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パンドラの番人


「ミカ、聞こえるか? ミカ……あークソ、ダメか」


 人工衛星や無線の中継基地もなし、更にはお手製の無線機で、しまいには地下にいる仲間との通信となればこれが限界なのだろう。ノイズを発するばかりになったヘッドセットを頭から外し、うんざりしながら葉巻に火をつけた。


 アイツなら……ミカならばうまくやってくれるとは思うが、さすがにあの2人の声が聞こえなくなるのは不安である。


 特に今回は、間違いなく”例の組織”が絡んでくる案件だ。そして今から約130年前の、旧人類の消失にも関わってくる重大な事案。クラリスの正体を知るという事はつまり、この世界の謎を―――そして組織の正体を暴く事に他ならない。


 そんな事をしようとしている俺たちを、”例の組織”の連中が放っておくわけがない―――少なくとも、俺はそう見ている。


 というか、嫌な予感しかしないのだ。


 傭兵として、そして四肢を失いながらも戦い続けた傷痍軍人として一つ言える事がある。それは『戦場において、嫌な予感は九分九厘的中する』という事だ。


 良い予感はクソの如く当たらないというのに、嫌な予感ばかりが怖いくらい的中してくる。幸運の女神とやらは、本格的に人間を嫌っているようだ。


 何事も無ければいいがとは思うが……しかし、敵は常に相手の嫌がる一手を打ってくる。それは”例の組織”も例外ではない。


 奴らの指揮官が俺の教え子なのだから、この機を逃す筈がないのだ。


 ダメだと知りつつも無線の感度調整を行い、もう一度呼びかけてみる。


「ミカ、ミカ、聞こえるか? クラリス?」


 やはりダメだ。


 クソッタレが、と悪態をつきたくなるが、しかしあまりそういう汚い言葉は良くない。上の階では今頃、ノンナと留守番を任されたリーファが遊んでいるところだ。小さい子がいるんですから汚い言葉は駄目ですよ、とイルゼに後で叱られてしまう。


 それにしても……。


「……」


 通信が途絶する直前、ミカが撮影したこの解剖されかけの竜人兵。


 何とも無残な姿だ。腰から下の肉はなく、臓物も取り除かれ、長年培養液漬けにされているにもかかわらず未だ赤々とした断面からは、人間のそれとは異なる肋骨や背骨が伸びている。


 願わくば彼女の最期が安らかなものであった事を祈りたいものだが、しかし死者の魂に祈るのは俺の仕事ではない。そういう仕事は聖職者プリーストにでも任せるべきであって、俺の仕事はただ敵を殺すこと、そしてミカ達を支えることである。


 捕獲した組織の竜人兵シェリルと、クラリスの遺伝子の99.97%の一致。そしてこの解剖された竜人兵に、ウガンスカヤ山脈の山中に眠っていた装備品とあの”空中戦艦”……ここまで証拠が出そろえば、もう答えは出たようなものだった。


 間違いない……旧人類を滅ぼしたのは、奴らだ。


 ”組織”に居た頃、聞いた事がある。次元の壁を超え、別の世界へと移動する技術が存在する、と。


 そして”組織”はそれを使い、あらゆる世界に進出し未知の技術を集めてきた。”例の組織”の運用する兵器の技術体系に他との類似が見られず、一貫性が無いように見えるのもそのためだ。あらゆる異世界で集めたオーバーテクノロジーを解析、軍事転用している。


 つまるところ”継ぎ接ぎ”なのだ。


 もしこの仮説が正しいのだとしたら……俺の予感が当たっているのだとしたら。


 そしてシェリルの発言……クラリスに対する『初期ロット』という言葉の意味が予想通りなのだとしたら。


 もしそうなら、クラリスの正体は……。


「……?」


 今になって、吐き出す息が白く濁っている事に気付いた。


 それだけじゃあない……まるで冷凍庫の中にいるかのように、肌を凍てつかせるような冷気が辺り一帯を漂っている。マグカップの中のアイスティーの水面にも薄氷が浮かんでいた。


 窓の外を、白い何かが降りてくる。


 ―――雪だ。


 真っ白な、綿毛のような雪。まだ8月だというのに―――いくらノヴォシアが極寒の雪国とはいえ、いくら何でもこの時期の雪は季節外れが過ぎる。


 何だ、これは。


 一体何が起きている……?












 

 獣人に生まれてよかったと思う事を挙げろと言われたら、「第六感がより鋭敏になった」と答えるだろう。


 動物たちの持つ危機察知能力は人間のそれを遥かに超えている。理屈ではなく、本能で感じる命の危機。それを兼ね備えている獣人として生まれたからこそ、その奇襲にも対応できた。


 咄嗟にクラリスを突き飛ばし、同時にイリヤーの時計に命じて時間停止を発動。左へと全力で転がると同時に時間停止の効果が切れ、背後で鋭利なロングソードの切っ先が床のタイルを叩き割る、何とも心臓に悪い音が聞こえてくる。


 振り向くと同時に、右手に持ったマカロフを”敵”へと向けた。


「……!?」


 剣で床のタイルを木っ端微塵に粉砕したのは―――艶のない、黒い鎧に身を包んだ異形の騎士だった。甲冑の上からは軍用の、フードのついたトレンチコートのようなものを羽織っている。


 ぎぎ、と甲冑の軋む音を立てながら、黒い騎士がこっちを向いた。顔を覆うバイザーの隙間からは、血のように紅く禍々しい光が漏れており、その下に人間の顔があるとは思えない。


 何者だ、と問う余裕すらなかった。人間か否か、何者か―――そんな事を気にしていれば死んでしまう、と本能で理解した。


 気が付いた頃には、マカロフの引き金を引いていた。パンパンッ、と小型のハンドガンがスライドを後退させ、9×18mmマカロフ弾を吐き出す。排出された薬莢が床に落下するよりも先に着弾する筈だったそれは、しかし甲冑の表面を打ち据えるよりも先に、振り払われた剣の切っ先に弾かれ跳弾。コンクリート製の壁に歪な弾痕を刻むばかりだった。


 ならば、とマカロフの照準を黒騎士―――ではなく、天井を這う配管に向けて引き金を何度も退いた。


 8発のマカロフ弾を撃ち尽くしたマカロフのスライドがホールドオープン。普段はスライドに覆われているすらりとした銃身が露になり、射手に弾切れを告げる。


 それを好機と見たか、剣を振り上げる黒騎士。が、しかしその一撃が振り下ろされるよりも先に、頭上から降り注いだ大量の水が黒騎士の甲冑を濡らした。


『―――』


「っ!!」


 左手を突き出し、魔力を放射。


 雷で形成された球体―――”雷球”が、びしょ濡れになった黒騎士の甲冑を見事に直撃した。


 金属製で、しかもその表面はびしょ濡れ。ここまで電気を通しやすい悪条件が揃えば効果は抜群であろう。


 バヂンッ、と弾けるような音と共に蒼い閃光が暗闇を照らした。


 バイザーから漏れていた紅い光が消え、黒騎士がそのまま崩れ落ちていく。


「はぁっ、はぁっ、はぁっ……」


 何なんだコイツは。


 咄嗟に対応できたからいいものの……。


 呼吸を整えながらマカロフに新しいマガジンを装着し、空になったマガジンをダンプポーチの中へ。


「クラリス、大丈夫か?」


「は、はい……申し訳ありません、ご主人様」


 左手で頭を押さえながら立ち上がるクラリス。彼女に手を貸すと、憔悴しきった様子の彼女は笑みを作ってくれた。


 俺を心配させないためなのかもしれないが、しかしその姿は痛々しい。


「思い出したのか、クラリス」


「ええ……全て、全て思い出しました」


「……そうか」


「列車に戻ったら、皆さんにお話しします。とにかく今は―――」


 ズズン、と低い音が響く。


 パラパラと、頭上から小さな破片が降り注いできた。


 地震にしてはあまりにも短く、下から突き上げてくるような衝撃だった。まるで何かが爆発したような……そこまで思い至ったのと、施設からの脱出を決断したのは同時だった。


 クラリスと目を合わせて頷き合い、走り出す。


 先ほど倒した黒騎士は既に、錆色の粉末と化していた。


 間違いない―――あれは”例の組織”の差し金だ。


《ミカ、そこを左だ!》


「!!」


 パヴェルの声。


 言われた通りに左へ曲がろうとするが、しかしそうする前に後ろから伸びてきたクラリスの手が俺の襟をがっちりと掴んで制止する。


 あと一歩踏み出していたら―――床にぽっかりと開いた奈落に、吸い込まれているところだった。


「あ、あぶな……」


「パヴェルさん、あなた何を!?」


《ちぇっ、死ねばよかったのに》


「お前……パヴェルじゃないな!?」


 さっきの無線からおかしくなっていた。唐突にゲームの電源を切れだの、駅の名前を列挙し始めたパヴェル。やはりあの無線が復活した時を境に、彼はおかしくなっている。


 が、あの黒騎士の正体を考えればそれも納得がいく。おそらくこれは”例の組織”からのジャミング攻撃か、似たような類の電子的な攻撃であろう。とにかく確かなのは、パヴェルからの通信は当てにはできないということだ。


「クラリス、無線機を切れ」


「しかし……」


「偽情報はノイズになるだけだ、早く」


 言われた通りに彼女は無線のスイッチを切った。


 これで本当の仲間からの通信も拾えなくなるが、しかし偽りの声に惑わされることは無くなる。とにかく今は施設からの脱出を急がなければならない。


 ゴゴゴ、と施設が振動を始める。あちこちで配管の外れる音やガラスの柱が潰れる音、天井が崩落する嫌な音が聞こえてきて、この施設もそう長くない事が分かる。


 マカロフをホルスターに戻してAKS-74Uに持ち替え、先を急いだ。


 蒼い培養液に満たされたガラスの柱が並ぶ広間の中、出口へと向かっていたクラリスの足が、ふと1つのガラスの柱の前で止まってしまう。


 その中に眠っているのは、例の下半身がない竜人兵の遺体だった。さっきの記録を見る限り、この竜人の女性が解剖されたという『アリシア』なのだろう。顔は眠っているかのように静かで、苦しんで逝ったわけではない事が分かる。数少ない救いだが……。


 クラリスは彼女の眠るガラスの柱に、そっと手を当てた。


「ごめんなさい、アリシア、みんな……」


「クラリス、急がないと」


 天井から、配管を固定しているフランジのボルトが外れる音が聞こえてくる。カツッ、と傍らに落ちてきたのは、急激に変化していく配管への負荷に耐えかねて折損せっそん、脱落したボルトの残骸だった。


 ゴトンッ、とついには人間の脚くらいの太さがある配管が落下してきて、床に堆積した埃を盛大に巻き上げる。


 何を考えたか、クラリスは唐突に右の拳を握り締めた。表面をドラゴンの外殻で覆うや、腕を覆っている白い長手袋が破けるほど筋肉を隆起させ、腰を捻りながらガラスの柱を殴りつける。


 まるで戦車砲に撃ち抜かれたかのように、彼女の同胞の遺体を収めていたガラスの柱が吹き飛んだ。蒼く、ねっとりとした培養液が周囲にぶちまけられ、細いケーブルで繋がれた無残な死体が床に転がる。


 眠っているかのような安らかな表情のアリシアの亡骸。それを拾い上げたクラリスは、彼女の血肉と培養液で服が汚れるのも厭わず、無残な姿と化したアリシアの亡骸をバックパックに収めた。


 せめて彼女の遺体だけでも、丁重に弔おうというのだろう。


「参りましょう、ご主人様」


「ああ」


 ゆっくりと立ち上がるクラリス。


 白いフレームの眼鏡の奥で、紅い瞳から涙が零れ落ちるのを、俺は見逃さなかった。


 ズンッ、と一際大きな爆音が響いた。先ほどまで居た広間が崩落し、大量の埃がさながら火砕流のように舞い上がる。


 ゴブリンたちの白骨死体が散乱する通路を抜け、施設の出口へと到達した。


 遥か上には光が見える。下水道に入り込む日光、その光だ。


 ここを登れば下水道に出られる―――しかし、命綱も無しに高さ20mもの縦穴を登るのは、いくら何でも無茶が過ぎるというものだ。


「……」


 施設の崩落が進んでいる。


 ここも安全ではない。


 竪穴の壁面に金属製の配管がある事を確認し、覚悟を決めた。


 いつまでもクラリスに守られているミカエル君ではないのだ。


「クラリス、俺に掴まれ!」


「!?」


「早く!」


 掴まる、というか左手で抱き抱えてくれるクラリス。彼女のドラゴンの尻尾も身体に巻き付いて、しっかり固定されたのを確認してから、AKS-74Uの保持をスリングに預けて両手を伸ばす。


 雷属性の魔力放射―――しかし生み出すのは電撃ではない、磁力だ。


 ぐっ、と身体を引っ張られる感覚を覚えた次の瞬間には、壁面に埋め込まれた配管へと、俺たちは”吸い上げられて”いた。


 雷属性魔術、特に磁力の特性の使い所だ。周囲に磁界を発生させ、あらゆる金属を自由に浮遊させることができるこの魔術。毎日の鍛錬のおかげでその効果範囲を伸ばす事に成功したおかげで、より使い勝手が良くなっている。


 配管に磁力でへばりつきながら、次の配管に狙いを定めて魔力放射。見えざる磁力の手が伸び、次の配管をしっかりと掴み取る。


 平然とやっているように見えるが、実はこれかなーりキツい。例えるなら両腕に50㎏のダンベルを持ち、5秒ごとに10㎏ずつ加算されているような、そんな負荷が全身にかかっている。


「ご主人様、血が……!」


 身体が負荷に耐えかねたのだろう。鼻から血が流れ始め、続けて視界の下端もうっすらと紅く染まった。ああ、血涙だ。きっと今頃、俺の顔は悲惨な事になっているだろうな。


 服の下には汗が浮かび、心臓もまるで動悸を起こしているかのように脈が乱れている。魔力欠乏症の初期症状だ。このまま魔術の発動を続け、体内の魔力を消耗し続けるような事になれば、それこそ命に係わる。


 何故ならば、魔力は生命エネルギーの一部だからだ。


 生命維持に必要な魔力量は、概ね自分の最大魔力量の11%。個人差はあるけれど、だいたい20%を下回ってきた辺りから脈の乱れや発汗、倦怠感などを覚え始め、それが更に進行すると目や鼻、耳からの出血など、より重篤な症状が現れる。


「ご主人様、ご無理をなさっては……!!」


「大丈夫だ、このくらい……!」


 とは強がってみるものの、正直限界は近かった。


 ダンベルを抱えているような重さが変質し、まるで身体中を万力で締め潰されているような激痛が襲い掛かって来る。


 しかし、ここで魔力放射を止めれば2人そろって奈落の底へ真っ逆さま……下を見る余裕すらないが、今頃は崩落で穴の底は滅茶苦茶になっているだろう。


 もう少し、もう少し……。


 いつまでも、仲間に守られてばかりの俺ではない。


 何のために屋敷で訓練を積んだか―――自分で、自力で生きていくためではなかったか。


 自分たちの自由を守るために、降りかかる火の粉を払い除けるための力を身に着ける。そのために鍛錬を重ねてきたのではなかったか。


 配管の表面を掴み、そこから別の配管へ、反対側の壁面から突き出た鉄骨へ。


 もう少し……というところで、腕から力が抜けた。


「―――」


 ああ、ここまでか。


 ごめんな、クラリス。


 力が及ばなかった……俺はまだ、弱かったのだ。


 ガッ、と後ろから手が伸びた。


 クラリスが穴の縁を掴み、そのまま穴の上へと這い上がっていく。もちろん彼女の尻尾が腰に巻き付いているミカエル君も一緒に、だ。


 穴の上まで上ったところで、俺は床の上に大の字になって転がった。


 身体中が痛み、喉の奥から鉄の味がする。小学校の頃のマラソン大会が終わった後みたいだ……走るのが嫌で、当日に仮病を使って休んだあの頃が懐かしい。


「ごめん、クラリス……」


「あまり無茶をなさらないでくださいな。クラリスのご主人様は、あなたしか居ないのですから」


 ありがとう、と礼を言いながら、ゆっくりと立ち上がった。


 まだ身体中が痛む。脳内の二頭身ミカエル君ズもぶっ倒れていて、会議やお昼寝どころではないようだ。


 とりあえず、後は列車に帰













 バシャ、という水音に、意識が一瞬にして戦闘モードに切り替わる。





 下水道の通路の中。



 

 そこにAKを手にした、さっきの黒騎士がいた。





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