モニカ
腰のホルスターからフリントロック式のピストルを引っ張り出し、撃鉄を親指で引いた。カチリ、と規定の位置で停止したのを確認し、頭上に空間がある事を確認してから銃口を空へと向ける。
管理局を出発する時、受付嬢から支給された合図用のピストルだった。中には管理局のスタッフに合図を送るための特殊な信号弾が装填されており、それが発する光と臭い、そして特殊な周波数の音を頼りに、管理局のスタッフが討伐した魔物の数が規定数か否かを確認するのだ。
なんでも、当初は討伐した魔物の身体の一部―――角とか鱗とか外殻―――を証拠品として持ち帰る事で討伐の証明になったらしいのだが、以前に使った証拠品を使って不正を行う冒険者が後を絶たなくなったことからこのような方式となったらしい。安全な場所ならばともかく、危険な地域にまで足を運んで討伐確認を行うスタッフには脱帽である。
引き金を引くと、先端部に火打石を取り付けられた撃鉄が打ち下ろされる。そこで生じた火花が火皿へと転がり込み、そこに充填されていた点火用の火薬を目覚めさせた。
そこから薬室の中へと炎が到達し、銃口内部に充填されていた発射用の火薬が目を覚ます。引き金を引いてから1秒程度のタイムラグの後、バオンッ、と重々しい黒色火薬の炸裂音が森の中に響き渡った。
無煙火薬を用いたアサルトライフルの銃声とも質感の異なる、巨人の咆哮じみた銃声に見送られ、信号弾が木の枝や葉をすり抜けて大空へ。
やがて、白い雲の浮かぶ空に紅い火薬の花が咲き、ポンッ、という炸裂音が一瞬遅れて地表へと届く。まるで見ている映像と音がずれているようにも思うが、実際こんなもんだ。映画やアニメみたいにタイミングが合う、なんてことはない。光の速さと音の速さは違うのだから。
これで良し……とピストルを革製のホルスターに収めている間に、クラリスもラミアの死体を綺麗に並べ終えていた。
それにしても、こうして見てみると結構綺麗な姿をしている……腰から上だけは。
だが騙されてはいけない。あくまでも腰から下が本体で、腰から上の人間の女性を思わせる部位は疑似餌。騙されて近付こうものならば毒液を吹きかけられるか、そのまま喰われてしまうだろう。
もちろん意思の疎通も出来ない。奴らの本能を支配しているのは食欲のみだ。
こんなバケモノだが、東にある”ジョンファ”という国では、ラミアの卵は珍味扱いされ高値で取引されているらしい。普通に料理に使ったりするほか、向こうの酒に漬けておくのだとか。味はどうか分らんが、よくこんなのの卵を食おうなどと思いついたものだ。4000年の歴史に脱帽である。
とりあえず、処置はこれでいい。後は管理局から派遣されたスタッフの人が死体を確認後、管理局に行けば報酬が支払われる。
クラリスを連れ、森を出た。さっきまで身体を動かしていたからあまり感じなかったが、やはり肌寒い。ちらほらと雪が降り始めているからだろう。ノヴォシアではいつもこうだ。9月下旬には雪が降り始め、そこから年が明けるまでずっと積もり続ける。だから11月下旬からは列車の運行も全面停止になってしまう。
冬になる前にはアレーサに行きたいな……そんな事を考えながら歩いていると、腰にランタンを下げ、手に銃剣付きのマスケットを手にした人とすれ違った。蒼を基調とした、冒険者管理局の制服を身に纏っている。頭に被った略帽みたいな帽子からは、真っ黒な髪と、真っ白な前髪が覗いている。
管理局のスタッフだろう。さっきの信号弾を確認し、これから死体をチェックしに行くところらしい。お疲れ様です、と挨拶すると、そのハクビシンの獣人のスタッフも会釈を返してくれた。
「それにしても、本当にハクビ村の人ってハクビシンばかりなんですね」
「みたいだな」
なんか理由でもあるのだろうか。
当たり前……であってほしくないのだが、この世界でも当然のように差別が存在する。まあ、ミカエル君やレギーナの境遇がそうであったように、ハクビシンの獣人は貴族たちからは”害獣”だの”卑しい存在”だの散々な言われようで、ハクビシンの獣人と貴族との婚姻は忌避されている。
他にもアライグマとかアナグマの獣人なども同じように忌避されていて、逆にライオンや虎などの獣人が婚姻相手として喜ばれる傾向にあるのだそうだ。そりゃあまあ、確かにハクビシンは畑や果樹園を荒らしていく厄介な奴だし、それに対しライオンは王家の象徴として扱われる事もある百獣の王。どちらが華やかで貴族に相応しいかと言われれば考えるまでもなかろう。
というわけで、ハクビシンの獣人は差別される側なのだ。
そんな迫害を受けがちなハクビシンの獣人だけの村……推測だが、ノヴォシア各地で差別を受け、行き場を失ったハクビシンの獣人たちが寄り添い合って出来上がった村なのではなかろうか。国が自分たちを捨てるならば、同胞だけで共同体を作り上げてしまえばいい。そういう発想で生まれた村なのだとしたら。
《お疲れさん、2人とも》
「ああ」
推測をパヴェルの声が遮った。依頼が成功して気が緩んだのか、既に彼はウォッカの酒瓶を開けているようで、呂律が回っていないようにも聴こえる。
「なんだお前、もう飲んでるのか」
《勝利の美酒ってヤツだよぅ、ミカ》
どうでもいい話だが、ギルド内での俺の愛称は”ミカ”で定着しつつある。今のところ、そう呼んでくるのはパヴェルだけだが。
「パヴェルさん、お酒が大好きなのですね」
「ただのアル中だろ」
《なんじゃとー? いいかミカぁ、こんなもん水よ。ちょっとアルコールの匂いするし飲んでると気持ちよくなってくるけどなぁ》
「それを酒っていうんだよ馬鹿」
何なんだコイツは。
無線を聞いてクスクス笑うクラリスをみて苦笑いしながら、とりあえずハクビ村へ戻る事にした。
報酬もそれなりに出るし、今夜は少しくらい贅沢ができるだろう。
「はい、こちら報酬の8500ライブルです」
「どうも」
まあ、Eランクの依頼の報酬ってのはこんなもんだ。少なくとも10000ライブルを超えることは無い。回復アイテムを買いそろえたり、装備を買ったりと、この仕事をするための元手には十分な金額だが、これだけで食っていくとなると難しくなってくる。
個人での活動ならばまあ、ワンチャンある。報酬が100%自分の懐へと収まるからだ。しかしこれがパーティーを組んでいたり、ギルド登録しての仕事となると、当たり前だが分け前が減る。もらった報酬を仲間と分け合わなければならないからである。
なので、管理局の酒場とかでは分け前の事で喧嘩する冒険者が後を絶たない。まあ、訪れる人が少ないハクビ村ではそんなことは無いのだろうが。
とりあえず分け前は列車に戻ってから決めよう。
報酬を受け取り、パヴェルが用意してくれた報酬用の財布に全額収めてから、クラリスと一緒に管理局の出口へ。今回は特に回復アイテムを使うことも無かったし、売店に寄る必要はないかな……と思っていたその時だった。
「ねえ、ちょっとアンタ!」
「へ?」
管理局の外へと出た瞬間に、いきなり呼び止められた。
受付嬢……じゃねえな、誰だろうか。そう思いながら振り向くと、後ろに女の冒険者がいた。ちょっと短めのスカートに学生服を思わせる可愛らしい上着、その上に黒いマントを羽織っていて、頭には魔女みたいな帽子を被っている。
一目で魔術師だと分かる格好の、女の冒険者だった。
「俺?」
「そう、アンタよ。他に誰がいるの?」
「ワンチャン受付嬢とか?」
「ないわ、私はアンタに用があるの」
俺何かしましたっけ? 何か粗相でも……? 思い当たる節が何もない。何の用があるのか見当もつかずに首を傾げている俺の隣で、クラリスの目が細くなっていくのがなんとなく分かった。爬虫類を思わせるクラリスの瞳はドラゴンの遺伝子によるものなのだろうが、まるで獲物を見つけ、これから捕食に移る時のような目つきになっている。
落ち着いてクラリス、ステイステイ。気持ちは分かるが落ち着け。
彼女の気持ちも分かる。長年仕えてきた主人が「アンタ」呼ばわりされれば不快にもなるだろうが、それでいちいち目くじら立ててたらやってけないよ。
「何か?」
結局何で呼び止められたのか分からず、その理由を彼女に尋ねる事にした。それにしても、みんな俺より背が高いのが羨ましい。150cmのミカエル君に対して、目の前にいる彼女は多分160cm半ばくらい。クラリスに至っては183cmという超弩級戦艦クラスである。
毎日牛乳飲んでるんだけどなー、なかなか背が伸びないなー……。
「アンタ、さっき森でラミアを狩ってた冒険者でしょ?」
「何でそれを?」
「ふふふっ………見てたのよ、あたし」
え、見てた? どこから?
それにはクラリスもちょっと驚いたようだった。風向きにも影響を受けるが、クラリスの索敵能力は並みの獣人以上。彼女でも発見できなかったという事は、風下にいたのか、それとも何か俺たちの知らん気配を遮蔽する術でも使っていたのか。
スカートの中から伸びた真っ白な尻尾が楽しそうに揺れる。猫の獣人なのだろうか。
あー、あの尻尾の動き見てると実家で飼ってた猫思い出すわぁ……今じゃすっかり歳をとって寝てるだけになっちゃったけど、拾ったばかりの頃はああやって尻尾振りながら寄ってきて遊んで欲しがってたのよね……。
などと実家の猫の事を思い出してると、女の冒険者はいきなり俺の手を握ってきた。
「え、ちょっ、は?」
「アンタ、変わった武器使ってたわよね!?」
あー、そっち。
てっきり何かフラグでも立ててしまったのかと思った。今のところクラリスルートなんだが。
何故か興奮気味に顔を近づけながら問いかけてくる女の冒険者。ミカエル君の手を握る彼女の手にも力が入る。あ、ちょっと待っ、力強……っ。
「あの武器どこで手に入れたの!? 売店!? 自作!?」
「待て待て落ち着け、何なんだアンタは」
「あっ、ごめんなさい」
腕からミシミシと嫌な音が聞こえるレベルで力を込めていた彼女は、ちょっと申し訳なさそうに手を離した。意外と素直なんだなあ、と思ったのも束の間、すぐに胸を手に当てながら誇らしげに名を名乗った。
「あたしは”モニカ”。天才魔術師のモニカよ、覚えておきなさい?」
モニカ……か、ノヴォシアじゃ珍しい名前だ。
海外から来た冒険者なんだろうかとも思うが、彼女の話すノヴォシア語はネイティブのものと遜色ない。別の言語圏特有の”訛り”が聴きとれない事から、彼女はおそらくこの国で生まれ育った人なのだろう。
まあいい、名乗られたからには名乗り返すのが礼儀。ミカちゃんはちゃんと貴族としての礼儀を弁えてるんですのよオホホ。
「俺は―――」
「おーう、ミカー!」
聞き慣れた野太い声。苦笑いしながら振り向くと、案の定ウォッカの酒瓶を手にしたパヴェルが、アルコールの過剰摂取で真っ赤になった顔に笑みを浮かべながらこっちに駆け寄ってきた。
「うわ酒臭っ」
「帰りが遅いから心配したぞミカ。んぉ、そのお嬢ちゃんは?」
「天才魔術師だって」
「へー、血盟旅団に入団希望?」
「そんなわけないでしょ。あたしはフリーの冒険者なのよ」
「ちぇっ、残念」
「とりあえず話がややこしくなるからさ、あっちで酒飲んで待っててくれ」
「あいよぉ……すいませーん! ウォッカのウォッカ割りくださーい」
『はーい、要するにウォッカですねー!?』
随分と物分かりの良い店員さんだなぁ。
ふらつきながら席に着くパヴェルを見守っていると、モニカがこっちを見ろと言わんばかりに咳払いをする。
「なるほど、ミカっていうのね。よろしく」
「あ、ああ、よろしく」
それ愛称だけどね。本当はミカエル、天使の名前なのよ。分かる? 天使。エンジェル。
「こっちはメイドのクラリス。専属のメイドだよ」
「クラリスと申します、以後お見知りおきを」
そう言いながら長いスカートの裾を手で摘まみ上げ、静かにお辞儀するクラリス。レギーナの指導が行き届いているおかげか、お辞儀するだけでも随分と優雅なのだが……何だろう、どこか敵意というか、冷たさを感じてしまうのは何故だろうか。
「よろしく。……それで本題に入りたいんだけど、あの武器どこで手に入れたの?」
やっぱりそっちに興味津々か。
興奮気味に問いかけてくるモニカだが、本当の事を話すのもな、とは思う。第一、異世界から転生してきた際に”自称魔王”から貰った能力で生産した、なんて言っても信じてもらえないだろう。
だからこう言わざるを得なかった。
「企業秘密」
「えー!? 何でよ!?」
「あのな、商売道具について見ず知らずの相手にホイホイ言えるわけないだろ」
「それは……そうだけど」
彼女の放つ空気が変わったのが、はっきりと分かった。先ほどまでの活発な雰囲気は鳴りを潜め、ほんの少しだけではあるが、その内に秘めた何かが滲み出る。
「どうしても駄目? 教えてくれない?」
「知ってどうするんだ? 貴族に高値で売るつもりか?」
「そんなことしないわよ。あたしはただ……」
ぎゅっ、と拳を握るモニカ。先ほどまでの騒がしい彼女はどこへやら、まるで自分の罪を懺悔するかのように、ぽつりと呟いた。
「―――力が欲しいのよ、圧倒的な力が」
「え?」
圧倒的な……力……?
窓の外に視線を向けたモニカの目つきが変わる。何かいるのか、と思いながらそっちを見てみると、窓の外には灰色のコートにウシャンカを被った大柄な男が居て、近くを通りかかった人々に何やら写真を見せながら何かを聞いて回っているようだった。
人探しでもしているのだろうか?
「……ごめん、あたしはこれで」
「あっ、おい―――」
それだけ言い残し、足早に管理局の建物を後にするモニカ。
彼女にさっき握られた右手にはまだ、温もりが残っていた。
「ご主人様、彼女はいったい……?」
「わからん……でも……」
どうやらワケありっぽいな、彼女。




