になった。
ちなみにキュートなミカエル君を呼び出したのはマカール兄貴。久しぶりに妹(おいクソ兄てめえ性別間違えてんじゃねえよ〇すぞ)の顔が見たいそうで、昨日の配達の仕事が終わって帰ってきたら『明日ウチ来れる?(要約)』的な内容のお手紙が届いていた。
さすがに『行けたら行く』なんて返せないし、エカテリーナ姉さんも会いたがってるそうなので、とりあえず実家に行くことになったのである。
「あ、帰りにバター2箱買ってきてくれよ、覚えてたらでいいから」
「あー分かった」
行こうか、と階段の方に向かって歩き出すと、買い物から戻ってきたモニカが、新しい服がどっさり入った紙袋を両手いっぱいに抱えて階段を降りてきた。
「あら、ちょっとパヴェル。まだ窓の張替え終わってなかったの?」
「ほほーん? 窓こんなにしたの誰だっけぇ?」
ガキュ、ガキュ、と義手を鳴らしながらモニカの方に近付いていくパヴェル。いつもは飄々としている彼だが、元々人相が悪いのもあって、こんなヒグマみたいなでっかい兄貴に迫って来られたらなかなかの恐怖だと思うの。
「い、いやぁ……あはは、ぎゃ、ギャグパートだし次の日には直ってるかなぁー……って、あは♪」
「次の日には直ってるって第三艦橋じゃねえんだぞおめえよぉ!!」
「ん゛に゛ゃ゛ぁ゛!゛!゛」
なんだろ、潰されかけのセミみたいな鳴き声が聞こえた気がする。
「セミの声 ホームに響く モニカかな」
「お上手ですわねご主人様」
「ありがとう、一句詠まずにいられなかった」
一句詠んでから見てみると、パヴェルの義手でモニカはこめかみをぐりぐりやられていた。しかも柔らかいシリコン製の人工皮膚に覆われているタイプではなく、簡素な金属製フレームで覆われた簡易型である。ありゃあ痛い。
「いだ、いだだだだだだだだっ! つ、つぶれりゅ、つぶれりゅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!!」
「お前コレ朝イチから張り替えてんだからなオラァァァァァァァァ!?」
「わ、割ったのあたしだけじゃいだだだだだだだだだだだ!!」
「リーファも共犯だが5割はお前だろコレよぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
「それじゃあ行ってくるわ」
「ん、行ってらっしゃい」
いつものテンションに一瞬で戻るパヴェルと、やっとこめかみグリグリから解放されたモニカ。気のせいだろうか、半開きになったモニカの口から魂みたいなのが抜けそうに……あ、引っ込んだ。
二頭身モニカちゃんズが魂を引っ張り戻したのを見届けてから、俺とクラリスはレンタルホームを後にした。
階段を上って通路を通り過ぎ、改札口を抜ける。
「すいません、さっきレンタルホームの方から凄い声が聞こえたのですが……」
冒険者バッジを提示していると、確認してくれた駅員さんが心配そうに問いかけてきた。
「ああ……えと、セミの声です」
「セミの声」
「新種です、”モニカゼミ”っていうんですけど」
「モニカゼミ」
「餌をあげると300dBくらいの声で鳴いて窓ガラス全部割るやべえセミなんですよ」
んなセミがいてたまるか。
そんなセミがマジでいたら今頃この国大変な事になってるわ。
改札口を通過して懐中時計をチェック。約束の時間にまだ余裕がある事を確認しながらキリウの街を歩いた。
目指すは高級住宅街……からちょっと離れたところにある、リガロフ家の屋敷。ミカエル君が生まれ、実に17年間も軟禁状態にあった牢獄みたいなクソ屋敷である。
道中、オクローシカを売っている露店があってクラリスの興味がそっちに向いたが全力で手を引いて歩かせた。いや、気持ちは分かるんだがせめて用事が済むまで待ってほしい。
「あっクワスが」
「時間が」
「あっ向こうにはドラニキが」
「さっきご飯食べたでしょ」
「あぁピャンセが、ピャンセが!」
「時間ないの、お願い我慢して」
「しょんぼり」
「帰りにたくさん買ってあげるから」
「えっウソ本当ですかご主人様」
若干食い気味にミカエル君の顔を覗き込みながら言うクラリス。何だろ、真顔なのが怖い。
こくこくと必死に首を縦に振り、とりあえず我慢してもらう事に成功。でもごめんパヴェル、これ絶対バター代財布に残らんわ……。
ミカエル君のお財布からライブル紙幣がテイクオフ確定となったところで、やっとリガロフ家の屋敷が見えてくる。
正門に近付いていくと、正門を警備している警備兵たちが明らかに敵意を剥き出しにした目でこっちを睨んできた。んで隣にいるボディガード兼メイドであるクラリスさんはというと、帰りに何を食べて帰ろうかとニコニコしていて警備兵たちの敵意なんか眼中にないらしい。大丈夫だろうかウチのメイドは。
「止まれ、何の用だミカエル」
何だコイツら、こちとらリガロフ家の三男だぞ(庶子だけど)。貴族のお坊ちゃんなんだぞ(庶子だけど)。それを呼び捨てにするどころかその乱暴な言葉遣いはなんだ全く、教育がなっとらんじゃないか。
ちょっと腹が立ったので、声帯でミカエル君のCVを担当している二頭身ミカエル君にちょっと演技をお願いしておく。ご褒美メロンパンね。
「あー、強盗を取り逃がしちゃったざこざこ警備兵さんこんにちわー♪」
「んなっ……!?」
ニヤニヤしながら片手で口元を押さえつつ、上目遣いで煽るように警備兵に畳み掛ける。
名付けて『メスガキミカエル君』。メスなのかオスなのかはっきりしろだって? じゃあ性別”ミカエル君”で良いだろ別に。性別という概念を超越して何が悪い。
「強盗を止められなくてぇー、お金までたっぷり盗まれちゃってぇー、リガロフ家の威信を地に落としちゃった無能なざこざこ警備兵さんなんてぇー、要らなくない? お金の無駄じゃない? だっさ☆」
「なんだとこのガキ!」
「キャーこっわーい☆ 口では勝てないからってすぐ暴力に訴えるんだ♪ 実力だけじゃなくメンタルまでざこざこ警備兵さんなの?」
「この害獣、黙って聞いてれば好き勝手言いやがって!」
「ミカねぇ、今日はマカールおにーたまから招待されて来たの。いいのかなぁ、ミカのこと追い払っちゃったらぁ、あとでマカールおにーたまバチギレ案件じゃなぁーい?♪」
「うぐっ……」
「まあ、役に立ってるかどうか怪しいけど♪ そこで突っ立ってお仕事してればいいと思うよ☆ 今日は暑いし熱中症にだけ気を付けて、命に別状のない範囲で暑さに負けちゃえ♪ 負けちゃえ♪」
「ぐぬぬ……!」
「ざぁこざぁこ☆」
コレ名演じゃね、と自画自賛しつつ、見事なメスガキを演じてくれたCV担当の二頭身ミカエル君を心の中で労っていると、隣にいたクラリスが鼻血をだらだら垂らしながらこっちを見下ろしていた。
「クラリス?」
「ご主人様、後でさっきのメスガキミカエル君をもう一度……」
「何に反応してるんだお前は」
どうやら隣の人の性癖までぶち抜いてしまった模様です。誰か衛生兵を、性癖に効くやつで。
などと茶番を繰り広げていると、後ろからやってきたセダンが正門の前でぴたりと止まった。メタリックなブラックの車体にクロームカラーのシャーシ、ボンネットと後部座席にはこれ見よがしにリガロフ家の家紋がある。
一応言っておくけど、リガロフ家の爵位は”公爵”だ。今では没落しているけど、これでも一応イライナを守った救国の英雄の家系、爵位だけは無駄に高い。
さて、そんなご立派な家紋が刻まれた自家用車から誰が降りてくるのやらと思って振り向くと、そこにはまあ、ライオンの獣人の美男美女×4が全員集合しておりました。
運転していたのは次男のマカール、助手席には長男のジノヴィ。後部座席から降りてきたのは次女のエカテリーナ姉さんと、長女のアナスタシア姉さん。
まさかのリガロフ姉弟全員集合である。なんで?
「ミカ!」
ものすごい嬉しそうなスマイルを浮かべながら駆け寄ってきたエカテリーナ姉さんにぎゅっと抱きしめられ、メスガキミカエル君を演じ終えたばかりのミカエル君は思い切り困惑する。
あっあっお姉ちゃん良い匂い……。
「久しぶりじゃないの♪ 身長は……伸びてないわね。でもまあ、小さい方が可愛いわよミカは♪」
「お、お久しぶりです姉上……あはは」
「エカテリーナ、ずるいぞ。後で私にももふもふさせろ」
「はぁい、お姉様」
姉上、今なんて?
キャラ変わってない? あのブチギレたらヤバい武闘派ガチ勢のアナスタシアお姉様は何処へ?
「ま、マカール様! なぜこのような奴をお呼びに……」
「悪いか、庶子とはいえ妹だぞ」
「弟です」
「「「「「えっ?」」」」」
……泣いて良いか。
「ご主人様、殿方だったのですか?」
「お前俺の裸見た事あるだろ」
「それがいつもいいところで謎の光に遮られて」
「円盤買え」
円盤なら謎の光とか湯気とかないから。全部見えるから。
クラリスと2人で茶番を繰り広げている間に、兄弟の中で一番の長身のジノヴィおにーたまがすたすたと警備兵の方に歩いていった。
「警備ご苦労。悪いが、庶子とはいえリガロフ家の姉弟に変わりはない。ミカエルも中に入れてやってくれ」
「じ、ジノヴィ様がそうおっしゃるなら……」
さすが兄上、リガロフ家の至宝その2と言われているだけの事はある……あっ睨まれた。
渋々正門を開ける警備兵。姉上たちを乗せた自家用車がガレージの方に走っていくのを待って、警備兵に中指を立てながら「ざぁこ☆」と煽り屋敷の敷地内へ。
まあ、今回呼ばれたのは何か大事な案件があるとかそういうのじゃなくて、ただ単に姉弟で集まってわちゃわちゃしようという趣旨なのだそうだ。屋敷には嫌な思い出しかないが、たまにはこういうのも悪くないだろう。
というわけで、おじゃましまーす。




