エルダーゴブリン、再び
《さーて、今日も稼いできてもらうぞ。分かっていると思うが依頼の内容をもう一度確認しておく。作戦展開地域はハクビ村郊外の”ガリツィン平原”。村の住民たちが『獣の洞窟』と呼んで恐れている洞窟に、エルダーゴブリンがゴブリンを引き連れて住み着いたのだそうだ。幸い、今のところ村に被害は出ていないが、そろそろ冬になる……冬眠のための食料調達を始めれば村が狙われるのは予想がつくし、冬が終われば繁殖期だ。そうなれば今度は村の食料だけじゃなく、村の女も狙われる。だからそうなる前に駆除してほしい、というのが今回の依頼だ》
一難去ってまた一難、とはこの事か。村の資金源を脅かされたと思ったら次はゴブリン。9月下旬から雪が降り始めるノヴォシア帝国は冬の到来が他国よりも圧倒的に早く、それに伴って動物や魔物たちの冬眠のシーズンも前倒しで訪れる。
そうなれば彼らも冬眠の間の食糧確保のために動き出すのだが、それはゴブリンも同じ事だ。奴らは基本的に雑食とされているが、厳密には”肉食寄りの雑食”と言うべきかもしれない。メインは肉で、止むを得ない場合にのみ野菜やら木の実やらで空腹を紛らわすという。
肉は基本的に動物のものだが、人里に近い場所に巣を構えた群れの場合はこの限りではない。ゴブリン共は人肉も食う。
女は繁殖に、男は食用に……といった具合だ。どちらにせよ、奴らの手にかかれば男女共に絶望的な最期が待っているのは想像に難くなく、今回のように村のすぐ近くにゴブリンの巣が出来た場合は最優先で駆除しなければならない。
しかもその群れの中核が、年齢を重ねてより危険度を増した個体―――エルダーゴブリンともなれば、危険度は一気に跳ね上がる。
洞窟の中での戦闘という事もあり、今回はAK-19にサプレッサーを付けてきた。前も述べたが、俺が銃にサプレッサーを付ける場合の大半は隠密行動が目的ではない。銃声を可能な限り軽減し、味方への指示や聴覚による索敵を妨げないためである。
室内では当然だが音が反響したりするので、特にそういう点には気を配らなければならない。より狭い洞窟の中では猶更だ。索敵の選択肢が1つ減るだけで、生存率は思った以上にガックリと下がるものである。
他に変更した点と言えば、フォアグリップをアングルド・フォアグリップから、一般的なバーティカル・フォアグリップに変更したくらいか。
装備に手を加えたのは、俺よりもクラリスの方だろう。
使っているのはQBZ-97だが、そのシルエットは皆が見慣れた中国のブルパップ式アサルトライフルとは大きく異なっているように見える。特徴的なキャリングハンドルは外されており、代わりにピカティニー・レールが搭載されていた。フロントサイトも、リアサイトの乗ったキャリングハンドルもごっそりと取り外された代わりに、ピカティニー・レールの上にはロシア製ドットサイトのPK-120が乗っている。
ハンドガードも大きく手を加えられており、純正のものからM-LOKタイプのハンドガードに換装されていた。それには既にバーティカル・フォアグリップと、ライトのシュアファイアM600がマウントされており、銃口にはサプレッサーが装着されている。
どちらもサイドアームはPL-15。9mmパラベラム弾を使用する、ロシアの新型ハンドガンである。
ミカエル君、実はエルダーゴブリンを既に単独で討伐済みなのだが、その時に5.45mm弾でも十分に通用するという事は確認している。なので今更5.56mm弾が通用しない、などと言う事にはならない筈だ。
《ミカ、今回は”お客様”も一緒だ。カッコ悪いとこ見せんなよ?》
「分かってるっつーの」
お客様、ねえ。
まあ、今回の依頼も何とかなるだろう、と思いながら獣の洞窟とやらに向かって歩く俺たちを、すっげえ至近距離でまじまじと見つめてくるのはもちろんモニカ。正確には俺じゃあなく、スリングで下げているAK-19の方だが。
「へー、これが例の武器……なんか変わってるわね。マスケットと違ってなんかこう、ごちゃごちゃしてる感じ?」
「こらこら、あんまり触るな。危ないぞ」
安全装置は掛けているので意図せずに発砲するようなことは無いだろうが、それで完全に安全とは言い切れない。マガジンを抜き、薬室から装填済みの弾薬を取り出して初めて銃は安全な存在となるのだ。
引き金に触れようとする彼女の手を制し、ポーチから折り畳んでいた地図を広げた。獣の洞窟はそろそろだと思うのだが……。
「……あれですわ、ご主人様」
クラリスが指差す先に、確かに洞窟があった。
うっすらと雪が降り積もった平原の外れ、そこから大きく突き出た岩場に、巨大なドリルで穿たれたかのような洞窟がぽっかりと口を開けている。近くには動物の骨らしきものも捨てられていて、ここに何かが住み着いているのは明白だった。
いや、よく見ると動物の骨だけじゃない……獣人の骨らしきものも転がっている。犠牲になった村民のものだろうか。
ゴブリンが出てくる気配がない事を確認してから、犠牲者の骨に向かって静かに手を合わせた。こっちの世界にやってきてからというもの、前世の習慣が抜けていない事は多々あるのだが、これもその一つだったりする。
どうか安らかに、と短く祈り、ライトを点灯させてからAK-19を構えた。同じようにクラリスもライトを点灯させ、QBZ-97を構えて臨戦態勢に入る。
セレクターレバーを下段に入れ、セミオートに。
相手は魔物、ヒトと違って意思の疎通も出来ない外敵だ。ならば容赦は不要である。いくら優しいミカエル君でも、魔物は殺さない、などと言うつもりはない。相手が人であれば分かり合える可能性もあるし、そうじゃなくとも命を奪わずに済む事だってある。最悪の場合はまあ腹を括るつもりではあるが……。
とにかく、魔物はその限りではない。最初から殺しにかかって然るべき相手である。
モニカも戦闘態勢に入った。腰に下げている革製のホルダーから魔導書を取り出し、それを左手に持ったまま後ろをついてくる。
あれが彼女の触媒なのだろう。魔術を使用する際に必須となる装備品であり、魔力の増幅装置―――その形状は様々で、素材を使って祈祷を行えば、極端な話だがその辺の石ころでも触媒に姿を変える。
とはいえ、何でもいいというわけではない。破壊力や性能を求めるのであれば、出来るだけ”魔力損失”の小さい素材を使った触媒を選ぶのが理想である。
電気と同じで、魔力にも流れやすい物質と流れにくい物質というものが存在するのだ。触媒に向かって魔力を流しても100%の魔力がそのまま増幅されるわけではない。この時に失われる魔力は”魔力損失”と呼称され、それを定めた数値を”魔力損失係数”と呼ぶ。
今のところ、魔力損失が0%とされている物質はただ一つ―――”賢者の石”のみ。
見た感じではモニカの魔導書はごく普通の魔導書を触媒化したもののようだが、魔力損失の小さい素材のようで、放出される魔力からもそれが感じられた。
微かに、空気の流れが変わる―――頭の上にあるハクビシンのケモミミがぴくりと動いたのが、自分でもよく分かった。それはクラリスも感じ取っていたようで、彼女の目つきがメガネの奥で鋭くなる。
「……どうしたの」
「―――来る」
空気の流れの変化―――肉の腐った臭いや血の臭いが充満する洞窟の中にも、確かに空気の流れはあった。それがまるで、何者かに攪拌されたかのように流れが乱れる……それだけで、何かの襲来を察知するには十分だった。
微かな足音を頼りに、クラリスが先に引き金を引く。シュカッ、と5.56mm弾がサプレッサーから飛び出し、シュアファイアM600で円錐状に照らされる視界の中を突き進んでいく。
やがて、暗闇の中で叫び声が聞こえた。
人間の叫びではない。多少の人間っぽさはあるが、どちらかと言うと獣の唸り声に近い、と言うべきだろうか。人間と獣の中間……何とも形容しがたい叫びだった。
それが合図だったかのように、洞窟の奥から一気にゴブリンの群れが殺到してくる。ここで俺もクラリスに負けじと射撃を開始、動物の骨を棍棒代わりに持っていたゴブリンの眉間を5.56mm弾で撃ち抜く。
「え、え、何それ!? すごいすごい!」
後ろで見ているモニカが、立て続けに弾丸を連発しゴブリンたちを薙ぎ倒していくアサルトライフルの威力を目の当たりにし目を輝かせる。それは別にいいのだが、ゴブリンの数が予想よりも多い。
汎用機関銃でも持ってきた方が良かったのではないだろうか。
情け容赦のない5.56mm弾に被弾し、ぎらりと光る鋭い牙の並んだ口から涎と鮮血を迸らせ倒れていくゴブリンたち。次々に倒れていく死体たちで洞窟の中が塞き止められそうになるが、それでもゴブリンたちは怯まない。仲間の仇を取ってやろうという復讐心か、それとも仲間の死体が流す血で昂ったのか、先ほどよりも興奮しているようにも思える。
少し下がるか―――そう思いながらクラリスに後退の指示を出そうとした次の瞬間だった。
ヒュンッ、と、俺とクラリスの間を冷たい何かが駆け抜けていったのである。
「……水?」
それは水流だった。
太さにして人間の親指程度、ホースから出る水程度の量しかない。しかし透明な状態ではなく、真っ白に染まった状態である事と、周囲の空気を引き裂き流れを変えてしまうほどの勢いから、その水流が限界まで加圧された高圧の物であることはすぐに理解できた。
その発生源は、左手で開いた魔導書を構え、右手を突き出すモニカ。その掌に生じた蒼い魔法陣からだった。
「あたしも見てるだけじゃ面白くないわよねぇ!?」
「はッ、すげえの持ってんじゃん!」
モニカの放った高圧の水流―――なんていう名前の魔術なのかは不明―――は凄まじい威力を秘めていた。傍から見ればただの水流だが、それでも限界まで加圧された水流である。何の変哲もない水であろうと、圧力次第では金属板すら切断する鋭利な刃物たり得るのだ。
水流の直撃を受けたゴブリンの首から上が吹き飛んだ。噴き上がる鮮血すら洗い流す水流の刃を横へと薙ぎ払い、ゴブリンを豪快に掃射していくモニカ。充填された分の魔力を使い果たし、水流が勢いを減じた頃には、襲ってきたゴブリンの数は随分と減っていた。
この機を逃すわけにはいかない。
魔力の再充填に入ったモニカをカバーするため、クラリスと2人で前に出る。あれだけの攻撃を受けたにもかかわらず戦意を衰えさせないゴブリンを、セミオート射撃で的確に撃ち抜く。レティクルの向こうに映るオリーブドラブの皮膚に包まれた、小人みたいな魔物。その頭が5.56mm弾の直撃で弾け、次々に崩れ落ちていった。
よし、いける―――マガジンを交換し、コッキングレバーを引いたところで、大きな足音が洞窟の中に響いた。
地面に倒れ伏すゴブリンの死体まで容赦なく踏み潰す巨大な脚。強靭なそれが支える身体は肥え太った脂肪に覆われていて、ゴブリンのリーダーというよりはトロールを思わせる。ヒグマみたいな体格のそいつが右手に持っているのは、どうやら石を削りだして作った棍棒のようだ。
エルダーゴブリン―――年齢を重ねて強靭な肉体を得た、ゴブリンたちの長。
キリウで遭遇したやつとあまり変わらない。違いと言えば得物を手にしている事か。
『ゴォォォォォォォォッ!』
同胞を山ほど殺された怒りか、それとも縄張りを荒らす外敵への威嚇のつもりか―――いずれにせよ、クッソ喧しい咆哮を発し、戦闘態勢に入るエルダーゴブリン。その足に力が入ったのを、ミカエル君は見逃さない。
シュカカッ、と素早く5.56mm弾を放ち、力の込められたばかりの右足、そのアキレス腱を狙い撃つ。いかに強靭な筋肉と骨格を持つと言えど、大体の身体の構造は人間と大差ない。ならばアキレス腱を切られればどうなるか、その結末も同じであろう。
案の定、巨体がぐらりと揺れた。足から力が抜けてしまったようで、ごろりと右へ転倒していくエルダーゴブリン。洞窟の壁面に背中を打ち付けながら呻き声を発するそいつに、俺とクラリスは容赦なく、フルオートに切り替えたアサルトライフルで弾丸を撃ち込みまくった。
コッキングレバーが後退と前進を繰り返し、エジェクション・ポートから5.56mmNATO弾の薬莢が次から次へと溢れ出る。サプレッサーで銃声を剥奪された味気ない火薬の炸裂音を、地面に落下する金属製薬莢の澄んだ音が慰めるかのように彩っていく。
マガジンに装填された30発分の弾薬を使い果たす頃には、エルダーゴブリンは蜂の巣になっていた。オリーブドラブの表皮を真っ赤な鮮血が染め上げ、ゴブリンたちの親玉はすっかり動かなくなっている。
《目標の撃破を確認。さすがミカ》
「……俺1人の戦果じゃあない」
《分かってるって。それより、ついでに洞窟内も掃討しておけ。管理局スタッフの安全を確保するんだ。うまくいけば報酬の増額も打診できるかもしれない》
それもそうか。
ヘッドセット越しに同じ内容の無線を聞いていたクラリスも、空になったマガジンを交換しながら頷く。
親玉を失った以上、ゴブリン共はもう烏合の衆。掃討はそれほど難しい話でもないだろう。
いつもの手順で再装填を済ませ、奥へと進んで行く。
ただでさえ今回は収入が減ってるんだ、というパヴェルの一言を、俺は聞き逃さなかった。




