怨念はただただ深く
「おそらくだが、切り裂きジャックの正体は赤子の霊だ」
一連の事件で得た情報を総括して結論を導き出すと、ホームズ以外の仲間たちは、まるで『ウチの隊長はいきなり何を言い出すんだ』とでも言わんばかりにぽかんとした表情で、黒板の前に立つ俺を見つめてくる。
確かにいきなりこんな事を言えば、ついに激務で頭がおかしくなったと思われても仕方があるまい。しかし、そうとしか思えないのもまた事実である。
切り裂きジャックが狙うのは、客に人気の娼婦ばかり。一週間、二週間先まで予約で埋まっているような、それこそ一日に何人もの男を”相手”にするような娼婦だ。
もちろん彼女たちも、妊娠してしまわないよう抑制薬を服用している。しかし現代の医学ではあくまでも『妊娠の確率を抑制する』のが精一杯で、完全に妊娠を防ぐことは不可能というのが現状である。
つまり客を多く相手にする娼婦は、いくら規定量の抑制薬を服用していても妊娠してしまう確率が上がる、というわけだ。
切り裂きジャックは、そういう娼婦を心底憎んでいる。
ここからは推測になるのだが―――奴の正体は、【娼婦に殺された赤ん坊】なのだ。
客に人気の娼婦であればあるほど、妊娠という問題からは逃れられない。過去にも客との間に子供を身籠ってしまった娼婦が、生まれたばかりの赤子を殺害してしまう事件が発生しているし、そういう悲惨な事件を俺も担当してきた。
大半は中絶手術を受けるが、しかし金を使い込んでしまっている娼婦はそうもいかないケースがあるのだという。
そしてそれは、イライナだけではなくイーランドも例外ではないらしい。
「ナターシャ、子宮は何のための器官だ?」
「それは……子供を身籠るための器官です」
片手をお腹に当てながら答えるナターシャ。ワトソンとイヴァン、ユーリーの3人はそれがどうしたんだ、とでも言わんばかりの表情でこっちを見ている。
「そう、子供だ。犯行の度に遺体から切除されている子宮……それは殺された赤子の霊なりの復讐だったんだ」
「復讐……」
顎髭に手を当てながら、ワトソンがそう呟く。
「普通の子供は親に望まれて生まれてくる。そしてみんなから祝福されるんだ。生まれてきてくれてありがとう、ってな」
俺もきっとそうだ。両親はあんな感じで、どうせ権力向上のための駒としか見ていないのだろうが……しかし望まれた理由がそんな歪であっても、望まれて生まれた命に変わりはない。
じゃあミカの奴はどうなんだろうな、と考えが至り、哀しくなった。
アイツは……アイツは望まれて生まれた命とは言えないのかもしれない。ただ、その分レギーナが母として愛情を注ぎ、祝福してくれた。だからミカエルは歪まずに済んだのだろう。
結局のところ、子供に必要なのは父親ではなく母親なのだ。
しかしそんな母の愛も受けられず、望まれもしないで”生まれてしまった”生命というのもまた、存在する。
「しかしジャックは違う。奴は望まれもしなければ、母からの愛情も受けられなかった。娼婦と客、一晩限りの関係の副産物として生まれてしまった赤子……そんな境遇で、存在そのものを否定されれば憎みもするさ。さぞ憎いだろう。それこそ殺してしまいたい程に。”私は貴様らを許さない”と声高に、世界に恐怖を広げたくなる程に」
これは存在そのものを否定された小さな生命の、世界を相手にした復讐なのだ。
自分を生み落としておきながら、しかし存在を否定した世界への復讐。自身を生み落とした娼婦への復讐。世界を、大都市をキャンバスに見立て、紅い血の文字を刻む赤子の怨霊の復讐劇。
開演のベルは、イーランドで鳴らされた。
だから終演のベルをこのイライナで鳴らさなければならない。
終わらない物語など、存在しないのだ。
復讐劇もまた、その例外ではない。
「じゃあ、昨晩の事件は娼婦の犯行ではないと?」
「ああ。実際、気を失った彼女の身体から霊が逃げていくのを見た」
気を失い、崩れ落ちていく娼婦の頭から離脱していった黒い煙のような何か。おそらくはアレが切り裂きジャックの本体なのだろう。ああやって他者に憑りついて、この凄惨な犯行を繰り返していたのだ。
どうりで逮捕したマルーシャ・ダニレンコが必死に容疑を否認するわけだ。
取り調べだけでなく噓発見器にもかけたし、上層部からの許可を得た上で自白剤も投与した。しかし噓発見器の判定では彼女は嘘をついておらず、自白剤も効果がないという、誤認逮捕の可能性を疑わせる結果となったらしい。
今、上層部で彼女の扱いについて揉めに揉めているところだ。彼女をシロとして釈放するか、しかし凶器が見つかっているのだからクロと判断して裁判にかけるべきだという2つの意見が真っ向から対立している。
「ともあれ、この件はまだ極秘で頼む」
キリウ憲兵隊即応団の出世頭が、ついに激務で精神を病んだと言われても困る。マカール君のキャリアに傷がついてしまうからな……こらそこ、既に傷だらけとか言わない。
まあ、霊が絡む犯罪というのも存在するし、そうなった場合の刑法もちゃんと規定されているのだが。
とりあえず今日はもう、夜遅い。
敬礼をしてから、部下たちに解散を命じた。日誌を付けてから各自で帰宅するように、と付け足してから捜査本部を出ると、後ろからホームズに呼び止められる。
「中佐殿、どこへ?」
「ちょっと、マルーシャと話をしに行く」
許可は取ってあるよ、と言ってから、捜査本部を後にした。
「面会時間は10分です。念のため、室内でのやりとりは全て録音させていただきます。ご了承ください」
夜間の警備を担当する憲兵にそう言われ、頷いてから中に入った。
小さな穴がいくつか開いた、分厚いガラスに遮られた部屋の中。ガラスの壁の向こうには私服姿(まだ拘留中なので囚人服は着ていない)のマルーシャが居て、縋りつくような視線をこっちに向けている。
「憲兵さん……私……」
「ダニレンコさん、私の質問に正直に答えてください」
「……?」
俺が確認したいのは、彼女に犯意があったかどうかではない。
噓発見器も自白剤も効かず、さらにはあんなものまで……怪異の正体まで見せつけられてしまっては、彼女に犯意があると考えるのは不可能である。そんな事よりも、俺が確認したいのは犯行の際に彼女の”中に入っていた”奴の事だ。
「……最近、赤ん坊の泣き声や笑い声が聴こえた事は?」
問いかけると、マルーシャは目を見開いた。
「あ、あります! 赤ん坊の笑い声が聴こえたかと思うと、私はいつの間にか庭に居て……服も血塗れで、それで……その前の記憶が無いんです。娼館でお客さんの相手をしていて、それから……それから思い出せなくて……」
「……なるほど」
「あの、それが何か……?」
「もしかしたら、貴女は”犯意不十分”で不起訴になるかもしれない」
「本当ですか……!?」
「ええ、希望はあります。貴女を逮捕しておいてこう言うのもおかしな話ですが……悪いのは貴女ではありません。それを証明するために全力を挙げて捜査します、どうか希望を捨てないで」
ノヴォシアの刑法には、”犯意不十分”という規定がある。
要するに、容疑者にその犯罪を起こそうという意志が認められなかった場合に適用され、不起訴や裁判での無罪、あるいは減刑の材料になる要素だ。
犯意不十分なんて名前になっているが、具体的には【魔術や霊的なものに操られ、自分の意思とは無関係に罪を犯してしまった場合】に適用される規定だ。まあ、これはそういう魔術、霊的なものによる洗脳を立証する必要があるのだが。
マルーシャにそう言い、面会を終えた。
警備兵に敬礼してから、憲兵隊の本部を後にする。
夏の夜……といっても、ここは極寒のノヴォシア帝国。昼夜の寒暖差は砂漠ほどではないがかなり大きくて、日によっては吐いた息が白く濁る事もある。
今夜は少し肌寒いな、と思いながら厳戒態勢のキリウを歩いた。道中、ルーフの上にガトリング砲を設置した武装パトカーのサーチライトで照らされたりしたけれど、身に纏う憲兵隊の制服が俺の身分を証明してくれているから、そこからガトリング砲を向けられながらの職務質問という流れにはならずに済んだ。
この一連の娼婦連続殺人事件、通称『切り裂きジャック事件』は解決に向かいつつある。
最大の問題は、キリウのどこかを彷徨っている赤子の霊をどうやって排除、あるいは鎮めるかだが……標的の選定の基準が分かった以上、こちらから網を張って待ち受ける事は容易くなった。
やがて、キリウ市街地に佇む実家が見えてくる。
正門前で警備している警備兵(リガロフ家の私兵だ)を労いながら門を開けてもらい、中へと足を踏み入れる。まーた母上がお見合いの話でも持ち込んでくるんじゃあないかと少し身構えていたんだけど、マカール君を待ち受けていたのはメイドの1人が差し出した手紙だった。
「これは?」
「……」
手紙を差し出したメイドは、複雑な表情を浮かべていた。
何と言うべきか困惑している、と言うべきだろうか。
首を傾げながら手紙の裏面を見てみると、封筒の隅に『ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフ』のサインがあって、メイドの表情の意味を理解する。
リガロフ家では、ミカエルは”存在しない子”として扱われている。
だから公式には、リガロフ家の子供はアナスタシア、ジノヴィ、エカテリーナ、そしてこの俺マカールの4人のみ。
メイドたちも、間違ってもミカエル”様”などとは言えないのだ。
例の一件ですっかり懲りたであろう父上はともかく、今なおミカの存在を否定し続ける母上にそんなところを聞かれようものならばどんな叱責が待っているか、考えただけで嫌になる。
メイドたちの大半は農村からの出稼ぎだから、貴族からすれば簡単に首を切れるのだ。替えはいくらでもいる―――「メイドは農村から採れる」のだから。
中身を見てみた。
ミカの奴、ミリアンスクからこっちに向かっているらしい。目的地はキリウ、そして南方のアレーサ。里帰りでもするつもりだろうか。
アイツの活躍は、遠く離れたキリウにも轟いている。曰く『リガロフ家の庶子がBランク冒険者に飛び級した』、『”雷獣”の異名付きになった』、『ガノンバルドをギルド単独で討伐した』……挙げればきりがない。
庶子として切り捨て、存在そのものを否定され続けてきたミカが、図らずとも外側からリガロフ家の名声を高める事になるとは何たる皮肉だろうか。
そういう事情を抜きにしても、久しぶりに妹が帰ってくるのだから兄としては嬉しいものである。アイツ甘いものが大好きだし、お菓子でもたっぷり買い込んで帰りを待っていようか……いや、実家には戻ってこないかもしれないし、どうしようかな。
まあいいや、後で考えよう。とりあえずコレは姉上たちや兄上にも知らせなければ。
ミカエルが帰ってくる―――みんな喜ぶはずだ。母上以外は。
「ありがとう」
「マカール様、御夕食はいかがなさいますか」
「軽く食べるよ。何かあるかい?」
「はい。午後にアレーサからイクラが届いています」
「じゃあそれを貰おう。準備が出来たら呼んでくれ」
「かしこまりました」
もう夜遅い。あまりガッツリ食べ過ぎては明日に響く。
自室に戻り、ベッドに横になった。
ミカが戻って来るまでには、この事件を片付けたいな……そんな思いが頭に浮かんできた。
「おはようみんな」
「おはようございます中佐」
「おはよッス~」
生真面目なユーリーの声と、上官相手にフランクなイヴァンの挨拶。親の声より聴いた部下たちの声だが、しかし今日は1人足りない。
ホームズとワトソンはというと、キリウでの生活にもすっかり慣れたようで、俺より早く捜査本部の席については優雅にハーブティーを飲んだり、パイプから煙草の煙を吹かしたりしている。
この光景を見れるのもあとちょっとか、と思いながら、視線をナターシャの席に向けた。
あんなに真面目でしっかりしているナターシャが、今日は珍しく遅刻だろうか。もう勤務開始時間を過ぎている。
いつも詰所に一番乗りして、出勤してくる俺たちに紅茶を用意してくれている彼女が遅刻とは珍しい。
「あれ、ナターシャって今日休みだっけ?」
「いえ、出勤になってる筈ですが」
「有休じゃないッスか?」
「んなわけあるか。いつも一番乗りしてる我が隊一のしっかり者だぞ」
事件の捜査中に有休? あの真面目なナターシャが?
いや、おかしい……そんな筈はない。
ぞくり、と嫌な予感が頭の中を駆け巡る。
外れてくれ、外れてくれと強く願う嫌な予感ほど、それは的中するものだ。
ホームズと目が合うと、彼は静かに頷いた。
「あっ、隊長!」
「ホームズ!」
「ワトソン君、車を出してくれたまえ」
「いきなりどうしたんです?」
「嫌な予感がする……中佐殿もだそうだ」
そう言いながら後ろをついてくるホームズと、困惑しているワトソン。
その2人を尻目に、俺はただ願う事しかできなかった。
ナターシャの身に何もありませんように、と。




