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全てが始まった場所


「ほお、こりゃあ見事な角だな」


 以前に討伐したガノンバルドの角を見るなり、裕福そうな身なりの中年男性は顎に手を当てながらそう言った。


 傍から見れば、巨大な大剣の切っ先にも見える大きな破片。一見すると岩なのか、それとも金属なのか材質の判断に困るような質感だけど、これがドラゴンの角―――それもあの征服竜ガノンバルドのものだと言うと、誰もが納得する。


 やっぱりパヴェルの読みは正しかったわね。


 キリウのマーケットに集まる客たちを眺めながら、あたしはそう思った。


 マーケットに出店した血盟旅団の露店には、案の定というべきか多くの客が集まっている。遠方の地で仕入れた品を買っていく客もいるけれど、客の大半の目的はこのガノンバルドの角。討伐事例もそれほど多くはなく、討伐の度に多大な犠牲を強いる強敵、その希少な角とあっては、富裕層は黙っていない。


 露天の前に集まる客の大半は、上質な仕立ての服に身を包んだ裕福そうな客ばかりだった。工場の経営者とか、その辺の貴族だとは思うけれど、中には私服の上に使い古した防具を身に着けた熟練の冒険者と思われる客も何人かいて、どんどんつり上がっていく金額に抗うように高値を提示している。


 他の客に買い取られまいと、後からやってきた貴族たちがどんどん多額の購入代を提示し続けるせいで、あたしたちの露店のところだけオークションの様相を呈していた。


「200万ライブルだ、200万で買うぞ!」


「なに? ならば私は300万だ。これでどうだ」


「なんの、400万だ」


 どんどんつり上がっていく金額に、あたしは笑みを浮かべながら対応する。いやぁ~、これどこまで値上がりするか見ものだわ。売り上げは2割をギルドの運営資金に回して残りはメンバー各員で山分けって事になってるけど、高く売れればそれだけあたしたちの手取りも増えるという事。これは期待できるわね。


 もう既にバスタブを札束で満たせるくらいの資金がウチのギルドにはあるけれど、いっそのことだから今度は札束のプールを目指してみたいものだわ……え、そんなん目指して何するかって? まずねえ、可愛い服を買って、アクセサリー買って、それからそれから……ぐへへ。


「も、モニカの目がお金のマークになってる……」


「ルカ殿、ノヴォシアには除夜の鐘はないのか? モニカ殿の煩悩が凄まじいのだが」


「ええと……モニカさん、そういう人ですから……あはは」


 一緒に色々と品を売りに来ていたルカや、トラブルが発生した時に備えてスタンバイしてる用心棒の範三がドン引きしながらそんな事を言ってるのが聞こえるけど、聞かなかったことにしてあげる。


 世の中金よ、金が全てなのよ。少なくとも今の社会が維持されている限りはね、お金をたくさん持ってる奴が勝者なのよ。


 ルカのケモミミでもふもふしながら、あたしは持ってきた黒板にどんどん更新されていく値段を書き込んでいく。既に1000万ライブルを超え、ここからはもう本当に財力に余裕のある貴族の、札束での殴り合いになっていた。


「2000万!」


「2500万!!」


「3000万!!」


 もうついていけない、と諦めていく冒険者や下級貴族たち。しょんぼりと肩を落としながら帰っていく彼らを尻目に、オークションと化したガノンバルドの角の購入競争は更にヒートアップしていく。


 やっぱり貴族は見栄っ張り、こういう事に関しては本当にいいカモだと思う。


 自分たちはこれだけの財力があるのだ、と周囲に喧伝するために、この手の品は是が非でも手に入れようとするし、使用人にだって立派な服を着せようとする。あたしの実家もそうだったわ。使用人には仕立ての良いスーツやメイド服を、そして良い値段のアクセサリーまで与え、客人にそれを見せびらかすのが母上の趣味だった。父上はあまり良い顔をしていなかったけれど。


 もうこれ性癖でしょ、と思っていたその時、凛とした女性の声が響いた。


「8000万」


「……なに?」


 先ほどまでの熱気が、その女性の声で冷や水を浴びせられたように静かになる。


 静寂の中、前に出てきたのは蒼いドレスに身を包み、片眼鏡をかけた使用人を従えたライオンの獣人の女性だった。黄金の髪はさながら金塊のような美しさで、真っ白な百合の花を模した髪飾りがある。


 気が強そうなその女性はこっちにやって来るなり、ガノンバルドの角を見下ろしながら口元に笑みを浮かべた。


「……状態の良い素材ね」


「はい、討伐の際は細心の注意を払いました」


 嘘だけど。対戦車ミサイルをバカスカ撃ち込んだけど。


 すると周囲にいた他の貴族たちが、ひそひそと話し始めた。


「おい、リガロフ家の妻だ」


「没落したくせに、金だけは有り余っていると見える」


「英雄イリヤーの威光に縋ってるんだ、哀れなもんさ」


 そんな陰口が周りから聞こえてくる。わざと聞こえるように言っているのかもしれないけれど、そういうのには慣れているようで、ライオンの獣人の女性はどこ吹く風といった感じだった。


 というか、今リガロフ家って……。


 まさかこの人が、ミカの実家の……?


 とは思ったけど、よくよく考えてみればミカとこの人に血の繋がりはない。ミカのお母さんはアレーサに居るレギーナっていうハクビシンの獣人であって、この人は形式上母親ということになっているにすぎないのだ。


「ほ、他に値段をつける方はいらっしゃいませんか? いらっしゃらないのならば、8000万ライブルでの落札という事になりますが」


「他には居ないわ、それを売って頂戴」


「は、はい、かしこまりました」


「アンドリー、お金を」


「はい、オリガ様」


 オリガ、と呼ばれた女性に付き添っていた使用人が、手にしたブリーフケースを開けてみせた。


 中には大量の札束が、ぎっしりと詰まっている。


 ミカの実家―――リガロフ家は没落して久しいと聞いていたけれど、それでも公爵の爵位を与えられた一族。没落してもなおその財力は、その辺の貴族のそれを遥かに上回っているらしい。


 何よ、アイツの実家思ったより金持ちじゃない。


「確認しました。ではお手数ですが、こちらに署名サインを」


「ええ」


 書類とサインペンを渡し、署名を貰っておく。後々面倒になるからとパヴェルが持たせてくれたものだけど、確かにこの手の商売で客とのトラブルは絶えない印象がある。後々リガロフ家とゴタゴタになるのを回避するためにも、こういった手続きは踏んでおいた方が良いかもしれないわね。


 向こうもあたしたちのギルド『血盟旅団』が、ミカ率いる冒険者ギルドだという事は把握していると思うけれど、あたしは敢えてミカエルの話はしなかった。アイツは実家から……というか両親から疎まれていたらしいし、ミカは元気ですよ、なんて言ってもこの人が喜ぶわけがない。


 それに、せっかくの成立した取引を不要な一言で台無しにしたくないし。


「署名ありがとうございます。では商品はのちほどお屋敷の方へ配達いたします。16時ごろでもよろしいですか?」


「ええ、構わないわ」


「かしこまりました。では16時にお伺いいたします」


「よろしくお願いするわね」


 そう言い残し、満足そうな笑みを浮かべて踵を返すリガロフ家の奥様。歩く姿はまさに百獣の王、その伴侶といった風格がある(気の強そうなところはミカの一番上のお姉さんに似ている)。


 さて、契約は成立したし、後は時間通りに角を配達するだけでいいわね。


「あれがミカ姉のお母さん?」


「みたいね。とはいっても、血の繋がりはないわよ。ミカのお母さんはアレーサに居るから」


 それにしても、アイツも大変な思いをしてるのねと同情してしまう。


 ミカに非はないのに、生まれただけで疎まれ、存在しないものとして扱われる……そんな絶望的な幼少期の中で、よく世の中を呪うような事にならずに育ったものね。やっぱり、血の繋がった母親からの愛情って大事な要素なのかも。


 それにしても、ミカの奴がマーケットに来なくて良かったと思う。


 もしここにアイツがいて、客としてやってきたリガロフ家の奥様とエンカウントしていたら、きっと一触即発の状態になっていただろうから。


 いきなり飛びかかる事は無いにしても、ミカの中にはきっと、長年の恨みが今もなお残っているに違いない。


 憎しみって、永く残るものだから。


 簡単に水に流せるものではないから。













 

 相変わらず、ここは不潔極まりない。


 バシャバシャと音を立てながら、クラリスと共に下水道の奥へと進んでいく。あの時は自分1人だけ、得物はサプレッサー付きのAKMとトカレフTT-33、あとは当時の触媒の鉄パイプだけだったが、今は違う。


 武器もより閉所での戦闘に向いたものとなり、それを扱う自分の練度も上がったという自負もあるし、何より1人ではない。背中を仲間が、クラリスが守ってくれているというのはこれ以上ないほどの安心感がある。


 ぴょこんとハクビシンのケモミミも伸ばし、周囲の音を拾おうと意識を向けてみるが、しかし聞こえてくるのは水の音だけ。ゴブリンたちが潜伏している様子はなく、今のところは敵が現れる様子もない。


 ぐちょ、と不快な感触をブーツ越しに伝えてくる沈殿したヘドロに顔をしかめつつ、メンテナンス用の足場に上がったところで、暗所に慣れてきたミカエル君の目に随分とグロテスクなものが映った。


「うえ……」


 初めてここを訪れた時、AKMで射殺したゴブリンの白骨化した死体だった。さすがにあれから5年も経っていれば肉は腐り落ち白骨化しているのが当たり前だ。


 頭蓋骨の左半分が割れ、メンテナンス用の足場にうつ伏せに倒れた状態で放置されていたゴブリンの死体。13歳だったあの時、このゴブリンが俺にとっての初めての戦果となり―――同時に、”死の感覚”を教えてくれた存在ともなった。


 もしあの時、奇襲に対応できていなかったらここに転がり白骨化しているのは俺だったかもしれない。あの時の事を思い出しつつそう思うと、手袋越しにAKS-74Uを構える手のひらにじっとりと嫌な汗が浮かんでくる。


「ご主人様、ところで道順は覚えてらっしゃるのですか?」


「あの時は滅茶苦茶に逃げ回ったからねぇ……でもまあ、なんとなーくこっちじゃないかな、って感じはある」


 ハクビシンの勘ってヤツだ。意外と当たるのだ……50%の確率で。


 一応は警戒しながら先へ先へと進んでいく。呼吸の度に抗議の声を上げていた鼻腔も、この腐臭と悪臭の入り混じった下水の空気に慣れてきたところで、ふと足元に大きな穴が開いている事に気付いた。


 元々はマンホールのあった場所なのだろう。メンテナンスされる事もなく、すっかり腐食しきったマンホールは下へと落下してしまったようで、奈落の底まで続く穴がぽっかりと口を開けている。


 ここだ、多分。


「クラリス」


「はい」


 ポーチから発煙筒を取り出したクラリスは、点火したそれを穴の底へと放り投げた。ピンク色の光を放ちながら煙を発する発煙筒が穴の底へ底へと落ちていき、カツーン、と床のタイルに当たる音がここまで反響してくる。


 間違いない、ここだ。5年前、仲間を殺されて怒り狂ったゴブリン共から逃げ回った俺は、このマンホールを踏み抜いて下へと落下し―――誰にも存在を知られる事のなかったダンジョンへと行き着いた。


 しかし、ここをどうやって降りたものか。


 そういえば降りる時の事を考えていなかった。せめてロープでも持ってくればよかったな、と後悔していると、後ろで穴を覗き込んでいたクラリスが、唐突にミカエル君のミニマムボディをひょいっと持ち上げ始めた。


 ん、クラリス? クラリスさん?


「しっかり掴まっててくださいね、ご主人様」


「お、おう」


 むにゅ、とGカップのおっぱいがミカエル君の頭の上に乗る。メイド服越しのそれはとっても柔らかく、しかしずっしりとした重みがあった。前も思ったけど、胸の大きい人って本当に大変だと思う……巨乳を目にする度に目の敵にしているモニカにも忠告してやりたいものだ。「おい、その先は地獄だぞ」と。


 ミカエル君を抱き上げたクラリスは、何を思ったかそのままストレートに穴の中へと飛び込んだ。重力が瞬く間に俺たち2人を絡め取り、穴の底へと引き摺り込んでいく。


「んほぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!?!?」


 腹の下がぞわぞわっとするような、そう、アレだ。ジェットコースターの急降下、あるいは飛行機の着陸直前。あの感触をもっと酷くしたような感覚が全身を包み込み、カジュアルに死を覚悟する。脳内の二頭身ミカエル君ズが一斉に遺書を書き始めるが、しかしすぐにクラリスが手を打った。


 右腕をドラゴンの外殻で覆い硬化したかと思いきや、それを壁面へと思い切り突き入れたのである。


 コンクリートのぶち割れる音に削れる音が連なり、落下していく俺たちの速度が急激に減速していく。身体を自在にドラゴンの外殻で覆う事ができるクラリスだからこそできる芸当だった。


 十分に減速した状態で、穴の底のタイルを踏み締める。


 クラリスに下ろしてもらい、実に5年ぶりにダンジョンの入口へと立った。


 まだ光を発し続けている発煙筒。そのピンク色の光が、【Юэмёвг ёъвэхясыядём(ハルギン国立遺伝子研究所)】と記載された古いプレートを闇の中に浮かび上がらせる。


《おいおいお前ら、大丈夫か?》


「ああ、クラリスのおかげだ」


「ふんす!」


《無茶する奴らだ……まあいい、そこがダンジョンの入り口か》


「ああ、間違いない。これより突入する」


《了解、気を付けろ。中はどうなっているか分からんぞ》


「はいよ」


 ついにここにやってきた。


 俺たちの、全てが始まった場所。


 ここがグラウンド・ゼロなのだ。





 

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― 新着の感想 ―
[一言] これあれだ、某遊園地の恐怖の塔とか、某遊園地の青い落ちるやつとか、授業中に寝落ちしたときの穴に落ちる感覚のやつだ…
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