その名はホームズ
まさか本当にこうなるとは。
少々暑い夏の日差しの中、晴れ渡った青空の向こうに、2体の飛竜が姿を現した。
イライナを始めとするノヴォシア全土で飼育されている飛竜ではない。聖イーランド帝国で飼育されている外来種だ。その証拠に外殻の色が燃え盛る炎のように紅く、空ではこれ以上ないほど目立つ色をしている。
やがて飛竜に跨った騎士たちの誘導を受けて、イライナの大都市キリウにある憲兵隊本部の飛竜発着場へと、その2頭の飛竜がゆっくりと降りてきた。飛竜たちは防具を装着しており、頭を覆うマスクと胸当ての部分には、聖イーランド帝国の国章である剣を携えたライオンの姿が刻まれている。
兄上、よく許可取り付けてくれたな……と、なんだかんだで弟に甘い兄上に心の中で礼を言いながら、はるばる大西洋の彼方からやってきてくれた捜査関係者たちを、部下と共に敬礼で出迎える。
やがて飛竜の上から、黒い上着に同色のトップハット、そして蒼いネクタイが特徴的な若い男性が降りてきた。貴族なのか、それとも育ちが良いからなのか、紳士という単語を聞いて真っ先に思い浮かべるような、そんな雰囲気を纏っている。
もう1体の飛竜から、ブラウンの上着に身を包んだ男も降りてくる。こちらは少々眼光が鋭いが、元軍人なのだろうか。傍から見ればどこにでもいるような男だが、しかし目つきと歩き方からそれとは違う、戦場のような極限状態に置かれた経験がある人物である事が分かる。
前に出ると、最初に降りてきた男(ボーダーコリーの獣人らしい)がトップハットを手にとって、俺にぺこりとお辞儀をしてきた。
「君が指揮官かね? 初めまして、”シャーロック・ホームズ”だ」
「ようこそイライナへ。キリウ憲兵隊第七即応団指揮官、マカール・ステファノヴィッチ・リガロフ中佐だ」
イーランド訛りのあるノヴォシア語(でも十分聞き取れるレベルだ)で自己紹介され、こっちも肩書と名前を名乗って握手を交わす。
シャーロック・ホームズ―――兄上が聖イーランド帝国から呼び寄せた捜査関係者だ。正確には警察組織のものではなく、首都ロードウに事務所を構える探偵なのだという。
せめて警官を寄越してくれないかとは思ったが、兄上から送られてきた資料を見て、最強の助っ人が来てくれたという思いの方が強くなった。
記録によると、彼とその助手のジョン・H・ワトソンの2人は数々の事件を解決に導いてきた名探偵なのだそうだ。海外向けに公開されている情報を取り寄せてもらいチェックしてみたが、なるほどこれならば警官隊を送り込まれるよりははるかに事件解決の可能性は高くなるだろう。
手柄を全部持って行かれそうな気もするが、この際なりふり構っていられない。自分の面子のために、あの連続殺人犯に市民を好き勝手殺させるわけにはいかないのだ。市民の生活を守ることこそが憲兵隊の存在意義である事を、決して忘れてはならない。
「長旅で疲れているところ悪いが、早速捜査に協力してもらいたい」
「疲れているも何も、私たちはそのためにやってきたのだ。さあリガロフ中佐、早速だが資料を見せてもらいたい」
「ああ、こっちだ」
ナターシャ、と副官の彼女を呼び、共に2人を連れて憲兵隊本部の中へと案内する。2階に上がり、捜査本部へと2人を案内すると、憲兵隊の部下が紅茶の入ったティーカップとジャムの乗った小皿を持ってきてくれた。
イーランドでは紅茶にジャムを入れたり、紅茶を飲みながらジャムを食べる習慣がないのだろう。見覚えのある紅茶と、見覚えのないジャムに2人は少々戸惑っているようだった。
2人が席に着くや、ナターシャが捜査資料を2人にそっと手渡す。ホームズは待ってましたと言わんばかりにそれを手に取るや、さながら読書家のように資料に目を通し始めた。
一応言っておく。
ノヴォシアからイーランドまでの距離は非常に長い。ノヴォシア西部に広がる”アルト海”を越え、その先に広がる大西洋を進んだ先に浮かぶ島国が、2人の出身国である聖イーランド帝国である。
おそらくだが、高速船を使ってここまで来たのだろう。大西洋からアルト海に入り、そこから船で一緒に連れてきたであろう飛竜を使い、キリウまで飛んできたに違いない。
飛竜とて生物だから、それを操る竜騎士との相性の問題もある。だからこちらで用意したズミールだと勝手が違ったり、飛竜の方が人に乗られるのを拒否して暴れたりする事がある。そういう事もあって、遠隔地で飛竜を使う場合は自前の飛竜を一緒に連れて行く事も珍しくない。
そういうところが飛竜の不便なところだ。
「……なるほど、確かにこれは切り裂きジャックの犯行だ」
「やはりそうか」
紅茶にジャムと角砂糖、それからデスクに備え付けてあるハチミツを追加しながら言うと、ホームズはとんでもないものを見るような目でこっちを見た。
何だ、俺は糖分の補給中なのだ。定期的に糖分を摂取しないと脳内の二頭身マカール君ズがストライキを起こしてしまう。
「切り裂きジャックめ、姿が見えなくなったと思っていたら海を渡っていたか」
助手のワトソンがイライナハーブ入りの紅茶を飲みながら、半ば呆れたように呟いた。
なぜイーランドを恐怖のどん底に叩き落した連続殺人犯が、はるばる大西洋とアルト海を越えてノヴォシアにやってきたのかは定かではない。捜査が日に日に厳しくなっていくイーランドでの犯行は不可能と判断し、海外に怨嗟の捌け口を求めたのだろうか。
理由が何であれ、いい迷惑だ。
とっとと逮捕して懲役刑、あるいは死刑を喰らわせてやりたいところである。税金がかかるのが癪だが、そうなったら”丁重に”葬ってやるさ……。
「奴は娼婦ばかりを狙っている。安い店、高級店、見境なしだ」
「現時点での被害者は?」
「4人。あんたに捜査協力を要請してからここに来るまでの間に、更に2人死んだ」
ぺらっ、と捜査資料をめくるホームズ。2人とも、この手の死体に見慣れているのだろう。喉を切り裂かれ、腹を開かれて子宮を切除された惨殺死体を見ても、ホームズもワトソンも眉1つ動かさなかった。
こういうリアクションのなさからも、2人が踏んできた場数が窺い知れるというものだ。これは非常に心強い。
「現在、憲兵隊では店から押収した顧客名簿から、最後に被害者が相手をしていた冒険者を容疑者として考えている……が、どういうわけかどの店も被害者が最後に相手した冒険者はバラバラだ」
「ふむ」
「最初の事件で犠牲になった娼婦が最後に相手をしていた客はその次の日に飛竜討伐に向かい戦死、2件目の最後の客は任意の取り調べに応じてくれたが犯行時間中はアリバイがあって、仲間と酒を飲んでいたんだそうだ。3件目、4件目も同じようにアリバイがあって、容疑者は冒険者仲間が目撃していたり、一緒に行動していたりしたらしい」
以上の事から、娼婦が最後に相手をしていた客に殺された、という可能性はゼロになった。もちろんその後に予約が控えていた客もアリバイがあって、容疑者からは外すことになりそうだ。
ということは他殺という事になるのだが……。
「マカール隊長」
「なんだ」
「悪いが、現場を見てみたい。ご案内願えるかね?」
「構わんよ。ナターシャ、運転を頼む」
「かしこまりました。こちらへ」
彼女に案内され、俺たちは捜査本部を後にした。
外の駐車場に停めてあるパトカーの運転席にナターシャが、助手席に俺が、そして後部座席にホームズとワトソンが乗り込む。全員がシートベルトをしたのを確認してから、ナターシャはエンジンをかけてパトカーを走らせた。
目的地は4件目の事件があった東区の娼館だ。つい昨日発生したばかりの事件も、以前の3件と全く同じ状況だった。切り裂かれた首、開かれた被害者の腹、そして切除された子宮。壁には血の文字が書き込まれ、現場は血の海だった。
事件はなかなか止まらず、市民の不安は高まるばかり。憲兵隊本部にも早く殺人犯を捕まえてほしい、という市民の声が多く届いており、事態の重大さは憲兵隊上層部も認識している……と願いたいものである。
「それにしても、さっきの紅茶は美味しかったよ隊長」
「それはどうも」
「私はイライナハーブのあの香りが好きでね。本場から取り寄せて愛飲している」
「それはそれは。本場の味を知っていただけて何よりだよ」
イライナハーブはお茶や郷土料理に使われるだけでなく、回復アイテムや麻酔薬の素材としても使われるイライナ地方の特産品だ。下級の冒険者はまず、イライナハーブの採取依頼で基本的な仕事の流れを学ぶのだという。
やがて、事件のあった娼館が見えてくる。東区にある、冒険者向けの娼館だ。
キリウにおいては娼館が軒を連ねるような地区はなく、店はそれぞれ離れた位置に分散して建っている。商売が競合しないような取り決めでもあるのかどうかはさておき、こういう店の立地の関係もあって、憲兵隊もキリウ中に目を光らせておかなければならない。
一般人の立ち入りを禁止するロープを潜って、現場に入った。
1階にある事件のあった部屋にホームズとワトソンを案内するが、しかし現場は既に鑑識が証拠を調べ終えている。何か事件に繋がる手がかりが残っているとは思えないのだが……。
ホームズは真っ先に、遺体が縛られていたベッドの方へと歩いていった。既に血のついたシーツは押収されており、ベッドにあるシーツは真新しいものになっている。染み付いたアロマの香りがこっちにまで漂ってきた。
こりゃあ犬の獣人であるホームズには辛いのではないか、と思っていると、顎に手を当てながらベッドのフレームをチェックしていたホームズは小さく首を傾げた。
「ホームズ、何か?」
「……ワトソン君、すまないがベッドの上に寝転がってみてくれないか」
「は、はあ」
昨日まで遺体があったベッドの上に寝転がるのはさすがに気まずいのでは、と思ったが、しかしこれも捜査のため。指示通りにワトソンはベッドの上に寝転がった。
ベッドはいわゆるダブルベッドになっていて、大人が2人くらいは余裕で一緒に寝れる幅がある。もちろん主な用途は睡眠ではないのだろうが……。
すると、ホームズはこっちを―――というより、隣に控えていたナターシャの方を振り向くや、イーランド訛りのあるノヴォシア語で言った。
「さて、そこのお嬢さんに少しばかり質問だ。自分がもし被害者だったらと考えてみて答えてほしい」
「は、はあ」
「もし君が被害者だったとして、親しい客がいきなりベッドに手足を縛ってきたらどう思うね?」
「え? それは……ちょっとおかしいな、と思います」
「その通り、それが普通だ……あるいは異常を察知して暴れたり、叫んだりするだろう」
彼は何が言いたいのだろうか。
ナターシャの隣で、マカール君も困惑する事になった。
「しかし資料によると、部屋の中からは物音一つしなかった。そして部屋の中に犯人相手に抵抗した痕跡はない……マカール隊長、これがどういう事か分かるかね?」
「犯人は被害者のよく知る人物、という事か?」
「その通り」
「だが……娼館にはガードマンもいるし、被害者と顔なじみの客は殆ど調べた。親しい客の可能性はもうゼロだ」
「―――客ではなかったとしたら?」
目から鱗、とはこの事か。
娼婦という職業にとらわれ過ぎていた。娼婦とは客を相手にするものである。だから犯人は客であろう、という固定概念にとらわれ、視野が狭くなっていたのかもしれない。
そうだ、犯人は客とは限らない……!
「まさか……同じ娼館で働く何者かが犯人という事か?」
「むしろその可能性が濃厚だと私は考える。親しい外部の人間より、同じ職場で働く人間の方が被害者も無警戒になるだろう。お嬢さん、君ならどう思う?」
「確かに……そうですね。何度も指名してくれるお客さんより、同じ娼館に居る女の子だったら……」
同じ娼館の女の子、というナターシャの発言で、頭の中に電気が走るような感覚を覚える。
そういえば―――冒険者時代に何度か娼館に行っていたというイヴァンから、こんな事を聞いた事があった。
―――『女の子によっては、複数の店を掛け持ちしているパターンがある』、と。
イヴァンの経験談だそうだが、娼婦に相手をしてもらった次の週に別の店を訪れたら、先週抱いた女の子がその店でも働いていた、というケースが何度もあったらしい。
娼婦は、その店専属というわけではないのだ。
「ナターシャ、今すぐこの4つの店舗で働いてる娼婦を調べろ。その中に4店舗を掛け持ちしている子がいないか確認するんだ」
「は、はい、わかりました」
ニヤリ、とホームズは笑みを浮かべながら、パイプを取り出しマッチで火をつける。
なんという男だ……シャーロック・ホームズ、この男ならば本当に、この凄惨な殺人事件を解決に導いてくれるかもしれない。そんな期待が胸中に湧き出てきて、闇が晴れていくのが分かった。
「とはいえあくまでも推測だよ。マカール隊長、もう少し証拠がないか調べてみよう。ああ、ワトソン君。もう起きてくれて構わないよ」
ベッドに横になっていたワトソンを起こしながら、ホームズは笑みを交えて言った。
この連続殺人事件は、間違いなく解決に向かって大きな前進を遂げていた。




