盟友との別れ
「隊長―――隊長、隊長!」
なんか俺の身体、揺れてる。
地震かな、と思いながら瞼を開くと、そこにはナターシャの蒼い瞳があった。
「ナターシャ……?」
今にも泣き出しそうな顔でこっちを覗き込むナターシャ。あれ、俺は何をしていたんだっけ……と朧げな記憶を辿ってみる。何か哀しいものを見せられていたような、けれども誰かを救った後のような、ほろ苦い感触が自分の中にあった。
頭を振りながら起き上がり、周囲を見渡す。
「全く、君はとんでもない事をする男だね」
呆れたように肩をすくめ、パイプから煙を吹かしながらホームズが言った。
「呪いそのものと化したジャックを敢えて取り込んで、それを抑え込んでしまうなんて」
「いや、それは違うぞホームズ」
「?」
「……ちょっと腹を割って話してきただけさ」
案外、話の分かる奴だった。
彼(彼女かもしれない)の人生はあまりにも短かった。母から生まれ、産声を上げてすぐに、理不尽にも彼の人生は終わりを告げた……母となった娼婦の手によって。
あまりに短く不幸な生涯だったからこそ、安らかに眠って欲しいと思う。
あるいは”生まれ変わり”か。
以前、面白い話を聞いた事がある。東洋には”輪廻転生”という教えが存在するというのだ。生涯を終えたすべての生命は、やがてまた別の生命として生まれ変わるという信仰である。
もしジャックが生まれ変わるというのなら、来世こそは幸多い人生を歩んでほしいものであると願うばかりだ。この事件に挑んだ者として、そしてジャックの最期を看取った者として、そう思わずにはいられない。
まだ腕の中には、微かに彼の感覚が残っていた。
憎しみが晴れ、光となって消えていくジャック。
あの光は、随分と暖かかった。
まるで母親に抱きしめられているかのような……。
次の瞬間、顔に柔らかい何かが押し付けられて、マカール君の意識は嫌でも己の内から外へと向けさせられてしまう。
制服越しに伝わるOPPAIの感触。廃病院の地下にやってきた中で、こんなにも柔らかくてご立派でデカァイ胸をお持ちの方は1人しかいない。そう、ナターシャである。
FかGくらいある胸が、マカール君の顔面に押し付けられていた……というか、彼女に抱きしめられていた。
スモールサイズのマカール君に対して、女性基準でラージサイズのナターシャが抱き着いているのだから、身長差の関係でどうしてもこうなってしまう。気まずくなってホームズの方を振り向くと、彼とワトソンはすっげーわざとらしく後ろを振り向いて「さあ事件の整理でもしようかワトソン君」なーんてやりとりをしてやがる。
「え、ええと、ナターシャ?」
「ありがとうございます、隊長」
ぎゅっ、と腕に入る力が強くなった。
「隊長が私を救ってくださったのですね?」
「い、いや、まあ……あはは」
なんだこれ、めっちゃ恥ずかしい。
そう言えば、家族以外の異性にこんな風に抱きしめてもらうのはこれが初めてかもしれない。ちなみに家族も含めるとなんだかんだでマカール君の事を一番抱きしめてくれているのはエカテリーナ姉さんである。母上よりも俺の事を抱きしめてくれたので、実質エカテリーナ姉さんがママである。オギャア。
「あなたがいなかったら、私は今頃……」
「本当に、ナターシャが無事でよかった」
嘘偽りのない、素直な言葉が口から漏れた。
途端に恥ずかしくなってしまうが、紛れもない事実だ。
彼女がこうして、無事でいてくれたことでどれだけ安堵したか。ジャックにさらわれ、憑りつかれてナイフを向けてきた時にどれほど絶望した事か。
そういう経験をしたからこそ、分かる。自分自身が彼女の事をどう思っているのか。
彼女の背中に手を回して抱きしめ、顔を上げた。
仕事中では滅多に見られない、ナターシャの笑顔。
ああ、今日はレアな体験をしたなぁ……思わず彼女の笑顔に見惚れるマカール君の後ろでは、ホームズとワトソンが「さあ、外の風でも浴びようか」などと言いながら地下の手術室を後にしていくのが見え、こいつら空気読むの上手いなあ、と感心してしまう。
2人の足音が遠ざかっていってから少しして、俺とナターシャは静かに、互いの唇を重ねた。
背の高いナターシャとのキス。スモールサイズのマカール君は頑張って背伸びして、やっとキスができるという状態だった。おかげでいきなり伸ばした足が攣りそうになったけど。
甘酸っぱいキスを交わした後、静かに唇を離して笑みを浮かべる。
とにかく、これで全ては終わったのだ。
キリウに、そしてイーランドに、再び平和が訪れる。
「さあ……帰ろう、ナターシャ」
「はい、隊長」
みんなが待ってる。
「面会時間は10分です。室内でのやりとりは全て録音させていただきます」
「了解」
警備兵に敬礼してから、面会室の扉を開けた。穴の開いたガラスの向こうに、私服姿で座る女性―――マルーシャ・ダニレンコがいる。
今回の切り裂きジャック事件の容疑者として逮捕された彼女だが、起訴するべきか否かで、憲兵隊上層部でもかなり揉めているのだそうだ。第5の事件が発生しなければそのまま起訴、彼女こそが切り裂きジャックの正体として世に喧伝されていただろう。
しかし、犯人である筈の彼女が逮捕されている間にも、全く同じ手口の犯行が行われ犠牲者が出た……さらに俺たちの捜査でその正体が人間ではなく怪異の類である事が証明されると、上層部は容疑者を誤って起訴する可能性を畏れ、お茶を濁すようになった。
憲兵隊上層部もなかなかのものだ。自分の椅子と名誉を守ることしか頭には無い。あれでは末端がどれだけ市民のため、国民のためと身を削って頑張っても意味がないような気がする。
だから決めたのだ。このまま出世して権力を握れるようになったら、そんな腐りきった上層部を一掃してやると。
そのためにも、まずは目の前の事をきっちりとやらなければ。
ナターシャと一緒に面会室に入り、椅子に腰を下ろす。切り裂きジャックの正体という事にされていたマルーシャは、俺たちの姿を見るなり心配そうな顔をしながら問いかけてきた。
「あ、あの……事件、どうなったんです?」
「解決しましたよ」
見せてやってくれ、とアイコンタクトすると、ナターシャは抱えていた茶色い封筒の中から資料を取り出した。
臨時で編成された憲兵隊怪異対策課の連中に協力してもらい、事件現場で発見された魔力の痕跡と、俺の体内に残っていた切り裂きジャックの呪いを比較してもらったグラフが印刷されている。折れ線グラフで表示されたそれは、知識がなければ分からない記号たちと一緒に、この一連の事件の真相を物語っている。
「ええと、これは……?」
「事件の犯人は怪異の類でした。幽霊が人間を操り、あんな凄惨な殺人事件を引き起こさせていたんです」
「ゆ、幽霊?」
「ええ。こちらが貴方が関わったとされる現場から採取された魔力の痕跡。こちらは隊長の身体を乗っ取ろうとした幽霊の魔力の波形です。多少の差異はありますが、綺麗に一致しています」
「じゃ、じゃあ……」
希望を見出したマルーシャの顔に笑みが浮かぶ。
「ええ、貴女に犯意があったとは認められません。この証拠は既に上層部に提出済みです。近いうちに不起訴になって釈放されるでしょう」
「……あ、ありがとうございます!」
彼女の目には、涙が浮かんでいた。
そりゃあ理不尽な話だろう。自分は幽霊に取りつかれて犯罪の道具に使われていただけ。それで憲兵隊に逮捕され、罪を犯したという自覚もなくあのまま起訴されていれば懲役15年くらいの実刑判決が下っていた筈だ。
それに、怪異が犯人の正体だったと知らなかったとはいえ、彼女を逮捕して苦痛を与えてしまったこちらの落ち度でもある。これでキッチリとケジメはつけた……つもりだが、これで大丈夫だろうか。
「この度は大変な思いをさせてしまい申し訳ありませんでした」
自分の無罪が証明されて涙を流すマルーシャ。彼女にそう謝罪してから、俺とナターシャは面会室を後にする。
今頃、提出した資料は上層部にも届いている筈だ。
ノヴォシアの刑法には『犯意不十分』という規定がある。魔術による洗脳や今回のような怪異に憑依された状態で罪を犯してしまった場合、犯人に犯意が無いと認めるに値する証拠が出てきた場合、罪に問われないというものである。
今回の事件の犯人がイーランドで娼婦に殺された赤子である事、そしてその魔力波形が俺に憑りついたものと現場に残されていたものが一致した事から、マルーシャはあくまでも幽霊に憑依されていて、犯意がなかったと証明することはできるだろう。
上層部としても、ただ幽霊に操られていただけの人間を犯人に仕立て上げ、憲兵隊の名誉を失墜させるような事だけは防ぎたいはずだ。
いずれにせよ、マルーシャは犯意不十分で不起訴となり、釈放されるだろう。
これでロードウとキリウを震撼させた、娼婦連続殺人事件……通称『切り裂きジャック事件』は幕を下ろした、というわけだ。
「終わりましたね、隊長」
「ああ……でも書類仕事とか山ほどあるぞ」
「ふふっ、いくらでもお手伝いしますよ隊長。私はあなたの副官なんですから」
「ありがとう、助かる」
廊下を歩きながら、そっと彼女と手を繋いだ。
俺は本当に―――部下にも、副官にも恵まれたと思う。
それにしても、この事件は本当に悲しい出来事だった。
子供というのは、両親に誕生を望まれて、祝福されて生まれてくるものだ。生まれてきてくれてありがとう、という親からの気持ちを、愛情として受け取って育っていくのだ。
しかし世の中には、望まれずに生まれてしまう子もまた存在する。
願わくば、そのような哀れな子供たちが、生まれてきた意味を見出すことができるようにと祈るばかりである。
この5年後、猛反対する母上を説得した俺はナターシャと結婚する事になる。
その際、生まれて来た子に『ジャック』という名前を付けるのだが、それはまた別の機会に話そう。
「寂しくなるな」
荷物を手に、発着場で主を待つ飛竜に乗り込もうとするホームズにそう言うと、彼は煙草の火を消しながらこちらを振り向いた。
短かったが、彼と一緒に仕事をするのは貴重な体験だったし、新鮮だった。
今回の事件、もしホームズとワトソンのサポートがなければ、解決までは至らなかっただろう。マルーシャを逮捕して起訴、そして事件の裏側に隠されたジャックの正体とその哀れな出自を知らずに、一連の事件は幕を閉じていたに違いない。
できるならばずっとこっちに居てほしい、という思いもあるが、そうもいかない。今回俺たちがホームズを必要としたように、彼らの祖国である聖イーランド帝国も、この2人を必要としている。
ホームズの推理に、終わりなどないのだ。
「なあに、またいつか会えるさ」
「今度はぜひ、イーランドへいらしてください。料理はちょっとアレですが……紅茶とケーキは絶品ですよ」
料理のところでちょっと言葉を濁したワトソンだけど、その話は有名だ。
イーランドの食事はあまり美味しくないらしい。向こうではウナギをゼリーみたいに固めて食べたりする、と聞いてちょっと引いたが、しかし紅茶が美味しいというのはなかなか楽しみな話だ。
2人がイライナでの食事で感激していた事を思い出し、そんなレベルなのか、とちょっとばかりイーランドの料理に思いを馳せながら、ホームズに向かって右手を差し出した。
今、ノヴォシア帝国と聖イーランド帝国は緊張状態にある。北海と大西洋の制海権を巡って、小競り合いが続いているのだ。最近では新造戦艦『インペラトリッツァ・カリーナ』が聖イーランド艦隊相手に初陣を飾ったという話も出ていて、このままでは海の向こうの海軍国家と開戦に踏み切るのではないか、という憶測も出ている。
下手をしたら、これがホームズとの最初で最後の出会いになるかもしれない……だが、もしかしたらまた会えるかもしれない、という希望も捨てたくないのは事実だ。
また会おう―――その思いを込めて右手を差し出すと、ホームズも笑みを浮かべながらその手を握り返してくれた。
「―――見事な推理だったよ、マカール」
「名探偵にそう言ってもらえるとは光栄だな」
「はははっ。もし機会があったら、今度はイーランドまで旅行に来ると良い。その時は街を案内しよう」
「ありがたい。その時はぜひ頼むよ」
新婚旅行先なんかに良さそうだな、イーランドは。その頃には今の緊張状態もマシになっていると良いんだけど。
というか、国際情勢がそんな時によくイーランドから伝説の名探偵を呼び寄せられたものだ。要請を担当した兄上の手腕には脱帽である。
これからホームズとワトソンは、飛竜でアルト海に面した都市まで移動する事になる。そこから船に乗り換えて、アルト海を越え大西洋を横断、聖イーランド帝国へと帰国する予定だ。
「それとマカール。これ、ありがとう」
そう言いながら、ホームズはイライナハーブの入った瓶を取り出した。
ワトソン曰く、ホームズはイライナハーブと紅茶の茶葉をブレンドして飲むのが好きなのだそうだ。そんな彼のためにと、イライナ地方の特産品でもあるイライナハーブを土産にとプレゼントしたのである。
「本場の味を楽しんでくれ」
「ああ、そうする。……それじゃあ、元気でいてくれたまえ」
飛竜に跨るホームズ。竜騎士が手綱を握ると、見送りに来ていた憲兵隊が一斉に敬礼で彼らを見送った。
俺も踵をそろえ、右手で敬礼する。
ホームズとワトソンを乗せた2体の飛竜は、竜騎士の操縦で一気に天高く舞い上がっていった。
2つの影は瞬く間に雲を越え、青い空の中へと消えていく。
その後ろ姿がすっかり見えなくなるまで、俺たちは敬礼を続けていた。
「……さーて、憲兵諸君。今日も仕事が山ほどあるぞ」
敬礼を終えて後ろを振り向きながら、そう告げた。
俺たち憲兵の仕事にもまた、終わりはない。
こうしている今もまた、この国が俺たち憲兵を必要としている。
犯罪者に魔物……そして時々怪異。
相手にしなけりゃならん相手が山ほどいるのだ。
だから俺たちは、義務を果たし続ける。
キリウの市民が、そして国民が、安寧を謳歌できるように。
この平穏が、末永く続くようにと祈りながら。
第十五章『マカール隊長の事件簿』 完
第十六章『世界の真実』へ続く
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