マカール兄さんの悩み
「では中佐、お疲れ様でした」
「ああ、また来週」
屋敷まで車で送ってくれたナターシャと別れ、正門の前に立った。
小さい頃までは、自分が貴族として生まれたのは幸運だと思っていたし、権威の失墜した一族を再興へ導くのは自分だという気概もあった。そしていつか、伝承に聞く救国の英雄イリヤーのように、帝国を背負う英雄に名を連ねてみたいものだと、それはもう壮大な夢を思い描いていたものである。
けれども、そんなものはもう昔の話。
はっきり言おう、今となってはその日その日を生きるので精一杯である。
よく農民出身の憲兵とかに『親の七光りで出世した』だの、『貴族だから苦労を知らんのだ』と陰口を叩かれる。それはまあ、そうだろう。権威が失墜した貴族の次男など、そうやって言葉のサンドバッグにするにはちょいとばかり丁度いい相手かもしれない。
反論するとしたら、それは全て誤りである。
まず親の七光りで出世した件だが、出世はしていない。確かに親の七光りやらコネやらで憲兵隊の指揮官にいきなり捻じ込まれるというとんでもない人事(とはいえ何も知らない貴族の息子がいきなり指揮官というのはこの国では横行しているので珍しい事ではない)からスタートしたが、よりにもよって初陣が実家を襲った強盗を追う任務。それに失敗し盛大に出鼻を挫かれ、初っ端からマカール君は失速することになる。
そして苦労を知らないというのもまた、誤りだ。貴族に対するステレオタイプな偏見で物を言う者は多い。
はぁ、と溜息をついている間に、正門を警備している番兵が門を開けてくれた。
「お疲れ様です、マカール様」
「うん、ありがとう」
やんなっちゃうわー。
正門を潜り、庭にある噴水の脇を通って玄関へと向かう。花壇には様々な色の花に混じって、ヒマワリが黄色い花を咲かせていた。
あれは確か、レギーナの奴が好きだった花だ。ミカエルの世話をしながら仕事をこなし、花壇の手入れまでやっていたレギーナ。そんな彼女が手塩にかけて世話をしたヒマワリの花たちも、彼女が屋敷のメイドを辞めて出ていった次の日には父上に全て刈り取られてしまった筈だが、どうやら運よく地面に落ちた種が生き残って、細々とその命を繋いでいたらしい。
しぶといというべきか、屈強というべきか。
圧政には屈しないという気概のようなものを感じる。確かにレギーナも芯のしっかりとしたメイドだった(あと今だから言うけどマカール君的に好みのタイプだった)。
そりゃあ彼女を母に持つミカエルがあんな可愛い女の子に……え、アイツは男だって? 嘘をつくんじゃあない、マカールお兄ちゃんはお見通しだ。アイツは妹だ……妹の筈だ。
脳内の二頭身マカール君ズも全会一致で女判定を出している。間違いない。
玄関のドアを開けて中に入ると、赤いカーペットの左右にずらりと並んだメイドたちが帰りを出迎えてくれた。
「「「「「おかえりなさいませ、マカール様」」」」」
「ただいま」
荷物をメイドに預け、まず洗面所に向かった。平均的なイライナ人の体格に合わせた洗面所なので、スモールサイズのマカール君では微妙に手が届かない。どこかに踏み台になるものはないかなぁ、と周囲を見渡していると、メイドの1人が木箱を持ってきてくれた。
礼を言ってから木箱を踏み台にして手を洗った。その後はうがいをして、軽く顔も洗っておく。
「マカール様、夕食の準備が出来ております」
「今日の夕食は?」
「はい。メインディッシュはチキンキリウでございます」
「Oh……」
「……どうかなさいましたか?」
「いや別に」
ここで皆さんに思い出してほしい事がある。
マカール君の今日の昼食について、だ。
憲兵隊の詰所の食堂でチキンキリウをもぐもぐしてきたばかりなんだが、まさか昼食の献立と夕食の献立がかぶってしまうとは。
とはいえ、メイドたちが丹精込めて作ってくれた夕食だ。横暴な態度で『作り直せぇい!』なんて言ってしまったら父上と同じレベルに落ちてしまう。いいかマカール君、お前はあんなクソ親父とは違うのだ。そして昔のクッソ生意気なクソガキマカール君とはおさらばするのだ。そう、今の俺は誰からでも好かれるキュートなマカール君なのだ……たぶん。
昼食にも食べたけど、なんだかんだでイライナ人はみんなチキンキリウが大好きである。
サクサクの衣とジューシーなチキン、そしてバターの中に香るガーリックの風味は食欲をダイレクトに刺激してくる。
フォークとナイフを使ってチキンキリウを切り分け、皿の上で黄金色の湖を作っているバターソースの中へとつけて口へ運ぶ。チキンも絶品だけど、何気にマカール君はこのバターソースが染みたマッシュポテトが好きだったりする。
んー絶妙な塩加減……と好物をゆっくり味わう余裕は、残念ながら今のマカール君には無い。
というか、母上が与えてくれない。
「マカール、お前もそろそろ成人になるのですから、相応しい結婚相手を探さなければ」
「分かってますよ」
……またこれだ。
結婚、結婚……最近の母上はそれが口癖になってしまった。口を開けばやれ結婚だ、やれお見合いだ、とくる。そりゃあ確かにマカール君だってリガロフ家の次男、5人姉弟(母は未だにミカエルの存在を認めていない)の下から2番目とはいえ、最近は憲兵隊の指揮官として手柄を立てては何度も表彰されているから”使い道”はある、と判断しているのだろう。
いやあ、迷惑な事この上ない。
さすがに嫌気がさしているマカール君。脳内では二頭身マカール君ズがみんな耳を塞いで、各々読書をしたりお昼寝をしたりと現実逃避を始めている。
ダメだコイツら、もう現実から逃げてやがる……。
「まったく……あなたもなにか言ってやってください」
「ん? ……うん、いいと思う」
はぁ、と母上が溜息をついた。
エカテリーナ姉さんの一件の後から、父上はずっとあんな感じだ。何というか、抜け殻になったというか、以前のような熱意が感じないというか、何を聞いても上の空。返事も全部曖昧で、公務以外にやる事と言えば書斎の窓から空を見上げてボーっとしている程度。
一番愛していた愛娘をあんな目に遭わせてしまった事がよっぽどショックだったらしい……あんな姿を見るとさすがに可哀想になってくるほどだ。
現当主があんな有様だから、リガロフ家の実権を握っているのは実質的に母上となっている。
「良いですかマカール。あなたはこのリガロフ家の次男なのです。リガロフ家の起源は遥か昔、かの邪悪な竜”ズメイ”を打ち払いイライナを救った英霊イリヤーの―――」
「分かってますよ母上。そんな事は百も承知です」
本当に、うんざりする。
なあ、ミカエルよ……お前が屋敷を出ていったのは正解かもしれない。
聞いた話によると、極東には『盛者必衰』という言葉があるのだそうだ。どんなに強大な力を持つ者であっても、その力は永遠には続かない―――まさに今のリガロフ家にぴったりな言葉じゃあないか、と思う。
後は緩やかに滅んでいくだけ。そういう段階に差し掛かりつつあるのかもしれない。
それにしても結婚か……。
あまり考えたことはなかったが……どうしてなのだろうか、異性の事を考えると副官のナターシャの事ばかり思い浮かべてしまうのは。
やっぱり意識しているんだろうか。
バターソースの染み込んだ付け合わせのマッシュポテトをスプーンでもぐもぐしながら、ふと考える。ナターシャも地方貴族の分家の出身、平民出身というわけではないのだから母上も駄目とは……言いそうだ。
結婚するなら一族再興に繋がりそうな、もっと権力を持っている一族を選べなどと、かつての父上と同じ事を言い出しそうで嫌になる。
もうアレしようか、マカール君も冒険者の資格取って家出しちゃおうか。どうせリガロフ家にはエカテリーナ姉さんにジノヴィ兄さん、そして最強のアナスタシア姉さんがいる。1人くらい凡人が抜けても影響はなさそうだ。
貴族に生まれて嫌だと思う事は、こういう恋愛の自由が全くと言っていいほど無い事か。大体は親が取り決めた相手との結婚で伴侶と結ばれるのが当たり前の世界だ。それがたまたま相性のいい相手との結婚となれば幸せ者で、相性最悪、それでいて相手の目当てが自分の身体とか実家の金とか権力目当てとなったらもう最悪だ。
農民はよく貴族を羨ましがるが、貴族にも貴族の苦しみがあるのである。
マカール君の場合、現在進行形でそれが牙を剥いている。
はぁ……せめて俺にも、兄上や姉上のように相手を結果で黙らせられるような実力があれば、もうちょっと生きやすいのかもしれない。そんな想いを抱くけれど、兄上や姉上たちにも力を持つが故の苦悩というのがあるのだろう。
人は皆、等しく苦しんでいるのだ。
……あーやめだやめだ、そんな事ばかり考えていたら飯が不味くなる。
せっかくの好物なんだから、楽しい事を考えながら食べなきゃ損である。
小鳥さんの声が聞こえる。
そうじゃなくても、朝6時には嫌でも身体が勝手に起きてしまう。
何故かというと、憲兵隊の宿舎は朝6時が起床時間、22時が就寝時間となっており、それぞれ担当者がラッパで合図を出す決まりになっているのである。そこから大急ぎで飛び起きてパジャマから着替え、ベッドメイクをして朝礼という流れになる。
そんな生活を入隊してからずっと繰り返していたので、身体がもう起きる時間を覚えてしまったのだ。二度寝しようにもできない身体になってしまったのはちょっと寂しいが、規則正しい生活を送れているのでまあ、いいんじゃないかな。
ベッドから瞼を擦りながら起き上がり、思い切り背伸びをする。洗面所に行って歯を磨き顔を洗ってから着替えを済ませ、外に出た。
既に外には、シマリスの獣人のメイドが待っていた。
「おはようございますマカール様。朝食のご用意が出来ております」
「ありがとう。ああ、それと今日は外出するから昼食はいらないよ」
「かしこまりました」
「いつも悪いね」
「いえいえ、マカール様も毎日の激務でお疲れでしょうし、羽を伸ばす時間も必要ですわ」
まったくである。
職場では書類仕事に訓練の視察、部下と一緒に都市部のパトロール。何か事件が起こればたとえそれが食事中だろうと仮眠中だろうとトイレの真っ最中だろうと現場に急行し、対処しなければならない。
そして終われば犯人の取り調べだったり、調書取ったり、発砲したらしたで発砲理由の報告と弾薬の申請を行わなければならないのである。それを複数同時進行、しかもお偉いさんが視察に来るとなったら仕事をかなぐり捨ててそっちの対処をしなければならない超絶ハードモード。
もう嫌になっちゃうわ。
広間のテーブルには既に、母上と父上、エカテリーナ姉さんがいた。おはようございます、と挨拶すると、返ってきたのは母と姉さんからの挨拶のみ。父上はというと、皿の上に乗ったトーストを見つめたままボーっとしている。
アナスタシア姉さんは首都モスコヴァの宿舎に居てこっちには滅多に戻ってこないし、兄上もスーパーウルトラ激務で職場に住んでいる状態。本当にウチの長女と長男は大変である。
席に着くと、みんな揃って目の前で十字を切った。
イライナの貴族は、食事の時は必ず家族全員で集まって食事をするというルールがある。外食する時ならばまだしも、家にいる時に家族がバラバラになって食事をするというのは不仲の証であるという教えが古くから存在するためだ。
だから嫌でも家族の顔は何度も目にする事になる。
とはいえ、その食卓にミカエルの奴が招かれた事はついに一度もなかったが。
姉弟全員が揃って食事をしたのは、信じがたいが今のところ1回だけ。エカテリーナ姉さんの一件が片付いた後の夕食だけである。
「マカール、今日は仕事はお休みなんですって?」
「ええ。久しぶりに買い物にでも行こうかなと。姉上は?」
「うふふ、私はピアノのレッスンがあるの。午後からはダンスのレッスンもあるし、それが終わったら魔術の先生がいらっしゃって……」
「わお、スケジュールがぎっちぎちですね姉上」
「そうなのよ、そろそろ新しいお洋服が欲しいのだけど、なかなか時間がなくて……」
「エカテリーナ、我慢なさい。ダンスもピアノも、貴族の女性の嗜みとして必要な事。魅力的な女性にならなければ殿方の心は射止められませんよ」
「はいお母様」
「……」
窮屈だねぇ、この家は。
いや、屋敷が窮屈ってわけじゃない。屋敷に住んでて『(物理的に)家が窮屈なんスけどwww』なんて発言した日には革命が起こってしまう。
比喩的な意味だよ、もちろん。
外に買い物に行く、というのはぶっちゃけただの口実だ。
本当はただ、この屋敷にあまり居たくない。
一日中屋敷にいたら、ストレスで癇癪を起してしまいそうな気がする。
だから今日は、書店で漫画でも漁ったり、劇場に映画でも見に行って時間を潰そうと思う。
その方が健康的な一日を送れそうだ。
豆知識
マカール君の脳内にも二頭身マカール君ズが生息している




