クラリスの正体
リーファの普段のセリフ(「~ネ」とか)とリーファ視点での地の文のギャップがすげえ。
「……雪?」
遊び疲れて眠ってしまったノンナの頭を撫でながら、窓の外に広がる異様な風景に目を見開く。
今はまだ8月―――9月にもなれば暖房が必須になってくるような、中華のシセン省以上に寒い国だとは聞いていたけれど、まだ今は真夏。ついこの前だって湖でバカンスを楽しんできたばかりだ。
それが、秋をすっ飛ばして冬に突入するなど……そんな事があり得るのだろうか。
部屋で音楽を流していたラジオのダイヤルを捻ってチャンネルを変えてみた。案の定というべきか、普段ニュースを流しているチャンネルでは、速報でこの真夏の降雪という異常気象を伝えている。
そんな異質な風景に目を奪われている私の背筋を、冷たい感覚が突き刺していく。
「……」
ジョンファはとにかく人が多い国だった。
国民の数が多いという事は、それだけ競争相手が増えるという事。血縁関係にある親族ならばまだしも、それ以外の相手は全員競争相手。互いに相手を蹴落とし、上へ上へと登っていく―――その競争相手、つまるところ敵でしかない。
そういう環境で育ってきたからなのだろう、私の第六感は少なくともノヴォシア人よりは鋭敏である、という自負があったし、実際にそれはいち早く”敵”の襲来を察知していた。
スマホを手に取り、パヴェルに電話をかける。
彼はすぐに電話に出てくれた。
『もしもし』
「パヴェル、備えるヨ。”客”が来るネ」
『……わかった』
すやすやと眠るノンナの頭を撫でてから、私は部屋を後にした。
武器庫に飛び込むやチェストリグを身に纏い、壁にある銃の中からAK-2000Pを手に取った。予備のマガジンをチェストリグに収め、銃剣を装着して、ホルスターに収まったQSZ-92を装備する。
あとはこのマチェットでも借りようかな、と思いながら、大きなマチェットを手に取った。
武器を身に着け、列車の外に出る。
外はひんやりと冷たくて、真夏の暑さはすっかり彼方に追いやられていた。息を吐き出すとそれは瞬く間に白く濁って、風にさらわれ消えていく。
レンタルホームにうっすらと降り積もった雪を踏み締め、冷気の向こう側から黒い人影が4つ……私たちの列車にやって来る。
客人というわけではないのは、その姿を見れば一目瞭然だった。
「……へぇ」
うっすらと白く染まる風景の中、姿を現したのは、漆黒の鎧に身を包んだ4人の騎士だった。鎧の上には軍服と思われる、同じく黒いフードのついたコートのようなものを羽織っていて、フードの下にある兜、そのバイザーの隙間からは妖気のように紅い光が漏れている。
あれはヒトではない―――生命が発する気配が、何一つとして感じられない。
「歓迎光臨……客人不是出茶(ようこそ……でも客人に出す茶はないわよ)」
そう言いながら銃剣付きのAK-2000Pを構えるや、黒騎士の内の1体が腰に手を伸ばした。西部劇のガンマンが腰のホルスターから拳銃を引き抜くように、特注のウェポンラックから、黒騎士がAKを取り出す。
それが火を噴くよりも先に私は動いた。姿勢を低くしながら左へと跳躍、黒騎士の放った初撃を紙一重で回避しながら柱を盾にし、前傾姿勢で遮蔽物の影から飛び出す。
黒騎士の連携はなかなかのものだった。2体がAKを手にして援護射撃、残る2体が近接武器を手にしながら距離を詰め、白兵戦を挑んでくる。
剣を手にした黒騎士の攻撃を躱し、銃剣を喉元に突き立てた。ギャッ、と切っ先が鎧の表面を微かに滑って火花を生じ、そのまま鎧と鎧の繋ぎ目の部分に吸い込まれていく。私の全体重を乗せた刺突が炸裂し、黒騎士の動きが止まった。
やはり、彼らはヒトではないらしい。
刃物で肉を突き刺した、という手応えが全くない。
まるで霞でも切り裂いたような、なんともふわふわとした不思議な感覚だった。
そのまま引き金を引き搾る。ガァンッ、と5.56mm弾がゼロ距離で放たれ、早くも黒騎士にトドメの一撃を見舞った。
腹を思い切り蹴って銃剣を引き抜くけれど、仲間を殺されたことに怒り狂ったか、それともこれを好機と見たか、バイザーの隙間から紅い光を漏らしながら迫ってきたもう1体の黒騎士が、恐ろしい速さで踏み込みながら手にした鈍器を振り下ろしてきた。
フレイル、と呼ばれる武器だった。柄と打撃部分(”穀物”と呼ばれる)を鎖で繋ぐ事で、遠心力を用いて相手を殴打する野蛮な武器。確かに鎧を身に纏った騎士には効果的な武器だけど、銃の登場による騎士の衰退と共にまた姿を消した、旧世代の遺物でもある。
回避……は難しかったので、咄嗟にAK-2000Pを盾にした。ゴシャアッ、と金属がひしゃげるような音がして、AK-2000Pの機関部がまるでマンモスに踏みつけられたかのように大きく歪んだ。
こんなのにぶん殴られたら死ねる。
脳内の二頭身リーファちゃんもガクブルね。
なんてウチの団長さんみたいな事を考えながら、両手をAKから離す。それと同時に右足を地面から浮かせて身体を回転、後ろ回し蹴りを黒騎士の側頭部に叩き込んだ。これが生身の相手だったら昏倒させられるくらいの威力だって自負はあるけれど、相手は鎧を身に纏った騎士。靴越しでも踵はかなり痛かった。
けれども目論見通り、相手の体勢を崩すことには成功したみたいで、ぐらりと黒騎士がよろめいた。
「!!」
支援に回っていた2体の黒騎士がこっちに銃口を向け、銃弾を放ってくる。咄嗟に追撃を断念してよろめいた黒騎士のコートの襟を掴み、敵の背をそのまま盾に使う。ガガガッ、と鎧が弾丸を弾く音(一体どんな素材を使っているんだろう?)が聞こえ、着弾の衝撃が伝わってくる。
腰の鞘に手を伸ばし、マチェットを引き抜いた。
懐に飛び込んだ私を仕留めるべく、黒騎士が首を掴んでくる。まるでヒグマみたいな握力で首をへし折ろうと力を込めてくるけれど、私だって猛獣の獣人の端くれ。ちょっとやそっとで折れるような骨ではない。
結局、私の首が折れるよりも先に、マチェットの切っ先が黒騎士の顔面、紅い光が漏れるバイザーの隙間へと突き入れられた。
やはり致命傷だったのか、紅い光が霧散して、黒騎士の身体から力が抜けていく。
がくん、と動かなくなる黒騎士。マチェットを引き抜きながら、その背後でAKを構える黒騎士たちを睨んだ。
これで2体……なかなかしんどいわね、コレ。
さて、まだやるの?
引き抜いたマチェットを手の中でくるりと回し、峰を肩にトントンと当てながら相手を睨んだ。それから数秒の間を置いて―――うっすらと雪の積もったホームを、思い切り蹴って加速する。
柱を蹴って跳躍、更にホームの屋根を蹴って進路変更。黒騎士の放つ銃撃が私の後を追ってくるけれど、当たらない。
ちらりと視線を周囲に走らせた。
人気のないレンタルホームのはるか向こう―――在来線のホームでは、唐突に始まった銃撃戦に野次馬が集まりつつある。線路を跨ぐ通路を武装した駅員や警備兵が走って来るのが見えて、これは部外者を巻き込む前に早く片付けなければ、と焦燥感を覚えた。
ちょっとリスクは上がるけれど―――虎穴に入らずんば虎子を得ず、リスクを冒さなければ劇的な勝利はない。
先人の教えを思い出し、腹を括った。
空中で回転、落下の勢いと自分の体重が乗ったマチェットの刀身に、更に回転の勢いを乗せて思い切り振り下ろす。
ガギュ、と今まで聞いた事のない音が聞こえてきた。一瞬だけ飛び散る火花に、鉄の焼ける臭い―――金属中の不純物が燃焼する臭いだ。昔、村の鍛冶屋で嗅いだことがある。お母さんが農具の修理をお願いしていた職人さんが鉄を打つ姿を思い出したけど、過去に浸るのは一瞬で良い。
マチェットの刀身は、黒騎士の頭……脳天から顎にまで、深々と食い込んでいた。断面からは複雑な電子回路に人工的な黒い骨格、そして人間のものとは質感が明らかに異なる半透明の赤い血が迸り、頭を切りつけられた黒騎士が動かなくなる。
勢いに任せてマチェットを引き抜き、そのまま空中へと放り投げる。
黒騎士がここぞとばかりに銃弾を放ってくるけれど、戦いの中で集中力が冴えたのか、引き金を引く指の動きが克明に見えた。後は銃口の向きさえ見ていれば、おおよその射線は把握できる。
タイミングとおおよその弾道を予測していたからこそ、ほんのわずかに上半身を逸らすだけで敵の放った弾丸は回避できた。軽く頬を掠めた弾丸が悔しそうに掠り傷を刻んでいくけれど、それだけだ。
そのまま、回し蹴りを振り払う。
回転しながら落下してきたマチェット、その柄尻を捉えた蹴りの一撃を受け、刃こぼれを起こしつつあったマチェットが銃弾さながらの勢いで急加速。それはそのまま銃弾とすれ違いつつ直進するや、すこーん、と気持ちいいくらい綺麗に、黒騎士の眉間にぶっ刺さった。
眉間から後頭部まで貫通された黒騎士が、そのまま後ろ向きに大の字に倒れて動かなくなる。
早くも鎧の表面に錆が浮かび、そのまま崩壊していく4体の黒騎士たち。
戦ってくれてありがとう―――敵とはいえ礼を尽くすべし、と幼少の頃に習っていた拳法の師範からの教え通りに、拳と手のひらを合わせて相手に一礼する。
「これはいったい……!」
「血盟旅団の方ですね、ご無事ですか!?」
ピストルを手にした駅員や警備兵たちが、大慌てでレンタルホームに駆け付けた。
破壊されたAK-2000Pを拾い上げ、ノヴォシア語の文法と単語を思い出しながら彼らに告げる。
「アア、大丈夫ネ。私ケガ無いヨ」
列車の方を振り向くと、パヴェルが箒と塵取りを持って、崩壊した黒騎士たちの残骸―――錆色の粉末を片付けているところだった。”組織”の痕跡は他の連中には渡さない、というあまりにも強い意思表示に、私はちょっと苦笑いしてしまう。
うん、後始末ご苦労様。
けれども、なぜこのタイミングで”組織”の刺客が現れたのか。
その理由はなんとなくだけど、分かる。
団長さんとクラリスが探りに行っている情報―――キリウの地下に広がるダンジョン、そこに知られてはならない情報が眠っているのだ。
だから口封じのために、私たちを狙ってきた。
―――いや、列車を襲撃したチームはきっと”おまけ”だろう。
本命はこっちではなく―――団長さんたちだ。
ぐにゃり、と7.62×39mm弾の弾道が歪んだ。
火薬の燃焼ガスに押し出された弾丸は、しかし俺とクラリスを守るように展開する磁界に絡め取られるや、その弾道を大きく狂わせて、下水道の天井を這う配管の内の1つを直撃する結果となった。
休憩時間無しでの魔力放射に、魔力欠乏症を引き起こしつつある身体が悲鳴を上げる。目と鼻だけではなく、ついには耳からも血が流れ出てきた。
頭の中が割れそうだ。まるで頭の内側を、ヘビー級ボクサーが何度も何度も殴りつけているかのような、そんな鈍痛がさっきから頭を苛んでいる。
それに耐えながらAKS-74Uを構え、引き金を引いた。100発入りのドラムマガジンに収まった5.45×39mm弾が荒れ狂い、黒騎士たちの鎧の表面を打ち据える。ガガッ、と着弾の火花が散るが、しかし貫通には至らない。
さっきの魔力反応は向こうもキャッチしているのだろう。射撃では磁力で弾道を歪められ効果はない―――そう判断した黒騎士たちはAKを捨てるや、腰に下げた剣を抜いて突っ込んできた。
ミカエル君的に、接近戦は苦手だ。
一応、前世の世界では空手を習っていたし、黒帯に至るまでの実力者であるという自負はある。が、それは転生前の話。いくら当時の技や技術は身体に染み付いているとはいえ、転生後のミニマムサイズの身体ではいくら何でも不利すぎる。
身長150cmの身体では手足が短く、また体重も軽い。速度を乗せ、威力を一点に集中するような技を使えば戦えない事もないが、しかしそこで足を引っ張って来るのが手足の短さ、すなわちリーチの問題である。
そういう身体的特徴に起因する弱点もあって、ミカエル君は接近戦を徹底して避け、遠距離戦を重視するようになった。
パルクールで逃げ回りながら、銃撃と魔術を絡めた弾幕で相手を圧倒するのだ。
突っ込んでくる相手から距離を取りつつバックジャンプ、ハンドガードから離した左手に魔力を纏わせ、振り払う。
5つの蒼い斬撃が迸り、接近してくる黒騎士のうちの1体を直撃した。バヂッ、と弾けるような電撃の音が響き、黒騎士のバイザーから紅い光が消える。
雷爪―――複数の雷の斬撃を拡散させ、扇状に放つ初級魔術の1つ。
なんだかんだで使い勝手がいいので、今に至るまで愛用している。
今の一撃を掻い潜った黒騎士にAKS-74Uの弾幕を浴びせつつ後退。整備用の足場にある転落防止の柵を飛び越えた俺と入れ替わる形で、今度はクラリスが前に出た。
両腕をドラゴンの外殻で硬化させ、剣を振り下ろしてくる騎士と真っ向からぶつかり合う。
ギャリュッ、と硬質な音が響いた。ドラゴンの外殻で覆われたクラリスの両腕と、騎士が振り下ろした剣が激突したのだ。
そして意外な事に、その正面からのぶつかり合いに勝利したのはクラリスの方だった。
そのまま黒騎士を押し切るクラリス。重心を低くしたクラリスの突進に押され、尻餅をつく格好になった黒騎士の顔面に、クラリスの本気の右ストレートが食い込んだ。
ボコンッ、と戦車の装甲を徹甲弾がぶち抜いたかのような、質量と運動エネルギーの暴力に防御力が屈する音が聞こえ、頭を潰された黒騎士が動かなくなる。
襲ってきた2体の黒騎士を黙らせたところで、俺とクラリスは下水道の外へと出た。
「……雪だ」
「そんな……まだ夏ですわよ?」
真夏の降雪―――こんな異様な光景、見た事がない。
鈍色の空から降り注いでくる雪に、スラムに住む人々は寒そうに身体を震わせていた。
とにかく、列車に戻ろう。早いとこ撤収するのが得策だ。
停車させていた筈のバイクのあった場所へと大急ぎで向かう。サイドカーに乗り、クラリスから受け取ったMG3を銃架にセット。さっき地下の研究所で撃ちまくったので、もう弾切れだ。予備の弾薬箱を引っ張り出してベルトを薬室へと押し込んでいる間に、クラリスはバイクを急発進させた。
間違いない、あれは”組織”の刺客だ。
残念ながら地下の研究所は崩落、これ以上の調査は見込めなくなったが―――しかし、クラリスは記憶を取り戻すことに成功したらしい。
こうしている分にはいつものクラリスとは変わらないように見えるが……。
「クラリス……」
「……列車に戻ったら、全てをお話しします」
バイクを走らせるクラリスの瞳。
そこには、腹を括ったかのような強さが宿っていた。
「全て……全て、思い出しました」
仲間たちが集まった会議室の中は、今までにないほど重苦しい空気に包まれていた。
みんなの視線の先に居るのは、もちろんメイド服姿のクラリスだ。
18年間、ずっと忘れていた彼女の記憶。自分の名前以外の全てを失っていたクラリスの過去が明らかになるとなっては、みんな注目せずにはいられないのだろう。
以前から”例の組織”との関係が指摘されていたクラリスである。敵なのか、それとも味方なのか。それははっきりさせておく必要があるとは思うが……。
ぎゅっ、とクラリスの手を握った。
自分の過去を、今まで封印されていた記憶をカミングアウトするのはかなり勇気のいることだろう。
大丈夫だよ―――そう言い聞かせるように彼女の顔を見上げ、笑みを浮かべながら頷いた。
それに背中を押されたのだろう、クラリスは口を開いた。
「クラリスは……皆さんが”組織”と呼ぶ謎の勢力、それに所属する兵士でした」
誰も声は上げなかった。
ここまでは、想定されていた事だったからだ。
「今から130年前……クラリスたちは”同志団長”の命令を受け、別の世界から次元の壁を超えて、この世界にやってきました」
「その目的は?」
「技術交流です。信じられないと思いますが、侵略が目的ではなく……ただ、この世界に存在する我らの見知らぬ技術を習得する、それが目的だったのです」
モニカの問い掛けに、クラリスは淡々と答えた。
目的は侵略ではない―――では、あの映像は何だったのか。
ウガンスカヤ山脈の、飛行船の中で目にした映像。
消滅する北朝鮮に占領されるロシア、そして侵略を受ける中国。
どう見てもあれは、”組織”の連中によるものだった。
それが、この世界にやってきたのは侵略目的ではないなど、にわかにではあるけれど信じられない。
「ある日、”同志団長”は未来を予見されました。遥か遠い未来、子孫の世代に降り注ぐであろう災禍を。いずれ訪れるであろう滅びの未来を。それを回避するために、”組織”は過剰な軍拡を開始しました。軍備の拡張に加え、未知の技術の積極的な導入を目的に、その手を別の世界へも伸ばしていったのです」
「それで、クラリスは130年前にこの世界へとやってきた?」
「はい……目的はこの世界の人類、あなた方が”旧人類”と呼ぶ人々が保有していた技術です」
滅びの未来―――彼女の言う”同志団長”が予見した未来がどんなものだったのか、俺には分からない。
けれども、本格的な軍拡を推し進め始めたという事は、そういう事なのだろう。それだけの備えが無ければ跳ね除ける事が出来ない程、絶望的な未来だったのだろう。
しかし、結果としてそれがこの世界で新たな悲劇をもたらす事になったとは……。
「―――組織の名は【テンプル騎士団】。クラリスは、その兵士の1人でした」




