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二度目の事件


 ―――俺たちは、犯人に遊ばれているのだろうか?


 凄惨な殺人の現場となった北区の娼館、その2階にある部屋の中を見渡しながら、そう思った。


 先ほどまで居た、最初の事件があった娼館の部屋と比べると広く、中に置かれているベッドや絨毯も高級品である事が分かる。富裕層向けの娼館なのだろうが、しかし贅を凝らした装飾の数々は、ベッドの上を発生源とした血の海で半ば台無しになっている。


 天蓋付きのベッドに手足を縛りつけられ、首を切り裂かれた女性の遺体。やはり血の気の引いた蝋人形のような顔には、絶望や苦悶といった表情はない。いったいなぜ死んだのか―――いや、自分の身に何があったのかすら分からないとでも言いたげな、そんな顔だった。


 そして、その顔からはるか下―――鳩尾みぞおちから腹の下にかけて、縦にぱっくりと腹が切り開かれている。


 こんな表現は死者に対して無礼極まりない事を承知の上で述べさせてもらうが、まるで標本のようだ。死体を針ではりつけにした昆虫の標本を見たことがある。美しい蝶の標本を本で見て、いつか自分も作ってみたいと、その永遠の美しさを愛でたいものだと少年の頃のマカール君は思っていたものだ。


 では、それを昆虫ではなく人間でやったらどうなるのだろうか。


 そんな狂った疑問への回答が、おそらくこれなのだろう。


 人間を使った標本―――ベッドの上で天に召された彼女は、そのように見える。


「ああ、隊長」


 部屋の窓の外に向かって、午後のおやつをぶちまけるユーリー。その傍らでは場数を踏んできたイヴァンが、煙草を咥えながら遺体を観察しているところだった。


 やはり元冒険者、それも見習いからの叩き上げともなれば慣れているのだろう……死体という存在に。人の死という概念に。


「この手口……まさか」


「ええ、そのようです」


 あれを、とイヴァンが視線を壁に向ける。まさかな、と思いそっちを見てみると、下着を脱ごうとしている娼婦の写真の隣に、紅い血でべっとりと書き込まれたイーランド語の文字があった。


 『私は貴様らを許さない』。


 犯人が恨みを抱いていたのは、さっきの娼館で殺害された娼婦―――ハンナではなかったのか?


 まさかとは思うが、娼婦という存在そのものを憎んでいる……?


「中佐」


 遺体を確認していた憲兵が駆け寄ってきた。


「なんだ」


「やはりそうです、この遺体も子宮が切除されています」


「……そうか」


 考えたくない事だが……ナターシャの言っていた聖イーランド帝国の連続殺人犯シリアルキラー切り裂きジャックジャック・ザ・リッパーがイライナへ上陸を果たしたのではあるまいか。


 模倣犯という可能性もあるが……それにしては何というか、中身のない模倣にありがちなチープさが無いような気がするのだ。


 壁に書かれた血の文字―――これからも、娼婦に対する強い憎しみが感じ取れてならない。


 これは本物なのではないか、と考えてしまう。


「……ナターシャ」


「はい、隊長」


「第一発見者からの事情聴取を任せる」


「了解しました」


「イヴァンは顧客リストを押収して調べてくれ」


「了解です」


「ユーリーは……吐くものを吐いたらでいい、イヴァンを手伝え」


「りょ、りょうk……ゥォボロロロロロロロロロロロロ」


 大丈夫かアイツは。


 いや、こういう事件現場に慣れていない若手にはよくある事だ。俺も最初の頃はそうだった。ああやって胃の中身を吐いている時に世話をしてくれたのは、いつもナターシャとイヴァンの2人だった。


「隊長は?」


「……法務省に行ってくる」


「法務省に?」


「ああ」


 ふう、と息を吐きながら、壁の血の文字を見上げた。


「この事件―――国境を跨いだ大事件なのかもしれない」













「ありがとう、ここでいい」


 パトカーでキリウ法務省の前まで乗せてきてくれた部下に礼を言い、クワス代にでもしてくれ、と小銭をいくらか渡してから、去っていくパトカーのエンジン音を背に法務省の建物を見上げた。


 白い壁と、アクセント程度の黄金の装飾。建物の前は石畳で舗装された広場になっていて、その中央には巨大な石像がある。右手に剣を、そして左手には黄金に輝く天秤を携え仁王立ちする騎士の石像だ。


 聞いた話によると、あれは大天使ミカエルの石像なのだという。


 ウチの妹(あれ、弟だっけ?)を思い出す……ウチのミカエルはもっと小さくてキュートな奴だが。


 法務省の正門に近付くと、銃剣付きのマスケットを抱え、直立不動で警備をしていた法務省の警備兵に制止された。白を基調とした制服で、襟や袖の部分に蒼いアクセントがある。黒を基調とし、軍隊じみたデザインの憲兵隊とは対照的だ。


 まるで大天使ミカエルに率いられた天使たちを思わせる。


「ここはキリウ法務省です。どのようなご用件で?」


「キリウ憲兵隊、第七即応団指揮官のマカール・ステファノヴィッチ・リガロフです。私の兄、ジノヴィ・ステファノヴィッチ・リガロフ法務官に用事があって参りました」


「少々お待ちを、確認します」


 警備兵の片割れが、入り口にある警備兵用の小屋の中へ駆け足で向かっていった。中にある電話のダイヤルを回して法務省の内部と連絡している間、マカール君はずっと狼の獣人の警備兵さんに睨まれたままだ。


 いくら法務官の弟とはいえ、そう簡単には通してもらえない―――罪は公平に裁き、融通の利かない法の番人たる法務省らしい堅苦しさである。


 まあ、これほど厳格な規定を守り続けているからこそ帝国の腐敗を食い止めていられるのかもしれないが。


 貴族の罪すら暴き、場合によっては大貴族だろうと容赦なく断頭台へと送る法務官たち。彼らは帝国を腐敗から守る法の番人であると同時に、大貴族から忌み嫌われる存在でもある。


 こわーい警備兵のお兄さんに睨まれ続けること5分、先ほど小屋の方へ走っていった警備兵が駆け足で戻ってきた。


「許可が下りました。どうぞ中へ」


 そう言いながら門を開けて敷地内に入るよう促す警備兵だが、しかし角のついたヘルメット(”ピッケルハウベ”というらしい)をかぶったその警備兵の顔に笑みはない。


 何だコイツら機械か?


 背中にゼンマイでも付いてるんじゃないか、と思いながら、正門を潜って法務省の中へ。


 受付にいるメガネをかけた性格のキツそうなお姉さん(すいませんごめんなさい)に「兄に会いに来ました」と告げると、彼女から3階の執務室へ行くように言われる。


 とりあえず指示通りに、階段を上がって3階を目指した。


 建物の構造は憲兵隊本部と似通っている。インクの臭いにコーヒーの匂い、鳴り止まぬ電話の音。そんなところまで似せなくてもとは思うが、同じ警察組織(法務省の方が憲兵隊よりも上位組織となっている)だから仕方がないのかもしれない。


 それにしても、白を基調とした法務省の制服を身に包んだ人ばかりの建物の中を、黒を基調とした憲兵隊の制服姿で歩くとだいぶ目立つ。すれ違った女性の法務官にやたらと視線を向けられるし、一部の女性なんか「……なんか可愛い子いる」なんて呟いてんの聞こえてるからな? 音は全部耳に住んでる二頭身マカール君がキャッチしてるんだよ。


 3階に上がると、執務室の前で見慣れた長身のイケメン法務官の周りに、女性の法務官(肩の階級章を見るに見習いだろう)が集まっているのが見え、ちょっと舌打ちしたくなった。


 間違いない、兄上だ。


 法務官、ジノヴィ・ステファノヴィッチ・リガロフ。リガロフ家の長男にしてアナスタシア姉さんに次ぐ実力者。


 スモールサイズのマカール君やミニマムサイズのミカエル君とは違い、兄上は180cmの長身だ。すらりとした身体は引き締まっていて、ライオンのたてがみのように広がる金髪は百獣の王に恥じぬ貫禄がある。


 だからなのだろう、マカール君と並ぶと兄弟というより親子のようにも見えてしまうのだとか。


「リガロフ様、今日の勤務が終わったら一緒に夕食でも……?」


「気持ちはありがたいが、仕事が立て込んでいてね。私もこれから弟と会う予定に……ああ、マカール」


「兄上、突然申し訳ありません」


 兄上がこっちに話を振るや、兄上を囲んでいた女性たちの視線が一斉にこっちに向けられた。


「え、この子がリガロフ様の弟さんですか?」


「可愛い~……ボク何歳?」


「……19ですがなにか」


「え~、ホントかなぁ~?」


「でもリガロフ様にそっくりですね、目元とか!」


 駆け寄ってきた法務官見習いのお姉さんたちにたちまち囲まれ、もみくちゃにされるマカール君。うん、悪くない。悪くないぞコレ。ハーレムってこんな感じなんだな、そうなんですね兄上?


 しかしそんなハーレム状態も、溜息をついた兄上の一言で理不尽にも吹き飛んだ。


「すまないが、弟と仕事についての話があるんだ。その辺にしてくれないか」


「はぁ~い」


「じゃあね弟クン。あっ、後でおねーさんと遊びましょ?」


「もっともふもふしたかったなぁ……」


 兄上空気読んで……と言いたいところだが、歳上のお姉さんにもみくちゃにされるためにここへとやってきたわけではない。


 執務室に入ると、兄上の副官と思われる細身の男性がティーカップをそっとテーブルに置いているところだった。コーヒーと紅茶……マカール君は紅茶派だから、こっちに座れという事か。さすが兄上、指示が早いし弟の好みをよく理解してらっしゃる。


 席に着くと、兄上は副官に視線で「すまんが外してくれ」と告げた。視線のやり取りだけでその意図を汲み取った副官は一礼すると、静かに執務室の外へと出て行ってしまう。


 静かな執務室に、マカール君が紅茶に角砂糖を投下する音だけが響いた。


「……どうしたんだ、急に。例の殺人事件について助言を求めに来たのか?」


「助言というよりは、兄上の権限をお借りしたいと思いまして」


「権限?」


 好物のブラックコーヒーを口へと運ぼうとしていた兄上は、その手をぴたりと止めながら聞き返す。


「……聖イーランド帝国へ、事件解決への協力を要請していただきたい」


「いきなり何を言い出すかと思えば……なぜだ」


「今回の事件、聖イーランド帝国で発生している連続殺人事件と類似点があまりにも多いのです。詳しくは後で捜査資料をお届けに参りますが……」


「模倣犯という可能性は?」


「それも疑いましたが、しかし模倣犯とは違う感じがしてならないんですよ。何というか、模倣犯となるとただ犯罪を真似ただけの中身がないような、そんな感じの犯行になります。新しい遊びを覚えた子供さながらの幼稚さとでもいうべきでしょうか。しかし、今回の2件の犯行には確かな”怨み”が感じられるのです」


「怨み、か」


「ええ」


 こんな非合理的な理由で、兄上は動いてくれるだろうか。ここに来てそれがちょっとばかり不安になった。


 兄上もまた、法務省という組織の性格とそっくりな気質だ。どんなことも公平に、そして融通も利かない。弟だからという理由で特別扱いしてくれるような人では……あるわ、特にミカエルにはドチャクソ甘い人だわこの男。


 しかし、だからと言って兄上が首を縦に振ってくれるとは思えない。


 聖イーランド帝国は、ノヴォシア帝国にとっての仮想敵国。実際に北海や大西洋といった極寒の海域の制海権を巡り、虎の子の艦隊を動かしては何度も小競り合いを繰り返している状態だ。


 国を挙げての全面戦争に突入していないのが不思議なレベルである。


 そんな実質的な敵国に、国内の犯罪捜査の協力を申し出るなど、政治的な理由で難しいのではないか―――ダメ元で来てみたわけではあるが、何とか首を縦に振って欲しいものである。


 祈りながら待っていると、ブラックコーヒーに口をつけた兄上は、その香りと苦みを楽しむかのように味わってから、そっとティーカップを置いた。


「……なるほど分かった、掛けあってみよう」


「本当ですか!」


「ああ、弟の頼みともなれば断れんよ」


「ありがとうございます、兄上」


「ただし、最終判断は上層部(うえ)が下す事を忘れるな。そこで却下されたらこの話はナシになる」


「心得ております」


 国境を跨いだ捜査、あるいは海外の警察組織や探偵に協力を要請する際は、法務省を通さなければならない。憲兵隊はあくまでも国内の、それも一般庶民の犯罪を取り締まるための権限しかなく、海外へ協力を要請する際は上位組織たる法務省を通さなければならない。


 エカテリーナ姉さんの一件で、ハンガリア王国憲兵隊にバートリー家の黒魔術の使用を告発した時も兄上や姉上を通してのルートだったのは記憶に新しい。


 できる事ならばイライナ人の力だけで事件を解決に導きたかったが―――しかし変なところで意地を張り、被害を拡大させるわけにはいかない。面目を守って国民を守れないようでは、憲兵隊の存在意義が問われるというものだ。


 この際、矜持プライドは抜きだ。













 1888年 8月1日 


 聖イーランド帝国 首都ロードウ ベイカー街





 鼻腔の奥まで突き抜けるような独特な香りを楽しみながら、私は静かに椅子を回転させて窓の外を見た。


 今日の聖イーランドの首都ロードウの空はよく晴れ渡っている。が、そんな事はどうでも良い。晴れ渡った外の景色を写す窓にうっすらとした自分の顔―――ボーダーコリーの獣人、その第二世代の獣人として生まれた私の顔は、これ以上ないほど退屈そうだった。


 最近は事件がない。平和だ。


 3ヵ月ほど前までは、このロードウをあの連続殺人犯シリアルキラー切り裂きジャックジャック・ザ・リッパーが騒がせていたのだが、しかし5月に5人目の娼婦を殺害したところでその犯行はばったりと止まり、コバルトチャペルは再び安寧を取り戻している。


 いや、それはいい。平和なのは良い事だ。事件発生を願う探偵が存在するとしたら、そいつはきっととんでもないろくでなしなのだろう。


 しかし……活躍の場がないとなると、退屈で仕方がない。


 最近やる事といえばこうしてイライナハーブ入りの紅茶を楽しむか、煙草を吸って肺にニコチンを補充してやるかのどちらかだ。


 いったい切り裂きジャックジャック・ザ・リッパーはどこに行ってしまったのか……などと考えていると、デスクの上の電話がやかましく鳴り響いた。


 仕事か、と半ば喜びながら受話器を手に取る。もちろん犬の尻尾を全力で振りながら、だ。


「はい、こちら”ホームズ探偵事務所”……ええ、はい……はい、分かりました、すぐ支度を」


 なんという僥倖か。


 この渇きを、退屈を癒してくれる案件がまさかこうも簡単に舞い込んでくるとは思わなかった。


 紅茶を飲み干し、席から立ち上がる。ソファのところでピストルの分解整備をしていた助手のワトソン君が、何事かと言わんばかりの顔でこっちを振り向いた。


 だから言ってやった。これ以上ないほどの笑顔で。


「喜びたまえワトソン君、我々の出番だ。すぐノヴォシアへ飛ぶぞ!」








 私の名は【シャーロック・ホームズ】。





 聖イーランド帝国の誇る探偵だ。





 

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[一言] うわ出た英国が誇る灰色の脳細胞。 ボーダーコリーのホームズにスモールマカール君とミニマムミカエル君… あれ…ただの可愛いの大渋滞では…?
[良い点] なんか新キャラきた!? 根底には太い設定がありながらも,章単位で全く違うお話を構築できるのはホントすごいと思います(後方腕組みナンチャラ) 「そりゃあ彼女を母に持つミカエルがあんな可愛…
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