捜査開始
「えー、被害者はハンナ・ルキーニシュナ・メレンコヴァ。ノヴォシア系の獣人で、あの娼館では6年前から働いていた模様です。冒険者を相手に客を取ることが多く、なかなか人気の女性だったとか」
犠牲になった女性の写真を黒板に貼り付けるイヴァンの隣で、ナターシャがチョークを使って情報を書き込んでいく。被害者の出身地、家族構成、交友関係、その他諸々……それを見る限りでは、いたって普通の女性のようだった。
ノヴォシア西部の貧しい農村の出身で、収入の半分は実家への仕送りに充てていたのだという。
現在、彼女の遺体は司法解剖が行われていて、その後は家族に見せられるような状態に”修復”され、列車に乗せられてノヴォシア西部へ送られるとの事だ。情報によると彼女は一人娘らしいので、両親がこれから苛まれるであろう悲しみがどれほどのものかは想像に難くない。
何とも痛ましい事件である。
この事件を解決に導く事こそが、俺たち憲兵隊にできる唯一の弔いであると信じたいものだ。
「イヴァン、顧客名簿の方はどうだった?」
「ええ、名簿の方も調べましたがやっぱり大半が冒険者ですね。3年以上前のものは”保存期間”が過ぎてるそうで店が廃棄したらしいんですが……しかし隊長、名簿の中に医者はいませんでしたよ」
「……そうか」
ちらり、と手元のボードに挟んである現場の写真に目を移した。
喉を切り裂かれた挙句腹を切り開かれ、子宮を切除された女性の無残な遺体を収めた白黒の写真。余計な内臓を傷付けず、正確に子宮のみを切除している事から犯人は医者ではないか、と考えていたのだが……これは予測が外れたか。
あるいは、その廃棄された分の3年間の顧客名簿に載っていた”久々の客”だったのか。
もしソイツの名前と情報が明らかになったら、徹底的に調べ上げてやるところなのだが、しかしよくよく考えてみれば客の中に医者がいない、というのも納得できる話だ。
というのも、あの娼館はどちらかというと低所得者や低ランクの冒険者が多く訪れるような店なのだそうだ。客層がそういう事もあって、医者のような、それこそ手術で多くの命を救うような人間が訪れる場所とは考えにくい。
そういうヤツならもっと高級な娼館に行くはずだ、とさっき先輩から助言をもらったのだが、確かに考えてみればそうだ。
おまけにスラムにも近く、治安も悪い。暴漢が駆け出しの冒険者の身ぐるみを剥いだという被害相談も多々報告されている。
「これ、スラムの人間がやったって可能性はないですかね? こう、被害者に恨みを抱いていた浮浪者が店に忍び込んで、抱かせないと殺すぞって脅して犯行に及んだとか」
「んなわけあるかい」
ユーリーの発言に即座に突っ込んだのは、口に煙草を咥えながら写真を黒板に貼り付けていたイヴァンだった。
彼はこの中でナターシャと並んで最年長となる21歳。しかし無精髭を生やしているせいなのだろう、実年齢よりもだいぶ老けて見える。失礼なので口には出さないが、ベテラン憲兵っぽい貫禄がある。
「いいか、娼館に居るのは女だけじゃねーんだよ。例えば金を払えない客とか、女に暴力を振るうクソ野郎をボコって店外につまみ出すこわーいお兄さんが臨戦態勢で待機してるもんなんだ。そんな奴がいたらガードマンにフルボッコにされとるわ」
「詳しいんですねイヴァン少尉」
「あの……娼館、行った事あるんですか?」
ナターシャがちょっと引きながら聞くと、イヴァンは恥ずかしそうにぽつりと答えた。
「……冒険者時代、何回か」
「つまり娼館で童貞を捨てたと!!!(100dB)」
「引っ叩くぞコラ」
イヴァンは元冒険者である。しかも見習いからの叩き上げで将来有望な人材だったそうだが、仕事中にゴブリンの放った投げ槍で利き手を負傷してから引退、憲兵に転身した経歴を持つ。
冒険者ってやっぱそうなのかな……行くのかな、娼館。
という事はミカも……? いやいや待て待て、アイツは女の子だぞ? 年頃の女の子がそんな所に行くわけが……ん、ミカは男だって? バカ言え、あんな可愛い男がいるか。
ともあれ、イヴァンの経験(あとでどんなだったか聞いてみよう)のおかげでスラムの人間という説はゼロになった。正直、あの中から犯人を捜せと言われたら発狂ものである。戸籍もなく、不法移民も多いスラムだ。書類の中から個人を特定するのは不可能といっていい。
「それに、スラムに人体の解剖ができる医者が住んでるとは思えません」
「……だろうな」
さっきの失言……それも自爆級のをかましたイヴァンが取り繕うように言うが、まさに正論である。スラムに住む住民の中に、解剖の知識がある者がいるとは思えない。そんな知識があったらそもそも家を追われスラムに流れ着くなんて事は無いだろうし……。
しばらく意見を出し合っていると、捜査本部のドアをノックする音が聞こえてきた。
「どうぞ」
「失礼します中佐」
中に入ってきたのは、ポメラニアンの獣人の憲兵だった。
「司法解剖の結果が上がってきました」
「どうだ?」
「死因となったのはやはり喉の傷で、腹を切り裂かれたのは死後のものです。凶器はおそらく刃渡り20から30cm程度のナイフで、腹を切り裂いたのはメスの類である可能性があります」
「となると、犯人はやっぱり医者か?」
「可能性はありますね……少なくとも医療の知識がある人間の犯行としか思えません」
「死亡推定時刻は?」
「今日の午後3時から5時の間です」
「隊長、第一発見者は彼女専属のガードマンです」
「……なるほど」
腕を組みながら、もう一度ボードの遺体の写真に視線を落とした。
ベッドの上は血の海だが……よく見ると、ベッドの周囲は散らかっていない。
もしこれが犯人の殺意が明確で、被害者が必死で抵抗した場合、ベッドの周囲はもっと散らかっている筈だ。けれどもベッドの周囲どころか、事件の現場となった部屋の中は散らかっている様子はなく、まるで清掃が入った直後のように整っている。
そして遺体の顔だ……恐怖に怯えながら死んでいったにしては、表情があまりにも落ち着き過ぎている。まるで何が起こったのか分からないまま殺されたかのようだ……。
「子宮だけを切除……これに何か意味はあるのか?」
「おそらく、犯人はなにかメッセージのようなものとしてこのような事をしたのでは」
「あるいは女性の子宮をコレクションするのが趣味の異常者か」
ナターシャの推測にイヴァンがつけ足す。ユーリーはちょっと引いているが、実際この手の事件は多い。俺が配属されている第七即応団はあらゆる事件を担当可能な権限を持つ部署だ。それこそ盗難事件から強盗事件、殺人や性犯罪、禁止品の密輸に至るまで様々な事件に介入できる権限を持つ部署だが、殺人事件に関してはこの手の異常者の犯行は珍しくない。
今回もその手の異常者かと思ったが、しかしここで引っかかるのが壁の文字である。
被害者の血で書かれた文字は、ノヴォシアで使われている文字ではない。似ている文字は含まれているが、これはイーランド語―――遥か西の果て、大西洋に浮かぶ海洋国家『聖イーランド帝国』とその植民地で使われている言語である。
「そういや、顧客名簿の中にイーランド人はいたか」
「2年前の顧客に3名」
「よし、ユーリーとイヴァンはそいつらを調べてくれ。俺とナターシャで第一発見者から事情を聴取する。いくぞ」
「はい隊長」
少しでも、事件の解決に繋がる情報が手に入ればいいのだが……。
事件の現場にはまだ、憲兵隊が展開していた。
ナターシャに車を運転してもらい(マカール君では足がちょっと短くてちゃんとアクセルが踏めないのだ)再び娼館を訪れ、現場周辺を封鎖している憲兵に敬礼してから現場の中へ。
事件のあった部屋はまだ、当時のままの状態で残されていた。数名の捜査員が床に落ちている髪の毛や服の繊維に至るまでを採取して調べているが、その中から新たな手掛かりが現れる事を願いたい。
しかし……気になるのが、聖イーランド帝国でも起こったという同様の事件である。
ナターシャの話では向こうで既に5件も同様の事件が発生し、警察が本気になって捜査しているそうだが、犯人に繋がりそうな証拠は何一つ出ていないのだそうだ。
遥か北方のノヴォシア帝国でも起こってしまった凄惨な事件。両者の間に何か関連があるのか? それとも異国の事件を聞きつけた者による、単に模倣しただけの殺人事件なのか?
「こちらです中佐」
「ありがとう」
憲兵に案内され、娼館のロビー近くにある部屋に通された。
娼婦が準備を終えるまでの待合室として使われている部屋なのだろう。少し広い部屋の中には、ここで働いている娼婦たちの顔写真が記載された一覧表が置いてある。
せめて片付けておけよ、と気まずさを覚えながら部屋の中に入ると、椅子に座って待っていたガードマンらしきヒグマの獣人の巨漢と、スーツ姿のキツネの獣人の男性がこっちを見て会釈した。
「こちらがガードマンのセルゲイ氏。隣が支配人のミハイロ氏です」
「今日はよろしくお願いします」
挨拶してから、ナターシャと一緒に椅子に座る。彼女はボードに挟んでいる紙にメモの準備を始め、いつでもいけます、とアイコンタクトで訴えてきた。
「ではセルゲイさん、最初に彼女の遺体を発見した時の事をお伺いしたいのですが……」
「ええ……部屋に忘れ物をしたから、とハンナが例の部屋に向かったんです。財布か何か、貴重品の類だとは思うのですが……それから30分くらいしても部屋から戻ってこないので、おかしいなと思って部屋を覗いたんです。そしたらハンナが……ハンナが……」
親しい関係だったのか、それともショックが大きいだけか、セルゲイ氏の手はぶるぶると震えていた。
「彼女が部屋に行ったのは?」
「確か……4時ごろだったと思います」
「遺体を発見したのは?」
「4時30分くらいです」
なるほど、司法解剖で判明した死亡推定時刻とも一致する。
「その……当時の状況を覚えていたらで構わないのですが、何か物音はしましたか? ドアが開く音とか、叫び声とかは」
「なにも聴こえませんでした。全くの無音だったんです」
「被害者が最後に客の相手をしていたのは何時ごろですか?」
「3時50分までです。いつも彼女を指名してくださっている冒険者の方が入ってました」
「なるほど……では何か、彼女が人間関係で問題を抱えていたような様子はありましたか? 客から恨まれていたとか」
「いえ、そんな事は聞いた事がありません。ハンナは元気で接客も積極的で、お客様からは特に指名の多い子でございました」
となると、過去にトラブルを抱えていた客が復讐に来た、という線もあり得ないな。
うーんこれはなかなか難しい……。
「その……客の相手を終えた後、彼女は何を?」
「休憩所に入ってたんです。次は5時から指名が入ってまして」
「なるほど……ちなみに顧客情報ばかり聞くようで申し訳ないのですが、その次の客というのはどなたです?」
「冒険者の方です。何度かハンナを指名していた客様です」
うーん、やっぱり冒険者か。
医者ではないのか、とは思ったが、もしかしたら医者から冒険者に転身したという稀有なケースもあるかもしれない。この辺は最後に相手をしていた客とその次の客、両者について捜査してみるとしよう。
物音がしなかったという証言と現場がそれほど荒れていなかったという状況から考えると、犯人は彼女にとって親しい関係の人間である可能性が高い。例えば彼女を何度も指名していて顔を覚えるようなレベルで親しい客だったとか。
そうであれば抵抗するなどまず考えられない。
ただ、そうなると問題は犯行動機だ。そんな親しい間柄の人物がなぜ犯行に及んだのか、理由が分からない。
「なるほど、捜査への協力感謝します」
「お願いです憲兵さん、彼女を殺した犯人を必ず捕まえてください」
「任せてください。被害者の無念を晴らすためにも、必ず」
席を立ってから敬礼し、部屋を後にした。
娼館の出口へと向かって歩いていると、隣にいるナターシャが小声で言った。
「捜査対象は最後の客と、次に相手をする予定だった客の2名でよろしいですね?」
「ああ。押収した顧客名簿にも名前が載っていた筈だ。住所や最近の動向、それから経歴に人間関係まで全部洗うぞ」
「了解です」
こりゃあしばらく家には帰れそうにないな……激務だが、まあやかましいお見合いの話から遠ざかる事が出来るのだ、そういう意味では職場の方が安心できる。
パトカーに乗り込もうとしたその時だった。
現場のすぐ近くを、パトカーのサイレンの音が通過していったのである。
何事か、とすぐにパトカーにあるラジオをつけた。パトカーには一般的なカーラジオは搭載されていないが、ラジオの電波を使って憲兵隊本部から常に情報が発信されている。
まさか、と嫌な予感を感じながら、ラジオからノイズ交じりに聴こえてくる音声に耳を傾けた。
《キリウ北区の娼館で殺人事件発生。近隣の憲兵は直ちに急行せよ、繰り返す、直ちに急行せよ》




