私の小さなご主人様
「イリヤー・アンドレーエヴィッチ・リガロフって……」
クラリスの話す旧人類滅亡の真相―――その中に出てきた名前にいち早く反応したのはシスター・イルゼだった。ぎょっとしながらこちらを振り向く彼女に向かって頷き、クラリスの方に視線を戻す。
救国の英雄イリヤー……そう、ミカエル君の実家、このキリウにあるリガロフ家の始祖である。
伝記や歴史、伝承の中で名前を目にするのみだった存在が、よもやテンプル騎士団の初代団長、タクヤ・ハヤカワとかいうヤツ(男なのか女なのか分からん。名前的に男だが……)と一戦交えていたとは、何とも意外な話だった。
それはそうとして、クラリスの口から淡々と語られる130年前のモスコヴァ攻防戦―――旧人類滅亡の真相は、何とも凄惨極まりないものだった。テンプル騎士団に喧嘩を売ったノヴォシア側に非があったというのは擁護しようのない事実だし、それで滅んだのだから自業自得もいいところである。
だが―――テンプル騎士団もテンプル騎士団で、なかなか狂っているとミカエル君的には思った。
確かに約束を反故にされた挙句、仲間を殺され怒り狂う気持ちは分かる。これから目標達成のため、相手に信用してもらえる存在になれるように頑張って貢献していこう、という前向きな状態から一転、謂れのない罪を着せられ侵略者呼ばわり……そんな仕打ちを受ければ、徹底的な武力行使で報復したくもなるというものだ。
しかし、非戦闘員まで攻撃目標に含み、更には降伏しようとする兵士まで攻撃、徹底的に殲滅するとは何事か。
まるで絶滅戦争ではないか、と思う。
相手を打ち負かすための戦争ではなく、世界から相手の国、文化、人間、そしてそれらが存在していた痕跡そのものを拭い去るような、徹底的な殲滅。ナチス・ドイツやソ連ですら裸足で逃げ出すような所業に、話を聞いていて背筋が冷たくなる。
人間は、一体どこまで残酷になれるのだろうか。肌や顔つきに違いはあれど、その内側には肉があって、骨があって、真っ赤な血が通っているという点は共通している筈だ。テンプル騎士団の団長の腹には、闇でも詰まっているというのか?
「メンタリティが違うんだろうよ」
俺の考えている事を見透かしたのか、今まで腕を組んだまま沈黙していたパヴェルが冷静な声でそう言った。
「国が違えば文化も違い、考え方や価値観も違ってくる……世界が違うならなおさらだ。怒らせたらヤバい奴らもどこかの世界には居るって事だ」
「まるで実際に見てきたような言い方だな、パヴェル?」
「まあ……俺も似たような奴らと組んでたからな」
どんな奴らだ。
肩をすくめ、懐から取り出した葉巻に火をつけるパヴェル。すかさず空調のスイッチをオンにして換気すると、クラリスは再び思い出したばかりの過去について語り始める。
「―――そして、モスコヴァの制圧は目前に迫りました」
まるで頭上で爆弾が一斉に起爆したような、そんな爆音が天空を揺るがしました。
視線を空へと向けると、蒼い閃光と光の槍、銃弾に魔法の弓矢や投げ槍の応酬が繰り広げられているのが分かります。蒼い閃光が同志団長の魔術、それ以外の飛んでくるものが相手の魔術である事が分かりますが、しかしクラリスたちも取り込み中、悠長に同志団長と相手の戦士の戦いを見守っている余裕などありません。
とにかく流れ弾を喰らわない事を祈りながら、目の前の敵を掃討するしかないのです。
《B6よりB3、屋敷の2階を制圧》
《こちら第十一分隊、支援砲撃を要請》
《敵の魔術師の抵抗が激しい。空爆はまだか》
《旗艦イオより第十二分隊へ。航空隊は現在帰還中、再出撃を待て》
試しに無線のチャンネルを色々と回してみると、味方たちの支援要請が上がっているのが分かりました。敵も最後の抵抗を試みているのか、全体的な進撃速度も鈍化の兆しが見えてきています。
しかも、悪いニュースはそれだけではありませんでした。
《旗艦イオより各員へ通達。ドルツ諸国、聖イーランド帝国、ハンガリア王国、ヴァルガリア王国より開戦宣言アリ。繰り返す、周辺諸国よりテンプル騎士団に対し開戦宣言アリ》
―――終わりの始まりとは、まさにこの事でしょうか。
ノヴォシア帝国内部に潜伏していた工作員より、「周辺諸国へ救援要請を行った痕跡を認む」という報告があったとは聞いていましたが……よもや、ノヴォシアだけではなくこの異世界そのものを敵に回して戦う事になるとは。
単なる国家と組織の抗争で終わるどころか、全世界を巻き込んだ全面戦争へ突入しようとは、テンプル騎士団の将兵たちも想像すらしていなかったでしょう。クラリスもそうです、これは全くの予想外……視界の外から変化球を投げつけられたような、そんな感覚でした。
『クラリスよりガニメデ、上層部からの命令は?』
《ガニメデより同志大尉、現在上層部では【イコライザー】の使用が議論されている》
『イコライザー?』
聞いた事がない名称でした。新兵器……でしょうか?
テンプル騎士団の兵器の中には、機密保持のため情報公開が制限されているものが非常に多く存在しています。そういった機密情報はテンプル騎士団内部の諜報部隊”シュタージ”が厳格に管理していて、外に漏れるような事は決してありません。
そういった機密情報にアクセスできるのは、テンプル騎士団の高官の中でも限られた団員だけ。実質的に自由に機密情報を閲覧できるのはシュタージのトップであるクラウディア・ルーデンシュタイン元帥とラウラ・ハヤカワ副団長、そしてタクヤ・ハヤカワ団長の3名のみと聞いています。
イコライザー……聞いた事のない兵器ですが、おそらく凄まじい威力を誇る秘密兵器なのでしょう。それこそ、突如として参戦してきた周辺諸国の軍隊を殲滅、この不毛な戦争に終止符を打てるほどの威力があるに違いありません。
投入できるならばとっとと投入してほしいものです。そうすれば部下たちの犠牲も最小限で済みます……無論、多くの命が犠牲になるでしょうが。
とにかく、今のクラリスたちにできるのは当初の命令通りに戦うだけです。ノヴォシアだけでなく、周辺諸国も我々との戦争を望んでいるというならば、その望みを叶えてやるまでの事。ここまで来たらもう、誰もこの戦乱を止められません。
『リロード!』
『了解!』
弾切れになったアリシアが、倒壊した石像を盾にしながらマガジンの交換に入ります。彼女ほどの訓練を受けた兵士ならば1秒足らずで再装填を終え、コッキングレバーの操作まで進むのですが、しかしその間はどうしても1人分の火力が機能しなくなるので、他の仲間がカバーに入る必要があります。
弾幕を張って敵を制圧。マスケットで果敢に応戦しようとしていた兵士がいましたが、こちらからの制圧射撃を受けて射撃を断念、頭を下げて遮蔽物の影に押し込められる羽目になりました。
『2時方向、ライフルマン1名!』
『警戒、ベランダにガトリング砲!』
はっとしながら、ベランダの方に銃口を向けました。せめて一矢報いようというのでしょう、ベランダに顔を出したガトリング砲の射手がクランクを手で回しながら銃身を回転させますが、しかしそんな事は許しません。
セレクターレバーを中段に弾くや、クラリスはマガジン内に残っていた7.62×39mm弾を全部その敵兵たちにぶちまけてやりました。ドットサイトの向こうでガトリング砲の銃身や機関部に火花が散り、弾丸に射抜かれた敵兵が、まるで急に眠りに落ちていくかのように倒れていきます。
アクション映画を見た後に実戦を経験すると、その違いに嫌でも気付かされます。アクション映画の場合、観客に相手が撃たれて倒れたことを分かりやすくするために派手な倒れ方をしますが、実戦ではそうはなりません。
まるで猛烈な眠気に耐えかねたかのように、すぅっ、と倒れていくのです。傍から見ればいきなり転んだようにも見えるでしょう。それほど呆気のないものなのです。
弾切れになったマガジンを新しいマガジンで弾いて交換。テンプル騎士団では再装填の際、使用したマガジンはダンプポーチに入れておくよう教育されます。弾薬の支給の際、常に弾薬とマガジンがセットで支給できるとは限りません(これがクリップで束ねられた弾丸のみだと泣きを見ます)し、特に異世界派遣軍の場合、証拠隠滅のためにもマガジンや空薬莢は可能な限り持ち帰るよう指導されます。
しかし、非常時は例外です。今も空になったマガジンを回収し、悠長にダンプポーチに収めている余裕なんかありません。そんな事が出来るのは少し後方に位置している支援部隊のみで、最前線で身体を張る部隊にそんな余裕なんかありません。
バヂンッ、と頭上で凄まじい衝撃音が弾けました。どうやら同志団長の放った魔術と、相手の戦士(2人いるのが分かります)の放った魔術が真っ向から激突したのでしょう。
互いに違う世界で培われた魔術同士、その動力源たる魔力の組成もおそらくは異なるのでしょう。
閃光が弾けると同時に、無数の光の粒子が地上へと雨のように降り注ぎました。それは未だに確かな熱を帯びていて、触れた石畳や建物の壁、死体を瞬く間に融解させ、赤黒く焼け焦げた風穴を穿ってしまいます。
魔術の余波でこれなのです。そんなものをもろに受ければどうなるか……はっきり言って考えたくありません。少なくとも、原形を留めたままの死は望めないでしょう。
同志団長と敵の戦士の戦いは、未だに続いていました。
銃撃と魔術の応酬、そして時折互いに肉薄しての激しい白兵戦。大型ナイフと大剣がぶつかり合う音、銃声、建物の屋根や壁が壊れる音が立て続けに響き、魔術の流れ弾がまだ住民の残っている建物を直撃しました。
同志団長は2対1の状況にもかかわらず、どうやら相手を圧倒しているようでした。
敵も最後の抵抗を図るつもりなのでしょう。ここに来て、気のせいかノヴォシア帝国騎士団の残存部隊が反撃の勢いを強めているように思えました。
温存していたと思われる騎兵隊に飛竜部隊、砲兵隊にガトリング砲まで全てを投入し、一気呵成に攻め込んできます。最前線は瞬く間に、持てる火力をぶつけ合い、殴り合う混沌の戦場と化しました。
おそらくはこれが最後の悪足搔き。これを凌ぎ切ってしまえば勝利は目前です。
勝利が見えました。
―――そしてこういう時に限って、不運というものは牙を剥きます。
敵の砲兵が放った砲弾が、建物の壁面に激突しバウンドしました。
テンプル騎士団で運用されているような形状の砲弾ではなく、まるで大きなボウリングの球のような、本当に丸い鉛の塊です。それを黒色火薬で撃ち出すという前時代的……というよりも、旧世代の遺物と言うべき代物でした。
しかしそれでも、人間の命を刈り取るのに十分な威力があります。
ガッ、と壁面にバウンドし向きを変えた砲弾が、クラリスの方へと飛んでくるのがスローモーションで見えました。どういう原理なのかは分かりませんが、砲弾の表面がはっきりと見えます。それほどに周囲の光景がゆっくりと見えたのです。
避けようと思いましたが、しかしクラリスに与えられた猶予は、回避するにしても防御するにしても、余りにも短すぎました。
視界いっぱいに迫って来る砲弾。
ガヅッ、という嫌な衝撃。
それと同時に頭が大きく揺れ、クラリスは意識を失いました。
『―――これかね、鹵獲したホムンクルス兵というのは』
『はい、主任。既に1体を解剖し調査しています』
『自由意思を持つホムンクルスというだけでも考えられんが、それも竜と人の遺伝子を併せ持つホムンクルスとは……テンプル騎士団め、いったいどんな科学技術を……』
『聞く話によると、この個体は頭部に大砲の弾が当たったにもかかわらず気絶で済んだとの事です』
『どんな生命力をしているのだ……?』
『ただ、衝撃のせいか記憶障害が……』
耳の中に水でも入っているかのように、ぼんやりとそんな話声が聞こえてきました。
目を開けてみると、半透明の蒼い液体で満たされたガラスの向こうに、白衣を身に着けた研究者のような人たちが集まって、クラリスの方をじっと見つめていました。
一体何が起こったのか、何も思い出せません。
ここはどこなのか。
自分は何者なのか。
唯一分かるのは、【クラリス】という名前だけ。
おそらくこれが、自分の名前なのでしょう。
クラリス―――たくさんの人がこの名前を呼んでくれたような気がするのに、その呼んでくれた人々の顔が、全くと言っていいほど思い出せません。
瞼を閉じました。
疲れたのか、それともこのガラスの柱の中を満たしている液体の作用なのかは分かりませんが……瞼が急に重く、意識が奥へ奥へと引っ張られていくような、そんな感じがするのです。
もう、考えるのはやめましょう。
クラリスはここで、眠りにつくのです。
おやすみなさい。
呼吸を整える誰かの息遣いと、獣のような呻き声。
それが、眠りの奥底に沈んでいたクラリスの意識を、水面まで引き上げてくれました。
薄暗い部屋の中―――あの時、クラリスの事を観察していた科学者たちはもう、どこにも居ませんでした。その代わりに目の前にいるのは、私服姿で銃を手にした、小さな獣人の女の子。怪我をしているのでしょうか、左手からは真っ赤な血が溢れ出ていて、床の上に物騒な斑模様を描き出しています。
彼女の前に迫って来るのは、無数のゴブリンたち。
あのままでは、あの獣人の子はゴブリンの餌にされてしまうでしょう。
怖いのでしょうか、獣人の子供はブルブルと震えていました。
【こんなにくれるの……!?】
【お姉さんありがとう!!】
頭の奥底に眠る何かがフラッシュバックします。
貧しい獣人の子供たち―――両手いっぱいのお菓子を見て、嬉しそうに笑いながらお礼を言う獣人の子供たち。これはいったい、何の記憶なのでしょうか?
やっぱり思い出せませんでしたが、その子供たちと目の前にいる獣人の子供の姿が、何となく重なったような、そんな感じがしました。
この子だけでも、守らなければ。
その想いが、眠っていたクラリスの身体を突き動かします。
『来いよ……焼きゴブリンにしてやる』
強がりながら銃を向け、なおも戦おうとする獣人の子供。
彼女を守るべく、クラリスはガラスの壁面に思い切り拳を叩きつけました。ガラスの壁はあっさりと粉砕され、培養液と共にガラスの破片が周囲に飛び散ります。
唐突の乱入に、獣人の子供(ハクビシンでしょうか、前髪の一部が真っ白です)がびっくりしてこっちを振り向きました。
大丈夫です。
クラリスが、守って差し上げます。
―――これが、クラリスと小さなご主人様の出会いでした。




