モスコヴァ攻防戦
それはもう、戦闘とすら呼べるものではありませんでした。
クラリスたちが地上に降下してからの僅か5分足らずの戦闘で、モスコヴァ周辺に展開した守備隊は壊滅状態に陥っていました。
本当にこれが大国の首都の防備なのか、と疑いたくなるほどだったのは、鮮明に覚えています。クラリスが率いる第五空挺機動中隊はモスコヴァの市街地中心部を制圧する任務を与えられていて、計画上では最も激しい抵抗を受けることが予想された部隊でもありました。
クラリス自身も、部隊から損害が出ることは覚悟していたのですが……。
『……』
血まみれになりながらもまだ息のあった戦列歩兵に数発の弾丸を叩き込み、確実に殺してから、周囲を見渡しました。
どこもかしこも死体だらけです。紺色の軍服に身を包んだ歩兵たちの死体が幾重にも折り重なって、優美な街を地獄に変えていました。
『待て、降伏する、降伏する!』
目の前から白旗を掲げた負傷兵たちがやってきましたが、しかし先行していた戦車―――T-55の近代化改修型(おそらく後方部隊から引き抜かれてきたのでしょう)は慈悲すら与えませんでした。
標準ノヴォシア語で必死に降伏を訴える兵士たちを主砲同軸の機銃で薙ぎ倒すや、悲痛な叫びを上げながらのたうち回ったり、抉られた腹から溢れ出んとする内臓を必死にかき集めている負傷兵を、そのまま履帯で踏み潰していったのです。
彼らの悲鳴がエンジンの音に掻き消されていくと、石畳の上には赤とピンクで彩られた人間の残骸だけが残りました。
それを見て吐きそうになる部下を一旦後方へと下がらせ、クラリスはアリシアと、近くにいた部下のアレサ、アリーヤを連れて近くの建物へと突入しました。
AK-15を構えながらクリアリング、室内に敵がいない事を確認します。
敵はいませんでしたが……しかし2階にある子供部屋に突入すると、そこにはまだ幼い子供2人を抱きしめた母親と思われる女性が、部屋の隅で震えながらクラリスたちを睨んでいました。
テンプル騎士団の交戦規定の中に、戦闘員、非戦闘員の区別はありません。原則としては敵国の人間は全て攻撃対象となり得ます。だから今目の前にいるこの親子も、このまま射殺してもクラリスたちが責任を問われる事はなく、むしろ敵を倒した英雄として勲章を与えられることになるのです。
しかし、クラリスはそういう残虐行為に疑問を持っていた事もあって、そっと銃を下ろしました。
撃たないのですか、と問いかけてくるアレサを手で制し、まだ銃を構えているアリーヤにも銃を下げるよう命じます。
『……こちらクラリス、建物を制圧』
『こちらガニメデ、了解。速やかにそこを離脱、2ブロック先で戦争中の戦車と合流せよ』
『了解』
艦橋とのやり取りを済ませ、外に出ました。
昔はこのような事はなかったそうです。敵とはいえ非戦闘員は攻撃対象に含まず、また降伏した敵兵も捕虜として受け入れ、法に則った処遇を約束する―――結成当初のテンプル騎士団には、そのような慈悲があったと聞いています。
それが一切なくなり、情け容赦のない暴力装置に成り果てたのは、組織が急激な軍拡を推し進め始めた辺りの事でした。
おそらくですが、同志団長もなりふり構っていられなくなったのでしょう。100年後に迫った絶望の未来を回避するため―――そのためならばどんな咎も犯そう、地獄へも落ちようという悲壮な覚悟が、何となくですが窺い知れました。
その直後でした。子供部屋で子供たちと一緒に隠れていた親子を残した後方の家が、空爆で吹き飛んだのは。
『―――』
上空を通過していったのは、Su-34の編隊たち。
航空優勢は開戦と同時に確保されていて、テンプル騎士団は空爆し放題、地上部隊も空爆要請し放題というフリーパス状態でした。
そんな中、どうして制圧済みの家を空爆していったのか……誤認でもしたのでしょうか。
いずれにせよ、2階まで木っ端微塵に吹き飛んだ家を見て、子供部屋に居た親子の生存は絶望的である事は分かりました。
クラリスがおかしいのでしょうか。
それとも、組織がおかしいのでしょうか。
葛藤しながらも、迷いを振り切って走りました。クラリスは部隊を預かる指揮官でもあります。指揮官が戸惑っていては、部下たちにも危険が及んでしまう。だから今ばかりはしっかりしていなければなりません。後悔の念に押し潰されるのは、戦闘が終わってからも遅くはない筈ですから。
指示された通りに2ブロック先に向かうと、そこには決死の覚悟で一斉射撃を放つ戦列歩兵たちを薙ぎ倒すT-72の姿がありました。どれだけマスケットの集中砲火をお見舞いしてもT-72は意に介さず、砲塔を旋回させて戦列歩兵たちを睨みます。
『に、逃げろぉっ!!』
戦列歩兵たちが散り散りに逃げていきますが、そんな彼らを多目的対戦車榴弾の一撃が無慈悲にも粉砕してしまいました。爆風が兵士たちを呑み込み、飛び散る破片が彼らをズタズタに引き裂いていきます。
破片で両足を持っていかれた兵士が悲鳴を上げながらのたうち回りますが、すぐに戦車の砲塔から飛来した12.7mm弾に首から上をもぎ取られ、大通りは少しばかり静かになりました。
徹底的な殲滅―――もはや、戦闘ではありません。
あまりにも一方的すぎる虐殺です。
戦車に合流しつつ、建物の2階から射撃してくるライフルマンに対して反撃していると、隣でl射撃していたホムンクルス兵の腹を80口径の鉛弾が貫いていきました。
『っ!!』
『衛生兵!!』
大声で衛生兵を呼びながら、負傷した同胞を引き摺って物陰へ。近くにあった無人の雑貨店の中に引っ張っていきながら、片手でAK-15で射撃していると、被弾した彼女もPL-15で反撃を始めました。
雑貨店の棚の影に彼女を隠し、傷口をチェック。弾丸は貫通していません。貫通していたならばエリクサーを投与するだけで傷は塞がるのですが、弾丸が身体の中に残っている以上はその前にワンステップ必要になります。
クラリスの声が届いていないのか、それとも衛生兵が近隣に居ないのかは分かりませんが、どれだけ待っても衛生兵が駆け寄って来る気配はありませんでした。
止むを得ません、ここはクラリスが何とかしなければ。
工具のホルダーの中からプライヤーを取り出しました。あくまでも部品を加工したり、装備品の修理や整備に使う工具です。衛生兵が持っているような医療用の道具と比較すると消毒されておらず、医療従事者が見たら卒倒するような処置になってしまいますが……しかし背に腹は代えられません。
『おねがい、たすけて、死にたくない』
息を途切れさせながらも懇願する彼女の手を握り、大丈夫よ、必ず帰れるわ、と励ましながら、プライヤーを彼女の腹に穿たれた傷口へと差し込みました。
同胞の絶叫が、クラリスの耳を劈きました。麻酔も無しに傷口に工具を捻じ込まれたのですから当然です。とにかく彼女の精神力と、ホムンクルス兵として生まれたが故の身体の頑丈さ、そして感染症に打ち勝てるだけの免疫力に期待するしかありません。
じたばたと暴れる彼女の手足を尻尾と片手で押さえつけながら、何とか弾丸を引っ張り出しました。
錠剤型のエリクサーを彼女の口に押し込んで、水筒の水を流し込みます。ごくん、とエリクサーを呑み込むと、お腹の傷は瞬く間に塞がっていきました。
『……大丈夫?』
『な、なんとか……ありがとうございます、大尉』
良かった、彼女は何とか助かりました。
ふらつきながらも立ち上がった彼女にAKを渡し、クラリスと一緒に雑貨店を飛び出します。
既に前線は、首都の中心にある宮殿へと迫っていました。クラリスたちの頭上をスーパーハインドの群れが通過していくと、宮殿に向かって一斉にロケット弾を斉射。果敢にガトリング砲で応戦を試みる射手たちを一掃すると、スーパーハインドから少数の兵士たちが降下していくのが見えました。
テンプル騎士団特殊作戦軍―――『スペツナズ』の兵士たちです。
テンプル騎士団には数多くの兵士たちがいますが、空挺部隊の訓練課程を終えることができるのは選ばれた兵士たちだけ。ゆえに空挺部隊は精鋭部隊の代名詞として名を馳せるわけですが、その空挺部隊の兵士ですら入隊試験に無慈悲にも落とされる狭き門、それに合格した者のみが特殊作戦軍を名乗れるのです。
クラリスも昔の上官に指名され特殊作戦軍の入隊試験を受けてくるよう言われましたが、特殊作戦軍の創設者でもあるウラル・ブリスカヴィカ上級大将にあっさりと不合格の烙印を押される羽目になりました。
特殊作戦軍の人たちは化け物です、本当に。
そんな化け物が放たれたので、宮殿の制圧も時間の問題でしょう。クラリスたちがやるべき事は、周囲の守備隊を制圧し後続部隊の突入を支援する事です。
既に首都モスコヴァ上空は、テンプル騎士団の爆撃機や空中戦艦で埋め尽くされていました。
勝敗は決した―――誰もがそう思うでしょう。
しかし、ノヴォシア側にも切り札はあったようでした。
前方の大通りで砲撃していたT-55の砲塔に、唐突に光の槍が突き立てられました。それは光の輪を十重二十重に生み出してから起爆、戦車の装甲を大きく抉るや、砲塔内部の砲弾を誘爆させてしまいます。
爆発反応装甲が搭載されたお椀型の砲塔が、びっくり箱さながらに大きく吹き飛びました。
『同志大尉、戦車が!』
『……!』
ノヴォシアにも、あれだけの威力を持つ兵器が……?
一応魔力反応を探ってみました。クラリスたちの世界の魔術とは異質ですが……微かに、痕跡が残っているのが分かります。
それを辿り、ある屋敷の屋根の上を睨みました。
そこにいたのは、2人の戦士でした。
『よもや帝国がこのような事になろうとは……』
呆れたというよりは、第三者として傍観するような雰囲気を纏った声で、ライオンの獣人―――【イリヤー・アンドレーエヴィッチ・リガロフ】は呟いた。
ノヴォシア帝国は北方の大国だ。国土面積は世界で最も広く、列強諸国の一翼を担ってきた軍事大国でもある。周辺諸国は常にノヴォシアの動向を伺い、皇帝陛下が騎士団を動かすと同時に歴史もまた動く……まさに列強国の重鎮と言ってもいい国家である。
その首都が、唐突に現れた未知の軍勢にこうも容易く攻め滅ぼされんとしている事が、イリヤーにとっては信じがたかった……いや、正確には薄々予想していたが、本当にそうなってしまった事に、彼自身も驚きを隠せなかった。
これほどの戦果に焼かれるのは、3つの頭を持つエンシェントドラゴン―――”ズメイ"の襲来以来であろう。
いや、あの時よりも酷い。今、この帝国はまさに―――いや、世界そのものが滅亡の縁に立たされていると言っても過言ではなかった。
『我らが参戦したところで、もはや戦局は動くまい』
『そうかもしれん。だがな、友よ。黙って滅ぶのは性に合わんだろう?』
腕を組むイリヤーの隣で、先ほど魔術を放ち戦車を撃破した彼の盟友―――【ドブルィニャ・ニキーティチ】は不敵な笑みを浮かべた。
これほどの絶望的な戦況で笑みを浮かべる余裕があるニキーティチとは、かつてのズメイ封印の時からの仲だ。エンシェントドラゴンの討伐には至らず、辛うじて3つの首のうちの1つを切り落とすのが精一杯ではあったが、この2人の奮戦でノヴォシアは救われている。
しかし、今回の戦争ではそうはいかないだろう。既に、帝国の滅亡は確定している。
されど、このまま黙って消えゆくつもりもないのも、また事実であった。
『ああその通りだ……行くぞ、友よ』
『おうとも』
くるりと剣を回して肩に担ぎ、目つきを鋭くするホッキョクオオカミの獣人、ニキーティチ。
2人が今まさにテンプル騎士団へ牙を剥こうとしたところで―――横合いから飛来した蒼い閃光が、2人の進路を遮った。
触れずとも、掠めるだけで人体は焼け、鉄は溶けてしまうだろう―――それほどの熱量を纏ったそれは、大通りの上空を掠めるや、遥か彼方にある教会の尖塔を焼き溶かし、大気をプラズマ化させてしまう。
『今のは……魔術か?』
『あんな術は見たことが……』
驚愕する2人の、視線の先。
そこには1人の兵士がいた。
フードのついた黒いコートを身に纏い、大きく開いた正面にはマガジンの収まったチェストリグが覗く。肩にはこれ見よがしにテンプル騎士団のワッペンが張り付けられていて、海原の如き蒼い髪が、火の粉と熱気、鉄の焼ける臭いを含んだ風の中で揺れていた。
見た目はノヴォシアを蹂躙しているホムンクルス兵とは変わらない。が、しかし―――明らかに他の有象無象とは違う威圧感を、イリヤーも、そしてニキーティチも鋭敏に感じ取っていた。
コイツだけは只者ではない。他とは明らかにレベルが違う、遥か雲の上の存在。
気を抜いた瞬間に死が確定するような、死神の鎌にも似た鋭利な殺気は、まさに別次元の実力者である事の証明でもあった。
『友よ、気を付けろ……奴は何かが違う』
『ああ……あれはヤバそうだ』
テンプル騎士団ではなく、あの蒼い髪の兵士を相手にしなければ、と意識をそちらに向けると、蒼い髪のキメラの兵士は、そっとフードを外した。
『イリヤー・アンドレーエヴィッチ・リガロフとその盟友、ドブルィニャ・ニキーティチか……相手にとって不足はない』
前髪の下から覗く血のように紅い瞳と、目が合った。
それはヒトの瞳孔ではなく―――爬虫類を思わせる形状をしていた。
『テンプル騎士団初代団長、タクヤ・ハヤカワ―――推して参る』




