物資配達のお仕事
130年前、この世界に異世界人がやってきた。
彼らはノヴォシア帝国に繁栄を約束し、その見返りとして彼らの持っていた『対消滅エネルギー』の譲渡を要求。取引は成立し、両者は繁栄の道を突き進んでいた。
でも、そんな蜜月関係も、ノヴォシア側からの不信感で破綻し、戦争が始まった。
俺たち獣人を生み出した旧人類たちの文明は、異世界人たちの逆鱗に触れた事により終わりを告げたのだ。
その異世界人たちの名は―――【テンプル騎士団】。
イライナ地方の土壌は、世界で最も農業に適していると言われている。
とにかく肥沃で痩せた土地がなく、養分が豊富なので農作物がよく育つのだ。
キリウ郊外に出ると、広大な農地が顔を覗かせた。畑一面をびっしりと小麦が埋め尽くしていて、夏の風の中で揺れるその姿はまるで、黄金の絨毯のよう。
大地を埋め尽くす麦の黄金と、蒼い空のコントラスト。それはイライナがまだ公国だった時代から、いや、それよりはるか昔から、この国の象徴だった。公国時代の国旗(黄色と蒼の二色を背景にした黄金の三又槍)もそれを意味しているのだという。
多くのイライナ人が、故郷の情景を思い浮かべる時はこれを頭の中に想い描くのだろう。
揺らめく黄金の絨毯の上を、蒼く塗装された収穫用のトラクターが走っていく。もう収穫のシーズンだ。手早く収穫して溜め込んでおかないと、イライナの夏が終わって短い秋が始まり、やがて地獄のような冬がやって来る。
苛酷な寒さと過剰な積雪量で、物流の大動脈たる列車まで止まってしまう。だから冬が訪れる前までに、食料や燃料、そして資金をしっかり溜め込んで備えておかなければならない。
さもなきゃ死ぬ、誇張抜きで死ぬ。
ノヴォシアには冬への備えの重要さを後世に伝える言葉がいくつもある。最も有名なのは『ノヴォシアの冬は人を殺す』、『働き者のみが勝利する』……この辺だろう。
そういう国である事もあって、児童向けの絵本にもとにかく冬への備えをしっかりしておく事、と刷り込みを図ろうとする内容のものが多い。今だから言うけど、幼少期ミカエル君に母さんが読み聞かせてくれた絵本の内容も9割がたそういうのだった。
そろそろ俺らも備えなきゃな、と思いながら周辺を警戒。麦畑が遥か彼方に遠ざかってきたところで、左手を74式車載機関銃の発射スイッチへと伸ばした。
《ミカ、物資はしっかり届けてくれよ。その報酬で今年の冬のための保存食を買い込むんだからな》
「はいよ」
まさか物資配達をする事になるとはねぇ……。
苦笑いしながら右手でラジオのスイッチを弾き、豆戦車―――L3の車内にポップスを流す。明るい感じの曲に励まされながら、いつ魔物が出てきてもおかしくないエリアへと突入。機銃の安全装置を外し遭遇戦に備える。
L3はイタリアが第二次世界大戦前に大量に配備し、第二次世界大戦に投入した兵器だ。軽戦車よりも小柄で軽量である事から”豆戦車”というカテゴリーに分類されている。
装甲は薄く、武装も機銃のみと貧弱。のちのモデルでは対戦車ライフルや機関砲、火炎放射器を搭載したタイプも量産されたそうだが、それでも押し寄せてくる連合軍の戦車の前では非力で次々に撃破されていったという。
ちなみにL3は地味に中国にも輸出されていて、日本軍とも銃火を交えたのだとか。
ミニマムサイズでキュートなミカエル君が乗り込んでいるのは、そんな豆戦車のL3、それをベースに色々と改造を施した血盟旅団仕様である。
乗員は2人乗りから1人乗りに削減、武装はみんな大好き自衛隊で採用されている74式車載機関銃を、車体左正面に連装で搭載。ガソリンエンジンに手を加えて馬力を向上させたほか、車体後部に複数のカーゴを連結して輸送任務に投入できるようにしてある。
車内の左側、本来であれば機銃の射手が乗っていたスペースにはででんと無線機が置いてあって、足元には機銃の予備の弾薬箱が用意されている。快速のお1人様専用輸送装甲車両……これが血盟旅団仕様のL3である。
さて、そんな棺桶……ゲフン、豆戦車に乗せられたミカエル君のお仕事は、キリウ郊外で魔物の掃討作戦を実施している帝国騎士団の皆さんにお昼ご飯を配達する事だ。
そう、お昼ご飯の配達である。
依頼してきたのはキリウに駐留する騎士団の指揮官殿。なんでも掃討作戦が予定よりも長引いてしまい、追加の物資を補給しようにも飛竜や荷馬車、トラック等の輸送手段が他の部署で使用中であるために手配できず、他の基地からもチャーターしてくる事が出来なかったため、泣く泣く民間の業者に依頼したがここでも断られたらしい。業者は繁忙期で予約がいっぱいなのだとか。
まあ、冬がちらつくシーズンになりゃあ業者も忙しくなるからねぇ。
そんな兵站を軽視して絶望的な状況に陥った騎士団に、パヴェルはチェシャ猫みたいなにんまりとした笑みを浮かべて『ウチ配達できますよ』と売り込みをかけたらしい。
要求した報酬金額は割増だったらしいが、背に腹は代えられないため指揮官殿はそれを了承。チェシャ猫と化したパヴェルは契約を勝ち取り仕事を持ってきた……というのが、今日の午前10時までの間に起こった出来事だ。
何でもビジネスにしてしまうアイツのセンスには脱帽だが、しかし欲望剥き出しのチェシャ猫スマイルは何とかならなかったのか。
エンジンを魔改造されたL3で75㎞/hの速度を維持したまま現場に向かうこと15分。カーゴの揺れる音とガソリンエンジンの唸り声の中に、ドパパパパンッ、とマスケットの一斉射撃の音が聞こえてきて、現場が近い事を確信する。
場合によっちゃあ加勢する必要があるかもな、と機銃をチェック。一応限られた角度であれば旋回させることもできるけれど、基本的に1人での運用になるので、機銃は前方に固定されている事が殆どだ。とにかく弾丸をばら撒いて進路上の敵を制圧、あるいは追い払う……そんな使い方がせいぜいである。
小高い丘を登ると、黒色火薬特有の、濛々とした白煙がたなびくのが見えた。紺色のコートに白いズボン、それらに加わる紅いアクセントで彩られた、ノヴォシア帝国騎士団の戦列歩兵たちだ。
今しがた一斉射撃で、ラミアの群れを薙ぎ払った後なのだろう。マスケットを撃ち終えた第一陣に代わって第二陣が前に出るや、構えたマスケットの一斉射撃で残ったラミアたちを薙ぎ倒す。
「……いや、あれマスケットじゃねえぞ」
再装填の動作が違う事に、ミカエル君はすぐに気付いた。
通常、マスケットの再装填は大まかに『銃口内の清掃→銃口から火薬と弾丸を押し込む→撃鉄をハーフコックへ→火皿に点火用の火薬を充填→撃鉄を引く』となっている。
けれどもあの戦列歩兵たちは、全く違う動作で弾丸を装填しているのだ。
機関部上部にあるハッチを開け、そこから薬莢を排出。そしてそこへ次の弾丸を装填して右側面の撃鉄を起こし、発砲している。
そう、銃口から弾丸を装填する前装式ではなく、後方から弾丸を装填する”後装式”になっているのだ。
マスケットよりも先進的なライフルと言っていい。しかも地味に金属薬莢を使っている。
ああいった銃は既にダンジョンから発掘されて解析されていると聞いた事があるが、戦列歩兵に支給できるほど普及しているとは……。
ノヴォシア帝国騎士団は非常に規模が大きい組織で、装備の更新は大変な作業になるのだそうだ。装備品を更新しようとしたら調達が間に合わず更新計画は破綻、白紙化されたという話もちょくちょく聞こえてくるので、小銃の更新が滞りなく終了する事を願わずにはいられない。
そういやザリンツィクでは既に水冷式の重機関銃が実用化され少数生産されていると聞いた。そのうち空冷式の機関銃やボルトアクション小銃とかも出てくるのだろうか。
そんな事を考えながら隊列に近付きながらクラクションを鳴らすと、後方に控えていた副官らしき人が手を振ってくれた。イリヤーの時計で時間を確認するが、時刻はちょうど12時。こっちの到着予定時間も予め伝えてあったので、いきなり銃を向けられて「何者だ」と問い詰められる事もない。事前の情報というのは本当に大事である。
ラジオを切ってからハッチを開け、L3の外に出た。豆戦車の上から降りて敬礼し、こちらの所属と目的を述べる。
「血盟旅団です。帝国騎士団キリウ司令部からの依頼で昼食と物資をお持ちしました」
「助かったよ、本当にありがとう。朝から何も食べてないんだ」
苛酷な仕事で朝食を抜くというのはなかなか辛い……是非とも腹いっぱい食べてほしいものだ。
L3に連結してきたカーゴは5両。うち2両がタンクで片方に飲み水、もう片方にスープが入っている。残りの3両にはパンやら回復アイテムやら、後は缶詰だったか。
カーゴを切り離してから物資を置いていく旨を伝え、再びL3の運転席に乗り込んだ。カーゴは後で洗浄して返却してもらう契約になってるが、まあ仮に借りパクされても別に問題はない。盗まれて困る技術は使われていないし。
座席のシートを一番前まで引っ張り、L3を再び走らせた。クラクションで最後に挨拶し、再びラジオのスイッチを入れる。
さっき対応してくれた副官が伝書鳩を飛ばしているのが見えた。おそらく、司令部行きの伝書鳩だろう。物資受け取りについても記載されているだろうから、報酬の支払いはキリウに戻る頃には行われている筈だ。
「終わったよ、パヴェル」
《ハラショー、いいぞミカ。よくやった》
とりあえずこれで今日のお仕事は終了だ。
今後はこういう配達の仕事も増えるのかな、と思いながら、俺は1人でイタリアの豆戦車を走らせるのだった。
「おかえりなさいませ、ご主人様」
軽車両用の第一格納庫にL3をバックで入れ、エンジンを切って外に出るとクラリスが出迎えてくれた。夏用の少しスカートが短く、生地も薄いメイド服の夏バージョンだ。袖は短く、真っ白な長手袋をつけている。
スカートの裾を摘まみ上げながらお辞儀してくれた彼女に「ただいま」と言いながら駆け寄ると、クラリスはニコニコしながら言った。
「今日のお昼ご飯は”ヒヤシチューカ”ですわ」
「冷やし中華?」
あらま、夏にぴったりじゃないか。
彼女から受け取ったタオルで汗を拭きながら食堂車……に行く前に洗面所で手洗いとうがいを済ませておく。配達だけだったとはいえ、戦場から返ってきたのでこういう衛生面には気を遣わなければいけない。
手を拭いてから食堂車に行くと、既に具材が山のように盛り付けられた冷やし中華が用意されていた。
「おう、お帰りミカ!」
「ただいまー。おお、美味そうだ」
「やっぱ夏と言ったらコレだろ」
クラリスと一緒に席に着くと、向かいの席に座っていたリーファが信じられないものを見るような目で、皿の上の冷やし中華を見つめていた。
「え、エ? 冷やし……え?」
「どしたん?」
「ワタシこんな料理知らないネ、中華にこんな料理ないヨ」
「あー……」
”中華”って名前付いてるけど日本で生まれた料理だからねぇ、コレ。
「しかモ冷たい、ホントにコレ食べるか?」
「暑い夏には最適だろ?」
「ダンチョさん、冷たいものお腹入れるとお腹壊すヨ」
「いやいや、大丈夫だろ? 過度に冷たいのじゃなきゃ大丈夫だって」
「そうだぞリーファ殿。倭国にも冷たい蕎麦があるが、冷たさが原因で腹を壊したという話は聞いた事がござらん」
「ほら、範三もこう言ってるし……まあいいや、いただきまーす」
キュウリやトマト、肉(これヴォジャノーイの肉だ)に卵と豊富な具材と一緒に麵を啜る。甘酸っぱいスープの風味にシャキシャキとした野菜の歯ごたえ、もっちりとした麺の食感が組み合わさってとにかく美味い。やっぱり夏はこれでしょ。
異世界で初めて食べた冷やし中華の味は、前世の世界の日本で食べたのと同じだった。
どうせモニカが叫ぶだろうからと、耳栓を取り出して素早く装着。ルカとノンナにも耳栓を渡し、衝撃に備える。いくら何でも仲間の叫び声で難聴になるというのは笑えない。
向かいの席で困惑していたリーファは意を決したようで、箸を手にするなり冷やし中華をちゅるりと音を立てないように啜った。
モニカとリーファがカッと目を見開いたのは、同時だった。
「「ウヒャァァァァァァァァァうっっっっっっっっっっっっま!!!!!!!」」
たぶん2人の声で350dBくらい。
2人が叫んだ瞬間、食堂車の窓が全部割れた。
※豆知識
東洋医学では冷たいものを食べるとお腹を壊すとされていて、特に中国においては冷たい食べ物はNGとされているそうです(最近では普通に冷たいものも食べるそうですが)。
そのため中国の飲食店では、飲み物は常温で提供する事が多いのだとか。これは東洋医学に基づいたお客さんへの気遣いとされていて、注文の際に冷たい状態で提供してほしいとお願いすればちゃんと冷たい飲み物を出してくれるそうです。




