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殺意、憎悪、メッセージ


 このご時世に、みんな元気なこった。


 待合室で待つ男共を見渡し、マカール君は素直にそう思う。キリウを連続殺人犯シリアルキラーが騒がせていて、次はどの娼婦が犠牲になるかも分からないというのに、待合室は仕事帰りと思われる冒険者たちで一杯だった。


 全員、憲兵隊の巡回を掻い潜ってここまで来たのだろうか。


 知っての通り、今のキリウは厳戒態勢だ。武装したパトカーやライフルマンを乗せた飛竜が街の大通りや上空を巡回していて、更には夜間の外出規制までかけられている。ラジオでも新聞でもその旨は周知しているし、街中にポスターも掲示しているというのにコレである。 


 憲兵隊の対策がガバガバなのか、それとも男共の性欲が国家権力すら押し退けてしまうほどに強力なのか、あるいはその両方か。


 呆れながらも、待合室の入り口にある予約表を見た。


 イヴァンの言っていたオリガとかいう女の子は、確かに大人気なようだった。この娼館は朝の4時まで営業しているようなんだが、オリガとかいう黒猫の獣人の女の子(というかこの店の女の子はみんな黒猫の獣人ばかりだった)は一週間先まで予約でいっぱいだった。


 大変だろうが、しかしこれだけ客が取れれば大儲けだろう。


 なるほど、確かにこれほど男を相手にするような娼婦を、切り裂きジャックジャック・ザ・リッパーが放っておくはずがない。


 しかし、果たして切り裂きジャックジャック・ザ・リッパーは現れるのだろうか。仮に現れたとして、その正体が人間ではなく怪異の類だったら俺たちで相手になるのだろうか?


 一応、待合室の椅子に座って腕を組んでいるホームズは『怪異の類とは戦った事がある』そうだが、しかしワトソン曰く『怪異でも何でもなかった』のだそうだ……大丈夫だろうか。


 心配になってきた、本当に。


「次のお客様、どうぞ」


 下着姿のような、際どい格好の女の子が次の客を呼びに来る。待ってましたと言わんばかりに立ち上がった客を見送り、隣に座るホームズの方を軽く肘で突いた。


「なあ、本当にヤツは現れるのか?」


「私の推理通りならね」


 推理、ねえ。


 とりあえず、彼の推理とやらに置いていかれないように、これまでの事を頭の中で整理しておく。


 まず、切り裂きジャックジャック・ザ・リッパーの標的は娼婦。それも、客に人気の娼婦ばかりを狙っている事。


 犠牲になった5人も、一週間や二週間先まで予約で埋まっているような、人気のある娼婦だったそうだ。しかし共通点といえばそれくらいで、殺害された娼婦は冒険者向けの低価格の娼館で勤務する者から貴族向けの高級店で働く娼婦まで、そこは一貫性がない。とにかく多くの客を取っている娼婦である事が標的の選定の条件のようだ。


 ここまで考えが至ったところで、ホームズからの問いが頭の中に浮かんでくる。


 ―――なぜ、犯人は女性の子宮ばかりを切除しているのか。


 狙われる娼婦、切り取られる子宮、そして壁に残された血の文字。


 『私は貴様らを許さない』―――相当な憎しみがある事が考えられるが、しかし客を多く取るような娼婦に恨みを抱くなんて、一体何者なのか?


 真っ先に頭に浮かんでくるのは客だ。娼婦も”こういう仕事”なので、客によってはトラブルにもなる。実際に客とトラブルになった娼婦、あるいは店の方から通報を受けて憲兵が出動したなんて事もちょくちょくある。


 他には何かないか?


 客を多く取る娼婦を心底憎むような……。


『ねえ、聞いた? イリーナ妊娠しちゃったんだって』


『え、最近休んでると思ったら……どうするのよ』


『知らないわよ。あの子独身だし、間違いなく客との子でしょ?』


 廊下の方から、娼婦同士の会話と思われる声が聞こえてくる。しかもその内容は、この業界の闇を感じさせるようなもので、思わず腕を組みながら顔をしかめてしまう。


 これもイヴァンが言ってたことだ、決してマカール君が調べたりした事ではないと事前に断っておくけど、娼婦も妊娠しないように事前に薬(妊娠抑制薬という名称で販売されているものだ)を服用して仕事をしているのだそうだ。しかし確実に妊娠を防ぐ代物ではなく、あくまでも妊娠する確率を抑制する薬品だから、相手にする客が多ければ妊娠してしまう確率は上がってしまう。


 だから人気の娼婦が急に仕事を休んだらつまりはそういう事……らしい。


 そういや娼婦がらみでかなーり痛々しい事件を前に担当したことがある。妊娠して赤子を産んだ娼婦が、その赤子を殺害した事件だ。なんでもその娼婦は金をだいぶ使い込んでいたようで、中絶のために支払う費用を用意できなかったらしい。


 赤ん坊を育てるつもりもなかったらしく、ストレスもあって殺害に至ったのだそうだ……生まれて来た赤子には何の罪もない。ただただ理不尽で凄惨な事件だったのは、今でも覚えている。


 妊娠したそのイリーナという娼婦が、同じ事件を起こさない事を祈るばかりだ。


「……」


「ホームズ?」


 さっきの話を聞いてから、ホームズの表情が険しくなった。


 まるで悪い予感が当たってしまったような、そんな表情である。


「中佐殿、さっき私は”なぜ女性の子宮ばかりが切除されるのか”と君に聞いたね?」


「ああ」


「ヒントをあげよう。子宮は何のための器官なのか?」


「何って、子供を……まさか」


「……もしそうなら、これは相当哀しい事件になるね」


 パイプを口に咥え、マッチで火をつけるホームズ。彼が吸っている煙草の煙の臭いが、基地で吸っていた煙草とは違う。女性が嫌がるような煙草の臭いではない……吸い込んでいるだけでリラックスするような、荒ぶる心を落ち着かせるような、そんな香りだった。


 それはまるで、全貌が見えつつあるこの事件の終着点、そこに待ち受けているであろう哀しい結末を受け止めるための準備にも思えた。


 身体的特徴の観点から言えば、子宮は女性を象徴する部位の一つだ。


 殺害した女性からそれを切除するという行為は、犯人が単なるサイコパス(頭おかしいやべーやつ)である可能性を除外すると、何かのメッセージを伝えようとする行為に他ならない。俺は、私は、僕はこれだけ憎んでいるんだぞと大声で喧伝するに等しい。


 憎悪や怨嗟でそんな犯行に及ぶとすれば、過去に娼婦と何かしらのトラブルを抱え怨みを抱く客か、あるいは―――。


『―――きゃああああああああああああ!!』


 そんなマカール君の思考は、唐突に響いた女性の金切り声で遮られた。


 半ば反射的に、俺とホームズは待合室を飛び出した。叫び声が聞こえた部屋をノックするが、聞こえてくるのは娼婦の怯える声だけだ。


 内側から開けてもらえるのは期待できない―――そう判断するや、ホームズのすらりとした長い足が槍さながらに突き出され、落ち着いた色合いの扉を強引に蹴破っていた。


 バガァンッ、と扉が吹き飛ぶようにして開くや、アロマの香りに鉄にも似た異臭の混じった、何とも言えない臭いが溢れ出た。


 部屋の中には怯える黒猫の獣人が座り込んでいて、震えながらベッドの方を指差している。恐怖に抗いながらも何とか、何が起きたのかを必死に伝えようとしてくれているのだろうが、しかし俺たちの視線は最初からそこへと向けられていた。


 ベッドの上に、まるではりつけにされたように縛られている女性。喉は切り裂かれていて、腹は切り開かれ内臓が覗いてる。そして壁にはやはり、『私は貴様らを許さない』とイーランド語で書かれた血の文字が。


 殺害されているのは、案の定オリガだった。この店で一番人気の娼婦が、こんな無残に殺されるなど……。


 張り込んでいたのに事件を防げなかった無念さが、胸の中に込み上げてくる。


 そんな視界の端、窓の向こうで何かが動いたのを、俺は見逃さなかった。


「ホームズ、追うぞ!」


「待ちたまえリガロフ中佐、危険だ!」


 彼の制止を振り切り、窓をぶち破って外に出た。


 やはりそうだ、目の前に人影が見える。暗闇のせいではっきりとは見えないが、身体の輪郭からして女性だろう。猫のようなしなやかな動きで人気のない路地を突っ切り、乱雑に積み上げられた木箱や樽を足場に跳躍して、一気に建物の屋根の上へ。


 逃がすものかと、俺も後に続いた。木箱を足場にして力を込め、全力で跳躍。屋根の縁に手を引っかけながらよじ登り、建物の屋根の上を全力疾走する犯人を追う。


 くそったれ、こういう時ミカエルの奴だったらもっと速く追いかけてただろうに……。


 ハクビシンの獣人として生まれたが故なのか、それともアイツの素質なのかは分からないけれど、ミカエルはこういうのが得意だった。軽々と屋根の上によじ登ったり、壁を足場にジャンプしたり、細い足場の上を驚異的なバランス感覚で走って行ったりと、そういうアクロバティックな動きを得意としていた。


 しかし、アイツにできるなら俺にだってできる筈だ。


 兄に勝る弟など存在しない……筈である。


 とにかく、今はそんな事はどうでも良い。


 俺のすぐ近くで……それこそ5mも離れていないような場所で我が物顔で殺人事件をかましやがったのだ、切り裂きジャックジャック・ザ・リッパーは。


 挑発のようにも思えるし、その手の挑発に乗るとろくな事がないものだが―――しかしこればかりは、乗らずにはいられない。


 俺は憲兵だ。キリウの平和を、何の罪もない市民の安寧を守ると誓って制服を身に纏った憲兵の端くれなのだ。相手が人間だろうとサイコパスだろうと怪異の類だろうと、その安寧に挑戦状を突きつけてくるような輩を許すわけにはいかない。


 脚が千切れてもいい―――その覚悟で、更に足に力を込めた。


 幸い、こっちはライオンの獣人だ。トップスピードに達したこっちのほうがスピード勝負では有利なようで、ぐんぐんと犯人の背中が近付いてくるのが分かった。


 逃げているのは黒猫の獣人。下着を思わせる際どい服を身に纏った娼婦のようで、手には血まみれの大きなナイフがある。


「止まれぇッ! 止まらんと撃つぞ!!」


 小型ピストルをポケットから引っ張り出すや、走って逃げていたその娼婦が無造作に何かを投げつけてきた。


 メスだ。手術に使用する、小さくて鋭利な手術用の刃物。血に塗れたそれを紙一重で回避するや、足を踏ん張りつつ姿勢を低くして、思い切り女性に飛びかかる。


 ラグビーの選手が相手にタックルをかますかのように、マカール君の右肩が逃げる娼婦の背中を打ち据えた。


 いくらスモールサイズのマカール君とはいえ、渾身の力でタックルされればたまったものではあるまい。それも足場の悪い屋根の上で組み付かれれば体勢を崩してしまうのも仕方のない事だ。


 逃げようとしていた娼婦と一緒に、マカール君は屋根の上を転がる羽目になった。斜めになっている屋根の上を転げ落ちそうになりながらも、何とか屋根から突き出ていた煙突に激突して回転は止まる。


 やっとの事で平衡感覚が戻ってきた頃には、ギラリとした紅く鋭利な輝きが、ナイフの切っ先と共にマカール君を睨んでいた。


 あれ、これって俺死ん

















 パァンッ、と乾いた音が、夜のキリウに響き渡った。


















 ガギンッ、と硬質な音を立て、娼婦の手から血まみれの大型ナイフが弾け飛ぶ。


「―――全く。見かけによらず猪突猛進だね、中佐殿?」


「ホームズ……!」


 マカール君の窮地を救ってくれたのは、3連発型ペッパーボックス・ピストルを手にしたホームズだった。3つ束ねられたガトリング砲のようなピストル、その銃口のうちの1つからは、黒色火薬特有の白煙が濛々と溢れ出ている。


 彼女を傷付けることなく、手にしたナイフだけを正確に射抜くその射撃の腕には驚愕させられるが、しかし脅威が去ったわけではない。


 まだ諦めてなるものかと、娼婦はどこからか取り出したメスの一本を逆手に持つや、それをマカール君の顔面に突き立てようと振り下ろしてくる。辛うじて両手でその手を押さえつけるが、しかし体格のせいもあるのだろう、今度はマカール君がそのまま押し倒され、組み伏せられる羽目になった。


 月明かりに照らされ、娼婦の顔が露になる。


 血に塗れたその顔には、ゾッとしてしまうような笑みが浮かんでいた。


 口は三日月のように裂け、相貌は虚ろだ。まるで深淵のように底がなく、虚ろな赤い瞳を直視しているだけで気が狂ってしまいそうな、そんな感じがする。


 じわじわと迫ってくるメスの切っ先。自分の勝利を確信したのか、娼婦―――いや、切り裂きジャックジャック・ザ・リッパーは笑い声を発した。


『ぎゃはっ、ぎゃははははははははははっ!!』


「っ……!」


 それはヒトが……少なくとも、成人済みの女性が発する笑い声などではなかった。


 まるで、それはまるで、母親の腕の中であやされ、満足そうに笑う赤子の声だったのだ。


 成人女性が赤子のような笑い声を発する―――そのあまりにもミスマッチで不気味極まりない現実に、頭の中がバグりそうになる。


 そしてそれは、マカール君の予測が悪い方向に当たった事の、新たな裏付けとも言えた。


 兎にも角にも、このまま大人しく殺されるつもりはない。これが娼婦の本性なのか、それとも彼女に何かが取り付いているのかは定かではないが、しかし何とかこの危機を脱しなければ今度は俺が新たな被害者の中に名を連ねる事になる。


 ゆるせ、と小さな声で絞り出すや、女性の腹を思い切り蹴り飛ばした。スモールサイズのマカール君だからこそ、というか足が短いからこそできる芸当だった。


 唐突に蹴り飛ばされた娼婦が煙突の壁面に叩きつけられる。


 その隙に左手をポケットの中に突っ込んで、ナックルダスターを取り出した。犯人鎮圧用に愛用している黄金のナックルダスター。それを左手にはめ込むや、再び襲い掛かろうとしている娼婦の腹へと本気の腹パンを叩き込む。


 ドパァンッ、となかなか強烈な一撃が娼婦の鳩尾みぞおちを直撃した。


「お、おう……」


 ピストルを構えながら見ていたホームズも、思わず顔を曇らせるほどの容赦のない一撃。


 娼婦の手からメスが零れ落ち、両手で鳩尾を押さえた彼女がゆっくりと崩れ落ちていく。


 顔面を避けたのはせめてもの情けだ、と顔を上げたマカール君は、信じられないものを見た。


 気を失い、崩れ落ちていく女性の頭―――そこから煙のような、あるいは水中で拡散するインクのような何かが漏れ出たかと思いきや、赤ん坊の泣き声を響かせながら夜空へと舞い上がっていったのである。


 どす黒く、深淵のように底がない怨み。


 それは本能的に、感じる事が出来た。


 娼婦に対する憎しみ。身に宿しておきながら、しかしその存在を拒絶する傲慢さへの復讐心。


「そうか、お前……」


 思わず、口からそう零れた。


 空へと舞い上がっていくその煙のような何かは、キリウの夜空に赤子の鳴き声だけを残しながら、やがて夜の闇に消えていった。





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